確率 ~彼と彼女の場合~
ぐうたらパーカーさん主催の短編企画「陽だまりノベルス」参加作品。お題は「薬」と「花びら」です。
「……なるほど。大方の事情はわかりました」
黄色いパーカーのフードを目深にかぶった少年は、ゆっくりと部屋の中を歩きながらそう言った。
場所はこぎれいな民家の一室。木目の壁の色調と、ベッドシーツやカーテンの淡い色はよく合っていた。この部屋の主である娘の趣味の良さをうかがわせる。
「レイカさん、とおっしゃいましたか」
「はい。……ええと」
「僕のことは『ディー』でけっこうですよ」
立ち止まった少年はフードの下から笑顔を向ける。この国では珍しいまっ黒な瞳。レイカは一瞬、碧眼を見開いた。
「……あ、ええ。わかりました、ディーさん」
不自然な間をとってしまったことに気づいたようで、レイカはあわて気味に答えた。少年はそれを気にした様子なく続けた。
「ではまず、ひとつ確認させてもらっていいでしょうか」
「確認ですか?」
「そう。あなたが一体、どこまでを望むのか」
まじめくさった様子のディーの言葉に、レイカは小首をかしげた。
「それは、どういう……」
「あなたが“復讐”を望むのか否か――ということです」
レイカは一瞬、言葉に詰まった。ディーはまた足を動かし始めた。
「あなたのご依頼はこうだ。『数年来親しくしていた妖精が姿を消した。ベッドの上に服と、枯れた“核”だけが残されていたという状況からして、どうやら死んでしまったらしい。しかし何があったかがまるでわからないため、真相を明らかにしてほしい』。
……妖精は命が消えると同時に、カタチまで消えてしまいますからね」
「そうです。それで、妖精関係の事件も請け負っていらっしゃると聞いて、ディーさんのところへうかがいました」
「光栄です」
ディーは軽く一礼した。
「それで、です。僕はそもそもなんでも屋みたいなものですからね。お客様のご要望にはできるだけお応えいたします。ですがどの段階までことを進めるかで、報酬が変わってきますもので」
レイカはまた口を閉ざし、少しの間、目を伏せた。
「……ただ、真実を」
そしてレイカは結論を出した。ディーは問い返す。
「本当にそれで?」
「はい。真実さえわかれば、私にはそれで充分です」
「そうですか。安心しました」
「え?」
「お任せください。そこまででしたらお安くさせていただきますよ」
ディーはなぜか嬉しそうに、うんうんとうなずいた。それからパンッと手をうち合わせる。
「さて! ではまず、状況を整理してみましょうか。僕はここへ来る前に『彼』の住処にも寄ってきました。そこで調べてきたこととあなたの話を合わせてみますので、誤りがあったらご指摘ください」
レイカがうなずくと、ディーはうなずき返し、ぴっと指を立てた。
「――事件発生は3日前。第一発見者は『彼』の手下の妖精。主が消えたと騒いでいるところへあなたが訪ねていった。間違いありませんね」
「ええ」
「被害者は齢300年を超える大物妖精だ。寿命に達するにはまだ早い。かなりの力を持っていたことから、病魔や他者に害されたとも考えづらい。――妖精の事件でとにかく難しいのは、カタチが残らないために死因を特定できないことなんですよね……」
悲しげにうつむくレイカ。ディーは「しまった」というように軽く咳払いをした。
「えー……加えて、部屋は密室。被害者自身の力で結界を施してあり、これを解けるのは彼本人と手下の一部の妖精のみ。ただし妖精達は、もちろん被害者本人より格下だ。主をどうこうできるほどの力は、ない」
ディーはそこで息をついだ。
「ただ、僕は現場で、こんなものをみつけてきました」
手をポケットに入れ、まっ白なモノをつまんでレイカに見せる。
それは。
「花びら……ですか?」
「そう。花びらです」
「それがなにか?」
「落ち着いて、聞いてくださいね」
ディーはふと、真顔になった。
「レイカさんはご存じですか? 被害者が属する妖精種には弱点があるんです。それがこれ」
「えっ」
「人間には無害です。しかし彼らにとってだけ、この花弁――花びらは、猛毒なんだそうです」
レイカははっとしたように手で口を覆った。
目に浮かんだのは驚愕と、恐怖の色。
「それっ……私がよく、彼にプレゼントしていたものです……!」
「いえ違います」
即座に、ディーは否定した。
「よく似ていますがね。ここを見てください。……ほら、花の裏。がくが反り返っているでしょう?」
泣きそうな表情のまま、レイカは小さくうなずいた。そんなレイカを安心させるように、ディーはもっとよく見えるよう花を持ち上げた。そうして指先で薄い黄緑のがくをつつく。
「彼の部屋には、埋め尽くされているというくらいに白い花が生けてありました。その中に1輪だけ混じってしまったんでしょうね……」
「ええ……彼は……白い花が好きだと言って。いつも、部屋をまっ白に……」
レイカはぼろぼろと涙をこぼした。
「でも、もしかしたら、私なのかもしれませんね……私が……彼を……」
ディーの手が伸びた。少し乱暴に、くしゃくしゃとレイカの頭をなでる。
レイカはびくりとして顔を上げた。
「白い花をあの部屋に運んでいたのは、あなただけではないんでしょう? あなたかもしれない。あなたじゃないかもしれない。そこまで明らかにすることは、僕にはできません」
そうして手を離したディーは、深々と頭を下げた。
「偉そうなことを言いましたが。あまり役に立てず申し訳ない」
「いえ、いいえ! 親身に話を聞いてくださって、ありがとうございました……!」
「そうですか。では、せめてものお詫びとして」
ぐっとレイカに顔を近づけるディー。驚いた風に見開かれた碧眼の前で、ひらりと指が閃いた。
「つらいことは、忘れさせてあげましょう。さあ目を閉じて。次に目を開いたとき……あなたは彼のことを、すべて忘れているでしょう……」
レイカは操られるように、ゆっくりと目を閉じた。
ディーはもうひと言ふた言、レイカの耳元でささやいてから、ぱちん、と指を鳴らした。
* * * * *
ディーはのんびり歩いて、再び『彼』の住処を訪れた。入り口は、樹齢幾年か知れないほどの巨木のうろだ。
そのうろの前でぴたりと立ち止まる。中からは物音ひとつ聞こえない。
主が消えたせいで、ここにいた妖精達は皆、新たな主を求めていったらしい。
「……こんにちは。あなたからのご依頼、完了しましたよ」
ディーは少し顔を仰向けて、どこへともなく声をかけた。
と。
――あのようなことをしろと、言った覚えはなかったが――
深い響きを持つ声が、ディーの頭上でこだました。
ディーはわざとらしく肩をすくめた。
「するな、とも言われてませんからね。どうせ彼女は覚えていない。僕も2重に報酬がもらえる。四方八方万々歳じゃないですか」
――下手な嘘だな。お前が報酬を受け取るのは、依頼を終えた後
依頼した記憶のない相手から、いかにして報酬を受け取るというのか
「いやだな。わかってるなら突っ込まないでほしいんですが」
顔をしかめながらも、ディーは満足げだった。逆に『彼』の声には不機嫌な色が混じった。
――なぜ、彼女を泣かせた
「それについては謝りますよ」
――なぜ……あのようなことを、彼女に告げた
「それは僕の個人的な興味で。彼女の証言を、これまでの調査とつきあわせたかったんです。結果、僕は確信しました」
『彼』は答えなかった。ディーは続けた。
「あなたが知らないはずはない。『白い花の中には自分にとって危険なものがある』と。にも関わらず、手下の別種族の妖精達に、そして彼女に。部屋いっぱい白い花を運ばせた。危険については一切触れずに」
『彼』は、答えない。
「ならば答えはひとつ。あなたは待っていたんだ。いずれ偶然にも、“あの花”が紛れ込んでくることを。つまり――あなたを殺したのは、あなた自身ということになる」
……『彼』が、ため息をつくような気配があった。
――君たち“人間”には、わかるまい――
「わかりませんよ。人間同士でさえ、物事の動機には首をかしげざるをえないことがあるんですから。……でも、ね」
――……?
「たまたま、聞いちゃいましてね。あなたが……以前にも、人間の女性と親しくしていたことがあるって」
――……!
「ざっと、120年ばかりまえのことだとか。あなたのような大妖精にしてみたら、僕達“人間”の寿命なんて、あっという間に尽きてしまうものでしょうね」
――……わかったようなことを……
伝わってきたのは乾いた笑いだった。ディーもにやりと笑い返した。
「まあ、あなたの“真実”なんて聞くだけ野暮でしょう。僕はここらで退場しますよ。さようなら。消える前に、報酬の方はお願いしますね」
『彼』の残留思念に念を押し。
ディーはくるりときびすを返した。
『彼』がいるはずの方向から怒りの波動は伝わってこなかった。――が、本当のところはかなり際どかったのかもしれない。そしてもし妖精の怒りを買ってしまったら、百害あって一理なしだ。
それでも言わずにいられなかったのは、やはり『彼』より、同族のレイカに肩入れしているせいだろうか。己の未熟さを今さらに自覚して、ディーはこつんと自分にこぶしを入れた。
「まあいいや。やることはやった。依頼は果たした。だからこの後のことは、知ったことじゃないや」
得意の催眠術で、彼女の中から『彼』を消すこと。それが『彼』の依頼だった。
それだけだ。その後のことはたのまれていない。
だからディーは、彼女に白い花の話を吹き込んだ。
「大妖精ともなれば、残留思念が消えるまでにも、けっこう時間かかるんだよね。
さて。『彼』が消えるのと、彼女が『思い出す』のと。どっちが先だろうね……」
ディーは静かに笑った。そうして、あの後またポケットにしまっていた花を、ぱっと空へ放り投げた。
END