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第百話目~焼肉としお・たれ戦争~

 あたりを満たすのは肉の焼ける香ばしい匂いとむせ返るような煙草の匂い。周囲からはゲラゲラという笑い声が聞こえてきて、店の中は喧騒で満たされていた。

 そんな中、ディシディアと良二は個室の座椅子にちょこんと腰かけていた。そんな彼女たちの眼前には焼き網があり、その下ではめらめらと火が燃えさかっている。

 ――そう。ここは焼肉屋。二人は今、そこに赴いていた。


「ふぅむ……焼き肉、とやらは初めてだが、ニュアンス的にはバーベキューの一種と思ってもいいのかな?」


 メニューを一通り眺めながらディシディアが呟く。彼女は右手に大ジョッキを掲げており、たびたびウーロン茶をがぶ飲みしていた。


「ですね。まぁ、バーベキューでは串にさしますが、焼き肉は切り身を焼くんですよ」


 向かいに座る良二もウーロン茶を飲みながら言う。それを聞いて、ディシディアはぱたんとメニューを閉じた。

 すでに料理は頼んである。後は来るのを待つだけだ。

 しかし、その間何もしないのは手持無沙汰だ。だからこそ、彼女は目の前の焼き網に目をやる。網の下にはたっぷりと炭が敷き詰められ、特有の匂いが漂っていた。


「ほう、炭を使うのか。面白いね」


「えぇ。炭火焼肉は美味しいですよ。お勧めします」


「君は何度か来たことがあるのかい?」


「もちろん。まぁ、一人では中々来ませんけどね」


 その言葉にディシディアは深く頷く。店内を見渡しても一人できている客は数える歩で、ほとんどが団体客だ。家族連れだったり、会社帰りのサラリーマンだったりと、かなり賑わっている。


「おまたせしました~」


 と、ディシディアが観察している折、店員がやってきて大盛りの白米を持ってきた。さらに、牛タンやサラダまでもがテーブルの上に並べられ、その壮観な有様にディシディアは目を剥く。


「では、ごゆっくりと。他の品は後々持ってきますので」


 女性店員は一礼してその場を後にする。ディシディアは来たばかりの品々を眺めていたが、やがてごほんと咳払いをして居住まいを正して手を合わせた。

 良二も彼女と一緒に手を合わせ、


「いただきます」


 一礼してから、トングを使って牛タンを網の上に置く。刹那、じゅぅううう……という食欲をそそる音が耳朶を打ち、二人はほぼ同時にごくりと喉を鳴らした。


「おぉ、実に美味しそうだね。楽しみだ」


 もう待ちきれないのだろう。ディシディアは目をキラキラとさせながら身を乗り出して牛タンを見やっていた。徐々に焼き目がついていき、香ばしい匂いも漂ってくる。

 良二は彼女を制しながらそれを裏返し、ある程度まで火が通った段階で取り皿に乗せる。


「さぁ、どうぞ。食べましょう。オススメはレモン汁ですよ」


「そうか。では、早速」


 牛タンを一枚取り、それをレモン汁につけてご飯の上でワンクッション。ディシディアはまず牛タンだけを口に運び――クワッと目を見開いた。


「何だこれは……美味すぎるじゃないか」


 牛タンには塩コショウとネギ塩があらかじめまぶされており、それがサッパリとした酸味のレモン汁と抜群に合う。歯ごたえもよく、噛み締める度に旨みが溢れてきた。

 本来ならもっと咀嚼しているはずなのに、ついつい早めに飲みこんでしまう。その反省を活かしてか、ディシディアは牛タンでご飯を包み、同時に頬張った。

 塩の効いた牛タンとご飯の相性は言わずもがな。レモン汁が付与されているおかげでより味が引き締まっており、またネギ塩だけでも十分ご飯が進む。

 気づけば大盛りご飯の半分ほどを一瞬で空にしているディシディアに良二が苦笑していると、再び店員がやってきた。


「お待たせしました。カルビ、ロース、丸腸、それからハツにハラミでございます」


「おぉ!」


 やってきた肉たちは綺麗に盛り付けられており、見ているだけでも美しい。だが、やはり肉は食べるもの。良二はそれらを網の上にせっせと置いていく。

 もちろん、食べることは忘れていない。肉が焼けるまでのわずかな間に牛タンやサラダを口に運び、顔を綻ばせていた。

 今回は良二が肉を焼くことを担当している。というのも、肉の部位によっては焼ける時間が異なり、もし焼き時間を少しでも間違ったら焦げてしまったり生焼けになってしまったりと、もったいない結果になってしまうからだ。

 ディシディアは初めて見る焼き肉を自分の手で焼きたいようにしていたが、台無しにすることは避けたいので良二に任せて今日は食べることに専念していた。


「ところで、リョージ。このたれと塩などはどちらを使えばいいんだい?」


 彼女が指さしているのはテーブルの脇に置かれている調味料の類だ。それを見て、良二はふっと口元を緩めた


「どれでもいいですよ。たれでも塩でも。あ、たれならコチュジャンで辛味をつけたりもできるので、いろいろ試してみるといいですよ」


「なるほど。では、とりあえずは両方試してみるとしよう」


 彼女は小皿に塩とたれを入れ、眼前の網を見やる。牛タンはもうないが、先ほどやってきたカルビとロースが焼けている。良二は彼女の視線に気づいたのか、ニコニコと笑いつつ取り皿の上にそれらを置いた。


「では、こちらも試してみるか」


 彼女はまずカルビを取り、たれに浸して口に入れる。

 牛カルビは柔らかく、それでいて確かな旨みを持っている。噛むたびに肉汁が口の中を満たし、ご飯と共に流し込む瞬間は筆舌に値する。

 炭火焼にされていることで野趣が増し、より味に奥深さが増している。甘辛いたれをつけてご飯の上に乗せれば、ますます箸が進んだ。


「……っと、すまない。おかわりを頼む」


 ディシディアは近くを通りがかった店員に器を差し出しながら告げる。その様子を見て、良二はうんうんと、意味深に頷いた。


「やっぱり焼肉はご飯が進みますよね。ビールもいいですけど、俺はご飯と一緒に食べる方が好きです」


「うむ。ただ焼くだけだと思っていたが、意外に奥深いな。部位によって食感も違うし、中々に楽しめそうだ」


 焼肉で一番楽しいのは、色んな部位が楽しめるというところだろう。

 牛肉は部位によって味わいも食感もまるで異なる。それがたとえ、同じ内臓系だとしてもだ。

 レバーなどは癖が強いものの野性味が感じられるし、丸腸などはぷりぷりとしている。ハツもコリコリとしていて歯ごたえに富んでおり、食べていて飽きることがない。

 もちろん、メニューにあるのは牛だけではない。豚や鳥なども揃えられていて、思わず目移りしてしまうほどだ。


「今日は食べ放題コースですから、好きなだけおかわりしていいですよ」


「本当かい? なら、遠慮しないよ」


 ディシディアは長袖をまくり、グッと力こぶを作る仕草をしてみせる。良二も負けじとトングを構え、焼けた肉を次々と上げていった。

 そうして二人が肉たちと向き合っていると、またしても店員がやってくる。


「お待たせしました。ご飯です」


「あ、ついでに注文いいですか?」


「あ、はい」


「じゃあ、豚バラとミノ、それから……野菜盛り合わせ一つ」


「できれば、もう一度牛タンも頼んでもらえるかい?」


「じゃあ、牛タンも。とりあえずはこれで大丈夫です」


「かしこまりました。失礼します」


 店員は空いた皿を持って去っていく。が、ディシディアたちはもうその背を追ってはいない。彼女たちの頭には、次にどの肉を食べるかしか頭になかった。


「ロースも美味しいですよ」


「この、ハツ? はいいね。コリコリとしていて、ビールと合いそうだ」


「あ、ハラミが焦げてますよ」


 二人はそんなたわいない会話を繰り広げながら肉たちを頬張っていく。そうこうしている間にも注文した皿たちがやってきて、ますます勢いは激化した。

 しかし、焦げた肉などは網の上に存在しない。良二が絶妙なタイミングで取り皿の上に運ぶおかげで、ディシディアは舌鼓を打つことができていた。


「野菜も美味しいですから、食べてくださいね」


「わかっているとも。バランスよく食べることこそが肝要だからね」


 ディシディアは焼き玉ねぎとピーマンをたれにつけ、もぐもぐと咀嚼する。

 どちらもやかれていることで甘みが出ており、口の中を一旦リセットしてくれた。そのおかげで、また肉を存分に味わうことができる。


「ディシディアさん、ディシディアさん。この食べ方、オススメですよ」


「む?」


 言われて、彼の方を見やる。と、彼は大きめの葉を持ち、そこにカルビなどの肉を挟みこんで付属の味噌を投入してから一気に包む。そうして、わざとらしく大口を開けて頬張り、幸せそうに顔を緩ませた。


「サンチュっていうんです。この葉っぱ。よかったら、どうぞ」


「あぁ、ありがとう。試してみるよ」


 やや厚みのある緑色の葉を取り、見様見真似で肉を入れ、そこに味噌も加えて包む。この段階で既に美味しそうな気配が漂ってきた。彼女は意を決したようにぐわっと口を開け、一気に口の中に入れ――ニヤリと口元を歪めた。

 ご飯と食べるだけが一番だと思っていたが、あれは間違いだったらしい。瑞々しいサンチュと一緒に食べることでよりあっさりと食べることができ、そこに味噌の力強い旨みが顔を出す。

 この三つが咀嚼するたびに一体になっていく感覚は得も言われぬものである。ディシディアはフルフルと体を震わせ、グビッとウーロン茶を煽った。


「……美味いっ! こんな美味い食べ方があったのか!」


「いいでしょう? 結構好きなんですよね、これ」


 良二も肉のサンチュ巻きを食べながらそんなことを言う。ディシディアは彼に同意の頷きを返してから、再びサンチュに手を伸ばす。


(中々悪くないな……機会があればまた来たいものだ)


 あちらの世界ではほとんどが丸焼きだった。こうやって切り身にしてみんなで席を囲むということは、少なくとも記憶にない。ステーキ肉のようにカッとして食べる風習はあったが、こういう食べ方はなかったのだ。

 最初は薄い切り身で満足できるか不思議に思ったものだが、その考えは見事に裏切られた。薄くとも旨みはぎっしりと詰まっているし、脂も乗っている。

 それに何より、少量を少しずつ食べられるのが魅力だ。ステーキ肉もいいが、あれでは一つの肉しかたべられない。

 それに、自分で焼き加減を見られるのも特徴だろう。多少リスキーだが、成功した時の達成感と幸福感は耐え難いものだ。

 すでにディシディアは焼き肉の魅力に憑りつかれているらしく、バクバクと一心不乱に肉とご飯を交互に食らっていた。もちろん、良二の方もがつがつと勢いよく食べている。育ちざかりの彼にとって、食べ放題はまさにうってつけだ。

 ――が、やはり二人にも限界は訪れる。

 一通り頼んだ品を食べたあたりで、二人は満足げに息を吐いた。


「ふぅ……もう食べられないな」


「俺も、ですね。ちょっと食べすぎました」


「私もだ。少々羽目を外し過ぎたな……」


 彼女はポッコリとしたお腹を撫でつつ額に手をやった。けれど、後悔しているようには思えない。彼女の口の端は確かに吊りあがっていた。


「ところで、ディシディアさんはたれ派ですか? それとも塩派ですか?」


「ん? そんなものは決まっているだろう……たれだ」


 彼女は眼前のたれを指さしつつ、うっとりと目を細める。


「この奥深さ、これが肉の脂と絡み合った瞬間は最高だ。何より、これだけでご飯が三杯はイケる。あちらの世界になかったことが悔やまれるね……で、君は……塩派なのだろう?」


 ディシディアはジロリ、と良二を睨めつける。良二はやれやれ、といったように頭を振り、塩を前に突き出してみせた。


「やっぱり焼肉は塩ですよ。肉の旨みがよりよく感じられますしね。たれだと肉の旨みが霞んじゃいますよ」


 その言い分に、ディシディアは思わずムッとしてしまう。気づけば、彼女は彼の方にやや身を乗り出していた。


「いやいや、たれこそが至高だよ。コチュジャンやニンニクなどを加えれば、味が無限に変化する」


「いやいやいや、塩がいいんですって。焼肉のメインはやっぱり肉ですよ。それを一番引き立たせるのは塩の役割です」


 お互い、譲れないところがあるのだろう。笑っているように見えたが、その間では火花が散っている。

 そうしてしばらく硬直状態が続いた時、ディシディアがメニューを手に取った。


「なら、試そうじゃないか。たれと塩、どちらが美味しいかを」


「もちろん。受けて立ちますよ」


 二人は完全に自分の主張を通すことに必死だった。ディシディアはすぐさま店員を呼び、いくつかの肉を注文。そうして、良二に向かって不敵な笑みを浮かべた。


「君に教えてあげよう。たれの神髄を」


「俺こそ教えてあげますよ。塩の本領を」


 二人はすでに満腹であることも忘れてにらみ合う。

 この後、二人は壮絶な満腹感に苛まれながらも肉を食らい合い――ある結論に至る。


『好みはひとそれぞれ』


 ……無論この後二人は和解するのだが、しばらく動くことができなかったのは言うまでもない。


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