第百七話目~缶のお汁粉と大きな手・小さな手~
日付が変わる一歩手前。終電にギリギリ乗り込むことができた良二はほっと安堵のため息をつく。文化祭の準備をしていたらこんなに遅くなってしまった。一応ディシディアに連絡は入れておいたが……なぜか憔悴しているように思えた。
もしかしたら、自分がいない間に何かしらトラブルがあったかもしれない。そう思うと気が気でなく、背筋が凍る思いだった。
たったの数駅のはずなのに、数十キロ離れているような錯覚を覚えてしまう。良二はドアの傍に経ってスマホを逐一確認しつつ、忙しなく足踏みする。
そうこうしている間にも電車は進んでいく。一駅ごとに最寄駅が近づいていくにつれ、心拍数も上がっていった。
「やっぱり、連絡はないよなぁ……」
最近、ディシディアはパソコンを使ってメールを送ってくれている。良二は彼女からのメールがないかを何度も確かめたが、新着なし。スマホと違って確認しづらいのがパソコンの辛いところだ。
「……と。そろそろか」
もう駅は間近。良二はポケットにスマホを仕舞いこみ、ピンと背筋を伸ばす。そうして扉が開かれるなり、何かに弾かれるようにして外へと駆けだしていった。
終電ということもあり人はそれなりに多い。そのため、エスカレーターよりも空いている階段を二段飛ばしで下っていく。やや着地に失敗しよろめきながらも、彼は一目散に改札へと向かいそこを潜った。
その時だ。柱の影から見覚えのある白い髪と長い耳がぴょこんと出ているのを見たのは。
「ディシディアさん……?」
「や、リョージ。お疲れさま」
そろそろと近づいてみると、柱の影からディシディアがひょこっと飛び出してくる。彼女はモコモコのセーターで完全防備しつつ、温かな笑みを浮かべた。
対する良二は荒い息をつきつつ、ぺこりと頭を下げる。
「すいません、すっかり遅くなってしまって……」
「気にするな。大変だったね。御苦労さま」
正直、先ほどまで倒れそうなくらいだったが、不思議とその言葉を聞くと力が沸いてきた。良二は未だにぜぇぜぇと荒い息を吐きながらもスッと居住まいを正した。
「じゃあ、帰りましょうか」
「あぁ。ところで、君はご飯を食べてきたのかい?」
「あぁ……すいません。差し入れのおにぎりを食べてきました」
「そうか。実は、私もなんだ」
てっきり怒られるかと思ったが、当のディシディアも照れ臭そうに頬を掻いていた。
「君が教えてくれたおかかを作ってみたんだが、中々美味くできてね。ただ、君にも残しておきたかったんだが……申し訳ない」
「いやいや、そんなに謝ることじゃないですよ。そんなにおいしかったなら、また別の機会にでも作ってください」
「もちろんだとも。きっと君も驚いてくれるよ」
彼女の言葉は自信に満ちている。それだけでどれほどの品ができあがったのかは理解できた。
「ところで、リョージ。学園祭はもうすぐだったかな?」
「えぇ、そうですよ。俺は準備があるので朝から出ますが……来てくれるんですよね?」
「もちろんだとも。君の晴れ舞台を見なくてはね」
「いや、保護者じゃないんですから……」
「実際、そんなところだろう」
ディシディアは不敵に口元を吊り上げ、えっへんと胸を反らす。
「まぁ、それは半分冗談だとしても、だ。その祭りとやらには非常に興味がある。できれば、君と一緒に見て回りたいんだが……」
「大丈夫ですよ。そっちは何とかしますから」
やや不安げに見上げてくるディシディアを安堵させるべくあえて優しい言葉で言う。と、彼女は心底嬉しそうに顔を綻ばせ、耳をぴょこぴょこと動かした。
「ふふふ、今から楽しみだ。あいにく、お金だけは腐るほどあるからね。たっぷり祭りを満喫しようじゃないか」
例のがま口財布をちらつかせるディシディア。彼女はほぼ無限に近い財を保有しているため、金に糸目をつける必要がないのだ。
ただ、良二は曖昧な笑みを返す。もし祭りの時に彼女にばかり会計を任せていては、傍目から見れば妹にばかり奢らせている鬼畜のように映るだろう。ただでさえヒモになりかけている自覚があるのに、それだけは避けなくてはならない。
「自分のものは自分で払いますから、大丈夫ですよ」
良二は妙な使命感に胸を燃やしながら応え――
「ぷしゅんっ!」
た直後、ディシディアが可愛らしくくしゃみをし、ブルリと身を震わせた。
「うぅ……やはり夜は冷え込むな。まだ足りなかったか」
やはり、彼女が住んでいたところとは気温が違う。すぐに適応するのはいかに彼女といえど難しいだろう。
良二は咄嗟に自分の上着を彼女に着せつつ、
「とりあえず、暖を取りましょうか」
と言って、近くにあった自販機に歩み寄り、数百円を投入。数拍置いてとあるボタンを連打し、出てきた缶を手に持って彼女の方へと戻っていく。
「はい、どうぞ。温まりますよ」
「あぁ、ありがとう……して、これは?」
ディシディアは手渡された缶をジロジロと観察しながら問う。てっきり冷たいかと思ったがそうではなく、ほんのりと温かくかじかんでいた手を優しくほぐしてくれる。
その感覚に目を細めていると、良二がピッと人差し指を立てた。
「お汁粉ですよ。さぁ、冷めないうちにどうぞ」
「それもそうだ。では、いただきます」
一礼し、プルトップを外す。やはり温かいものを飲むときには慎重になるのだろう。
ディシディアはおそるおそる缶に口をつけ、ゆっくりとそれを傾けた。
その数秒後、口の中にどろりとした液体が流れ込んでくる。予想外の食感に彼女はビクッと体を震わせたが、すぐに体を弛緩させた。
優しい甘さが口いっぱいに広がり、じんわりと体に染みこんでいくようだ。温かいお汁粉は冷え切った体を芯から温めてくれる上に、味の方も抜群だ。
時折小豆が一緒に口の中にやってきて、噛むと風味を炸裂させる。どろっとしたお汁も慣れると中々イケる。粘性があるおかげか、缶を傾けても一気に口の中に流れ込んでくるわけではないので舌を火傷する心配もない。
「ふぅ……癒されるな。寒い日にはうってつけだ」
「でしょう? お団子と一緒に飲むのも中々に乙ですけどね」
良二も両手で缶を持ってほっと息を吐いていた。
正直、これは抜群に美味いわけではない。けれど、どこか懐かしく親しみ深い味だ。どれだけ飲んでも飽きず、心が穏やかになるようである。
それに温まった缶を持っているだけでも暖を取ることができる。お腹も膨れるし、体の内と外からも温まることができる。まさしく一石二鳥だ。
――が、飲み進むにつれて、缶は徐々に冷えていく。ディシディアはどこか名残惜しげに空になった缶を持っていたが、
「ディシディアさん。ついでに空き缶、捨ててきますよ」
近くのゴミ箱を指さす良二に言われ、渋々引き渡す。
良二は苦笑しながら空き缶をゴミ箱に入れ、ポリポリと頭を掻いた。
「まぁ、仕方ないですよ。でも、少しはマシになったでしょう?」
「……確かにね。だが、やはり手が冷えるな……」
末端神経は特に冷えやすいものだ。彼女は両手には~っと息を吐きかけていた……が、急に何かを思い出したかのごとく、良二の手を見つめた。
「どうしたんですか?」
「いや、何。ちょっといい方法を思いついただけ……さ」
「おわっ!?」
いきなり手を握られ、良二は狼狽する。だが、当のディシディアは構うことなく彼の手をにぎにぎと弄んでいた。
「ふふ、思った通りだ。やっぱり君の手は温かいね。それに、とっても逞しい。私の手よりも一回りくらい大きいんじゃないか?」
ディシディアは良二の手を開き、自分の掌と合わせてみせる。年齢的には彼よりもはるかに上だが、その手は驚くほど白くて小さく、頼りない。
自分の掌に重ねられる小ぶりで冷たい掌の感触に、良二は思わずドキリとしてしまう。
「あ、あの……恥ずかしいですよ」
「ん? 別にいいじゃないか。よく手を繋ぐだろう?」
何とか声を絞り出したが、対するディシディアはキョトンと首を傾げ、むしろ面白がってますます手を触ってきた。
自分の指に絡められる彼女の細い指。どこか艶めかしく、色っぽい動きに良二はついつい顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「いや、それはそうなんですけど、その……」
良二はもごもごと口ごもる。当のディシディアはしてやったり、と言わんばかりに口元を歪めながら彼の手を両手で力強く握りしめつつ、家路を急ぐのだった。