第百八話目~草加ふささら祭り! 腹ごしらえのケバブサンド~
「おぉ……中々に壮観だね」
道の両端に立ち並ぶ松を眺めながら、ディシディアは感嘆の声を漏らす。その松の木の下には多くの屋台が立ち並び、まだ始まっていないのに活気に満ちていた。
二人がやってきたのは草加松原遊歩道。松原団地駅からしばらく歩いたところにある綾瀬川付近の道だ。今日はこの付近で『草加ふささら祭り』というものが催されると聞き、彼女たちはわざわざ遠くまで足を運んできたのだ。
いつもの生活圏とはまるで違う空気と賑わいを見ているといやがおうにも心が躍る。また、ディシディアは露店にも興味津々のようで、時折店先を覗き込んでいた。
「転ばないように気をつけてくださいね?」
その横を歩く良二が不安げに告げる。昨日の大雨でまだ地面はぬかるんでおり、大変滑りやすくなっている。せっかくおめかししてきたのに、服が汚れてしまっては台無しだ。
それはもちろんディシディアも理解している。彼女はわざとらしくムスッと頬を膨らませながら良二の方に身を寄せた。
「いいじゃないか。こんな祭りは滅多にないんだ。それに、面白そうな露店が揃っているしね」
「まぁ、気持ちはわかりますけどね」
露店では地域限定の品が売られている。東北や埼玉ゆかりの品が多く、地域活性化を目指していることが伺えた。もちろんそれ以外にも焼き鳥やたこ焼きなどの露店が立ち並ぶ。実に圧巻だ。
「ふむ。中々面白い。だが、まずはあれを済ませなくてはね」
ディシディアはポシェットの中からチラシを取り出し、ぴらぴらと揺らす。それを見て、良二は肩を竦めた。
二人がここに来たのはとあるものに乗るためだ。それは――和舟。綾瀬川を和舟で探索するというツアーが催されるというのを耳にし、早速やってきたのだ。
本来はもう少し後からなのだが、調べてみると予約が必要らしく、開始時刻よりも半国ほど早く来てしまった。だが、会場まではそれなりに距離があったし、移動中に露店などを下見できるからちょうどいい。
「それにしても、今日は奇抜な格好をしている者たちが多いね」
「あぁ、よさこいがあるらしいですからね」
「よさこい?」
「まぁ、なんというか……踊りの一種ですよ。すいません、俺もよく知らないんです」
「謝ることじゃない。無知は恥じることじゃないさ」
年相応の老獪さを垣間見せるディシディア。彼女に言われると、なぜだかスッと納得できるのだ。それだけ、彼女の言葉に説得力があるからかもしれない。
「さて、もうそろそろだ。気を引き締めていこう」
眼下に広がる綾瀬川を眺めながらディシディアはグッと握り拳を作る。良二も彼女と同様に険しい視線になりながら、橋を渡って対岸へと移動した。
すると、あっという間に和舟の乗り場が見つかった。橋の下にあるテントにはすでに何人かの人たちが集まり、登録をしているようである。二人はすぐさま土手を下り、そちらへと向かう。
「いらっしゃい」
迎えてくれたのは老年の男性だ。彼は穏やかに微笑みながら、手元の髪を指さす。どうやら、それが予約用紙らしい。
「住所と名前をお願いね。あ、お兄さんのだけで大丈夫だから」
「あぁ、わかりました」
良二はサッと必要事項を書きこむ。それと同時、受付の男性から黄色い番号札を渡された。
「九時半から説明が始まるから、それまでには戻ってきてね。十時から舟に乗れるから」
「わかりました。じゃあ、何かご飯食べに行きましょうか」
「賛成だ。朝から何も食べていないからね」
二人は頷き合い、また土手を上る。そうして前方を見やるとそこはグラウンドであり、当然のごとくそこにも大量の露店が並んでいた。また、それだけじゃなくステージや子どもたちが入れるような巨大バルーンなども設置されている。
遊歩道の露店も見事だったが、スケール感ではこちらの圧勝だ。ディシディアは何かに憑りつかれたかのような顔つきになってそちらへとふらふら歩み寄っていく。
見たこともない食べ物の名前が書かれた旗や暖簾は彼女から見れば相当魅力的なものだったのだろう。すでにトリップしかけている彼女を見て、良二は含み笑いを漏らした。
先ほどまではあれほど大人びた対応をしていたのに、今や子どものように無邪気な表情になっているのだ。そのギャップには未だに慣れない。ただ、これは彼女の魅力であるとは常々思っていた。
「リョージ。早く行こう。もう時間もないだろう?」
「あぁ、そうですね……三十分くらいしかありませんから、あまり見ることはできないかもしれませんが、行きますか」
二人はやや早足でグラウンドの方へと向かっていき、早速露店を品定めしていく。どれもこれも美味そうな品が揃っており、見ているだけで涎が出ているほどだ。
――が、問題が一つ。まだ、祭りが始まるには早いということだ。ほとんどの店が準備の段階であり、料理を用意している店はあるが変える雰囲気ではない。皆始まるのを待っているのだろう。従業員同士で談笑しているなど、和やかな雰囲気だ。
ひとしきり見てみたが、どこでも買える感じではない。ディシディアは拍子抜けしたようにがっくりと肩を落とした。
「むぅ……しまったな。何か買ってくるべきだったか」
これは流石に予想外だったのだろう。ディシディアは苦しげに腹を押さえる。良二はそんな彼女を慰めるように、ちょいと後ろの方を指さした。
「気を落とさないでください。ほら、まだあっちのブロックもありますから」
彼が指差すのはもう一つのブロック。彼らがいるのは左のブロックだが、右のブロックにも露店はあるのだ。ただし、数は左ブロックに比べるとやや少ない。
けれど、何かが売っている可能性は否定できない。ディシディアは力なく頷き、そちらへと足を向けた。
すでに準備はしているので匂いはする。しかし、それが逆に辛いのだ。目の前に料理があるのに、それを食べることができないのだから。
ディシディアは必死に空腹をこらえながら左ブロックに向かい、またしてもそちらを探索する。
けれど――結果は同じだった。ほとんどの店が準備段階で、やはり買える雰囲気ではない。それを受け、ディシディアはますます体を縮ませる。
「うぅ……仕方ない。とりあえずは先ほどの場所に戻るか……」
そう呟く彼女の後姿はどこか寂しげだ。良二は何か励ましの言葉を送ろうとしたが、どういえばいいのかわからず、結局は口をつぐんだ。
ディシディアはふらふらとおぼつかない足取りでテントへと戻っていき、良二もそれに続こうとしたその時だった。
「お二人さん、お二人さん! お腹減ってないかい! ここで買っていきなよ!」
『ッ!?』
威勢のいい、よく響く声が露店の方から聞こえてきたのは。
「ほらほら! 美味しいよ! 買ってって!」
その声に導かれ二人がそちらを見やると、そこにいたのは露店の前で手招きしている中東風の顔立ちをした男性だった。彼はパンパンと手を打ちながら、二人に声をかけ続ける。
「ケバブはどうだい! 美味しいよ、美味しいよ!」
「買った!」
答えるまでの時間、約一秒。ディシディアは目にも止まらぬ動きで屋台の前まで移動し、五百円玉をその男性へと手渡す。それを受け、男性は奥にいる男性二人に声をかけた。
「チキンケバブ一つ入ったよ! 大至急ね!」
『あいよ!』
厨房担当の男性たちもそう答え、あっという間に料理を開始する。その鮮やかな手際にはディシディアも良二も舌を巻く。かなり手慣れた動きだ。
ピタパンを鉄板で焼き、焼き上がったものをもう一人の男性がキャベツとチキンを中に詰め、最後にソースを――かけようとしたところで、二人に視線を寄越した。
「ソースはどうしますか? 辛いの? ちょっと辛いの? 辛くないの?」
「辛さが基準なのか……とりあえず、オススメで頼む」
軽いカルチャーショックを受けながらもディシディアは首肯する。と、男性は笑いながら赤い容器を手に取った。
「それじゃあ、辛い奴にしますね~」
辛い、という言葉にディシディアはびくりと体を震わせる。だが、怯えた様子ではない。これまでの経験から、辛いものでも食べられるというのがわかっているからだろう。もう苦手ではない。ただ、ちょっとだけ辛さに敏感なだけだ。
「はい! お待たせ!」
「おぉ、ありがとう! 助かった!」
「……この子、よほどお腹空いてたんだね」
その場にいた男性たちがうんうん、と頷く。良二は苦笑しながら頬を掻き、ディシディアへと視線を戻す。彼女は目の前のケバブサンドをジィッと凝視していたが、ややあって静かに手を合わせる。
「いただきます」
それからごくりと生唾を飲み、ケバブサンドにかぶりついた。直後、その長いエルフ耳がピンッと立つ。
舌をピリリと痺れさせる辛いソース。だが、キャベツやピタパンによって辛味はだいぶ緩和されており、むしろスパイシーで奥深いものとなっている。食べれば食べるほど、病み付きになっていくようだ。
ピタパンを食べるのはこれで二度目だが、あれとはまたベクトルが違う。こちらの方がよりどっしりとしており、食べごたえがあった。
ローストされたチキンは非常にジューシーなものに仕上がっており、けれどもスパイスの効果でしつこさはない。キャベツも瑞々しく、ソースとの相性もバッチリだ。
「おぉ……これは実に美味だ!」
「でしょ! ケバブは最高だよ!」
客寄せ担当の男性が嬉しそうに笑う。やはり、自分の国のものを褒めてもらえるのは嬉しいのだろう。もちろん彼だけでなく、後ろに控える男性たちもハイタッチをして喜びを表現していたほどだ。
「それにしても、すごい料理だな、このケバブとは」
ようやく空腹が回復し、落ち着きを取り戻したディシディアは店の脇にある肉が何重にも巻かれた串を見やる。そこからは食欲をそそるスパイスと肉の焼ける香ばしい匂いが漂っており、匂いのテロを巻き起こしていた。
「あぁ、これはドネルケバブだからね。中々イケるでしょ?」
「中々どころではない! 絶品だ! すべての食材がそれぞれの持ち味を活かしつつ、互いに協調し合っている! 驚くべき完成度だ……ッ! これを考えた人は天才だ!」
空腹のせいでテンションが若干ハイになっているらしい。ディシディアはケバブサンドを天に掲げながら雄弁に語る。
しかし、男性はそれを好意的に捉えてくれたようだ。彼はパンッと手を打ちあわせ、グッとサムズアップを彼女へと向ける。
「ありがとう! お嬢ちゃん、べっぴんだね!」
などとディシディアたちが軽口を交わしていると、グラウンドに備え付けられていたスピーカーからノイズまじりの声が聞こえてきた。
『皆様、今日はお越しくださりありがとうございました。それではこれより「草加ふささら祭り」を開始いたします!』
刹那、響き渡るのは拍手喝采。良二たちもそれに手を打ちあわせ、祭りの開始を祝福した。
「おっと、何か始まるみたいだね」
受付の男性の言う通り、ステージの上に大勢の男女が上る。皆よさこいの衣装を身に纏っており、手には鳴子を持っていた。
それから数拍静寂が支配した――かと思うと、スピーカーからすさまじい音量で音楽がかき鳴らされる。それと同時、ステージに上っていた演者たちが舞い始めた。
「おぉ……美しい」
その踊りにディシディアも目を奪われる。よさこい踊りは非常にダイナミックで迫力のある踊りだ。身の丈の数倍はある旗を振りかざし、踊る者たちは鳴子を巧みに操りながら難しいステップを軽くこなしていく。
指先にまで集中力を張り巡らしているのだろう。一糸乱れぬ動きに、ディシディアは見入っていた。その隣にいる良二も、ケバブを受け取ろうとしていた腕をピタリと止めて、首をそちらへと向けている。
二人は踊りの専門家ではない。けれど、このステージに上っている者たちはかなりの上級者たちだとわかった。そして同時に、血の滲むような修練を積んできたということも。
音楽に合わせて舞う。これならばある程度の修練を積めばできる。だが、そこに感情を乗せて表現するとなるとまた話が変わってくる。
ただ『やる』だけなら誰にでもできる。だが、そこに独自の解釈を乗せて『表現』することはかなり難しいことだ。だが、少なくとも今ステージに上っている者たちはそれができている。
よほどの研鑽を重ねてきたであろうことは見ているだけで理解できた。
おそらく、時間はせいぜい数分程度だっただろう。だが、体感としては数時間。それほどまでに、二人はそれに魅入られていた。
最後にシャンっと鳴子を響かせ、彼らは踊りを止める。しかし、その所作も非常に優雅で、体からは未だに気迫が滲み出ていた。
それから数秒おいて巻き起こったのは――最初とは比べ物にならないほどの拍手喝采。ディシディアも良二も満面の笑みを浮かべながら惜しみない歓声を送った。
「すごいね、この国の踊り。ボクも好きだよ」
国は違えど、感じるものはあったらしい。屋台の男たちは互いに頷き合っていた。
「あぁ! 私もだ!」
世界が違う者にもその踊りの素晴らしさがわかっていたらしい。ディシディアはぴょんぴょんと興奮気味に跳ねながらケバブにかぶりついていた。
「いや、喜ぶか食べるかどっちかにしましょうよ……」
などとツッコミを入れつつ、良二は代金を握った左手を受け付けの男性の方へと差し出し――
「あ!?」
驚愕に目を見開いた。彼の視線は、左手にはめられている腕時計へと向いている。
すでに時刻は九時二十五分。説明開始時刻まで残り時間はあとわずか。良二は血相を変えて、ケバブを受け取る。
「ディ、ディシディアさん! 急ぎましょう! もう乗船時間ですよ!」
「なっ!? わかった!」
二人はすぐに踵を返し、テントへと駆けていく。
「毎度あり~! 祭りを楽しんで~!」
「ありがとう! 君たちもな!」
ディシディアは男性たちに手を振りつつ、またケバブを頬張る。チキンの脂とキャベツのほのかな甘さ、ピタパンの香ばしさが織りなすハーモニーにまた浸りそうになるが、時刻が迫っていることを思い出し、慌てて良二の背を追うのだった。