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「ジャック!」
お使いを終えて家に帰ろうとしていた彼を出迎えたのは、怒声に近い呼び声だった。無事任務を終えて上機嫌だったジャックは、声の主を見て首をかしげる。
「ナタリー君? どうした」
そこにいたのは、息を荒げて睨みつけてくるナタリーだった。心の底から怒り、いらついているのがよく分かる。その証拠に、彼女はジャックの質問に、なおもぷりぷりとしながら答えるのだ。
「今日、学院の男子寮に軍人が訪ねてきたと思ったら、レクの奴がいなくなってたのよ! 青ざめて知らせにきたトニーはステラたちを呼んでくるっていって走ってったし、私はどうしていいかわかんなかったから、とりあえずあのバカを探しながらあんたを待ってたの!」
その内容は、とんでもないものだった。
さすがにジャックの顔からも余裕が消えうせた。思い出されるのは、数日前の夕方の、あの言葉。
『なあ団長。近いうちに、団長だけにでも打ち明けたい話があるんだけど……そのときは、聞いてくれるか?』
レクシオがあんなことを言う時点でジャックにとっては異常事態だったが、それでもどこかで、そんな大したことでもないだろうと高をくくっている自分がいたのは事実である。それでも、もし、その軍人が来たという話があの言葉と関係あるのだとしたら――考えれば考えるほど、黒くもやもやとした感情が、彼の心を支配していた。
その感覚を確かめるように一度うつむいたジャック。
「嫌な予感がしてきたな……」
彼はそう独白してから、ナタリーに声をかけた。
「とりあえず、トニー君を探そう」
いつもの彼とはかけ離れた、どこか険悪な表情で。
◇ ◇ ◇
「囮だと」
いつにもまして剣を帯びたトニーの声に、ミオンがピクリと震えた。だが、さすがというべきか軍人の方に動揺はこれっぽっちもない。それどころか、こちらの反応を楽しんでいるようにも見えた。
「そうだよ。デルタの者どもは同族思いだからなぁ。こうして血まみれの仲間を地面にさらしておくだけで、わらわらと集まってきよる。まるで食べ物を求める蟻のようになぁ」
この時点で彼の狙いがミオンだということははっきりした。トニーが無意識のうちにか、ミオンを背にかばう。だが、そこでステラは気付いてしまう。
「同族……ですって?」
その視線は、知らず知らずのうちにレクシオの方に向いていた。彼はよほど苦しいのか、かたく目を閉じている。早く手当てをしないとまずいかもしれないが、逃げだせる状況ではない。
何がおかしいのか、軍人はまた笑う。ギーメルという名の殺人鬼の青年を思い出す、不思議と嫌悪感がわき上がる湿った笑い声だった。
「ああ、そうか。自分の身分を隠しているわけだ。ま、そうでなければ学院になど通えまい」
背筋が寒くなった。別にデルタへの差別心を持っているわけではない。だとすれば、ミオンと一緒にいるわけがないのだ。ただ、恐ろしかった。
そんなことで幼馴染は今、瀕死の重傷を負っているのか? そんな世界なのか、ここは? 正しいと信じていたはずなのに。信じて、守ろうと必死になっていた国の大いなる闇を目にして、心底恐ろしくなったのだ。
だが、そんな思いに構わず、軍人の話が続く。
「そいつに父の所在を尋ねたのだが、知らないと言ったので次に仲間の所在を尋ねた。仲間と言っても、貴様ら一般人ではなくデルタの、な。そいつは知ったふうだったが、『答える義理はない』などと生意気な口をききよって。引きつれてきた者どもと拷問してやったが、気絶するまで白状するどころか、一言もしゃべらなかった。その強情さだけは、尊敬に値するな」
我知らず、歯を食いしばっていた。腕の中にレクシオがいなければ景気のよい音を立ててあの軍人を殴り飛ばしていたところだろう。犯罪とか罰とか刑とか、そんなもの知ったこっちゃない。
ちらりとミオンの方を見ると、すでに膝を折っているどころか、自分の体を抱いて震えていた。彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。自分のせいで、自分を受け入れてくれた人が傷つく。それはきっと、ステラが想像している以上の悲しみだろう。
と。軍人がいきなり鉄パイプをにぎりなおした。
来る。
そう悟り身構えたステラだが、そこで予想外の声が届いた。
「トニー!?」
ナタリーだ。軍人がわずかに視線を後ろにやって舌打ちする。その後、身をひるがえした。
「邪魔者が出たな。仕方ない、今日はこの辺にしてやるか。善良な一般市民に感謝するのだぞ、デルタの諸君」
「……っ!」
ミオンのうめき声が聞こえる。だが、相手は意に介さず去っていった。黒い軍服が段々と小さくなってくる。それを見ているうちに、ミオンが体を折った。石畳に頭をつき、嗚咽をもらしながら震える。
「うっ……ふぇ、ううっ」
地面に黒い染みができているのは、ここからでも分かった。思わずレクシオの体を強く抱きしめる。ぬくもりが伝わってきてほっとした。見ると、トニーがミオンの背中を懸命にさすりながら声をかけている。そこに、ナタリーと、なんとジャックまでが顔を出して唖然としていた。
「ちょ、何これ!? て言うかレク、どうしちゃったのよ?」
「ミオン君もだ。いったい何があったんだ?」
ステラとトニーは思わず視線を交差させた。何から話せばいいのか、全く分からない。とりあえずトニーが口を開く。
「とりあえずレクを手当てしてもらわないとやばい。だけど、軍人が関わってることだから、普通の医者に連れていったら逆に危ないかもしれないな」
「えっと。話がよく見えないけど。でも、普通の医者じゃなかったら誰に見てもらうのよ?」
頭をかきながら、ナタリーがもっともな疑問を口にする。
だが、そこでステラは閃いた。
「――孤児院だ!」
その言葉に全員が首をかしげ、だがすぐに「ああっ!」と声を上げた。彼らの頭にあったのはひとつの施設。ステラが住みこんでいて、ミントおばさんが運営している、あの孤児院だった。
◇ ◇ ◇
「……ふぅ。あの一般人ども、なぜデルタの人間と平然とした顔で行動しているんだ?」
パイプをその辺に投げ捨てた軍人の男は、首をかしげてそう言った。デルタの一族は最悪の下種にして危険な魔導一族であるという言葉を信じ続けている男にとっては、疑問に思って仕方ないことだった。それに何より――冷徹な『あの男』を見たという経験も、ある。
「見たところ学院生のようだったが、簡単に騙されおって。いつかかならず酷い目に遭うぞ。あの、顔も見たくないほど忌々しい野蛮な一族は……」
ブツブツとそんなことを呟く軍人。彼は、苛立ちのあまり気付いていなかった。彼のそばに忍び寄る影が、ひとつあることに。
「そんなに嫌なら、最初からかかわらなければよかったんじゃないか?」
いやに冷めた声が、軍人の脳をも冷やした。彼はぼやくのをやめる。
「……何?」
怒りによってしかめられた顔が、声のした方へ向く。そこには、一人の男が立っていた。その男は、なんと昼間出会ったあのデルタの少年にそっくりだった。しかも、彼より何倍も恐ろしい気配を漂わせている。
「そうすれば、我らとて余計な手出しはしなかった」
彼は先程の言葉の続きを紡ぐと、一歩を踏み出した。ごつ、という重々しい音が石畳から響く。それは、彼の靴音であった。
「ひっ……」
彼の正体を知った、いや、思い出した軍人はそんな悲鳴を漏らしながら後ずさりする。だが、相手は眉ひとつ動かさずまた一歩を踏み出した。一歩、一歩を踏み出すごとに、彼の視線には怒気と憎悪がこもってきた。
その感情が何によってもたらされているのかは、この軍人が一番よく知っている。
「愚かだな」
「ひ、ひぃ」
情けなさすぎる軍人の声にもやはり感情の起伏を示すことなく、彼はゆっくり手を上げた。
「貴様は俺を……二度も怒らせた」
そしてその手はゆっくりと振りおろされ――
「『デルタ族の者どもは同族思い』――ほかならぬ貴様が言った言葉だ」
やがて、見えない刃が軍人の体を真っ二つに切り裂いた。
「忘れたわけでは、なかろうな?」
彼、ヴィント・エルデはもはや骸と化した軍人に向けて言葉を投げかけた。それからため息をつき、一切の興味を失ったかのようにその、惨劇の現場に背を向けた。
「すまない、レク。俺はもう、堅気には戻れそうにない」
去り際に、そんな呟きを残して。




