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――ぞわり。
突然悪寒が走り、買い物をしていたステラはかごをさげたままぶるりと身を震わせた。まだ震えるほどの寒さではないはずなのに。
うーん、風邪でもひいたかなぁ? と、一番妥当と思われる考えが、彼女の頭に過る。
その後、バカは風邪引かないっていうのになぁ、などとわけのわからないことをほざきつつ見つけたリンゴを手にとってかごの中に放り込んだ。
今現在、彼女は買い出し中だった。ミオンが調査団入りした時の約束――アップルパイでも焼いてお茶会というあれだ――を近日中に履行しようと行動を起こしたわけである。あのときのみんなのうれしそうな表情を思い出しつつリンゴが五個ほど入っているのを確認してから、露店のオヤジに会計を求めた。
その後、袋を抱えて市場をぶらついていると突然背後から声がした。
「ステラさんっ!」
「うぉわぁああっ!!?」
悔しい話だがわりと本気で驚いてしまう。振り返るとそこには、相変わらず艶やかな長髪をなびかせたミオンの姿があった。きょとんとしてこちらを見ている。
「お、脅かさないでよ」
「え? あぁ、すみません。お茶会の準備ですか?」
呆けたような声で謝罪をした後、にっこり笑って聞いてくるミオン。ステラは鼻を鳴らして答えた。
「そうよ~。長年孤児院で培ってきた料理の腕前、今回こそ見せつけてやるんだから!!」
「うわぁ、楽しみです!」
かっこよくガッツポーズを決めてそう言うと、ミオンは弾けるような笑顔を浮かべて手を叩いた。実際のところはミオンは同い年だが、こういう姿を見ると妹ができたみたいで嬉しくなる。我知らず、微笑んでいた。少しばかり兄貴風ならぬ姉貴風を吹かせてみる。
「よーし。じゃあ、とりあえず一緒に帰る?」
すっかり張り切ったステラがそう言って手を差し出すと、ミオンはうなずいて自らも手を差しのべてきた。ぎゅっと握って、繋いで。二人で喧騒に満ちた市場を歩く。
この頃には既に、悪寒のことなど忘れていた。
途中、再び悪寒が襲ってきてステラは身を震わせる。幸いミオンには気づかれなかった。そして人通りの多い街の中を歩いているとき、なぜか慌てた様子のトニーにすれ違った。ステラは疑問に思いながら、ふと足を止める。
「ん? どしたの?」
「あ、ステラ!!」
声をかけると、彼は帽子のつばをつまみながら振り向き、悲鳴のような声を上げた。声をかけられるまでステラとミオンに気付いてすらいなかったらしい。あまりにも彼らしくない態度だ。訝しく思っていると、事情を説明してくれる。
トニーでさえ取り乱すその事情というのが、実際とんでもなかった。
「実はさっきまで、男子寮の前に軍人がいっぱい来ててさ……今日はたまたまジャックが出かけてるからレクのところに話にいったら、あいつがいなかったんだよ」
「えっ……?」
表情が凍りつくのを感じた。なんのあてもないはずなのに。知らず知らずのうちに、袋を抱く腕に力が入る。横を見ると、ミオンも口元を手で押さえてトニーを凝視していた。
彼の言葉は続いた。
「まだ決まったわけじゃないんだけど。でも、帝国軍ならやりそうだろ?」
「それって、レクシオさんが帝国軍に連れていかれたってことですか……?」
ミオンが震える声で問う。返ってきたのは――肯定のうなずきだった。
ついかっとなって、ステラは叫ぶ。
「なんでよ!? 理由がないじゃない!」
八つ当たりなのは分かっていた。だが、叫ばずにはいられなかった。トニーを見ると、彼は顔をしかめてゆるゆると首を振る。見ているこっちまで心が痛む表情だ。
「わかんないよ、俺にも。でもレクの奴、何考えてるかわからないときがあるだろ、特に最近は? だから、俺らに隠してることがあったのかもしれない」
悔しくなった。なぜか分からないけれど、ひどく悔しくなった。きっと、トニーの言葉を否定しきれないからだろう。確かに何を考えているか分からないときがある。いつもならその裏の意味がいずれ分かっていたが、ここ最近の様子がおかしい彼の態度は、幼馴染の彼女といえど少しばかりいぶかしんでいたのだ。
でも、それでも。
何年も前から連れ添ってきた幼馴染の顔が浮かぶ。いつも幼子みたいに無邪気で、そのくせどこか計算高くて飄々としている。あの顔に、言葉に、行動に、何度救われただろう。その証拠に、今ここに彼という存在がいないだけで心細くなってくる。
ぎゅっと、唇をかみしめた。
その時だ。
ミオンが勢いよく目を見開いた。なぜか微かに震えている。嫌な予感が、ステラを襲った。
「どうか、したの?」
恐る恐るステラが問うと、彼女は震える声でこう口にした。
「魔力……を感じます。多分これは、デルタの魔力です」
ステラとトニーははっと顔を見合わせた。もしかしたらデルタの人が近くに来ているのかもしれない。
「ただでさえ帝国軍がうろついてるんだ。もし接触したらやばいぞ!」
トニーはそう言うと、帽子を目深にかぶりなおした。見た目より焦っているのかもしれない。ステラは、手を力強くにぎって見上げてくるミオンに訊いた。
「それは、どっち?」
するとミオンは東の方角を指差した。確か、あの辺りは路地裏になっていたはず。デルタ一族をリンチにするにはちょうどいい場所だと思った。
「行こう」
トニーにそう声をかけ、ステラはミオンと一緒に走った。時々道行く人からうっとうしげな視線を向けられたが、いちいち気にしていられるほどの余裕はない。ただ、レクシオの失踪とデルタ族の出現という大事が二度も起きて焦る気持ちを抑えつけながら、必死に走った。
やがて、お目当ての路地裏につく。誰もが小さい頃から普段から親に「踏み込むな」といわれている無法地帯でもある場所だ。今日はそこに、いつも以上に陰湿な空気が漂っていた。まず、むせかえるような血臭が鼻をつく。ステラは一瞬顔をしかめたが、路傍に打ち捨てられたように倒れている人の姿を発見して、すぐさまかけよった。
そして、その顔を見た瞬間、らしくもなく悲鳴のような声を上げる。自分の予感が、あの悪寒が的中していたことを知った。
「レクっ!?」
倒れていたのは、見慣れすぎた少年だった。そのまま泣き崩れたい気持ちをどうにか抑えつつ、彼の体をゆっくりと抱き上げる。
ひどいありさまだった。殴る蹴るの暴行を受けた痕がいくつか体についていたし、あちこちから出血している。腕と足の二本くらいがだらりと下がっていて動かないから、もしかしたら折れているのかもしれない。
唖然としていると、友人があとからやってきた。
「うわっ」
さしものトニーも驚きと嫌悪感を露骨に表した声を上げる。だが、咄嗟に、倒れそうになっているミオンの体を支えていた。実戦経験の少ない温和な少女には刺激が強すぎたのかもしれない。
だが、悲しいかなこのような事態に多少の耐性があるステラは、軽く揺さぶりつつ声をかけた。自然と震えてくる声音にいらだちを覚えながら。
「ねえ、レク。しっかりして。何があったの?」
すると、本当に薄くだが目が開いた。緑色の瞳がステラの顔を捉える。唇がゆっくりと動き、囁きのような音を出した。
「お……まえら……なん、で……こんなとこに」
「なんでって」
心配して見に来たんでしょうが、と怒鳴りつけたくなったが、状況が状況なのでぐっとこらえる。そこでミオンが口を開いた。
「ど、どうしてこんなことに、なったんですか?」
かわいそうに思うくらい彼女はこの状況に怯えていた。涙声だし、視線はまともに定まっていない。それでも受け入れようと必死になって、こうやって質問しているのだ。
ボロボロのレクシオはしばらく何かを思案するように視線を上へ向け、やがて口を開いた。
「今日の、新聞……記事の件……で、軍人がたずねて………うっ」
どこか痛んだのか、小さくうめき声を上げて身をよじる。その姿を見たミオンは、ついに目尻に涙をためて首を振った。
「わ、わかりました! もうしゃべらないでください、お願いだから!」
どうやら見ていられなくなったらしい。ますます不憫に思えてきた。とりあえず、ステラはトニーの方に目をやる。
「新聞記事って、なんのことだろ?」
トニーはほんの少し目を細めて言った。
「一番可能性があるとしたら、一面のあれだろうな」
デルタ族が帝国軍人数名を殺害したというやつか。彼の様子がおかしい原因としてその記事をマークしていたステラはすぐに悟る。同時に、疑問がむくむくとわいてきた。
「でもなんで、あれでレクが目をつけられるのよ」
別にトニーのせいではないが、声を少しきつくして問う。今日の自分は八つ当たりが多い日だと思った。彼はお手上げのポーズで「さあ?」と言った。当然の反応だ。
やっぱわかるわけないよねぇ。
自分の質問を自分で呪いながら、とりあえず治療院に連れて行こうかとトニーに持ちかけた。だが、ほかならぬレクシオが袖をつかみ止めてきた。また、口が動いている。
「ちょっと、もうしゃべらなくていいってば」
そう言ったとき。彼は存外はっきりとした声でこう言った。血だらけの顔の中で光る緑の目が、いつも以上に鋭さを帯びていた。
「逃げろ」
――え?
ステラが目を瞬いていると、背後で鈍い音がした。慌てて振り返ると、ミオンとトニーが折り重なって倒れている。トニーの帽子は近くに落ちていた。
「トニーさん!?」
どうやらなんとか無事だったらしいミオンが叫ぶ。すると彼は、後頭部を押さえながら起き上った。彼がミオンをかばったようだ。
「……ってぇ。誰だよ、いきなり殴ったのは!?」
振り返りながら怒鳴るトニー。しかし、犯人が姿を現した途端に、その勢いは急降下した。それはステラやミオンも同じことだ。
「ふん。下種を囮用に放置しておいて正解だったな。ターゲットが自ら現れよったわ」
そこにいたのは、鉄パイプを手にした軍人だったのだ。




