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ミオンが蒼い顔をしているのは、少し遠目から見てもはっきり分かった。膝の上で拳を握り、小刻みに震えている。
どうにかしてやりたいが、下手な慰めをしたところで余計に落ち込まれるだけだろう。そう思ったステラは、何も言わずに隣のベッドへ視線を下ろした。そこには、物言わぬ幼馴染の姿があった。ここの経営者でもあり養母でもある人物の手早い手当てのおかげで、数分前よりは『見れる』姿になっている。
「――大丈夫?」
ふいに、そんな声が聞こえた。見ると、ミントおばさんがミオンに毛布をかけている。彼女はうっすら微笑んだ。
「はい。すいません、何から何までお世話になってしまって」
無理をしている。だが、いくぶんかマシになったようにも思えた。ステラは目を伏せ、口を開く。
「おばさんは、さ。知ってたの?」
何を、とは訊かれなかった。彼女はいつものように微笑み、しかしどこか苦い笑みを織り交ぜつつこう答えた。
「本当は、近々彼の同意のもと話そうと思ってたんだけどね。タイミングを逃してたら、あっという間にこの惨事になってしまったわ。自分の度胸のなさを嘆くべきなのか、軍人たちの行動の早さをほめたたえるべきなのか……」
「………そっか」
それは、肯定を意味する言葉だった。彼女が本気で気に病んでいると分かったので、責めることはしない。いや、そもそもミントおばさんは悪くない。責める必要がどこにあろうか。
しかしどうにもやりきれなくて、ステラは長々とため息をつく。
みんなで孤児院にかけこんだ時は、それはもう驚かれた。しかしこう見えて医師免許を持つミントおばさんの手早い手当てのおかげで、どうにかレクシオは一命をとりとめた。その後、戻るに戻れない気がしてみんなで孤児院に居座っている始末である。ジャックたちはミオンやステラに比べれば落ち着いている方だった。今は外で、子供たちの相手をしている。だが、それでも気落ちしているのは目に見えていた。多分――ステラと同じで、『国』が信じられなくなったのだろう。軍があんな有様では、信じろと言われたとしても無理な話だ。今更彼らがそんなことを言うとも思えない。どうしても、陰鬱な気持ちが彼女の心の中を覆い尽くす。
そのときふいに、『国外逃亡』という言葉がステラの脳裏をかすめた。理由はわからないが――もしかしたら当然の考え方なのかもしれないとも思う。というか、ミオン辺りならやりかねないだろう。レクシオにもあり得ることだ。
もしそうなったら、あたしはどうするんだろう。ステラはふと、そんなことを考えた。
そうなったとして、今までどおりの平穏な学校生活が送れるはずがない。調査団のみんなもそうだろう。
「あっ」
小さい、悲鳴のような声が聞こえる。目配せをすると、ミオンが驚きの声を上げていた。その視線は、ベッドの方に固定されている。
息をのんで彼女の視線を追うと、そこには薄目を開けた幼馴染の姿があった。
「んぐ――げふっ、げふっ!」
匙から注ぎこまれる液体が、変な所に入ったのだろうか。レクシオは激しく咳きこんでいた。しかし、ミントおばさんは妙ににこにこ顔である。
「はい、ちょっと我慢してねー」
そんなことを言って二口目を注ぎこんだ。まったくもって容赦がない。懸命に飲みこもうとしているレクシオが不憫に思えてくる。
――この人の何が恐ろしいって、こういうところよねー。
遠い目をしたステラは、そんなことを思う。傍ではジャックが、興味深そうにその光景を見ていた。
「なんですか? それ」
「良薬よ。だけどもんのすごく苦いから、安易になめないように」
彼女はにっこりと笑ってそう答えるだけだった。確かに『良薬は口に苦し』という言葉はあるけれども……。
そう考えて悶々としているうちに、お薬の時間は終わった模様だった。けが人が妙にぐったりしているのが非常に気になったが。
「はい、おしまい♪ よく頑張ったわね~」
そう言ってミントおばさんが、レクシオの口元をぬぐう。彼は苦笑していた。
「今ので確実に、寿命が二年は縮んだ気がする……」
「ご愁傷様」
目を細めたステラは、そうからかってやった。普段からからかわれている分のお返しだったりする。だが彼は、歯牙にもかけず苦笑いをした。何だか悔しい。
それから幼馴染は、改めてここに集う全員の顔を見渡してふと悲しげに笑った。
「いや、随分と迷惑をかけちゃったみたいで。すんません、ホントに」
ステラは内心慌ててしまった。こんなに実直に謝られたことが無いせいだろうか。そのうちにも、トニーが言葉を返す。
「いやぁ、レクは気にしなくていいと思うよ。どっちかってーと、いや言わなくても被害者なわけだし」
「そーやって簡単に割り切れたら楽なんだろうけどねぇ」
そう返して、彼はまた笑う。
ステラはぎゅっと胸のあたりを握りしめた。なんでだろう、チクリと痛む気がする。その弱々しい笑顔を見るたびに、情けなくも泣きそうになる。こいつが幼馴染だから? 差別される側だとわかったから?
そんな理由じゃない。彼女は即座に、浮かんだ言葉を否定した。むしろ、そんな理由だったら自分をぶん殴ってやりたいところだ。それ以上の何かがある、そう思うから。
結局答えの見つからないまま顔を上げると、突然ミントおばさんがこんなことを言ってきた。
「そうだ。今日は全員、ここに泊まればいいんじゃない?」
「はぁああ?」
これにはさすがに、全員が素っ頓狂な声を出した。だが、ミントおばさんの方はというと「チビたちもその方が喜ぶだろうし」と言って譲らなかった。いや、実際にはもっと大きな理由があるのだと思う。具体的にいってしまえばそう――ステラとレクシオの二人だけでは、気まずくなるのは必至だと考えた。とか。
あり得るなぁ。そう思った。
というわけで勝手にそう結論付けた彼女は、勝手にうなだれるのだった。
◇ ◇ ◇
ぞろぞろと人が出て行くと、この部屋は一気に静かになる。ふーっと長い息を吐いたレクシオは、なんとなしに窓の外を見た。空が暗くなり始めており、青と赤のグラデーションで彩られている。多分、この孤児院はそろそろ夕食の時間だろう。
そんなたわいもないことを考えてから、彼は目を閉じた。さっきまでよくなっていた体中の痛みがぶり返してきて思わずうめく。これは朝まで耐えられるか怪しいもんだ、柄にもなくそんなことを思った。
ふと、脳裏に『あの言葉』が過る。
『我が帝国では、君らは「人以下」と見なされている――』
……なんだかなぁ。そう、呟かずにはいられなかった。
正直言って拷問の痛みより、こっちが堪えた気がする。幼少のころから吐かれ続けた言葉。だからこそ慣れているはずだった。なのに、なぜ。
答えはおのずと出てくる。
幸せな生活に慣れ過ぎてた、ってところか?
そう考えると自然と口元に自嘲的な笑みが浮かんだ。
出自と身分を隠して学院に入り、おかしな少女に出会い、さらにおかしな友人諸君と出会う。そして気がつけば、彼らに囲まれて暮らしていた。その日々は幸せだった。だけど、幸せすぎた。自分のような者には過ぎた幸せだったんだろう。
「それをめいっぱい謳歌してやった結果が、これか」
分相応じゃないか、そう付け足す。あまりにも悲しすぎたが、まあ仕方ないのだろうと割り切った。不思議なことに、割り切れてしまう自分がいた。
「…………おまえは、どう思ってる」
何気なく扉に目を向け、そう問いかけた。すると、何かが動く気配がした。彼は苦笑してその名を呼ぶ。
「別に隠れることはないだろうが、ミオン?」
ようやく出てきた。扉を開けて、年よりも随分幼く見える少女が顔を出す。なぜか決まり悪そうな表情をしていた。そんな彼女が、口を開く。
「ずっと、ずっと、そんなふうに考えていたんですね」
心なしか声が震えている。レクシオは答えない。答える必要が無いと思ったからだ。別にここで何か言わなくても、勝手に話は進むだろう。
案の定だった。
「誰にも相談できずに、そうやって暗い影を抱えてたんですよね。一人で全部、身内のぶんまで抱えようとして、その結果影に呑みこまれかけてる。ちがいますか」
やはり反論はしない。おそらく「呑みこまれかけてる」時点で自覚はほとんどないのだが、その通りだと思った。一方で、このまま身をゆだねてもいいんじゃないかと思ってしまうのも事実である。
この後、その場に静寂が訪れた。お互い一言も発さず、ただその表情だけを見ている。だがそのうちにレクシオがため息をもらすと、ミオンの呟く声が聞こえてきた。
「ごめんなさい」
「――ん?」
その言葉が不思議に思えたレクシオは、切りかえす。すると少女のか細い声が続いた。
「一番、近くで見ていたはずなのに。本当ならもっと早くに気付いて、同じデルタとして、向き合うべきだったのに。私は目をそむけていました。本当に、ごめんなさい」
なんと奇妙なことだろう。
つい数時間ほど前のレクシオと同じことを、ミオンは考えていたのだ。種族の差別という闇に怯え、ゆえに目を逸らした。同じ罪悪感にさいなまれ続けていた。
気付けばレクシオは、苦笑していた。ミオンに見えていないのが幸いである。
――俺の苦悩はなんだったんだか。
そう思うと、自然に笑いが込み上げてくる。不思議なものだった。そしてこらえきれなくなり、ついに喉の奥で笑ってしまった。首をかしげるミオンの姿が見える。
レクシオは、ひらひらと手を振って言ってやる。ここではっきりしておかなければ、彼女はきっと、一生背負いこみ続けるだろうから。
「今、目の前にいるのが親父だったら本一冊ぶん投げてるところだけどな。おまえは何も悪くない。むしろ目を逸らしてたのは俺の方だったんだし………こっちこそ、ごめんな」
少女はとにかく呆気にとられたような顔をしていたが、話は終わりと言わんばかりにレクシオが手を下ろすと――泣き始めた。
「うおぉっ!?」
妙な既存感を覚えつつも、とりあえずレクシオはうろたえた。何か悪いことでも言ったか、咄嗟にそう思ったからである。しかしミオンは、ボロボロと涙をこぼしながら首を振った。
「す、すいません……ちょっと……ほっとしちゃって。ずっと、恨んでるんじゃないかなって、思ってたから………」
「――あほか」
ここぞとばかりに思わず厳しい口調で吐き捨てたレクシオは、さめざめと泣く彼女に背を向けた。そして、再び窓の外を見る。
この部屋に、俺たち以外誰もいなくてよかった。
本気で、そう思った。




