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ミオン・ゼーレは沈みきった顔で学院を出るべく歩いていた。
今日は散々だった。教室に顔を出す前からさげすみの目で見られ、授業が始まってからは教官にまで侮蔑のこもった視線を向けられる。ステラとレクシオに救われたことは唯一の慰めといっていいくらいだが、そんな状況も、ミオンなりに解釈すれば「二人に迷惑をかけてしまった」ということになる。
「イルフォードさんに……エルデさん、だっけ?」
そういえば、と思った。昨日はたまたま合同授業の途中に出会い、一緒に試合を見ていたはずだ。あのときは楽しかった。二人ともすごかった。まぶしかった。だけど――
ここまで考えて、ミオンはふと疑問に思う。
「そういえばあのとき、エルデさんの声が聞こえたような」
あのとき、というのはもちろん、ミオンが錯乱して衝撃波を出す直前である。
「あの光が術の兆候だって、分かってた? ……まさか、ね」
自分の推測を自分で否定した彼女は、それから自嘲的に笑う。
明日からもこんな生活が続くと思うと憂鬱で仕方がないが、すべては自分が招いた結果。どうにかして乗り切るしかない。
そう思ってた彼女の背に、突然声をかけられる。
「ずいぶん落ち込んでるね。ミオンさん」
彼女がびっくりして振り向くと、
「て、テイラー先生」
剣術クラス担当教官のリンダ・テイラーが立っていた。ミオンの怯えたような視線を受けた彼女は、ひらひらと手を振る。
「ああ、いや、安心してよ。別に過去の恨み言とか、言いに来たわけじゃないから」
その言葉に、ミオンはぽかんとした。
ミオンとテイラー教官は、廊下を歩きながらしばらく話した。といっても、ミオンがほぼ一方的にしゃべっていたが。内容は、昨日から今日にかけてのこと。デルタ一族であることを含め、そのあとのみんなの態度、それからステラとレクシオに救われたことも。
「あの二人には、迷惑をかけてしまいました……」
しゅんとしてそう言うミオンを見て、テイラー教官はしばし考え込んでいたが、やがてこんなことを切り出した。
「あなた、『グループ』に入らない?」
はい? と言って首をかしげるミオン。そんな彼女に、テイラーが説明してくれた。
「あ、ごめん。グループっていうのは、部活動や同好会に近いもの。でもま、どちらでもないね。立ちあげるためには教官の承認がいるけど、顧問みたいな人はいないし。で、気に入ったグループに入った人たちは放課後に集まって、好き好きに活動するんだ」
だが、その後のミオンの表情は、戸惑いの色を増すばかりであった。彼女はテイラー教官の話が終わると、こう言う。
「あの、でも、私、嫌われてるし……」
こんな状態でどこかに属したとしても、さらに酷い目に遭うだけだ。ミオンはそう思っていた。テイラー教官はしかし、にかっと笑って、ずっと左わきに抱えていた青いファイルを開く。
「そんなふうに思っちゃう君に、おすすめのグループがあるんだけど」
そう言って彼女は、ミオンの前に開いたファイルを差し出した。一方ミオンは、一番大きな字を読み上げる。
「『クレメンツ怪奇現象……調査団』?」
なんというか、長い名前だ、と思った。そのまま下に目をやると、所属している生徒の名簿になっていた。今のところの人数は五人。規模としては小さな部類に入るし、活動場所も今は使われていない特別学習室である。ふむふむ、と思いながら名前を目で追っていた彼女は、あることに気づいて「あっ!」と声を上げた。
テイラー教官が、言う。
「ふふん。『迷惑かけた』なんて思ってるなら、一緒にいる機会を増やして恩返しすればいいんだよ♪」
総勢五人の中には、確かにふたつの名前がある。
ステラ・イルフォード、十六歳、武術科・剣術クラス。
レクシオ・エルデ、十六歳、武術科・剣術クラス。
ミオンは、微かな微かな希望の光を見出した。
その後彼女はテイラー教官にお礼とともに、明日希望を伝えてみる旨を話し、ついでにこう訊いた。
「あの、先生はどうして、デルタ一族の私にここまでしてくださるんですか?」
テイラー教官は素っ頓狂な声を上げていたが、すぐにほかの教官の態度を思い出して納得したようで、あっさり答えてくれた。
「デルタの女の人に、あったことがあるから」
ミオンは驚いて言葉を失った。その間に、テイラー教官が語ってくれる。
「一人の、お腹の中に子供ができたばっかりだっていう若い女性だったんだけどねー。確か……ミリアムって名前。私は親しげにミリィ、って呼ばせてもらってたけど。気立ての良い、素直ないい子だったよ。しばらくはちょくちょく会ってたけど……実は、あの焦土作戦以降のことはよく分かってなくて」
そこまで語った彼女は、ミオンを見て得意気に笑った。
「だからさ、歴史書に書かれてることや多くの人が言うことは、必ずしも真実ばかりじゃない、って知ってるんだ」
そんなふうに言った彼女に対し、ミオンは一度だけ、頭を下げた。涙が、込み上げてきた。
◇ ◇ ◇
ミオンへの「いじめ」ともとれる行為が発覚した翌日。『クレメンツ怪奇現象調査団』は食堂に集合する約束をとりつけ、それぞれがそのために集まってきていた。結局、トニー以外の四人が集まった時点で話が始まる。
話題は自然と昨日のことになった。武術科所属の二人が事のあらましを話すと、真っ先に顔をしかめたのは、ナタリー。
「うえ。私もそういうのきらーい。二人とも、よくやった!」
そんなことを言って、二人の前に自分のおかずであったポテトフライを突き出す。それを苦笑と共に受け取った二人は、続いてうなるジャックに目を向けた。
「しかし、そこまでデルタ一族が嫌われているとはね。正直、びっくりだよ」
彼はそう言って何やら複雑そうな顔をしている。もしかして父親が帝国議会の議員だからかな、とステラは思った。
そのあとは特に当たり障りのない日常話で盛り上がっていたが、ある声が聞こえてきたことで中断された。
「ちょ、ちょっと、あの?」
戸惑ったような少女の声。それがすぐ近くで聞こえてきて、四人全員がそちらへ視線を集中せざるを得なくなった。が、四人が見たのは女子でなく、
「あ、トニー。遅いよ」
そう。ステラが言う通りトニーである。彼は遅れたことを叱られたにもかかわらず嬉しそうに頭をかきながら、こう続けた。
「ごめんなー。入口んところで入団希望者とっつかまえてたら遅くなった」
彼のそんな台詞に、ほんのわずか、一秒だけ場に沈黙が流れた。そして、
「入団希望!?」
見事な四重奏に取って代わった。
それはそうである。『調査団』を立ちあげてからいまだかつてなかった新人の登場だからだ。みなが揃って口を開けてみていると、トニーがある人間の腕を引っ張る。そうして彼の影から出てきたのは――
「あっ」
「あっ!!」
そして、ステラとレクシオを同時に叫ばせたのは、
「え、えと、どうも」
ミオン・ゼーレその人であった。
とりあえずまあ落ち着け。ということで、トニーとミオンがそれぞれの食事を選んで席についた。我先にとばかりに口を開いたのは、ジャックだ。
「……それで、ミオン君はどうしてここに入りたい、と?」
途端にミオンが困ったような顔をしたので、ステラは「別にオカルト好きじゃないと入れないとかそういうのはないから」とフォローを入れると、彼女はぽつぽつと経緯を語ってくれた。
昨日の帰りがけ、テイラー先生に遭遇したこと。彼女に悩みを話していたら、グループに入ることを勧められたこと。しかも、ステラとレクシオが揃って所属する調査団を勧められたこと。
――ただ、彼女が話したことの中に、「二人への恩返しうんぬん」は入っていなかった。
ともかく話を聞き終え、まずはトニーが一言。
「おやまあ、テイラー先生がそんなことを」
そんなん彼を見た後、ジャックがミオンをまっすぐ見据え、言った。
「……そう言うことなら、問題ない。歓迎するよ」
すると、ミオンの表情が晴れやかになり、次いで深々と頭をさげてきた。
「よ、よろしくお願いします!」
そんな彼女に対する反応は実にさまざまだった。主に――
「おお。生真面目だねえ」
とか、
「初めての常識人じゃないかな、彼女」
とか、
「へえ……自覚してたの? ナタリー」
とか、
「まあ、とにかく」
「調査団へようこそ!」
という息の合った言葉とかが飛んだ。
昼食を食べながらミオンに対する簡単な説明が行われる。この調査団のおもな目的は幽霊をはじめとする怪奇現象の調査であること。月一でメンバーの中の誰かの家で会合があること。危険なことももしかしたらあるかもしれないこと。最近では『特殊新聞部』というグループと協力関係を結んでの活動も行っていることなどを、ジャックの口から説明した。
さらに最後には、こんな発言。
「ああ、あと。もしかしたらそのうち、ちょっと大きな事件に関わることもあるかもしれないから、覚悟しておいてくれ」
これは間違いなく、銀の魔力とかラフィアとか女神とかそれに対抗する組織とかそういうことの話であったが、まだ『新聞部』の面々にすら打ち明けていないので、とりあえずほのめかす発言にとどまったようだ。
さすがにこれにはミオンも驚いていたが、辛うじて納得してくれた様子ではあった。というわけで彼女への説明は一通り終わり、話の流れは再びデルタのことへと戻っていく。
「一日ですぐ嫌われ者になっちゃいました」
まず、そんなミオンの発言から始まる。続いてトニーが学院の様子を見た感想を述べた。
「ほんっとーに、デルタ一族っていうだけで避けられてるみたいだな。ひどくない?」
「まあ、殺人事件とかあったわけだし……いろいろと思うところはあるんだろうね、あいつらにも」
ナタリーがそんなトニーに答える形で言う。言葉とは裏腹にひどい渋面だ。
「え、殺人事件、ですか?」
意外なことに、ここでミオンが首をかしげた。ステラは驚いて向かい側にいる彼女の顔をまじまじと見るが、とぼけた様子はなさそうである。おそるおそる、訊いてみた。
「知らないの?」
「――はい。新聞取るお金がないので」
ミオンの口から返ってきたのは、なんとも現実的な理由だった。調査団五人、少し動きが止まったが、それでもどうにか再稼働してジャックが話しだす。
「かつて帝国兵を殺害した何人かが、ね。今軍に追われているらしい。……そういえば、今朝も似たような記事があった」
今回まっさきに食いついたのは、
「あ、あれだ。デルタの男が帝国兵を殺害したってやつ」
ステラだった。最初にこれに関する話が出て以降、最新情報が出ていないかと、新聞に穴があくほど注視していたのである。彼女としては、神父殺害事件と言い、情報が足りないせいで置いてけぼりにされるのが嫌だったのだ。
「そうそう。生き残った二人によって凶報がもたらされた、って書いてあった」
続きをトニーが言うと、隣のミオンがたちまちしゅんとなる。黒い瞳が、自分の手元のトレイを見ていた。
「そうですか。そんなことが……みんなに嫌がられるのも、仕方ないことなのかな……」
いや、ミオンは何も悪くないし。
『調査団』の先輩五人の意見は全員一致でそれだった。彼らとしては、何もしていない人がここまで周りから突き放されているその意味が分からないらしいし、そうしている生徒や教官の気持ちも、あまり分からないようだ。
そのうち、場の空気を変えようとしてナタリーが口を開きかけたが、その前にミオンの口が開く。
「でも」
全員の注目が、再び彼女に集まった。ミオンは小さく震えながら、それでもしっかりと言った。
「かつて、帝国軍によって殺されてしまった人たちがそうであったように、きっとその人たちも、家族や大切な人を守りたかっただけなんだと思います」
ステラは唖然とした。
守るために、殺す。殺さねば殺される。自分が、自分の大切な人が。そんな世界が、戦場以外にあったのか、と。それでも――
「――うん。きっと、そうだよ」
彼女は笑顔でそう言った。
そのあと何気なく視線を移すと、レクシオがつまらなさそうに窓の外を見ているのが見えた。
このあとの話題は二転三転したが、六人が楽しそうに昼食をつついているのは変わりなかった。
「そうだ! 今度、ミオン君の歓迎会しないかい?」
「え……そんな、いいですよ」
「楽しそうじゃないかー! やろうやろう」
「アップルパイでも焼いてお茶する?」
「なんでアップルパイなの」
「もうじきリンゴの季節だからだよ」
「……あんたが食材に詳しいとは、意外」
「イルフォードさんって、料理上手なんですか?」
「ま、それなりにね。それと、あたしらのことは名前で呼びなさい」
「う……えと、ステラ、さん?」
「よくできました」
いつの間にか騒がしく会話する六人を、周囲の生徒は奇妙なものを見るような目をして見ていた。
「おい、なんであの五人、デルタの子と仲良くしてんだ?」
「確かあの人たちって、同じグループだよね」
ときどき、そんなことをささやきあいながら。
ちなみに余談だが、この日の午後以降ミオンをあからさまに突き放す人間は激減した。