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夜になった。六人は明らかにほっとした顔で帰路につき、孤児院のほかの人間はほとんど寝静まっている。そんな中でステラは不思議と眠れずに、こっそり自室を抜けだすと、数時間前に訪れたばかりの部屋まで再び足を運んだ。
そっとノックしてから、あのときのように扉を開ける。すっかり暗くなっている部屋では、幼馴染がベッドで横になっていた。暗がりの中で見ても分かるほど苦しげだったが、入って来たステラの姿を認めると、いつもの笑みを浮かべる。
「お、どうした? 珍しく寝れなかったとか」
「まあね。ところで――痛むの?」
端的に訊いた彼女にレクシオが返したのは、自嘲的な笑みであった。
「ああ。なんかこう、波があるんだよな。それでもまあ良くなってきてるから、もうすぐ学院に復帰できそうだ」
そりゃ良かった、と返したステラは手ごろなところにあったイスを引いて、ベッドの横に腰かける。そして目を細めると、ずっと気になっていたことを問いかけた。
「本当のところ、どう思ってるの? 今回の件」
レクシオの目を瞬く姿は、こんな状況でなければ見物だと笑ったところだろう。彼は戸惑ったように頭をかくと、少しおどけながら返す。
「どうってなぁ……。ついに来た、って感じ?」
「本音、話して」
ステラは冷たい声で言った。レクシオが一度動作を止めてこちらを見たのを確認して、ぽつぽつと言葉を紡ぎ出す。
「無理した言葉じゃなくていい。本当のことを話してよ。あたしも、みんなも、ずっと気になってたんだ。レクの様子がおかしいってこと、気にして、心配してたんだよ。だから――話して」
一気にまくしたてて彼女が幼馴染をにらみつけると、彼はひとつ息を吐いて起き上った。どうやら、少し痛みが引いたらしい。それからステラの方をしばらく見て、おもむろに口を開いた。
「怖かった」
彼の口から放たれたのは、普段の彼なら絶対言わないであろう言葉。ステラは驚きながら、しかしじっくりと耳を傾ける。長い付き合いではあったが、彼の本音を聞く機会は少なかったのだから。
「怖かったさ。軍人がとか、死にそうになったことがとか、そんな話じゃない。俺と俺の親父のせいでミオンにまで被害が及ぶことが、親父が報復に出ることが、そして何より――おまえらに嫌われることが、死ぬほど怖かった。嫌だった。だからこれまで、全部黙ってたんだ」
その声は、今までにないくらい震えていた。
嫌われるのが怖い。少し前まで、ミオンも同じことを言っていたような気がする。一族の現状を見れば当然だろうが、ステラにとっては苦しい事実だった。すっかりうつむいてしまったレクシオは、唐突に話を切り替える。
それは――初めて聞く、彼の生い立ち。
「前に話したことがあるだろ、デルタと帝国の対立の話」
うん、とステラが小さく返すと、レクシオは再び口を開く。
「あの中で、十二年前に焼かれた町の話が出てきたよな。あれが――俺たちの故郷、ルーウェンさ。デルタの民の殲滅が初めて実行されたのがあの事件。俺のお袋が死んだのもあの事件のとき。親父が変わり果てたのも、思えばあれが始まりだった」
滔々と語るレクシオを、ステラは食い入るように見つめていた。
町は焼け落ち、母は息絶え、頼りだった父親は変わり果て。今の彼には、帰るべき場所が見えていないのかもしれない。だからこそ強く振舞おうとした。無邪気かつ生意気に振舞おうとした。すべてを隠すために。
それに気付くのが遅すぎたんだ――ステラは、あの事件の日からずっと感じていた胸の痛みの正体を、今になってつきとめる。強さの仮面で覆われていた本心に気付けなかった自分が、許せなかったんだ、と。
そこで、彼女は気付く。幼馴染の肩が小さく震えていることに。
「逃げて、逃げた。最初は親父も一緒だったが、ご存じのとおりあるときに決別した。それから孤児院に入ることになって、ようやく場所を得た。でも、あの恐怖と嫌悪は消えなかった。
どうして、こんなことになったんだって。それに、またいつか場所を失うかもしれないって。孤児院も、学院で出会ったおまえらとの空間も……そう思ったら……おれ……もう」
そこまで聞いたステラは――震える幼馴染に、そっと寄り添った。
「大丈夫だよ」
揺れる緑の瞳が、再び少女の顔を捉える。彼女は笑った。
「なくなりゃしないわ。みんなあんたのことを嫌いになったりしないし、あたしたちの空間も、思い出も、なくなりゃしない。もしそうしようとする奴らが出てくれば、突っぱねるまでよ」
そっと抱き寄せる。不思議と、いつもの気恥しさはなかった。ステラは力強く言い切る。
「だから大丈夫。孤児院が、調査団が――ここがレクの帰る場所だよ」
レクシオは呆気にとられたような顔をしていたが、やがて大きく肩を震わせると、涙をこぼした。彼と出会って以来、初めて見る涙だった。
「ごめん……ステラ、みんな……ごめんっ……」
レクシオは言うと、まるで堰が切れたかのように泣きだした。ステラの肩をにぎりしめて、彼女ですら今まで見たことのないくらいに泣いた。
さすがに対応に困ったステラであったが、結局はそのままにした。黙って見守った。それが一番いい、そう思ったから。
部屋の中には、しばらく少年の泣き声が響き渡っていた。
「悪い」
しばらくして落ち着いたらしいレクシオは、開口一番そう言った。
「あんたがそんなに謝るなんて、珍しいこともあるわね。明日は雪降るかな?」
ステラがおどけて言うと、レクシオも笑った。弱々しかったが、それでもどこかふっきれたような笑みだった。
それからステラは、また、語りかけた。
「ねえ、レク。これからはもっといろんなことを話してほしいな。あたしだけじゃなくて、みんなに。みんな、ホントに心配してたんだからね……特にミオン」
すると、レクシオはゆっくりとうなずいた。
「ああ。ま、ミオン個人とはそれなりに話をつけたけどな。……それより」
言って言葉をそこで切ったレクシオは、しばらくステラの顔をじいっと見ていた。そして彼女がたじろぐ頃になると、悪童のように笑う。
「そう言うおまえも、そろそろ話してもらおうか? 裏でどんな根回しをしていたのか」
「うっ」
さすがに、気付かれていた。たとえ負傷時だとしても、精神的に傷を負っているときだとしても、実は目を光らせていたらしい。それが彼の境遇からくるものだとしたら悲しい限りだが、今はそんなことを言っていられる気分でもない、ステラである。
「ね、根回しってほどじゃないよ。ただ単に、あんたの様子が変だったからみんなに相談して回っただけ」
「へえ? 『新聞部』も巻き込んでか。そんなに必死にならなくてもいいのに」
今度こそぐうの音すらでなくなった。シンシアやブライスが『あの場』にいたというのは、すなわちそういうことだからである。否定はできない。
せっかく死ぬ気で心配したというのに珍しくどこまでも意地悪なレクシオに、ステラはついにそっぽを向いてしまった。
「それだけみんなが気をまわしてくれたってこと! 少しは感謝しなさいよ、もう!」
「はははっ。ムキになるなって」
するとレクシオは、久々に思いきり笑った。どこまでも純粋な笑顔だった。
「――ありがとう」
そして、不意打ちの一撃。頭に鈍い衝撃を覚えた気がしたステラは、次いで顔が真っ赤になっていくのを感じた。慌てた彼女は最終手段に出た。ベッドの上のシーツをおもいっきりひっつかみ、それを力いっぱいレクシオに向かって投げるようにして、かぶせた。そして、
「は、反則!」
怒鳴った。――そう、つまりは逃げた。
「へ? ちょっと? お礼言っただけじゃんか」
レクシオが本気で戸惑ったように言っていたが、今のステラの耳には入っていない。勢いのまま立ち上がった彼女は、そのままかつかつと扉の前まで行くと、ドアノブを掴んで扉を開け、振り返ってレクシオに言った。
「もう寝なさいよ! けが人なんだから!」
「へ? ああ、そのつもりだけど」
と、レクシオが皆まで言い終わらないうちに、ステラは勢いよく出ていった。バタン、というやかましい音のあとには静寂だけが残る。
ステラは知らないことだが、そんな中で鈍感なレクシオは、
「なんだよ、変なステラ……」
一人、呟いていた。
一方部屋を出たステラはというと、少しいったところでミントおばさんと鉢合わせた。なぜか妙に瞳をうるませているおばさんを見たステラは嫌な予感がしたので逃げだそうとしたのだが、おばさんに先手を打たれた。
「いやあ、いいわね、青春ね……。おばさん嬉しいわぁ」
「は? ちょ、ま、何言ってんの?」
思わず言ってしまったステラである。しかし、この養母の勢いはとどまるところを知らない。
「もういっそこのまま付き合ってしまいなさいな」
再び、少女の顔はゆでダコのようになった。うぶな乙女の再来である。
「か、勝手な勘違いしないでよぉぉぉ!」
夜の孤児院の一角で、なんとも情けない声と共に一人の少女がうなだれた。それは、ごくわずかの人しか知らない余談である。




