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「派手にやってるみたいだな」
後ろから呼びかけられると、ヴィントは面倒くさそうに顔を上げた。気配を感じていたし草を踏む音もしたので接近には気づいていたが、面倒事を起こさないためにも無視を決め込んでいた。だが、相手の目的はハナから自分だったようで。
振り返るとそこには、赤茶けた髪をかきむしる男の姿があった。いつもの黒シャツと黒ベストに、なぜか腰には大きめの武器をさげている。なんのためにそんなことをしているのか、一瞬まったく見当がつかなかったが、すぐに思い当たって口を開いた。
「……おまえもやりあったのか」
「まーな」
相手は苦笑しながら答えた。その表情にはこころなしか疲れが見えている。隠そうとしているようだが、隠し切れていない。
「というかおまえは、人の心配より自分の心配をしろよ」
おまけに、まだこんなことをほざくのだ。ヴィントはため息をついて言ってやる。
「俺は死なない」
すると相手は、ひらひらと顔の前で右手を振った。なぜか呆れたような顔でこちらを見ている。
「いや、おまえは平気だろうけどさ」
そこで一瞬言葉を切った。何かためらうような素振りを見せる。そして――忠告のように、言ってくるのだ。
「あいつら、帝都の兵だったぜ。もしかしたらおまえの家族に魔手が伸びるかもしれない」
ヴィントは、苛立ちを隠せずに目を細めて親友をにらんだ。だが、それで何かが変わったわけではない。むしろ、妙な違和感が残っただけだ。
漠然とした不安が、ヴィントの心の中を覆い尽くしていた。
◇ ◇ ◇
「よし、今日のミーティングはここまでにしよう!」
手を叩いたジャックは、ことさら陽気な声を上げた。それを聞いたステラはなんの気も無しに時計を見やるが、そこで違和感に気付く。その正体をしばし考えてひらめくと、団長を見た。
「今日はいつもよりだいぶ早いね」
それに気付いたジャックは一瞬固まった。そこはかとなくステラは嫌な予感を抱く。ジャックがこんな顔をするときは、大抵何かよくないことがあるときだ。
だが、今回の返答は彼女の予想の斜め上をいっていた。
「いや……実は今日、母からお使いを頼まれていて……」
もごもごとそう言うジャックの表情は、妙に沈んでいる。
「ああ、そういうこと」
隣で声を出したのはトニーだった。この中では団長との付き合いが一番長い人物だ。彼らの反応から考えて、ジャックの母というのは恐怖の存在らしい。まだ一度も彼の家族と顔を合わせたことはないが、ぜひとも会ってみたいものだ。
「え? ジャックさんのお母さんって、そんなに怖い人なんですか?」
ステラと同じことを考えていた人がもう一人いた。数日前に転入してきたばかりの新参者、ミオンである。彼女はちょこんと首をかしげて、にやにやと笑うトニーを見る。彼は、声を潜めてこう言った。
「いや~。あいつから見れば、もはや鬼だろうな」
他人様の母親を鬼呼ばわりするのはどうかと思ったが、あえて気付かないふりをする。それから、気持ちよさそうに伸びをするナタリーの方を見た。彼女はひとしきり柔軟体操が済むと、残り一人の団員を見た。
「……レク? どうしたの?」
そんな呼び声に、ステラはぱっと顔を上げた。見ると、レクシオはなんだか夢からさめたような顔をしていた。もっと的確に表現するならば、思考の海から引きずりだされたというところだろうか。彼は目を瞬いてから、がしがしと髪をかいた。
「――いや、なんでもない」
そう言ってため息をつく。様子を見ていたステラは彼と目があった瞬間に慌ててそれを逸らした。なんとなく、不安な気持ちになる。
最近様子がおかしいことが多いレクシオだが、ここ数日はそれもよくなりつつあった。だが、今日になってまたぼうっとすることが増えている。大丈夫かな、と思ってしまうステラであった。
彼は隠し事が多いから、心配になってしまう。いつからだろうと記憶の糸を辿ってみれば、それが昼間の新聞の話題のときからだということに気付く。魔導一族、デルタの男が帝国兵数人を返り討ちにしたという話。うち二人は帝都に生還したものの、残りは全員死亡だったはずだ。
そのことが原因かといわれると、正直首をかしげたくなる。確かにレクシオは人死にが苦手だが、かといって新聞記事ひとつでいちいち落ち込むような性分でもない。
だとしたら、原因は別にある。だが、そこまで気付けてもそれがなにかを突き止めることまではできなかった。
…………はあ。
幼馴染を見て今度はステラがため息をついた。まだまだ分からないことが多い。だが、とりあえず今は忘れることにした。他人の領域にむやみに踏み込んでも、厄介事に発展するだけだと割り切った。
ただ、いつもはわりと自体を良い方向へ導くこのきっぱりとした態度は、今回ばかりはよくないことの一因となっていた。当然、今は誰も気づかない。しかし彼女は後に、もっと真剣に向き合っておけばよかったと後悔することになる。
確かにそうすれば対応次第では、このあと巻き起こる惨劇はまぬがれたのかもしれない。
当てがわれた部屋の床に、いったい何が入ってるんだと言われそうなくらいパンパンな通学鞄を置くと、ドスン、という重々しい音がした。レクシオはその音を聞いて顔をしかめた。
自分は今日も平気な顔してこれを運んでいたのか。そう、いつも思うのだ。武術科に入ってから恐ろしいくらい体が鍛えられたと思う。決して悪いことではないのだが、何だか変な感じがするのも事実だ。
ため息をついて、その考えを振り払う。今そんなことで自問自答していても仕方がない。気分を変えるために机の方を見てみると、いつ届いたのか新聞が置いてあった。一面を飾っているのは――デルタの男が、兵士を退けたという記事。先程学院で話題になったばかりの、あれだ。
「………いやになるよな」
傍で聞けば理解不能な台詞を呟き、レクシオはベッドに腰掛ける。転校生の少女の悲しげな顔が目に浮かぶ。
こう言う記事を見た同族の人間は、みんなこんな気持ちになっているんだろうか。ふとそんなことを思い、長々と息を吐いた。
――あの子が転入してきて以来、考えさせられることが多くなったな。レクシオはぽつりと、心の中でだけ呟く。
恐らく、今までは逃げていたんだろう。真実と向き合うことを怖がり、目をそむけていたんだろう。だが、もうそれはできない。するわけにはいかない。自分と同じように苦しんでいる子の姿を知ってしまったから、それでも懸命に向き合っていく姿を見てしまったから。自分だけ都合のいいようにしてはいけないのだと思う。
例えその結果、命が危機にさらされようとも――
物思いにふけっていた時、いきなり戸が強く叩かれた。ガンガン、とけたたましい音が響き渡る。レクシオは思わず顔をしかめて、立ち上がった。確か今日は誰も来る予定はなかったし、そもそも、いきなりこんな乱暴に扉を叩く人と友達になった覚えもなかった。
が、今回の来客は、そもそも友達ですらなかった。
「はいはい、どちらさんですか」
言いながらドアノブをにぎり、開け放った。すると、いきなり黒い軍服を着た集団がのりこんでくる。無遠慮にもほどがある態度だ。しかも、誰もかれもしかめ面をした男だったりする。レクシオが呆気にとられていると、先頭の男が口を開いた。
「君が、レクシオ・エルデ君かな?」
上から目線のもの言いだ。レクシオは、嫌悪のせいか露骨に顔をしかめてしまう。
「そうですけど。軍人さんがいきなりなんスか?」
言うと男は、机の上の新聞に目をやる。それから訊いてきた。
「ヴィント――ヴィント・エルデという男を知っているね?」
既に確信を得ているような言い方だった。わざわざ名字まで加えてくるということは、あらかじめ調べてはいるのだろう。
そのうえで、あえて『身内』に確認しに来たのだ。本当に嫌な奴だ、と思いながら、しかし表にはそれをおくびにも出さずにいた。ただし、「早く帰ってくれ」という主張は顔に出しておいた。軍人がわざわざやってくるような日は、ろくなことが起きない。
「父の名ですけど。親父がなんかしたんですか?」
無愛想に、かつ無礼に返す。これが彼にできる精一杯の抵抗だった。すると、いきなり拳がとんできた。顔に直撃し、その衝撃で後ろに倒れ込む。そのまま見上げると先頭の男の背後にいる若い軍人が拳を震わせていた。いちいち確かめるまでもなく彼が犯人だろう。どうやら誰かさんに似て、言葉より手が先に出る性格らしい。
「とぼけるなよ、クソガキがぁっ!!」
若い軍人は顔を真っ赤にして吼えた。先頭の男がそれを手で制す。
「おい、やめろ。おそらくあまり多くは知らないんだろう」
「しかし……」
若者がなにか言い返そうとしたが、それより先に男が頬を押さえるレクシオに顔を向け、しゃがみこんできた。まるで、小さな子供と対話するときのようだった。
「その新聞がそこにあるなら、おおまかには知っているんだろう? 君の父は、多くの帝国兵を殺したんだよ」
知るかっての、そんなこと。まあ、なんとなくそんな気はしてたけど。
思いはしたものの、レクシオは何も答えなかった。いきなりそんなことを言われてもどうしようもないからだ。とうの昔に父とは関係を断っている。今更積極的に関わる気もないのだ。最近の関わりと言えば、『銀の選定』の日に直接会ったくらいのものだし、彼はそのときもそんなこと――人殺しだということを一言も言わなかったので、レクシオには知る術がなかった。そんなわけで黙していると、男はこう訊いてきた。
「私たちは、彼を犯罪人として追っているんだ。そこで君に訊きたい。父君は今、どこにいる?」
「知らねぇよ」
レクシオにとってそれ以外に答えようがないので、これは即答だ。しかも、口調が先程より明らかに乱暴になっている。苛立ちの表れだった。視線の先で若い軍人が眉を跳ねあがらせたが、知ったことではない。続けて男を見ると、彼は何かを思案するようなしぐさをして、次にこう言った。
「そうか。まあ、それは仕方がないね。じゃあ次に訊こう。君の近くにもう一人『同族』がいるだろう? そいつは今、どこにいる?」
突然、男の口調が乱暴なものに代わり、まとう雰囲気すら一変した。
こいつ……知ってるのか!?
背筋がぞくりと震えた。誰のことかは考えるまでもない。最初から、帝国軍は二人ともに目をつけていたのだ。抜け目なくて結構なことだが、今は感心している場合ではないのだ。ここで言えば恐らく、次に狙われるのはあの子……そう、ミオンと名乗っていた少女だ。そしてここで黙っていれば、レクシオはなぶり殺しにされる可能性が非常に高い。
だが、ここでミオンの居場所を暴露しても自分が捕まるのは決まっていることのように思える。ならば――どちらを選ぶか、考えるまでもない。
「答える義理はないだろう」
普段のレクシオからは想像もできないような、殺気立った態度でそう答える。刹那、力いっぱい首根を掴まれたと思ったら、床に叩きつけられた。ハエを潰す時と同じくらい容赦がない。
「くっ…………!」
「あまり調子に乗るなよ。下種が」
さっきまで話を聞いていた男が顔をのぞきこんでくる。視界が暗くなっていくのにどうにか耐えながら精一杯にらんでいると、相手はこう続けた。
「君らは我が帝国にて『人以下』と言われている。ここで殺しても、罪に問われることはまずないんだよ」
法律からも憲法からもはみ出し、それ以前にあまりにも残酷な言葉。だが、聞き慣れた言葉でもあった。
――ああ、またそれか。
胸中で呟くと同時にあきらめにも似た感情がわきあがってくる。幼いころからそう言われて蔑まれて、いつの間にかそれに慣れて生きてきた。顔を合わせる度、正体を吐露する度にその言葉を浴びせられて背を向けられた。それを受けて、怒りを覚えたり悲しいと思ったりすることはなかった。やはり慣れてしまったのだろう。ただ、ああ、やっぱりと感じて諦めるだけだった。そして、今も彼は抵抗をやめた。投げ出した。視界がかすみ、思考はまとまらず、頭の中が混濁していくのをただ感じる。
なんとか耳を澄ませれば、男が軍人たちに命ずるのが聞こえた。
「こいつの付近に仲間がいるのは分かっている。どんな手を使ってでもはかせろ」
その後激しい痛みが何度も体を襲った。そして、しばらくして意識が砕けるのを感じたのだった。
この間に彼が仲間の居場所を口走るようなことはなかったのだが、当人はその記憶すら曖昧だった。