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おどおどしているミオンを鋭い碧眼で睨んだシャルロッテは面白くなさそうにふん、というと、ミオンに対して手招きをした。
「さあ、始めましょう。剣でも魔導術でもなんでも使いなさいな。武術科だから武術で戦わなくてはならない、などというルールはないのですから」
いきなりそう言って、ニコラスと同じようにミオンを促す。ミオンはそれにどうにかこうにか従い、しっかりと剣を構えた。ミオンはそれまでは地方の普通高等学校に通っていたようで、剣は多少道場でやった程度らしかったが、ステラから見ても悪くない構えだった。
シャルロッテはまたも、じろりとミオンをにらむと、これまたつまらなそうに魔導術を発動した。それは水の魔導術で、圧縮され、しかも物凄い勢いで流動している塊をいくつも出現させるものだった。水でも勢い次第ではとんでもない武器になるので、この術も侮ってはいけない。
しかしミオンはその水の進路を冷静に見極めると、床を蹴って走り出し、すべてをかわした。シャルロッテの顔に少しだけ驚きの色が現れる。
そのままミオンは剣を薙いで、シャルロッテの細い胴体を狙った。彼女はかろうじてその斬撃をかわすと、少々後退する。防壁を展開しなかったのは、意地だろうか。
「あなた、なかなかやりますね」
今にも歯ぎしりし出しそうな顔で呟くシャルロッテに対し、ミオンは息ひとつ切らさないまま言う。
「ありがとうございます。褒めて頂けて嬉しいです」
嫌味も揺らぎもちっともない声だったが、それはシャルロッテの癇に障ったらしい。きれいな弧を描く金色の眉が跳ね上がった。
そんなやり取りを見ながら、ステラは思わず呟く。
「すごい……。こんな短期間で、あそこまでいい動きするなんて。それに、戦ってるときの目がレクに似てるし」
隣からすぐさま返事がきた。
「そうかあ? 俺なんかこの上なくふまじめな顔してたと思うが」
「いや、そっちじゃなくて」
羞恥という言葉を忘れたステラは即座に否定する。彼女が言いたいのは、試合のことではなく、命のやりとりのことだ。しかしそれを言う前に、レクシオの視線はミオンの方へと戻っていた。そして、彼の声でステラの目線もいやおうなくそっちへ行く。
「――おい。あのお嬢様、ちょっとやばいんじゃないか」
見ると、お怒りモードに入り始めたらしいシャルロッテが低く呟いている。
「そう。じゃあ、これならどうかしら?」
彼女はそう言うと、火の玉を自分の周りに出現させた。
それを見てステラは、これはなんの夢だとうなってしまった。火球は火球だが、何しろその数が半端ではない。十や二十を軽く超えている。ひとつの火でも火事になりかけた武道場でそれをためらいもせず使うということは、すべてを上手くコントロールする自信があるということだろう。
ミオンの顔からも血の気が失せているようであったが、それでも彼女は気丈にふるまった。息をのむ気配はあったが、その後は顔を引き締めて剣をにぎりなおし、いつでもかけだせる体勢になる。
「お行きなさい!」
鋭い一声とともにシャルロッテの細い手が振り下ろされ、火球が一斉にミオンの方へ向かった。常人なら腰が引けてその場から一歩も動けなくなるだろうが、ミオンは足を踏み出した。ひとつひとつを素早い動きでかわしながら、その炎の嵐の中で歯を食いしばり――一定のところまでシャルロッテとの間合いが縮まったところで長大な刃を持つ剣を振ろうとした。が、ここでかわしそこねた火がミオンの体を直撃する。
「いっ……!」
小さく悲鳴を上げた彼女はそれでもめげなかったが……
「まずいな」
観戦していたレクシオは、大真面目な顔でそう呟く。え? とステラが短く訊くと、彼は視線をフィールドから離さぬまま彼女に言った。
「あいつをよく見てみろ」
言われてミオンの方を凝視したステラは、さすが長くイルフォード家で剣をふるい続けただけあって、すぐに気付いた。
「あっ……!」
ミオンの攻撃する様を見て、シャルロッテがにやりと笑う。そして振り下ろされた剣は、先程とは違い、あっさりとよけられてしまった。
「え?」
ミオンの呆けたような声がする。慌てて後退しようとした彼女だが、
「遅いですよ、ミオン・ゼーレさん」
冷徹に呟いたシャルロッテの右の指先には、鋭い氷が浮かんでいた。それは確実に、ミオンの身体をしっかりと狙っていた。
「ああ、脇が開いてたんだ」
呆然としたふうにステラが呟いたが、それはおそらく彼女の耳には届いていないだろう。
脇が開くといけない、とはよく言われる。格闘術でもそうだし、剣術でもそうだ。斬撃がかわされやすくなるし、隙ができて反撃されやすくなる。多分ミオンは、必死になり過ぎて脇締めしなくなってしまっていたのだろう。いついかなるときも脇締めろというのは、イルフォード家に限らない教えではあるが、稽古を毎日受けてきていたステラでさえも、ふとした瞬間にあれを忘れてしまうことはある。
だが、それは時として、致命的なミスになる。
シャルロッテの指から冷然として放たれた氷の矢は、ミオンの脇腹辺りに直撃した。
「きゃあっ!!」
ほぼ零距離でありながら矢の勢いが強すぎたせいで、彼女の小さな体はおもいっきり吹き飛んだ。
次の瞬間、ステラはぞくり、と身を震わせる。
ミオンが吹き飛ぶのと同時に、シャルロッテの目が冷たい憎悪の光に満ちるのが分かったからだ。そのシャルロッテは、向こう側でミオンがゆっくりと起き上がりはじめたのを見ると、それより先にといわんばかりに数多の炎を出現させ、容赦なく放った。
当然、狙い澄ました炎のほとんどがミオンに直撃する。
さすがにこれには、ミオンの顔が苦しげに歪んだ。ついでに言うと、周りで見ている男子生徒の顔もその分歪み、憎しみのこもった視線がシャルロッテに向けられていた。
それでもどうにか、倒れない程度に炎の直撃を避けたらしいミオンは、煙の中で辛うじて経っていた。しかしながら息は上がっているわ、体中ぼろぼろだわ、ひどいありさまである。それでも彼女は――剣をにぎっていた。肩で息をしながら、シャルロッテを睨み据えていた。
それを見たシャルロッテの表情が、明らかに変化する。眉間にしわがより、美麗な顔が醜いほど歪んだ。そこでステラは――先程、戦慄した理由に気付く。
「……あの人、ミオンに嫉妬してるんだ」
はい? という間の抜けた声が隣から聞こえてくる。確かめるまでもなく幼馴染のものだろう。やはりというか、男子はこの手の話が分からないようだ。
「よくある話だよ。男子に人気のあるかわいい女子って、その分女子側からは疎まれやすいんだ。とくに、シャルロッテみたいなプライドの高そうな人には余計にね。だから彼女は、この試合をうっぷん晴らしだと思っているのかも」
言いながら横目でレクシオの様子をうかがうと、彼はあきらかに顔をしかめていた。
「だからってあそこまでやるのか。分かりきったことだが、女って怖いな」
最後の余計な一言に、ステラの瞳が変化する。
「……どういう意味かしら?」
それなりに威圧的だったが、レクシオの態度はそんな威圧感などどこ吹く風、というふうだった。
「別におまえのことを言ったわけじゃないぞ」
幼馴染のふざけた言動に、まったく、と呟きかけたステラだったが、それどころではなくなった。
「……え、嘘でしょ!?」
なんと、こんな状況になってもなお、シャルロッテはミオンに攻撃しようとしていたのだ。それも、特大の氷の魔導術で。
「いい度胸ですわ。その度胸に敬意を表して、私の最大級の力を見せてさしあげましょう」
シャルロッテがそんなふうに言う。対するミオンの顔は、さすがに青ざめていた。
「まずいわよっ! こんな状況であんなものを放ったら――」
ミオンが、死んでしまう。
さすがにこの状況は教官も良しとしない。焦りを見せていた。だが、そこまで、と言おうにも周囲の生徒のざわめきにかき消されかねない状態だ。
「ど、どうしよう」
すっかり慌てたステラは、レクシオにすがるような目を向ける。一方のレクシオも、緊迫した表情を見せていた。
「俺に訊くなよ。だが、あれはたしかに止めないと――ミオンと、シャルロッテが危ない」
え? と言ったステラは、思わずフィールドの方に目を戻していた。辛うじてまだ魔導術は発動しきっていないが、いつミオンに向かって攻撃されてもいい状態なのは確かだ。シャルロッテの顔も憎しみに満ちている。
対するミオンはすっかり震えていた。ときおりその唇から、言葉にもならないような音がつむぎだされている。よく見てみると、それは秒単位で震え声となっていっていた。さらに――
直後には、ドクン、と空気が震えた。
一瞬だけその場の時が止まったように感じられるほど大きな、空気の鳴動だった。
ミオンの方を直視していたステラは気付く。彼女の体に、奇妙な光がまとわりついていることに。当然シャルロッテも気付いたらしく、訝しげにしながら慌てて氷を消していた。さらにテイラー教官も試合終了を伝えようとしていたが、その前に、ミオンの周りの光が急速に大きくなっていった。
生徒はざわめき、教官は驚いて対応を遅らせる。ステラも状況が把握できずに戸惑った。そんな中で誰よりも先に動いたのは、レクシオだ。
突然何かに気付いたように大きく目を見開くと、叫んだのだ。
「やめろ、ミオン!!」
しかし、手遅れだった。
「いっ……いやああああああああああああっ!!」
先程から震え声となっていたミオンの声は叫びに変わる。そして彼女の周りの光が弾けたかと思えば、
「きゃあっ!!」
不可視の、しかしかなり大きな衝撃波がシャルロッテをフィールドのはじまで吹き飛ばしていた。彼女が武道場の壁にぶつかる音を最後に、会場は静寂に包まれた。
それを破ったのは、一人の男子生徒の声と、続いた女子生徒の声。
「あんな魔導術、聞いたことあるか?」
「確か……衝撃波の術、って、デルタ一族だけに伝わる、秘術のひとつなんじゃなかったっけ?」
さらにしばらく間をおいてから、もうひとつ、男子生徒の声が続く。
「え……じゃあ、あの子、デルタ一族の生き残りかよ」
彼がそう言い放った刹那、場は騒然とした。悲鳴とも叫びともつかぬ声が生徒の中から上がり、吹き飛ばされたシャルロッテすらも唖然としている。
そんな中、やっと対応に動き出したテイラー教官は、
「静粛に!! 時間も来たことだし、この授業はこれにて終了とします! さあさあみなさん、教室に帰って次の授業の準備をしてください!」
そう叫ぶやいなや、彼女はフィールドの中心に、もうひとりの教員とともにかけつけ、それぞれテイラー教官がミオンを、もう一人がシャルロッテを医務室まで連れていくべく、動きだしていた。
そして、ミオン本人はというと、終始、絶望的な表情で震えていた。
大混乱の武道場の中でステラは、昨日の昼間にみんなで話したことをぼんやりと思いだし、話を振るべくレクシオの方に顔を向け――何も言えなくなった。
彼が、ミオンと同じくらい、いや、それ以上に落ち込んだ様子を見せていたから。
その日の昼食後、ステラはさっそくブライスとシンシアのコンビに会った。彼女らも当然あの模擬試合は見ていたわけであり、事態の把握はとっくに終わっている。そのため、シンシアが開口一番に言った。
「あの日、ブライスが言った説が濃厚になりましたわね」
なんのことか分からなかったステラに、ブライスが補足説明をした。
「幼馴染君がミオンを止めようとした声、ちゃんと武道場中に響いてたんだよ。だからみんな、彼がデルタ一族の内通者じゃないかとか、さっそくとんでもない噂してる。
まあ、それはおいとくにしても、よ。あのとき彼があの子を止めようとしたってことは、あの光をみただけで衝撃波だって分かったってことだよね?」
まあ、そうだよね。ステラがそんな返事をすると、ブライスはさらに続けた。
「うん。つまり、デルタ一族の秘術について、ある程度知っていた――てことに、なるでしょ?」
「ああ、そっか」
それで、『親族にデルタの人がいた』という話になるわけである。ブライスはステラがうなずいたのを見ると、満足そうにした。が、すぐに大真面目な表情になる。
「でも、そうなるとちょっとまずいかもね。いや、そうならなくてもまずい」
「……というと?」
ステラとシンシアが、珍しく同時に訊いた。ブライスはあくまで真剣な表情をつくったまま、
「ミオンと幼馴染君への風当たりが、学院内でかなり強くなっちゃうってことよ。そしたら、ただでさえ様子が変な幼馴染君にも、決定的な変化が訪れるかもしれない」
少女の鋭い眼光に圧され、また、その言葉の意味をゆっくりのみこむと、ステラは息をのんでしまった。