09甘い恋と控えめな愛
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お昼ご飯の時間になって屋上に出ると、四人みんながそろっていた。
ともろーまでもう屋上にいるなんて、珍しい。ほかの三人は、サボったんだろうけど。
「おー小毬! おっせーよ」
「ともろーたち、いつからいたの? 私四限終わってすぐに来たんだけど」
ともろーが手招きをしながら私に微笑みかけた。
みんなの手元には殻になったパンの袋がある。ということはもう全部食べた後みたいだ。本当にいつからいたんだろう。
「自習だったから早めに終わって来てたんだよ」
「そうなんだ」
会話をしながら楓の隣に座って、持ってきたお弁当を広げる。
「楓も四限さぼったの?」
「二限には来てたんだけど、屋上で捕まったの。蒼太ののろけが終わらないんだもん。聞くのもめんどくさいのに聞いていたら何をするのもめんどくさくなるんだからすごいよねー結局ずっとここで過ごしちゃった」
その言葉に、金網にへばりつきながら蓮とふたりで話をしている蒼太に視線を動かした。楓はもう疲れ切った顔をして背を伸ばしていた。
……のろけるほど、嬉しかったのか……。
いや、わかっていたんだけど。思った以上に気持ちが落ち込む。
「——り、小毬?」
「え? あ、うん」
名前を呼ばれているのに気付かなくて、はっと顔を上げると蓮が私を見て首を傾げている。
「何?」
「……いや、ぼーっとしてっから」
そんなに心配されるほどぼーっとしていたかな。汗ばんだ髪の毛をいじりながら「眠たくて」と愛想笑いを浮かべれば蓮は何もかもをお見通しのように微笑む。
その笑顔に、理由のわからない苦しさを感じて、心拍数が少し早くなった。
「どーなの、あいつ」
「あ、ああ、……いいんじゃない?」
私の隣に腰を下ろして、蒼太を指さす蓮に素っ気なくそう答えた。
——蓮は、苦手だ。
蒼太と蓮が一緒に遊ぶようになってから、蒼太はちょっと悪い事ばかりを繰り返していた。
今思えばそれは蒼太にとって逃げであったのかもしれないけれど……当時よく知らない私からすれば蓮が蒼太を引きずり込んだんだと思っていた。実際違ったから、今蓮に対してそんなふうには思ってない。
だけど、やっぱり蓮は苦手。
女の子にだらしないっていうのもあるけど……それよりも、なんか、なにもかも見透かされているみたいに感じるときがあるから。
真っ直ぐに見つめてくるその冷たい瞳がひどく、怖くなる。私の弱さもずるさも傲慢さも、隠しきれないような。
きっと蓮は私の気持ちに気付いている。だからきっと私たちを見るたびに色んな言葉で茶化してくるんだろう。
かといって蒼太に私の気持ちを言うようなことはないから楽しんでいるだけなのか。蓮はよく分からない。蒼太の気持ちの方がよっぽど分かりやすい。
私の返事に「ふーん」と興味があるのかないのかよくわからない返事をして、ぼんやりと蒼太の浮かれっぷりを見つめていた。
「おーい、蓮、小毬には手を出すなよぉ? 小毬は蓮が遊んでいいような相手じゃないんだからねー」
ふたりで並んでいる姿が珍しいと思ったのか、蒼太の話し相手になっていたともろーが蓮を指さして忠告するようにわざとらしく眉を寄せた。
「え? 蓮ってそうなの?」
そんな台詞は、蒼太にはあんまり言われたくないんだけど、ね。
そんなの口に出せたらこんな風にはならなかっただろうけど。苦笑を零しながら、箸と口を動かす。
「そんなわけないじゃん。私なんかを相手にしたら蓮の歴代の彼女に怒られるわよ」
「そ? 小毬も可愛いと思うけど?」
私を見てにやっと笑う蓮。
こういう軽い感じが苦手だ。思わず思い切り顔をしかめると、蓮は面白そうにクスクスと笑った。
何がおもしろいのか。私の顔?
「えーマジかよ、蓮」
「小毬傷つけたらあたしが許さないからね?」
蒼太も驚きの表情を作って、楓が蓮の背後から顔を出して険しい顔を作る。
……冗談だっていうのはみんな気付いているのに。こんな風にノリがいいから、一緒にいて楽しいのかも知れない。
何が本当か分からない感情で吐き出された言葉は、全部が冗談のように流されていく。風に乗って雲のように。気がついたら真っ青な空の様に何もなくなるんだ。
何もなくなったって本音なんかは何一つ見えないんだけど。本音も一緒に消えてなくなるのかもしれない。
むしろそんなもの、見せたくない。隠さなきゃいけない。
私は、なにより蒼太と離れるのがいやだもの。
青空から視線をお弁当に戻して、食べ終わったお弁当箱を袋に再び戻そうと思った時、わすれていた箱が手に当たった。
そういえば、クッキー同じ袋に入れたんだっけ。
昨日傍にあったお弁当箱に考えなしに入れたことを後悔する。
何で別の袋に入れておかなかったんだろう。いつもなら、ここで“美紅ちゃんに”と蒼太に渡していたけれど……今日はさすがに渡せそうにないな、と袋にお弁当を戻してからさりげなく背後に回した。
このまま……今日は渡せるかどうかも自信がない。
「お前なにそれ」
「クッキー」
蓮と蒼太の会話にびくりと体が跳ねて、顔を上げる。
蒼太が壁にもたれ掛かりながらピンクの袋から可愛いクッキーを口に放り込んでいた。
……クッキーって? 誰から?
そんなの聞かなくても分かる。
「今日の朝、千晴ちゃんに会ったときにくれたんだよ。いっぱいあるからお前らも食べる? 千晴ちゃんお菓子作り得意なんだって」
そう言って、ピンクの袋を地面に広げると色々な可愛いカタチのクッキーが顔を出した。
ひとりでは到底食べきれないほどの量。みんなで食べると思ったのか……。気が利いているとしか思えない。しかも広げて食べられるように、ビニールの包みに軽く袋のように包んで。
「へー。んじゃくれ」
「お前何気に甘い物好きだよなー」
一番先に手を伸ばしたのは蓮。
本当に、見かけによらず甘い物が好きだな。遠慮知らずに手を伸ばしていくつかのクッキーを手にして口の中に放り込む。
私が作ってきたクッキーも、いつも一番食べているのは蓮だろう。美味しいのか美味しくないのか口に出さないからよくわからないけれど、食べるからには多少おいしいと思ってくれていると、思う。
「小毬も食べる?」
蒼太から手渡されたクッキーはきつね色のハートのカタチ。上には四角くて小さなゼリーが散らばっていてまるで宝石みたいに太陽の光を反射させた。
「……かわいい」
私のクッキーよりも可愛い。かわいらしいクッキー。
可愛いあの子は一生懸命このクッキーを作ったんだろう。これだけの量を、しかもどれも手を加え可愛く仕上げるのは、とても大変だっただろう。
だって私のクッキーは、型で抜き取らずに固めて包丁で切った物を焼くだけだもの。二色の色があるだけ。
千晴ちゃんのクッキーはそれこそ五種類くらいの味があるのは一目でわかる。形だって様々だ。
「っあっま、これ」
「ほんと、蓮ならいいだろうけど、これあたしでも甘いわ。バター入れすぎてない?」
ともろーが口に放り込むと続いて隣の楓も一口食べて残りを無理矢理ともろーに渡した。
「楓も甘いの苦手だよなー」
「蒼太も同じくらいじゃん。よく食べれるねこれ」
ふたりの会話に耳を澄ましながら、私はハートの半分を口に入れた。
たしかにこのクッキーは結構甘い。上のゼリーも甘いしまぶしてある砂糖も甘さを引き立てている。
おいしいけれど、ちょっと、甘すぎる。
楓も蒼太もこの甘さは苦手だろうなと思う程の甘さ。私もさすがにこの甘さでは三枚くらいしか食べられないかも知れない。
私の方が、きっと美味しい。
そんな性格の悪いことを考える自分にいやになりつつも、ちょっとだけほっと胸をなで下ろした。私の方が、蒼太に近い場所にいるんだと、教えてくれたような気がして。
「ばーか。大好きな彼女が作ってくれたんだからなによりもおいしいっつーの」
そんな台詞は聞きたくなかった。私が作ったら『甘すぎる!』って怒って一枚しか食べてくれない癖に。
蒼太は気にしない素振りでクッキーを何枚も立て続けに口の中に放り込む。
「ちょ、蓮! おまえ、そんなに食うなよ!」
「うっせーな。こんなにあるんだからいいだろ」
蓮は何も文句を言わずに食べ続けるだけ。それを止めるようにクッキーを独り占めする蒼太の姿が……知らない人みたいに見えた。
「小毬のお菓子の方が絶対おいしいよ。ボク小毬のクッキーの方が好き」
「あたしも」
一枚口にしただけでそれ以上手を伸ばすことなくお茶を飲み干したともろーが口に出すと、楓も同意して「小毬のお菓子は店よりうまいよ」と微笑んでくれる。
楓にとってはきっと私のお菓子は好みに入るだろう。蒼太と同じように甘い物が苦手だから。甘さ控えめに、それでも美味しいお菓子を、と小学校からずっと作ってきたんだもの。
「あ、ありがと」
ねえ、私は上手く笑えているかな。
後ろにある袋をぎゅっと握りしめながら答えた。
「お、千晴ちゃんだ!」
携帯電話を手にして、慌てて屋上のドアを開けて階段の方に出て行った蒼太に、みんながら一斉に舌を出した。
「バカがのろけると邪魔ねー」
楓が文句を言いながら髪の毛をかき上げる。わずかな風で、それは少しなびく。
長い髪の毛なのに全然べとつかないのはなんでなんだろう……。私の髪の毛は直ぐに汗でべとつくのに。千晴ちゃんと同じようにいつもさらさらの楓の髪の毛……。
「どしたの?」
「ん? ううん」
ふるふるっと首を左右に振ると、楓は「そ?」と首を傾げてから足を組んだ。
スタイルもいいんだから羨ましい。こんなに綺麗だからこそ、年上の彼氏なんかがいるんだろう。大人っぽくて落ち着いていて、自分があって……。
私なんてすぐ流されるのに。
なんだか卑屈なことばっかり考えてしまっている気がする。誰かと比べてばっかりだ。すぐ人の目を気にして、自分と人を比べて気にするのは私の悪い癖だ。
内気な訳じゃないし、人見知りをするわけでもない。だけど自分から相談したり打ち解けていくのはひどく苦手。与えられていることに慣れているからだよ、と中学生の時に蓮に言われたことがある。
なんで、そんなことを言われたんだっけ?
あの時に……蓮のことを苦手だと、思ったような気がする。でもなんでだったのか忘れた。
ただ、蓮は……私を見下ろしながら告げた。
——『“大丈夫?”って言葉を待っているのがわかる』
そんなつもりはないけれど、だけど確かに困ったとき泣きたいとき、そう言って手を差し伸べてくれる人はいた。両親だったり、蒼太だったり。
蓮がそう言った言葉の意味や思いはわからないけれど、やっぱり私は甘やかされてきたのかも知れない。
だってどうしたらいいのかわからないもの。蒼太が離れてしまったら……私はどうしたらいいの。
「小毬」
蓮に言われたことを考えていた時に蓮からの呼びかけが一瞬にして私を現実へと引き戻した。と、同時に大げさなほどに体が跳ねる。
「……何びびってんの?」
「び、びっくりしただけ」
く、とのどをならして蓮の目が細くなる。
「お前もくれよ」
「……な、なに、を?」
蓮が私に手を差し出す。まるで、知っているかのような口ぶりで。
……何で?
「お前もお菓子、作ってるだろ?」
何で?
「え? マジで? ボクも小毬のお菓子食べたいー」
「あたしもー、持ってきてるなら先に出してくれたらよかったのにー! あの甘いクッキー食べずにすんだのに」
それはちょっと楓……ひどいんじゃ……。
楓の言葉に思わず笑みがこぼれて、なんで知っているんだろうとか、今更出したら感じ悪くないかなとか、そんな気持ちもちょっと軽くなって鞄から箱を取り出した。みんなにあげるつもりなんかなかったから、量は決して多くなかったけれど。
「やっぱり小毬のお菓子が一番おいしい!」
そういって笑って食べてくれることが、すごくすごく嬉しくて、すごく誇らしげな気持ちになった。
みんなに、千晴ちゃんよりも小毬のほうがいいんだよ、と言ってもらえたみたいに思えたから。
「蓮にはあんまりあわないでしょ?」
甘さ控えめにしているから。それでもクッキーらしい味は保っているとは思うけれど、ちょっと味覚がおかしいくらいの蓮には物足りないんじゃないかな?
無言で三枚目を口にする蓮に聞くと、蓮は「おいしいよ」とだけ言ってそのまま四枚目を手にして腰を上げた。