第十一話目~エビチャーハン・鶏肉のオレンジソースかけ・干し貝柱入り粥~
さて、二人はそれからもバイキングに舌鼓を打っていた。ディシディアは慣れぬレンゲを使ってチャーハンを掬い、パクパクと一心不乱に食べている。
パラパラに炒められたチャーハンは口内に拡散していき、他の具材との調和を完成させる。卵とエビ、それからネギだけという一見簡素にも思える品だが、だからこそ美味い。素材たちが見事に互いの良さを生かしつつ、主張している。
米のパラパラ、卵のふわふわ、エピのぷりぷり、そしてネギのシャキシャキ感。どれも違った歯触りと味わいがあり、一口ごとに旨みが押し寄せてくる。
おそらく、そこまで高級な品――それこそ数千円もするような食材は使われていないだろう。しかし、このチャーハンは高級食材を使ったものにも負けないほどに味の次元が高い。まさに職人のなせる業だ。
ディシディアは一旦口内を麦茶で洗い流し、それから良二が食べているオレンジ色のソースがかかった唐揚げに目を移した。美味しそうに食べる彼を見ていると我慢ができなくなったのか、彼女も自分の取り皿に唐揚げを移し、大きく息を吸った。
オレンジソースの酸味のある匂いが鼻孔をくすぐり、食欲をそそらせる。唐揚げの香ばしい香りと混じり合ったそれは、もはや殺人級だ。
ディシディアはごくりと喉を鳴らし、唐揚げを箸で持ち上げた。見た目よりもはるかに重い。ずっしりという確かな重みを感じながら、彼女はアツアツの唐揚げを口内へと入れた。
途端、彼女口がキュッとすぼまる。
唐揚げにかけられているオレンジソースの酸味が思ったよりも強く、つい顔をしかめてしまったのだ。が、次の瞬間には彼女は目を丸くしてそれを咀嚼している。
酸味のあるソースが唐揚げと意外にもマッチする。鶏自体にも下味がつけられているせいか、ソースの味に負けるということはない。さらに、ソースがかかっているところはしっとりとしており、かかっていないところはカラリと揚っている。
この食感と味の不均一さも美味さの秘訣だ。決して単調なものではなく、緩急をつけて舌を喜ばせてくれる。酸味のあるソースにも最初は驚いたが、食べれば食べるほど癖になっていき、気づけば唐揚げにたっぷりとソースを絡めている自分がいることに気づき、ディシディアはハッと目を見開いた。
「この調理法は面白いね。酸味のあるソース……しかもちょっと甘いのに、これとよく合う」
「ちなみにそれ、オレンジって言う果物のソースですよ。結構メジャーな食べ方らしいです。中国だけじゃなくて、色んな地方で似た料理があるそうですよ」
良二の解説に、ディシディアは興味深そうな様子で頷いた。
彼女の故郷では、果実はそのまま食べるものでこのようにソースとすることはなかった。ジャムやジュースはあったものの、肉と合わせるという発想はなかったのである。
改めてこちらの人間たちの知恵と技術に感心しながら、再び唐揚げを口にする。肉はまだアツアツで、噛むと肉汁が溢れ出てきた。その肉汁がソースと絡み合えば、至福が生まれる。彼女は暫しそれらを楽しんだ後で、ごくりと嚥下した。
そうして次の料理に――手を伸ばすかと思ったが、彼女は一つ大きな欠伸を寄越した。
「大丈夫ですか?」
「……あぁ、すまない。ちょっと疲れていてね」
ディシディアがやや眠そうに告げる。だが、それも当然だろう。
ここは彼女にとって見慣れぬ地だ。その上、苦手な人混みを突っ切り場面もいくつかあった。さらに、一度は熱中症でダウンしているのだ。むしろ、あそこでリタイアしていてもおかしくないものではあったのだ。
良二は箸を置き、不安そうな顔になってディシディアを見つめた。彼女の瞼はすでに落ちかかっており、もう休息の準備を取りつつある。
彼はやや間を置いた後で、コクリと頷いた。
「とりあえず、帰りますか?」
「……いや、まだ待ってくれ。せめて、あと一品。頼ませてくれ」
「ダメですよ。もう眠そうじゃないですか。早めに休んだ方がいいですよ」
「……頼むよ」
良二はやや強い語調で言ったが……潤んだ瞳でそんなことを言われてはたまったものではない。彼は思案しているようだったが、やがて諦めたようにピッと人差し指を立てた。
「一品だけですよ。それを食べたら、帰りましょう」
「ふふ、ありがとう。やっぱり君はありがたいね」
言いつつ、ディシディアはすっと手を上げてウエイトレスを呼ぶ。そうして数秒もせずに来た彼女に向かって、ディシディアはメニューの一点を指さしてみせた。
「これをもらえるかな?」
彼女の指が示す先には――『干し貝柱入り粥』と書いてある。なるほど。食事の締めには最適の料理だ。
文字が読めたわけではないだろうが、それが締めの料理であることはなんとなく察したのだろう。その証拠に、ディシディアは意味深なウインクを良二にしてみせた。
「かしこまりました。では、しばしお待ちください」
「あぁ。さて……リョージ。君はもういいのかな?」
ディシディアは彼の手元を見ながらそんな言葉を寄越す。彼はすでに満腹なようで、苦しげに腹をさすっていた。ただ、残すことはプライドが許さないのかヒスイ餃子をチビチビと食べてはいたが。
良二はヒスイ餃子を麦茶で流し込んだ後で、大きく頷いた。
「えぇ。正直、お腹がはち切れそうですよ」
「君はまだ若いだろう? もっと食べれるんじゃないかい?」
「いや、考えてみてくださいよ。今日はずっと食べ尽くしだったんですよ?」
その言葉に、ディシディアはグッと言葉に詰まる。
確かにここに来てからもう半日以上が経過するが、その大半は何かを食べていたと言っても過言ではない。花より団子とはよく言ったもので、観光よりも食べ歩きの方が重視されていたのだ。
流石に自覚はあったのか、ディシディアはポッと頬を染めて俯いた。
「仕方ないじゃないか……この世界の料理はどれもおいしすぎる」
「そう言えば、ディシディアさんが食べた中で一番おいしい料理は何だったんですか?」
「む? それはこっちの話かい? それとも……私の故郷の世界でかい?」
「故郷の方です」
ディシディアはふぅっと息を吐き、腕組みをして難しそうな顔になった。
「むぅ……そうだね。一番の好物は『ケネプラ』というこちらの世界で言うパンのようなものだ。これは私が大賢者になった時の祝いの席でいただいたものでね。高級な木の実などが入っていて、岩塩で味付けがしてある。これがとても美味しいんだ。さらに、魔力増強効果もあって……まぁ、こちらの世界では食事は娯楽的なものだけど、少なくとも私は儀式的な食事を主にしてきたからね。とてもじゃないが、こちらの世界の料理とは比べられないよ」
と、肩を竦める彼女はまたしても大きな欠伸をして目を擦る。もうそろそろ限界が近いようだ。うつらうつらと舟を漕いでいる彼女を見て、良二はまたしても心配そうにするが、その反応を見たディシディアはクスリと笑う。
「君は心配性だね。大丈夫。まだ起きていられるよ」
「あまり無理はしないでくださいね?」
「ふふ、年下の君に心配してもらえるとは、私もまだまだ捨てたものじゃないね。あぁ、その心遣いはありがたく受け取っておくよ。それに、ほら。もう来たみたいだ」
と、彼女が指差す先には先ほどのウエイトレス。彼女はそっとトレイに乗っていた白いお椀をテーブルに置く。そこにはネギがたっぷりと入れられた粥があった。
「おぉ……いい香りだ」
すぅっと息を吸い込めば、芳醇な帆立の香りが肺を満たす。その感覚に眠気までもがどこかへと飛んでいってしまったようだ。ディシディアは先ほどまでの様子はどこへやら、興奮気味に耳を上下させている。
「では、いただきます」
レンゲがスッと粥の中へと沈んでいく。確かな感触を感じながら、ディシディアはそっとレンゲを上げた。と同時、またしても帆立の香りがふわりと漂ってくる。香りだけだというのに、腹を殴られたようなインパクトの強さだ。
彼女は湯気を立てるそれをフーフーとあらかじめ息で冷ましてから、レンゲを口内に入れた。刹那、落ちかけていた瞼がハッと見開かれる。
米は形を保っており、帆立の旨みをこれでもかと吸収している。柔らかく、歯を入れればふわっと溶けて中に閉じ込めていた風味を爆発させる。
ただの白粥とは違い、重厚感のある味わいだ。なのに、食べやすい。出汁はしっかりと効いていて、濃厚な風味だというのにするっと喉を下っていく。
おそらく、これはたっぷりと入れられているネギのおかげだろう。これが口当たりをさっぱりとさせて、濃厚な風味を残しつつあっさりと食べられるようにしているのだ。
干し貝柱は取り扱いを間違えるとどうしても臭みや雑味が出てしまう。だが、それはうまく処理されているのか、純度百パーセントの旨みだけがダイレクトに伝わってくる。これはもはや官能の域だ。自然とディシディアは頬を緩めていた。
さらに彼女は額から汗を流しつつも、粥を頬張っている。粥の効果で体の中から温まっているのだろう。
内からポカポカと温まっていく感覚を得ながら、ディシディアはガツガツと粥を口に放り込んでいく。よほど気にいったのか、無言のままだ。なのに、耳だけはピコピコと千切れんばかりに動きまくっている。もはや本能のままに貪っている状態だが、彼女はそんなことには気を留めている暇もないらしい。無我夢中で頬張る彼女は緑色の目を爛々と輝かせていた。
数分もしないうちに平らげてしまった彼女は満足げに息を吐き、背もたれに体を預けた。彼女の瞳はトロン、と潤んでいる。どうやら余韻に浸っているらしい。よほど惜しいのかそのピンク色の舌を使って口の周りを舐めているほどだ。
良二はふっと息を吐き、静かに麦茶を飲み干してから、鞄に手をかけた。
「そろそろ帰りますか?」
「……そうだね。強がってはいたが、私もそろそろ限界だ。帰るとしよう」
彼女はすぐに席を立ち、レジの方へと向かっていく。しかし、再び襲いかかってきた眠気に負けそうなのか、その足取りはおぼつかない。
見かねて、良二は彼女の手を取ってやる。小さい手はちょっとだけ温かくて、まるでカイロのようだ。
「さぁ、帰りましょう」
「あぁ。そうだね……ふわぁ。いや、今日はいい一日だったよ。連れてきてくれてありがとう。本当に楽しかったよ」
「どういたしまして。またいつか来ましょうね」
そう言って、良二はスッと右手の小指を差し出す。それを見て、ディシディアはキョトンと首を傾げた。
「なんだい?」
「指切りげんまんですよ……って、あ。そうか。知らないんですよね。こうやるんですよ」
良二は自分の小指とディシディアの小指を絡ませ、上下に動かした。そうして、小さく歌を奏でる。
「ゆ~びき~りげ~んま~ん。う~そついたら針千本の~ます……っと。はい、これで終わりです。嘘ついたら針千本飲まなくちゃいけませんからね?」
当のディシディアは顔面を蒼白にしてガタガタと震えていた。彼女の瞳は揺れており、動揺が伺える。
「お、怖ろしい……君たちの世界のまじないはそんなに制約が厳しいのか……? 私たちの世界でもそこまではないぞ……」
無論、これはただの決まり文句のようなものなので実際に針を飲むことはないのだが……彼女は信じ切ってしまったらしい。
しかし、その様子がどこか面白かったせいだろう。良二はただ含み笑いを浮かべたまま彼女と共に家路につく。
後日、彼女をからかっていたことがばれて一悶着あったのは別の話。