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第十話目~クラゲ・鴨肉・ヒスイ・海鮮~

「……さて、これからどうしますか?」


 すっかり赤く染まった空を見上げながら、良二がポツリと呟いた。中華街を散策していたらいつの間にか数時間以上が経過していたのだ。時刻はすでに七時を回っており、駅へと向かっている人もちらほらと見える。

 ディシディアはパンフレットを見ながら、悩ましげに唸った。


「もうだいぶ見て回ったし、帰ってもいいのだが……せっかくだし、ここで夕飯を食べていかないか?」


「ですね。そっちの方がよさそうです。と言っても、何を食べますか?」


 言われて、ディシディアは悩ましげに眉を寄せた。

 食べ歩きをしていたおかげである程度の出店は制覇している。同じ店に行くよりは、また別の店に行った方がいいのだろう。

 そう考えたディシディアはパンフレットを良二の方に突き出し、ある一点を指さした。そこには『中華バイキング』と書かれている。それを見て、良二は満足げに首肯した。

 確かにバイキングならお腹いっぱい食べられるだろうし、種類も豊富である。そう考えれば、このチョイスは大正解だ。


「じゃあ、行きましょうか」


「あぁ。ここからはそう遠くないようだからね。ゆっくり行こう」


 その言い方に、良二はつい笑みをこぼしてしまう。物珍しい食べ物屋を見たら急いで行くのはいつも彼女の方だ。ディシディアには自覚がないようで、面白そうにしている良二を不思議そうに眺めている。

 良二はコホン、と咳払いをしてからふと前方を見やった。

 やはり人は少なくなってきている。電車の時間もあるだろうし、何より遠方から来ている人だとホテルなどで夕食をとるのかもしれない。

 まぁ、人が少なくなったのは二人にとって僥倖である。特に、ディシディアはまだ人混みに不慣れだ。あちらの世界ではこれほどまでの人口密度はない。そのせいか、彼女は人酔いをすることがあったが今は大丈夫なようでケロリとしている。ディシディアは時折鼻歌まじりにスキップをするほどご機嫌だった。

 そうこうしているうちに、いつの間にか店先へと到着。真っ赤な看板には中華風のペイントが施されており、雰囲気づくりに一役買っていた。

 二人は自動ドアを抜け、店内へと足を踏み入れる。それと同時、レジにいた女性がやんわりと微笑みかけてきた。


「いらっしゃいませ。お二人でよろしいですか?」


「はい」


「かしこまりました。では……エレベーターで三階までどうぞ」


 と、彼女の手が示す先にはエレベーター。まさか店内にあるとは思っていなかったのか、二人は面食らった様子だった。が、すぐに元の調子に戻ってそちらへと向かう。ディシディアはやや背伸びをしてボタンを押すなり、サッと中へ足を踏み入れた。

 良二もそれに続き、エレベーターへと乗り込む。そうして、ブォオオオンッという駆動音を立てながら三階へと向かっていき、やがて緩やかに動きを止めた。

 ドアを潜るとそこに広がっていたのは……いかにもな中華レストラン風の店構えだった。円卓があり、子どもが楽しそうにターンテーブルの機能を楽しんでいる。おそらく中国の民謡だと思われる音楽が奏でられ、厨房からは芳しい匂いが漂ってくる。

 先ほどまでは沈静化していた腹の虫を押さえながら、ディシディアは近くの席に腰掛ける。中々に座り心地がよく、楽な姿勢が取れる。これなら、ストレスなくバイキングを満喫できそうである。

 と、そこに一人のウエイトレスが現れる。彼女はぺこりと一礼して、二人を交互に見渡した。


「いらっしゃいませ。こちらをご利用するのは初めてですか?」


 二人は同時に首肯を返す。ウエイトレスは「では」と一度前置きをして、テーブルに備え付けてあったメニューを広げてみせる。そこには様々な料理の写真が載っており、見ているだけで食欲をそそるものだった。


「当店は時間無制限となっておりますので、お好きなだけお食べ下さい。また、こちらのお料理はどれも食べ放題の料金に含まれておりますので、ご心配なく。注文の際はお手数ですが、手を上げてくださればすぐに参ります。何か、ご質問は?」


「いや、特には。ディシディアさん、わかりましたか?」


「あぁ。十分だ。それより、早く食べよう。お腹と背中がくっついてしまいそうだ」


「では、こちらを。ドリンクバーはご自由に利用してください。それと、デザート類はあらかじめドリンクバー付近に置いてありますので、そちらからもお取りくださいませ」


 ウエイトレスは恭しく一礼して去っていく。その後で、二人はメニューへと目を走らせた。やはりどれもこれも美味しそうで目移りしてしまう。ディシディアはもうたまらない様子で目を皿のようにして凝視していた。


「……よし、決めた。リョージも、いいかい?」


「えぇ。せっかくだから色んなものを食べましょう。半ぶんこにすればかなり食べられるはずですから」


「それもそうだね。では」


 ディシディアがピッと手を上にあげると、すぐに先ほどのウエイトレスが歩み寄ってきた。メモを持つ彼女を一瞥した後で、ディシディアはメニューを指さした。


「では、この『クラゲ』とやらを頼む。リョージはどれだい?」


「俺は、ええっと……『鴨とにんにくの芽の細切り辛味炒め』と『海鮮焼売』。それから『ヒスイ餃子』をお願いします」


「はい。では、しばらくお待ちください」


 そうしてウエイトレスが去ったのを確認してから、ディシディアは唖然とした様子で良二に語りかける。


「君は、そんなに大喰らいだったかな?」


「いや、こういったバイキングだと最初に色々と頼んでいる方がいいんですよ。物によっては結構時間がかかるものもあるので」


 その言葉に、ディシディアは得心を得たように頷いた。流石はこの世界でずっと生きているわけではないのか十分な知識を披露してくれる良二。そんな彼を頼もしく思いながら、ディシディアはふと後方を見やった。

 そこではちょうど子供がドリンクバーを入れているところである。彼女はその子を入念に観察した後で、不意に良二へと視線を戻した。


「ドリンクバー、というのはあれかな?」


「えぇ。よかったら、やり方を教えますよ。ついてきてください」


 彼の後ろをトコトコとついていき、ディシディアはドリンクバーの前に立つ。彼女からすれば全く未知の機械だ。色とりどりのボタンがあり、ずぅぅううんっという効果音が付きそうな感じで構えている。それを見て、彼女はごくりと喉を鳴らした。


「大丈夫ですよ。ほら、見ていてください。まず、コップを取って氷――まぁ、これはお好みでいいですけど入れて、次に好きな飲み物のボタンを押します。ディシディアさんは、麦茶でいいですか?」


「あぁ。頼むよ」


「かしこまりました」


 ピッとボタンを押すと、勢いよく麦茶が出てきてコップ内を満たしていく。ディシディアは一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐにその様子に見入ってしまった。


「はい。もう覚えましたね? 次は自分でやってみてください」


 言いつつ、良二は自分のコップを持って席へと戻っていく。ディシディアはまだドリンクバーの機械とにらめっこをしていたが、慌てて彼の後を追った。


「この世界は面白いね。毎日が新しい発見だらけだよ」


 ディシディアが心底楽しそうに言う。大賢者となってからは外出にもいろいろと制限がかけられているせいで、ろくに世間を見ることすらできなかったのだ。

 いや、それには語弊があるかもしれない。事実、彼女は《千里眼》を使ってありとあらゆる場所から情報を得ていたのだから。

 だがしかし、情報は経験を経て初めて知識へと変わる。そのことを熟知している彼女はこっそり森を抜け出たりもしていた。まぁ、大半はライノスにすぐに見つかって強引に連れ戻されるのだが。


「楽しんでいただけたならよかったです。ほら、早速お楽しみが来たみたいですよ」


「お待たせしました。こちら、『クラゲの和え物』となっております」


 その言葉を裏付けるように、ウエイトレスがクラゲが乗った皿を中央に置く。黄金色のクラゲの傍には鮮やかな緑色をしたレタスが添えられており、見ているだけでよだれが垂れてきそうだ。

 ディシディアはそっと箸を取り、静かに手を合わせた。


「では、いただきます」


 彼女はおそるおそるクラゲの身へと箸を伸ばした。掴むと返ってくるのは、しっかりとした弾力。プルプルとしていて、まるで早く口の中へと入りたがっているようにも思える。

 彼女はその小さな口を大きく開けてひょいっと口内へとクラゲを放り込んだ。

 コリコリとした触感が脳髄を、ややピリ辛の味付けが舌を刺激する。初めての食感に彼女はうっとりと目を細めた。

 柔らかすぎず、固すぎない適度な歯ごたえ。ちゃんとした『芯』があって、それがこの美味さの秘訣だ。

 レタスと一緒に食べることで、さっぱりと食べられる。クラゲだけだと酒の肴、といった印象が強いが、レタスと一緒に食べることで立派な前菜へと早変わりだ。クラゲのコリコリと、レタスのシャキシャキがいい塩梅で混じり合う。

 その上、ピリ辛の味わいは食欲をグンッと増幅させてくれる。ひんやりと冷えているおかげで、辛さが苦手な彼女でも食べやすいものになっている。おまけに、のど越しも舌触りも最高だ。

 ディシディアはこくこくと麦茶を煽って、満足げに息を吐いた。


「はぁ……これは酒が欲しくなるな」


「ですね。さっき呑んだ青島ビールとも合いそうです」


「あぁ。あれも美味かった……今日だけで好物がいくつも増えてしまったよ」


 ひょいっと肩を竦めつつ、おどけたように言うディシディア。良二も頷きながらクラゲを口にする。

 と、そこにまたウエイトレスが現れ、今度は丸い皿と二つのせいろを置いた。


「お待たせしました。『鴨とにんにくの芽の細切り辛味炒め』と『海鮮焼売』に『ヒスイ餃子』です。他にご注文はありませんか?」


「では、少し頼む。この『エビチャーハン』とやらと『鶏肉のオレンジソースかけ』を持ってきてくれ」


「はい。かしこまりました」


「ディシディアさん。もしかして、頼むの決めてたんですか?」


 返ってくるのは、首肯。ディシディアは恥ずかしそうに頬を掻きつつ、コトッと箸を置いた。


「あぁ。あらかじめね。リョージから聞いたやり方に則ってみたんだが……ダメだったかな?」


「いやいや、ダメじゃないですよ。ただ、即答だったんで、もしかしたらって」


「ふふ、当たりだよ。君は観察眼があるね。もしかしたら、教師などに向いているんじゃないか?」


「俺はそんな柄じゃありませんよ。それより、ほら。早く食べないと冷めちゃいますよ」


 言いつつ、良二はディシディアのために酢醤油を作ってやる。その間に、ディシディアは鴨肉の炒め物へと箸を伸ばした。

 入っているのは細切りにされた鴨肉、にんにくの芽、たまねぎ、赤ピーマン、タケノコなどなど。簡単に言ってしまえば、チンジャオロースの鴨肉版、といったところだろうか?

 だが、決定的に違うものが一つある。それは、鴨肉の野趣だ。

 鴨肉はかなり癖が強い。ジビエとはそういうものだ。大自然の中で育てられた鴨はニワトリなどとは比べ物にならないほど風味と旨みを持つ。だが、食肉用として最初から育てられたわけではないため、若干の臭みが混じる。

 しかし、それがむしろ心地よい。噛むたびに鴨の濃厚でコクのある旨みが滲み出てくる。臭みは香辛料などで軽減されており、そう気になるものではない。

 同じく香りが強いにんにくがいい具合に作用しており、味の相乗効果を生み出している。

 ここにご飯があれば……などとすっかり日本文化に染まってしまったようなことを考えつつ、ディシディアはぱくぱくと炒め物を口にしていた。

 森育ちの彼女は鴨のような野趣のある鳥は慣れ親しんだものらしい。彼女は耳をピコピコと楽しそうに動かしていた。


「はい。酢醤油ができましたので、焼売と餃子に使ってください」


「あぁ、ありがとう。む? ところで、君のところにあるその黄色いのは何だい?」


 ディシディアは自分の小皿と良二の小皿を見渡す。彼の方には黄色いペーストがあるのに対し、彼女のにはない。良二はやや意地の悪そうな顔をしながら、ズイッと彼女の方へと身を寄せた。


「これは辛子って言うんですよ。簡単に言うと、ワサビみたいなものですが……試してみますか?」


 わさび――その単語に、ディシディアはブルリと身を震わせた。彼女は辛味が苦手なのだ。ディシディアはまるで苦虫をかみつぶしたような顔になって、両手を前に突き出した。


「いや、遠慮しておこう。挑戦するのは……また今度だ」


 また何かを言われる前に、彼女は焼売を酢醤油につけてひょいっと口に放り込んだ。

 餡はエビを練ったもの。皮はモチモチとしており、酢醤油との相性が抜群だ。歯を入れる度、弾力のあるエビのすり身が飛び出してくる。

 もぎゅもぎゅ、と噛み締めながら、ディシディアは餃子にも箸を伸ばす。

 その名の通り、ヒスイ色をした餃子はもはや芸術品と呼んでもいいレベルだ。鮮やかなエメラルド色をした綺麗な餃子に目を奪われつつも、彼女はそれをゆっくりと口へと含んだ。

 こちらも餡はエビを練ったもの。だが、先ほどとは違う。あちらは完全にすりつぶしたものであったが、こちらはやや原型がある。そのせいか、弾力にも差があった。あちらはズシンとした食感であるのに対し、こちらはぷりぷりしている。

 皮はこちらの方がじゃっかんもっちりしており、弾力がある。しかも、ピタッと口内に吸い付いてくるのだ。


「おぉ……これも絶品だ。甲乙つけがたいよ」


「ですね。またいくつか頼んでみましょうか?」


「……いや、ダメだ。せっかく来たんだ。できるだけ色んな種類を食べようじゃないか」


 そう告げる彼女は、やや辛そうにしていた。

 本音を言ってしまえば、まだまだ食べたいのだろう。二人で一つの料理を分け合っているため、量は必然的に少なくなってしまう。

 良二は口元を吊りあげながら、すっと手を上げた。


「すいませ~ん。海鮮焼売とヒスイ餃子を追加でお願いします」


「ま、待ちたまえ。先ほど同じものは食べないと……」


「ディシディアさん」


 彼女の言葉を無理矢理遮り、良二は力強い語調で続けた。


「いいですか? 美味しいものを食べるコツ。それは……」


「それは……?」


「後悔しない選択をすること。だから、一度食べたからもう食べない! って決めつけちゃうとせっかくの食事が味気なくなってしまうでしょう? せっかく時間無制限なんですから、気に入ったものがあったらどんどん食べちゃいましょうよ。ね?」


 ディシディアは一瞬ポカンとしていたが、すぐにいつもの笑みを浮かべてククク、と含み笑いをしてみせる。


「君、さては私より食い意地が張っているな? そこまで食べ物に深いこだわりを持っているとは……ふふ、そういえば寿司の時もそうだったね。いや、私たちの相性は中々にいいようだ」


「それは……確かに。俺もディシディアさんと一緒に食べ歩きできてすごく楽しいですよ。ただ、ディシディアさんの方が絶対食い意地が張っていると思いますけどね」


「いや、それは聞き捨てならないな。君の方が私よりもよっぽど食欲旺盛だよ」


「いやいや、ディシディアさんの方が俺よりもずっと食いしん坊ですよ」


「いやいやいや、リョージ。君の方が……」


「は~い。エビチャーハンお待たせしました~」


 と、二人の会話を遮ったのは料理を持ってきていたウエイトレスだ。彼女は生暖かい視線を二人へと向ける。それを受け、二人は同時に顔を真っ赤に染めて今届いたばかりのエビチャーハンを見つめる。

 その時チラリと互いの顔を見て、ぷっと吹き出した。


「まぁ、私たちは似たもの同士ということだね」


「ですね。じゃあ……いただきましょうか?」


「あぁ。と、その前に……」


 彼女はすっと手を上げ、ウエイトレスを呼んだ。かと思うと、彼女の緑色の瞳がギラリと妖しく光る。


「すまない。次は『ふかひれスープ餃子』と『北京ダック』とやらを二つずつ。それから、さっき注文したヒスイ餃子と海鮮餃子だが、それぞれ三つずつ持ってきてくれ」


「はい、かしこまりました」


 すらすらと注文を述べたディシディアを見て、良二は改めてやはり彼女の方が食い意地が張っていると思う……が、それを言ってはまた同じことになりかけないと判断したのか、彼は喉元までやってきていた言葉を流すように麦茶を煽った。


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