第百五話目~ジンジャークッキーとディシディアさん七変化~
「トリック・オア・トリートッ!」
帰ってきて扉を開けるなり聞こえてきた言葉に良二は思わず目をパチクリさせる。
そう。今日は待ちに待ったハロウィン。そのためなるべく早めに帰ってきたのだが――扉の向こうにいたのはもこもこの狼の着ぐるみを着たディシディアだった。
彼女は「がおー」と狼っぽい声を上げながら両手を上げている。
その普段からは想像もできない姿に良二は思わず目を疑った。なにせ、当のディシディアはノリノリで楽しんでいるようだったのだから。
「……む? 外したか?」
どうやら良二の反応が思っていたものと違ったから戸惑っているのだろう。ディシディアは首を傾げて顎に手を置き、ポンと手を打ちあわせた。
「……よし。わかった。ちょっと待っていてくれ」
そう言って彼女が向かったのは脱衣所。良二はしばし呆気にとられていたが、木枯らしの寒さによってハッと我に返り、そそくさと中へと足を踏み入れた。
それと同時、脱衣場の扉がまたしても開かれ――その奥から魔女のような衣装を身に纏ったディシディアがやってきて、再び声を張り上げる。
「トリック・オア・トリートッ!」
「え、えと、ディシディアさん……どうしたんですか、その格好?」
良二は何とか声を絞り出した。それを受け、ディシディアはくるりとその場でターンし、自慢げにスカートの裾を持ち上げた。
「ふふ、今日はハロウィンだからね。色々と衣装を買ってみたんだ。魔女の衣装だが……どうだい? まぁ、私の本業は賢者だがね」
言いつつ、彼女は指を一振り。すると先端から光の粒が噴出し、渦を巻きながら天井にぶつかった。それを見て、良二は彼女が魔法を使えたことを改めて思い出す。
「が、ガチの魔女じゃないですか……」
「そうなるね。ただ……これに関しての感想はないのかい?」
言われて、良二は彼女の服に目をやる。
魔女らしい山高帽。ひらひらのミニスカートと半袖の上着は黒をベースにしているがところどころに金色の魔法文字らしきものが施されている。
それは小柄な彼女の体躯と相まって非常に可愛らしく映る。最初は何がなんだかわからないので戸惑っていた良二もようやく落ち着きを取り戻したのか穏やかな微笑みを讃えた。
「えぇ、とてもよく似合っていて可愛いですよ。さっきの狼男? も、よかったです」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。っと、まだまだあるんだが、見てもらっても構わないかい?」
「もちろん! 楽しみにしていますよ!」
「じゃあ、ちょっと待っていてくれ!」
ディシディアはとたとた……と脱衣所の方へと消えていく。良二はその後ろ姿を見送った後で、今の座布団に腰掛けた。そこでようやく、部屋の隅に段ボール箱が山積みにされていることに気が付く。
「どれだけ買ったんだろう……?」
箱の数は二つや三つではない。そもそも、ひとつひとつがとても大きいので天井にまで届くのではないのかと思ってしまうほどだ。
そうこうしているうちに、扉が開かれる音。ハッとしてそちらを見ると、巫女服を身に纏ったディシディアがやってきていた。
「ふふ、エルフの巫女というのも中々に乙なものだろう」
彼女は優雅な仕草でステップを踏んでみせる。大賢者ともなれば、高位の精霊に舞を捧げることも少なくない。そのためか、非常に堂に入った動きだ。
彼女は手に持った扇子を巧みに操りながら何かの唄を奏でる。それは彼女の故郷のものであり、良二にとってはまるで馴染みがないものだ。けれど、なぜだか心に染みてくるような優しい歌だった。
彼女はひとしきり歌い舞った後でぺこりと頭を下げる。
「ありがとう。では、また着替えてくるよ」
「はい。楽しみに待っていますね」
ディシディアは可愛らしいウインクを残してその場を後にする。彼女はハロウィンを十分満喫しているようだ。
普段は着ない服に身を包むというのは中々に気分が高揚するものだ。脱衣所からは鼻歌が聞こえてきており、どれだけ彼女が上機嫌であるかが伺える。
もちろん、それを見ている良二も楽しげだった。ディシディアの笑顔は見ている者の心を癒してくれる。だから、良二は彼女の優しい笑顔が大好きなのだ。
「さて、次はこの衣装だ」
そんな声が聞こえたかと思うと、今度は小悪魔風の衣装に身を包んだディシディアが現れる。
黒いボンテージ風の衣装を身に纏い、手には三つ又の槍――のおもちゃを持っている。スカートのお尻の部分からは矢印のような尻尾が出ており、いかにもな悪魔だ。
正直、先ほどの巫女服は神聖さが強調されているような気がしたが、こちらはむしろ逆。白い肌と黒い服の対比が美しく、その上ボンテージ風の衣装に寄って彼女の体のラインがぴっちりと浮き出てどことなく背徳的な様相だった。
「どうだい?」
ディシディアは前かがみになりながら小悪魔的な笑みを浮かべてみせる。年相応の妖艶な笑みは彼女の幼子のような体躯に反していやに魅力的だ。
白と黒という正反対なものを混ぜ込んだ感じだが、だからこそ魅入られる。そのアンバランスさは一度目に入れば虜になってしまうこと間違いなしだ。
「トリック・オア・トリート……くくく、イタズラしてしまうよ?」
ディシディアは槍で良二の脇腹をちょいちょいとつついてくる。そのこそばゆさに身を捻りながら、良二は脱衣所の方を指さした。
「まぁ、それは全部見終ってからで。まだあるんでしょう?」
「もちろん。楽しんでいってくれ」
彼女は思い出したように脱衣所へと向かっていき、また別の衣装に着替え始める。
数分もして姿を現した時、彼女は道士服に身を包んだ彼女だ。
「これで合っているのだろうか?」
やや不安げにしながらも、ディシディアは両腕を前に突き出してぴょんぴょんと飛び跳ねながらやってくる。その見慣れた動きを見て、良二はポンと手を打ちあわせた。
「あぁ、キョンシーですか?」
「ご名答。この前映画で見たら気に入ってしまってね」
ディシディアは微笑みながらぴょんぴょんとキョンシーらしく飛び回る。
まぁ、それはいいのだが……いかんせん、それもスカートが短い。帽子につけられたお札と共に揺れるスカートの裾をなるべく見ないようにしながら、良二はふっと口元を緩めた。
「案外、ディシディアさんって何でも似合いますよね」
「案外、とは失礼だね」
「ははは……すいません。別に悪気はないんですよ。ただ、ちょっと意外だったんで。だって、最初ここに来た時はあの司祭服だったじゃないですか」
「確かにね……ふふ、この世界の衣装は大好きだ。種類もたくさんあるしね」
ディシディアはその場でピタッと止まり、彼の言葉に首肯する。
もちろん向こうの世界にも色々な洋服はあった。けれど、仮装をする風習はあまりなく、そのためかこの世界で見る衣装はどれもこれも新鮮だったのだ。
なのでネットサーフィンをしているとついつい多めに買い物をしてしまうことがままあるが――彼女の財はその程度では尽きない。そのせいか、かなり衣装も凝っているようでどれもこれも素晴らしい出来だった。
「さてさて、残すはわずかだ。しばし待っていてくれ」
ディシディアはまだぴょんぴょんと跳ねながら脱衣所に向かっていく。彼女は変なところで凝り性なところがあり、すっかり役になりきっているようだった。
良二はその姿を見てスッと目を細めた。
(いいな、こういうの)
ハロウィンというものにはあまり積極的に参加してこなかったが、案外悪くないと思えてくる。ディシディアは食べている時もそうだが、楽しい時は体全体でそれを表現する。
だから、それを見ているものにもその楽しさが伝播していくのだ。
これもきっと彼女の才能だろう。そんなことを思っていると、またしても扉が開いてディシディアが姿を現した。その姿を見て、良二はこれまで以上に目を見開く。
「そ、それは! キャプテン・アメリカンのスーツ!」
「おぉ、流石の食いつきだね。やはり君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「いや、すごいですよ、それ!」
良二は鼻息を荒くしながらディシディアの方に歩み寄る。
彼女が身に纏っているのは青色の全身タイツだ。付属のマスクを被っているので顔はほとんど隠れているが、耳だけはぴょこんと突き出ている。流石にこれは改良を加えたのだろう。
「ほらほら、もっと見てもいいんだよ?」
ディシディアは持っている星条旗を象った丸い盾を掲げながら言う。おそらくそれは専門の通販で買ったのだろう。かなり精巧な造りであり、手触りなども一級品だ。その完成度の高さに、良二は感極まった様子で声を漏らす。
「すごい……あ! しまった! 写真! 取っても大丈夫ですか!?」
「もちろんだとも。さぁ、撮りたまえ。これより前に着たやつは……後でまた撮ってくれるかな?」
「当然ですよ! あ、撮りますよ!」
良二は鼻息を荒くスマホのシャッターを連射する。ディシディアはまんざらでもなさそうにポージングを決めていたが、ややあって静かに首を振る。
「さて、次がラストだ。括目して見ていてくれ」
「はい! 待ってますよ!」
良二のテンションは最高潮。彼は渡された盾を子どものようにキラキラとした目で眺めながらベタベタと触っていた。
その間、ディシディアは手早く着替えを済ませる。この日のために早脱ぎの練習をしてきたのだ。あっという間に次の衣装に着替え、扉から歩み出てくる。
「さぁ、これでラストだ。やはり、最後は王道でないとね」
そう告げる彼女が身に纏っているのは綺麗な黒のドレス。そして、地面に付くほどの大きなマントを羽織っており、側頭部にはコウモリの羽を象ったような飾りを身に着けている。
白い髪を束ねるリボンはいつもの民族的なものではなく赤い可愛らしいものだ。爪には黒いマニキュアが塗られているなど、これまでで一番の完成度に良二は思わず唸る。
その優雅なたたずまいを見ているだけでは彼女が何の仮装をしているのかはわからない――が、彼女がニィッと口元を吊り上げた折、良二はパンッと手を打ちあわせた。
「あぁ、なるほど! 吸血鬼のコスプレですね!」
「その通り。魔法で犬歯を伸ばすのは久々だったが、なんとかなるものだね」
彼女の犬歯は刃のように鋭く尖っている。彼女は自らに身体変化の魔法をかけ、コスプレのクオリティを上げたのだ。
元々彼女がエルフ耳だということもあり、吸血鬼の衣装は非常によく似合っている。その耳に輝く綺麗な三日月形のイヤリングも衣装にとても映える。
「ククク……君の血を吸わせてもらおうかな?」
犬歯をギラリと妖しく輝かせながら告げるディシディア。良二はわざとらしく怖がる振りをしながら壁に背を預けた。が、ディシディアは壁に手をつき――いわゆる壁ドンのような形になるや否や、耳元でそっと囁いてくる。
「さぁ、選びたまえ。もてなしか、イタズラか。どちらがいい?」
彼女の口調は冷ややかなもので、意図せず全身が震えた。うっすらと開かれた彼女の目は不気味な光を讃えており、それが一層恐怖心を煽る。
が、
「むぐっ?」
良二は咄嗟にポケットの中に手を突っ込み、あらかじめ用意しておいたお菓子の包装を解いてから彼女の唇に当て、そっと微笑んだ。
「トリートで。さぁ、召し上がれ」
「むぅ……流石に用意がいいな。いただきます……」
ディシディアはどこか残念そうに唇を尖らせながらお菓子――丸い形のクッキーをもぐもぐと食べ進める。その時、良二はまだそれを指でホールドした形になっていた。
だから自然と、彼女が最後の一口を食べると同時、指先で接吻を受けてしまうことになる。チュッという柔らかい何かが指先にあたる感覚に戸惑いながらも、良二は手を引いた。
当のディシディアは頬に手を当てながらうっとりと目を細めていた。
「これは……生姜かな? 意外に美味しいね」
「き、気に入ってもらえたようで何よりです。帰り道売ってたので買ってきたんですよ」
「うむ。もうないのかい?」
「ちゃんと買ってますよ。こうなることはなんとなく予期してましたから」
と言って、良二がポケットからどさどさとクッキーを出すのを見て彼女は耳を激しく上下させた。が、すぐ取りそうになったのを何とか制し、ニヤッと笑う。
「リョージ。トリック・オア・トリート!」
「はいはい。トリート、です」
渡されたクッキーを受け取り、すぐさま包装を解いて口に放り込んだ。
さっくりとしたクッキーは歯ごたえもよい。が、優しい甘さが舌にじんわりと溶けていく瞬間がやがて訪れ、ディシディアは満面の笑みを浮かべた。
素朴な甘さは飾った感じがせず、食べやすい。しょうがのスッキリとした風味は意外にクッキーにしても活きており、それが甘さの中でいいアクセントとなっていた。
ディシディアは先ほどまでの威圧感はどこへやら、もはやだらけきった表情になってクッキーを貪っている。良二はその様を静かにカメラに収め、
「ふふ、ハロウィンは楽しいですか?」
「あぁ。もちろんだとも。あ、そうだ。君の衣装も買っておいたんだが、着るかい?」
ディシディアはすぐさま部屋の隅に置いてあった段ボール箱を開け、そこから大きな狼の着ぐるみ――最初に彼女が着ていたものとお揃いになるタイプのものを取りだした。
が、流石にこの年になってそれを着るのはきつい。良二はガクガクと震えながら両手を振った。
「お、俺はいいですよ。ディシディアさんのを見るだけで十分です」
「ふぅむ、そうか……では、リョージ。改めて。トリック・オア・トリート」
「え? あ……え!?」
反射的にクッキーの方に伸ばしかけた手がビクッと跳ねる。だが、それも仕方のないことだろう。
何せ、あれほどあると思っていたクッキーはいつの間にやらディシディアの腹の中に消えていたのだから。
「さぁ、覚悟を決めたまえ。トリック・オア・トリート……だ」
ディシディアは唇をピンク色の舌で舐めながらにじり寄ってくる。良二は何とかして距離を取ろうとするが、いかんせん今は壁を背にしている。その上、散らばる段ボール箱が進路を邪魔してろくに動けない。
それがわかっているのだろう。ディシディアはまさしく獲物を狩る獣のような眼差しを向けつつ、
「お菓子がないということは……イタズラをして構わないんだよね?」
「そ、そんなぁああああっ!?」
秋の夜空に良二の絶叫とディシディアの高笑いが響き渡る。
その後、良二は無事に狼の着ぐるみを着せられディシディアと一緒に写真を撮ることになったのだった。
吸血鬼コスのディシディアさんをThukune(@thukune0421)さんが描いてくださいました!
もう、死ぬほど可愛いので、是非ともご確認ください!
Thukuneさんはこれまでにもたびたびディシディアさんを描いてくださっているので、そちらもよろしくお願いします! ツイッターに載っておりますので!
ぜひ! ぜひ! ほんっとうに可愛いので、お願いします!