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 三日後、処刑の日。


 城の前庭に作られた処刑台に、大きな刃が麻紐でつり上げられた。簡易のギロチンはすなわち魔法を使わない処刑を意味し、最も屈辱的な処刑法と言われている。


 槍を片手にした処刑台の見張り番へ、黒いローブで顔を隠した男が近づいた。


「処刑は何時に決まりましたか?」


 よく響く声は生来の穏やかさを損ない、硬く凝っていた。

 見張り番はきびきびとこたえる。


「正午ですよ」

「……わかりました」


 ローブの男――フェイは碧眼を目を伏せ、踵を返すと人簿身の中へと紛れていった。城の前庭は流れ込んだ庶民たちで賑わい、一種の祭りのようになっている。城の見張り番をしていた騎士に、鍛冶屋の大将に靴屋の青年。露店で野菜を売っていた女、揚げ物矢の子供に花売りの乙女、宿の女将……――そして、『春啼き梟の会』の会員たち。

 だがフェイの眼には、そのうちの誰の姿も映ってはいなかった。


「……シェラ」


 無意識に、あの白金の髪をさがしている自分がいた。現れたときが最後だとわかっているというのに。

 フェイは握りしめた拳にいっそう力をこめる。かつてその手に感じたぬくもりが、いとしさとなって彼の胸を締め付けた。


 ――『わたしたちから始めましょう』


 耳に蘇る、彼女の言葉。


 ――『この王宮を変えるんです』


 見上げる薄い茶色の瞳は、潤んで、透き通るように美しかった。


 ――『二人でなら、きっとできますわ』


 彼は奥歯を噛み締めた。

 あの日二人で信じた未来は、こんな形で果たされようとしている。


 ――そんな未来を望んでなど、いなかったというのに。


 焦りと後悔が苛立ちとなって、彼を責めさいなんだ。握った拳には爪が食い込み、血が滲もうとしている。


 『民主論』を著わしたのは、この国を立て直したかったからだ。不治の病にかかった社会を、どんな手段を用いてもいいから救いたかった。そこに、家族を顧みない冷徹な自分がいたことは認める。だが、彼女をはじめ、親族をここまで苛烈な形で巻き込むつもりはなかった。これだけは事実だ。


 なのに……。


 フェイは目をすがめると、処刑台の傍らに置かれた台へと視線を移した。

 そこにあったのは国王と三人の王妃の生首だった。みな苦悶の表情を浮かべている中で、フェイの母親である第一王妃だけが静かに目を閉じている。不治の病であった彼女は、すでに死の覚悟ができていたのかもしれない。


「母上……」


 フェイは小さく呟き、母の首に向かって深々と礼をした。


「貴女の死は無駄にはしません。そして……」


 顔を上げ、引きつった顔をした国王の首へ視線を転じる。


「貴方も。父上」


 言い切ると同時に、踵を返す。

 人混みを抜けきったところで、目深に帽子を被った濃緑の髪の男と合流した。カイハだ。

 二人はこれから地下牢へ忍び込み、シェラたちが強結界の牢から出てきたところを救うという作戦を立てていた。

 カイハは抜け目ない視線で辺りを見回しながら、ぽつりと問いかけた。


「……殺しますか?」

「いえ……。できるだけ、傷つけないようにお願いします」


 ためらいがちなこたえに、カイハの顔がぐっと渋面になった。


「甘いですね」

「殺したほうが楽なのはわかっています。ですが……奪った命は、戻りません」


 カイハは言葉なく、フェイを見返した。

 フェイはなかば癖になっている微笑みを苦笑に変え、


「きっとシェラもそう言うでしょう」


 と、相手と一緒に自分を納得させた。


「……ええ、確実に」


 カイハはため息混じりに頷いた。


「貴方の物言いがお嬢様そっくりで驚きました」


 それから視線を足元へ向け、しみじみと、


「あなた方が惹かれあったのも……、わかるような気がします」


 どこか切なげに、その呟きは空に消えた。



     ◆



 もつれた蜂蜜色の髪を、シェラの指先がすいた。古くなった香油がねっちりと指に絡む。


「お姉様……」


 シェラの手に細い指が重ねられた。

 この数日間、フィーネは食事も喉を通らず、すっかりやつれてしまっていた。白く張りのあった肌はくすみ、落ちくぼんだ目の下にはくっきりとくまができていた。もともと小作りな顔は頬がこけ、いっそう小さくなっている。


 その代わり、徐々にではあったがシェラとは打ち解け、今では「お姉様、お姉様」と呼び慕ってくれるようになった。


「大丈夫よ」


 シェラはか細い指先をぎゅっと掴んだ。食事に手がつかなかったのはシェラも同じで、牢に入れられるときはぴったりの腰回りだったドレスが、ずいぶんとゆるくなってきていた。


 そのとき、鉄扉が軋む音がして、数人の足音がこちらへ向かってきた。

 牢の番人たちだ。五人いる。彼らはまず、向かいの牢に入れられているアークノインに慇懃に一礼し、


「王太子殿下、ご希望の品です」


 と、何か平たい物を渡した。アークノインが民衆に包帯の巻かれた顔をさらすことを拒んだため、急遽用意された仮面だった。のっぺりとした仮面は白く、目の部分だけ穴が開いている。

 アークノインが受け取ったのを見て、番人の一人が張りのある声をあげた。


「それでは、これより処刑を始めます」


 ――きた。


 シェラは全身の血がざっと下へ向かったのを感じた。

 それはフィーネも同じだったらしい。小さく息をのんだまま固まっていたかと思うと、突然「いや! いや!」と激しく首を振りはじめた。


 鍵の開く音がして牢の扉が開き、男たちが牢の中に入ってきた。隅にうずくまった二人を立ち上がらせると、強い力で連れて行こうとする。


「いや! いやと言ったらいやですの!!」


 フィーネは、細い体のどこからそんな力が、と思うほど激しく抵抗した。もつれた髪を振り乱し、男たちの手から逃れようと身をよじる。


「いてっ! くそっ、このガキっ!」

「いやあ!」


 暴れるフィーネを無理やり引っ立てて、男たちは小柄な彼女の身体を引きずるようにして牢から出そうとした。


「――おやめください!」


 凛とした声が牢に響いた。

 その声に命じられたかのように、男たちとフィーネの動きが止まる。場の全員の視線がシェラへと注がれた。


「抵抗はしません。フィーネ様を解放してください」


 シェラはフィーネに近寄り、傍らへしゃがみ込んだ。腰の抜けてしまったフィーネの手を取ると、優しくさすり、ゆっくりと立ち上がらせた。


「おねえさま……」

「参りましょう、フィーネ様」


 静かに頷き、シェラは手を引いてフィーネを牢の外へと導いていった。

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