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 「お嬢様、お嬢様!ジュリエットお嬢様!」

遠くの方からばあやの呼ぶ声が聞こえてくる。その声に、わたしは慌てて読んでいた手紙を枕の下に押しやった。

「お嬢様。おや、まだお休みでいらっしゃったんですか?」

太った体を揺らしながら入ってきたばあやに、わたしは軽く笑って見せる。

「今朝はちょっと、ゆっくりしてみたかったの。それよりばあや、何か用?」

「お母様がお呼びでございますよ。もう間もなく、こちらにいらっしゃるかと」

寝耳に水だった。こんなに朝早くから、あの、娘にまるで関心があるとは思えないお母様がいらっしゃる?それなら、夜着のままではいけないわ。

「本当?大変!ばあや、手伝って」

慌ててばあやを急かして、わたしは服を着替える。何しろ、あのお母様は普段はわたしのことなど見向きもされない癖に、たまに自分の前にいる娘が自分の思う通りにならないと、烈火のごとく怒り出すのだもの。理不尽なことこの上ないけれど、余計な怒りは買わない方が身のためですものね。

 あら、お母様のことを語る前に、わたし自身のことから始めなくては。

 わたしの名前はジュリエット。

 この街のもう一つの名家、キャピレット家の一人娘。

 自分の家のことを語るのに、もう一つの、と付けなくてはならないのが腹立たしいこと。

 我がキャピレット家と争っている憎き敵のモンタギュー。 実際にどんな人たちかは知らないけれど、お父様や叔父様たちの話を聞く限りでは、きっとならず者の集まりに決まっているわ。

 と、いうのは、あくまで建前の話。

お父様やお母様は心底モンタギューを憎んでいるのだけれど、わたし自身はそんな実感なんてないのが実際のところ。だって、ならず者と言われている人たちだって、わたしに素晴らしい恋文をくれることだってあるんですもの。今、わたしの枕の下にある手紙のように。

 勿論、口に出して言ったことはない。そんなことを言えば、家から追い出されてしまうもの。だからこの感想は、わたしの心の内だけの秘密というわけ。

 「ジュリエット?いるの?」

あら、お母様だわ。わたしの準備の方は、どうやらぎりぎり間に合ったみたい。

「はい、お母様。どんな御用ですか?」

言って、招き入れると、お母様の様子がいつもと違って落ち着きがない。

「ああ、ジュリエット。お前に話があるの。実はね…………ばあや、ちょっと席を外しておくれ。内緒の話だから」

何だろう?いつもはばあやなんて気にもかけない人なのに。

「やっぱり、待って、ばあや。お前も来ておくれ。やっぱりお前にも聞いておいて貰わなくちゃいけないわねえ」

そう言われて、ばあやも不審そうに行きかけたドアから離れる。

「お前も知っての通り、このジュリエットも、もう年頃ですものね」

年頃。その言葉に、わたしは嫌な予感がした。絡みつくようにわたしの髪を撫でて言うお母様の言葉は、とっても不吉なものであるような予感が。

「ええ、お嬢様のお年なら、何年何月何日、何時間でも分かりますとも。次の満月で、ようやく十六ですわ。これまた花のように美しくおなりあそばして、わたくしはお嬢様をここまでお育て申し上げられたことを誇りに思っておりますよ。大きなご病気もなく、健やかにお育ちあそばされて。ああ、でもお怪我をなさったことが一度だけございましたね。そう、あれはまだお嬢様が三つの時で――」

ばあやの話は、長い。こちらの息が詰まりそうになるくらいに。

「昔話は今度にしてくれるかい、ばあや」

どうやら、お母様にしても同じことらしく、苛々とばあやの話を遮った。だけど、一度止められたくらいでは止まらないのが、このばあやの悪い癖。

「ええ、そうでございますね。でも、このお嬢様がお怪我をなさった時といったら、今では笑い話にもなりますけどね――」

「もうたくさんよ、ばあや」

お母様が怒り出さないうちに、わたしは素早くばあやの話を遮った。

「はい、黙りますよ」

わたしには甘いばあやは、わたしの不満そうな顔に仕方なく頷いた。けれども、止めたのは昔話だけで、その口は止まらない。

「ですが、本当にお美しくなられましたねえ、ジュリエットお嬢様は。後はもう、お嬢様の花嫁姿が見られたら、ばあやは言うことございませんとも」

 花嫁姿。

 他の女の子たちにとってみれば、それは憧れの言葉。でも、わたしにとって諦めの言葉。だって、結婚は、きっと自分の意思ではできないもの。どこの誰ともわからない男の人が、お父様にわたしをくださいと言う。その人が、お父様のお眼鏡に適えば、それがわたしの旦那様。解ってはいるけれど、憂鬱になってしまう。だって、そうやって結婚した方を愛せる自信なんてないんだもの。

 そんなわたしの思いとは裏腹に、その言葉にお母様は弾かれたように立ち上がった。

「そう、そうよ、ジュリエット。結婚の話なのよ、わたしが来たのは。ねえジュリエット、お前は結婚についてどう思って?」

ああ、何てことかしら!もうちょっと猶予はあると思っていたのに、もうそんな話なの?

「そのような身に過ぎたことは、まだ考えたこともありませんわ」

とりあえず、そう模範的な回答をわたしは口にする。きっと、その後に続くお母様の言葉は、わたしを追い詰めるものだということは分かっているけれど。

「そう、それなら考えて御覧なさい。貴女よりもっと年下でも、もうお母様になっている方もいらっしゃるのですからね」

ええ、お気の毒なことだけれど。そしてわたしも、彼女たちと同じように長い長い人生を家という名の牢獄に閉じ込められて過ごすのだわ。全く、これこそ女に生まれた不運というものではないかしら?

「お母様も、貴女の年頃にはもう貴女という娘がいたのだからねえ」

お母様の言葉が、絡みつく。向かいたくない道に、わたしを追い込むように。

「だからね、言ってしまうわ。実はあのパリス様が、ぜひ貴女を貰いたいと仰っているのよ」

パリス?パリスですって?!ええ、確かにあの方は何でもお持ちだわ。地位も、財産も、有り余るくらい。でも、あの方は確か音楽も、美術も、文学も、一切がお嫌いな方。わたしの好きなこと全てが嫌いな方が、わたしの結婚相手だと言うの?

「パリス様ですって?素晴らしいご縁談ではございませんか」

素晴らしい?いったい、どこが?!

 わたしの好きなことに一切興味を持たない。それはつまり、わたしを理解してくれる望みも薄いということではないのかしら。

 そんな人の元でこれからの一生を過ごすことのどこが、素晴らしいと言うの?

 「そう、ばあやもそう思うだろう?それで、どう、ジュリエット?あの方を愛することができて?お顔は今夜の宴でお目にかかることができるでしょうから、その時にじっくり拝見できるわね。そこにはきっと、貴女への愛情が一杯詰まっている筈よ。良いお話だと思うわ、ジュリエット。あの方と結婚しても、貴女は何一つ失わなくてすむのよ」

いいえ、お母様。わたしはきっと、かけがえのないものを失います。

「さ、ジュリエット。一言で良いから、言って頂戴。パリス様を好きになれそう?」

きっと、無理ですわ、お母様。そう言ってしまえれば、どんなに良いかしら。でも、言ったところで何になるの?お母様がここまで言われている限り、お母様の望む言葉そんなものではない筈。

「努力してみましょう。見て、好きになるものなら」

わたしにとってはそう言うのが精一杯。でも、それだけでお母様は満足そうだった。

「可愛いジュリエット。それでは、今夜は念入りに支度をなさい」

にこにこ顔でそう言うと、お母様は嬉しげに部屋を出て行った。

 念入りに、支度をする?

 好きでもない結婚相手に好かれるために?

 無意味なことと分かっていても、お母様の言葉は絶対。お母様に言われた以上、わたしはやらなければならない。

 その虚しさを考えるだけで、眩暈がしそうになった。

 結局絶望しか運んでこないのなら、いっそ夜など来なければいいのに――。

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