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 どうにも、やりづらい少女だ。

 上手く外に連れ出したは良いが、その後が続かず、おれは少々戸惑っていた。

 仮面を剥ぐまでは良かった。

 それまでは、主導権を握っていたのだから。

 問題はその後だ。

 「本当に。こんなにも夜が美しいなんて、知りませんでしたわ」

そう言って、彼女は子供のように笑った。その笑みが、語っている。自分はこれほどにも子供なのだ、と。そんな子供を相手にする気か、と。

「夜だとて、神がお創りになった世界ですよ。美しくない筈はありません」

彼女は子供じゃない。そう思ったからこそ、話の流れを変えようとしてみても。

「まあ、そうですね。神のお造りなった世界は、本当に美しいものですわ」

そう、何の感情もこもらない答えが返ってくるばかり。これでは、何のために仮面を剥ぎ取ったのか分かりゃしない。素顔をさらしていない時の方が表情豊かな女なんて、聞いたことがないぞ。

 後ろの広間では、また宴が続いている。その盛んな熱気とは裏腹に、おれと彼女の間には薄ら寒い気配が漂っている。

 何だって、こんな間の抜けた状況に陥ったりしたんだ?

 思わずそう自問する。

 別に、どこかでやり方を間違ったとは思わない。

 有無を言わせず仮面を剥ぎ取ったのがいけなかったのか?

 だが、それは取り上げた瞬間の彼女の表情が否と答える。

 あの瞬間、彼女は驚き、一瞬その非礼を詰ろうとした。

 だが、それを上回るおれへの興味が、彼女の中で起こった筈だ。少なくとも、あの瞬間の彼女の瞳の中に興味深げな光がひらめいたのだ。そう、パリスから助けた時と同じように。

 だが、何故だろう。

 その光は、ほんの一瞬だった。

 次に彼女の瞳にあったのは、冷静な理性の光だった。一瞬にして、覆せぬ現実を思い出したかのような、冷たい光。

 おれでは、恋を語るのに役者不足だとでも思ったのだろうか。

 それとも他の何かを――?

 そう考えをめぐらせながら、それでも黙っているわけにもいかず、おれが口を開こうとした時だった。

 「お嬢様!」

おれたちの背後から声がした。その声に、彼女はびくりと後ろを振り返る。

「貴女を探していらっしゃる?」

分かりきった問いだが、まあ良い。答えも当然、予想通りのものだ。

「ええ、はい。ばあやです」

そう言う彼女の声と重なるように、そのばあやの声が再び聞こえる。

「お嬢様!」

まだ、こちらには気付いていないらしい。だが、だんだん声は近付いて来ている。

「あの、わたし、行きます」

言い訳するようにそう言って、彼女は身を翻す。その腕を、おれは反射的に掴んだ。

「あの?!」

驚いておれを見る彼女に、おれは笑って自分の右手の指輪を引き抜いた。

「どうか、これを。清らかな聖者に対する布施だと思って貴女の傍に置いて下さい」

「聖者?」

「真の美が何たるかを教えて下さった貴女に、その名を捧げましょう。そして、わたしの名もまた、貴女の下に。内側にわたしの名が彫ってあります。それをどうなさるかは、貴女のご自由に。ただ、仮面に隠されたわたしではなく、素顔のわたしを知って頂きたいと思っただけですから」

言っている間にも、声は近付いてくる。その声に押されるように、彼女はしばし考えた後、おれの指輪を握り締めて声の主の下へ走り去った。

 「ばあや!」

「お嬢様!こんな所にいらっしゃったんですか。奥様がお呼びでございますよ」

「お母様が?」

「ええ、お話になりたいと」

「分かったわ。今すぐ」

そんな会話に続いて、彼女が去る音が聞こえてきた。それではおれも、と思ったが、よく考えたらおれは彼女の名前すら知らぬ身だった。ここは一つ、そのばあやとか言う女から聞き出しておかなくては。

 「ちょっと、良いかい?」

近くにいた女に、声をかける。おそらく、これがばあやだろう。

「はい、何でしょう?お若い方?」

「今のお嬢様のお母様とは?」

「この家の、奥様でございますよ」

……………………今、何と言った?

「この家の、奥様?」

それは、つまり。

「ええ、そうでございます。あの方は、このキャピレット家のたった一人の大切なお嬢様でございますからねえ」

自慢げにそう言うと、彼女も広間に戻っていく。だが、その姿もおれの目には入っていなかった。呆然とするおれの耳に、級友たちの声が響く。

「ロミオ!こんな所にいたのか?」

マーキューシオとベンヴォーリオが、宴の終焉を見越して退散してきたらしい。

「そろそろ帰ろうぜ。いい加減、おれたちもバレちゃまずい」

そう言って、マーキューシオがおれを引っ立てるように邸を出た。

「……キャピレットの、娘?」

ようやくその言葉を噛み砕き、おれは呟いた。

「何だ?ロミオ」

唐突に呟いたおれの言葉に、マーキューシオたちは驚いたように足を止める。怪訝そうな彼らに、おれは取り繕った顔で笑うのが精一杯だった。

「ああ、いや。別に、何でもない」

芸のない返答をして、おれは何気なく自分の左手に目を落とした。

 そこには、モンタギューの紋章の入った指輪がある筈、だった。

「…え…違う……?」

そこにあったのは、おれのイニシャルだけが入った簡易の指輪だった。それを確認して、おれは一つのことに思い当たる。

 そう、今朝はロザラインの所に行こうとして指輪を外したのだ。代わりに、いつも右手にしているRの文字の入った指輪を左手にはめた。そして、この宴のための用意をして、いつもとは逆に紋章入りの指輪を右に、簡易の指輪を左に……。

 ようやく動き出した記憶を前に、おれは愕然とした。

 つまり、今あのキャピレットの一人娘の下には、モンタギューの紋章とおれの名前の入った指輪が、ある。

 それに気付いて、冗談でなく血の気が引いた。

 早々にあの指輪を取り返さないと、おれの身の破滅だ!

 「おい、ロミオ?いったいどうしたんだ?」

突然立ち止まったおれを、ベンヴォーリオが振り返る。

「ちょっと用事を思い出した」

「はあ?何を言ってるんだ、もう夜中だぜ」

「悪いが、先に帰っておいてくれ」

「おい、ちょっと、ロミオ?!」

突然の宣告が、不審なのは承知の上。だが、今は一刻の猶予もない。

 もしも彼女があの指輪を無造作に忘れでもしたら。

 その指輪を、彼女以外の誰かが、見付けたとしたら。

 そんなことをしたら、あのキャピレットの一族が黙って見逃してくれる筈もない。言い掛かりの付け合いで、両家の争いが悪化していくのは目に見えている。そうなったら、大公様とて黙っていては下さるまい。

 走りながら、自分の考えが悪い方へと傾いていくのを自覚する。

 それも全て現実になるかもしれないことだ。

 ああ、畜生。自分がここまで馬鹿だとは思わなかった。まったく、間抜けにもほどがある。

 これはきっと、おれへの罰だ。

 不真面目に、恋を語るふりをしていい気になっていたおれへの、罰。

 でも神様、これきりにしますから、どうか御助けを。

 おれがきっかけで両家の不和がこれ以上広がることにはなりませんように。

 そればかりを祈って、おれはただ、夜の闇の中を走った。

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