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「こうして街の外まで逃げて、その後俺も親父に一人で逃げるよう言われたんだ。で、途中でミオンを発見して気が付いたらベッドの上、と。多分、駆け付けた親父が俺を抱えて診療所に転がり込んだものだと思われる。で、俺の傷がどうにかよくなったあとは、親子二人で各地を転々としていた。あるときまでは、な」
実に重い話を基本的に軽い口調で語り終えたレクシオは、ため息をついて話を締めくくった。
「俺の方の話はこんなとこだ――って、どうしたおまえら?」
レクシオは当たりを見回して首をかしげていた。ステラを始め、多くの人がなんとも言えない表情で黙り込んでいたためである。気付かぬうちに特別学習室はずいぶんと重苦しい雰囲気に包まれていたが、そりゃまああんな話されれば重くもなるでしょうよ、というのがステラの本音であった。
「いや……うん。ほんと持ち出して悪かったよ」
ブライスがごまかすようにお茶を飲み干しながらいつもより一オクターブほど低い声で言う。
「――? や、別にいいよ。話したおかげで気分が軽くなった」
訝しげな顔をしながらもレクシオはそう言った。思ったほど本人が落ち込んでいないところを見ると、その言葉に嘘はないらしい。
しかしながら――ステラは思う。こいつ、こんなに鈍かったっけ? と。話に集中していたせいなのか分からないが、この空気に気付いていないらしい。
うっすらとそれを悟ったらしいトニーが、目を見開いて声を上げた。
「レクの話を聞いて疑問に思ったことがひとつある」
「ん? なんだ?」
暗に「言ってみ?」ということだろう。レクシオが声を返す。するとトニーは、渋い顔をした。
「レクの視点で語られたこの出来事を見る限りでは、ヴィントとやらは息子をあっさりと放り出すような奴に思えないんだが。どうして今はこんな状態なんだ?」
「あ、確かに」
ステラもほぼ反射的に便乗の声を上げた。ヴィントの様子を見る限りかなり淡白――というより、ほとんど愛情とかそういう諸々の感情と無縁であるように感じられたし、レクシオのかつての話から考えても、あまり仲は良くなさそうである。
それは、先程聴いた話に出てきた彼とは別人ではないか、そんな錯覚を抱かせる人物像。ただ辛うじて彼だと思えるのは、いっそ極端なほどの無愛想さがあるからだろうか。
でも、考えてみれば――ステラは目を伏せる。
『調査団』と『特殊新聞部』の抗争のすぐ後、ヴィントから孤児院に電話がかかってきたことがあった。あのときの彼の発言、あれは……息子の身を、案じていた? 何を考えているのだろう。なんの感情も示していないかのように見えて、奇妙な形で助言を与えてくる。そのまどろっこしいやり方の裏にある意図がどうもわからない。
ステラがそこまで思考してがりがりと頭をかいたとき、そんな彼女の内心など露ほども知らないであろうレクシオは苦笑して言っていた。
「ああ、まあな。もともと悪い人じゃねーし。ていうか、どっちかっていうと先に縁切ろうとしたのは俺の方だし」
いつになく軽い口調でさらりと暴露されたのは、意外すぎる真実。それに、みなが目をみはった。
「ええええっ!?」
人数分の叫び声がきれいに重なる。それを聞いた少年はあいまいに笑って「いろいろあったんだよー」というだけで、それ以上教えてくれなかった。
このため――その『いろいろ』と言うのがなんなのか、この時点のステラはまだ気づいてすらいなかったのである。
お茶会は、それからほどなくしてお開きとなった。結局終盤は全員でたわいもない話をして、カーターが一番疲れていた。すっかり濃い茜色に染まった廊下で、それぞれが歩きだす。今日のステラは、いつかと同じようにナタリーとともに歩いていた。
というのも、偶然方角が一緒だったのでこうして並んでいるだけであり、今日はあのときと違ってどちらにも用事はなかった。そのため二人ともしばらくは黙って歩いたが、やがてナタリーが突然口を開く。
「ステラ」
「うん?」
名前を呼ばれた少女は、声を上げて、妙に真面目な顔をしている友人を見た。夕焼け空の光に照らされるその面には、どこか哀愁が漂っているようにも見える。
彼女は、言った。
「きっと、あんたはレクに頼ってほしかったんだよね」
「ん? ……ああ、うん」
一瞬なんのことだか分からなくて首をかしげたが、すぐにかつての『相談事』のことだと気付いて肯定した。少女の静かな言葉は続く。
「でもさ、レクはもうとっくに、あんたを頼っていたんだよ。本人たちも気付かないようなところで、きっと。そして今回の件で、初めてそれが表に出た――違う?」
淡々と、断定的口調で紡がれる言葉に、ステラは肯定の沈黙を返すことしかできなかった。
脳裏に浮かぶのは、数日前の、涙で顔を濡らした少年の姿。彼はステラが知りあって以来、きっと初めて誰かの前で泣いたと思う。そしてあの素直すぎる表情は、きっと今後、一度弱みを見せた相手の前以外で見せることはないだろう。実質的に『家族』のつながりを失いかけている彼にとって、残された居場所は、ごくわずかだ。そしてその、ごくわずかの中に、自分が含まれている。
ステラがこの事実に気付いたとき、ナタリーは彼女の前で腰に手を当て、仁王立ちしていた。
「これからは、本当の意味であんたがあいつの帰る場所になってあげな。そうすれば、きっと自分にもそれが返ってくる。一番近い人間をすでに失っているあんたらにとって、寄り添える相手はその次にお互いを知ってる自分らだけでしょ?」
彼女の言葉を耳にして、ステラは苦い顔を隠しきれなかった。今の彼女の言葉は、ヴィントの続柄を否定している。もう、あの男はレクシオにとって本当の意味での父親ではない、そう言っている。だが、ステラもナタリーのそんな言葉を否定しようとは思わない。
あの親子がお互いをどう考えているかは、知りようがない。しかし彼女らから見ると、あの父と子はあまりにも隔絶しすぎた、そう思うのだ。
「だから、できる限り寄り添うの」
「――うん」
ステラは、肯定の返事をした。するとナタリーはやっと少し笑い、それから訊いてくる。
「ま、そんなことはいきなりやれといっても無理があるけどさー。あんた自身は、自分の中でどんな目標を打ち立ててるわけ? ステラ」
「ひぐっ」
ステラは奇妙な声を上げた。何故見抜かれている、それが本音だ。しかし肝心のナタリーはというと、それを見て目をまたたくと、「あら、まじだったの? 当てずっぽうだったのに」と言う。少女の胸の内に、なにやら理不尽な怒りがこみ上げた。
だがとりあえずそれを抑えつけると、彼女はもじもじしながら問いに答える。目標があると分かった以上、教えるまでこの友人は引き下がらない。
「その、まあ、具体的な進路は不明だけど……ゆくゆくは帝国の国民に、デルタ一族は悪者ばっかりじゃない、って、あたしたちと同じなんだって、知ってほしいと思ってる」
それがステラの思う「意識改革」のひとつである。ちなみにもうひとつは、それからデルタ側にも帝国を恐れる必要はないと思ってもらいたいというものがあったが、これはあえて言わないでおいた。
ステラの言葉を聞いたナタリーは瞠目すると、やがて面白そうだといわんばかりの声色で呟く。表情も、彼女がよく見せる楽しそうなにやつき顔に変化していた。
「へーえ。この帝国で『平等』を掲げようってか。すごいこと考えるね」
友人にそんな言い方をされて初めて、少女は自分の行っていることの大きさに気付く。そんなことを何らかの手立てで成し得ることができたら、数年、あるいは数十年後の歴史の教科書に載るかもしれない、というほどだ。長く、深く国全体に根付いたこの差別を取り払うということは、国を丸ごと変えてしまうことに等しい。前で述べた「国全体」には国民や皇室だけでなく、慣習や法が含まれているからだ。
「でも、今の皇帝陛下の思想に楯ついてそれを成し遂げようっていうんなら、宮廷仕えの騎士になるだけじゃだめなんじゃない? 軍か議会で一定の地位と席を確保して、発言力を得ないと」
――途端に難しい話になった。さりげなくステラの今後の夢まで引っ張り出されて友人の口から出た言葉に、ステラは心底驚いていた。驚いていると同時に深く納得もしていたので、気付けば力強くうなずいてしまっていたが。
「う、うん、そうだね。がんばらなきゃ」
頑張らなきゃと言いつつも、心のどこかでは本当にこれで大丈夫なのか、あたしは、というもやもやとした不安も心の中にわだかまっていた。今の発言に説得力とか信頼できる部分とかが皆無なのは、本人も自覚していたわけである。
そしてやはり、ナタリーの反応も似たようなものだった。
「……ほ、本当に分かってる?」
「分かってる、分かってる」
少女は首を縦に振った。実際のところ真実でもないが、嘘でもない。具体的に言うと議会での発言力うんぬんというのは意味をのみこんでいないが、今志している騎士だけではこの目標を達することが不可能に近いということは理解していた。そして目標が――現在の帝国では、反逆に近いことだということも。
ステラは一度大きく頭を振ると、吐き捨てる。まるでごまかすかのように。
「でも……騎士の採用試験に受かる前からそんな話ばっかりしても、あんまり意味がないような気がする」
すると目の前の友人は、ステラが驚くほどにあっさりと同意を示してくれた。手を組んで頭の後ろに回すと、気楽そうな声で言ったのだ。
「そうだねー。まずは身近なところから、つまりは学院からだよ。せっかく『新聞部』と提携したことだしさ、活動を通してあいつらのお人好しぶりが広がればよし」
「お、お人好しぶりって」
友人の言葉に少女は引きつった笑みを浮かべたが、直後には彼女も楽しそうな声で言っていた。
「でも、そうだね。これからいろいろな活動ができそうだし、レクやミオンが悪い人じゃないってこと、人種なんて関係ないってこと、もっと伝わればいいな」
そうして伝わり、広がっていけば、きっといつかは国を動かす強い力となってくれるだろう。それは、一人があがくよりもずっと、ずっと強い力だ。それが得られればきっとこの国も変われる。
ステラの胸の中には、そんな確信があった。
根拠はない。見込みもない。だが、やってみるしかない。自分の胸の内に確信がある以上、それを揺らがすわけにはいかない。自分を今まで幾度となく救ってくれた、自分に無邪気に笑いかけてくれた、あの友人たちのためにも。
「さーて、明日からはジャックたちと額をこすり合わせる日々かしら?」
ナタリーの、そんなおどけたような物言いに笑いながらも、ステラは深くうなずいた。
それからというもの、二人は帰り道を一緒に歩く度に国の将来についての激論を交わすこととなる。この激論はやがて二人を女騎士と騎士参謀という役職にそれぞれ導くのだが――それはまだ、遠い未来の話である。




