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花の都、ヴェローナ。
いつしか、そんな呼び名で知られるようになったこの街。
この街には、二つの貴族が住む。
一方の名をキャピレット、もう一方の名をモンタギューという。
どこの街でもあることだが、この二つの家は互いに互いを憎悪している。
哀しいかな、どちら劣らぬ名家であったことが、非運だったか。互いに相手の風下に立つことはおろか、並び立つことすら我慢ができぬときている。 まあ、よくある話だ。この街が特別というわけでもあるまい。
それでも、両家ともに愚かなことだとおれは思っているのだが――それはいい。
それよりも、おれ自身の話をしよう。
おれの名は、ロミオ。
だが、おれのこの名はこの街では意味を持たない。 ファーストネームも、セカンドネームも、洗礼名ですら、同じことだ。
おれの名が意味を持つのは、ファミリーネームのみ。
そう、この街ではモンタギューというこの姓さえあれば、それなりの扱いは期待できる。
ただし、それには勿論、場所を選ばねばならない。 本当に有意義な扱いが期待できるのは、この街の半分においてのみ、だ。 残りの半分でこの名を出せば、下手をすればおれは自分の名を名乗るどころか、口すらきけぬ体となってしまう。
何しろ、おれはモンタギューの一人息子。それだけでもキャピレットの連中にとっては憎らしいというのに、かの家には子供が娘一人きりときている。 この街では、女は家を継げぬ決まりとなっているから、その恨みまでもおれに向けられている。
奴らはおれを見れば罵り、おれがいない所では散々に扱き下ろす。
それがまた、モンタギューの一族にとっては面白くない。
おかげで、いったい何が楽しいのか、顔を合わせれば言い掛かりの付け合い。
毎日のように、喧嘩、喧嘩、喧嘩。
全くうんざりさせられる。
まだ十八になったばかりのおれでさえ嫌気が差しているというのに、何故あいつらは変わらないんだろう。そんな醜悪な行動にばかり時間を費やして、無駄だとは思わないのだろうか。おれとしては、キャピレット家との諍いより、街の娘たちとの恋の方が、ずっと有意義だと思うのだが。
そうだ、恋だ。
それこそ、人生を明るく彩る華だとおれは思っている。
何しろ、おれの方は期限付きなのだ。
あと、もう一年もしないうちに、どこかの街の有力な貴族の娘がおれの妻と名乗り、その女を相手に長い長い一生を生きる。それは、この姓を背負って生まれた時から決まっていたことだ。それに対してどうこう言おうとは思わない。今更言っても始まらないことをぐだぐだ言う趣味はおれにはない。
それでも、その期限が来るまで多くの娘と恋を語って楽しんでも、罪にはなるまい。
たとえそれが、本気の恋ではなかったとしても。
本気の恋など、身を滅ぼすだけだと承知している。
息ふさぐ狂気のような恋など、おれはしたいとは思わない。
もっとも、そんな言葉は娘たちの前では口が裂けても言えないが。特にそう、今の相手、ロザライン嬢なんかには、絶対に。
おや、また街が騒がしい。 つくづく、両家には馬鹿しかいないと見える。 まだ太陽も昇りきってはいないという、こんな朝から喧嘩とはね。大公様もまた、ご苦労の絶えないことだ。
「ロミオ!」
どこぞから、おれを呼ぶ声がする。声の方を振り返ってみれば、従兄弟であり、友人でもあるベンヴォーリオだった。
「ベンヴォーリオか」
「おはよう、ロミオ」
無愛想なおれの声に応じるベンヴォーリオの後ろにさっさと姿を消すのは、父の背中だ。
「あれは、父上か。おれを見ると、そそくさと姿を消してしまわれる」
思わずついて出たおれの皮肉に、ベンヴォーリオの返す言葉はため息混じりだ。
「お父上だって、あれでお前のことを心配しておられるんだぜ。今日だって、息子が何を考えているか分からぬ、と嘆いておられたぞ」
「ふうん」
あからさまに、気のないのが分かるおれの返事だった。第一、父が心配しているのは“おれ”じゃない。自分の跡取りのことだろう。
「おい、ロミオ。お父上がお前のことを心配されているのってのは、本当だぜ。おかげで、おれはお前の本心を聞き出してくれって頼まれたばかりだ」
「で?上手くはぐらかしてきたのか?」
「ああ、何とかな。感謝しろよ」
おれをよく知る友の言葉に、おれは軽く笑って頭を下げた。
「悪い。感謝する」
そう言った所へ、突然割り込む声がした。
「よう、ロミオにベンヴォーリオじゃないか。揃ってこんな所で何してる?」
見れば、おれの親友とも悪友とも言うべきマーキューシオだった。
「おはよう、マーキューシオ」
「おはよう」
揃って挨拶するおれたちに、マーキューシオはにやりと人を食った笑みを浮かべて言う。
「気の抜けた顔だな、ロミオ。昨日の首尾はどうだったんだ?」
触れられたくない話題に、おれは内心顔をしかめる。昨日の首尾、とはもちろん攻略中のロザライン嬢のことだろう。攻略の決め手に欠けて、いまいちおれの分が悪い状況なのだが。
「さあな」
軽く流してしまうつもりの芸のない返答だが、それで諦めるこいつではない。
「おい、ロミオ。はぐらかさないで教えろよ」
そう言って、奴はおれの腕を引っ張ったが、その目は悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。こういう時はおれの首尾なんぞ聞かなくても知っているのだ。その上で聞いてくるのだから、全く、食えない男だよ。
「おい、なあ、ロミオ!」
何と言われても、応じてやるつもりはない。いったいどうやって黙らせてやろうかと思った時、背後から別の声がした。
「もし、そこのお三方」
言われて見ると、ずいぶん年取った男が一人、立っていた。
「旦那様方は、字が読めますかね?」
良いタイミングだ。渡りに船とばかりに、おれは機嫌良く応えてやる。
「ああ、読めるぜ」
「それならば、ここにある字をちょっと手前に読んで見せては下さいませんかね?」
そう言って、男はなにやら小さな紙を差し出してきた。
「簡単なことだ、貸してみろ」
言って男から紙を受け取ると、それは宴の招待状だった。
「マルティーノ殿、同夫人並びに令嬢方、アンセルム伯爵、同じく令妹方。ヴィトルーヴォ殿、並びに弟ヴァレンタイン殿。プランセンシオ殿並びに同令姪方。キャピレット叔父上、同夫人並びに令嬢方。姪ロザライン、リヴィア。ヴァレンシオ殿、同従兄弟ティボルト。ルーシオ、並びにヘレナ嬢」
素晴らしい顔ぶれだ。この街の名士の半分が揃っている。おれとは関係のない、キャピレットの側近ばかりが。
「キャピレット家で、宴か?」
興味津々で尋ねたベンヴォーリオに、男は頷く。
「左様でございます。旦那様方がモンタギューのお人でなけりゃ、まあ、一杯やりにおいでなさいませ」
礼の代わりのようにそう言うと、男はくるりと踵を返し、すたすたと行ってしまった。
「キャピレット家で、宴か」
男の背中を見送りながら、何の気なしにおれが呟くと、マーキューシオは意味ありげに笑う。
「仮面舞踏会、と書かれていたよな」
そういえば、そんなことも書いてあったような気がする。特に興味もないまま頷くおれに、今度はベンヴォーリオが言う。
「仮面舞踏会、ということは、誰が誰か判らないよな?」
「……おい、お前ら……?」
何となく、嫌な予感で二人を見ると、彼らは揃って同じような顔で笑っている。思わず牽制しようとしたおれに先んじて、マーキューシオが言う。
「よし、ロミオ。今夜はキャピレット家の宴に乗り込むぞ!」
「はあ?!」
何を馬鹿なことを言い出すんだ。みすみす殺されに行ってやるようなものじゃないか。
「なに、判りゃしないさ。それに、今日の宴にはお前の恋しいロザライン嬢だって来るんだしな」
ちゃっかり、そんなことまで見ている。まったく、本当に食えない奴らだ。
「いいじゃないか、たまには。最近、お前付き合い悪いぞ?」
「それはお前たちに付き合うと、ロクなことがないって知ってるからだ」
「絶好のチャンスだと思うぜ?愛しのロザライン嬢に、貴女に会うために敵地の真っただ中に乗り込みました、なんて言ってみろよ。真面目そうなお嬢様なら一発だ」
確かに、使えるかもしれない。そういう、物語みたいな演出は好きそうだし。
「だから、行くよな?」
おれの考えを読んだかのように、ベンヴォーリオはにやりと笑って肩を抱いた。まあ、たまには悪くないかもしれない。おれは苦笑交じりに頷いた。
「分かったよ。行くさ」
敵の本拠地へそれと知られずに乗り込む。それは中々スリルのある企てだった。
「じゃあ、夕刻に」
そう言い置くと、ベンヴォーリオはするりと肩の手を解いた。
「ああ、じゃあまた後でな」
軽く手を振って二人と別れる。宴に出るためには、それなりの準備が要るのだから、まずは屋敷に戻ろう。
そう考えて、自分が少しわくわくしていることを認めなければならないだろう。
まずは、おれたちを呼び止めたあの男に、感謝することにしよう。