07記憶の中の夕焼け
蒼太と出会ったのは、きっと記憶という物が出来上がる前だった。
そのくらいに気がつけばそこにいたのが、蒼太だった。
だから、蒼太がいる毎日が私の当たり前だった。
「小毬!」
蒼太は私を見るといつも、笑顔で私の名前を呼んでくれた。
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Ⅱ 赤い夕焼け
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蒼太とは本当に幼い頃から一緒だった。
幼稚園の頃は家が近いから蒼太のお母さんと、私のお母さんと四人で毎日一緒に通った。手を繋いでふたりで並んで歩く毎日。
「大きくなったら結婚しようね」
そんなありきたりの約束も交わしていた。もちろんそれを本気にしたことはない。
けれど、それは私にとって何よりも大事な思い出で、愛しい毎日で、そんな日々が変わらず続いていくのだと思っていた。そうじゃない毎日なんて想像も出来ないくらいに。
私の家はいたって普通だ。
それなりに仲のいい両親と、ひとりっこの私。裕福ではないけれど、貧しいわけでもない。
甘やかされて育ったんだろうなという自覚はあるけれど、私自身も普通。特別可愛い訳じゃない。だけど可愛くないわけでもない。
少し人よりも背が低いくらいで、少し癖っ毛だというくらい。自分に大きなコンプレックスも抱いている訳じゃないし、かといって好きでもない。
そんな私がいつも蒼太の傍にいることに対して、少しばかりのやっかみを受けたのは小学生の頃だっただろうか。気がつけば女の子に無視されることもあったし、陰口を言われたこともあった。
正直当時は何でそんなことになるのか分からなかった。
小学校高学年くらいにやっと友達に教えられてその理由を知った。
遠回しに『小毬はいいよね、いつもそばにいて』と言われた記憶がある。
蒼太はそこそこ人気があった。
私だけが知っている蒼太のいいところはたくさんあるし、私にとって誰よりも大切な存在だったけれど、客観的にみてわからなかったのが正直な気持ちだった。
けれど、確かに蒼太は優しい。女の子にも、当時から蒼太は優しかった。
クラスメイトの男子がバカにしていたって蒼太はそんなことで人を傷つけたりしなかった。茶化すことはあったけれど、だけど女の子の顔を見ればそれがいいのか嫌なのか、くらいは一目瞭然だ。
違うクラスの女の子に、蒼太との関係を聞かれたことがある。相手の口調と表情は、明らかに敵意を感じるものだった。放課後の、生徒のほとんどいない教室で。
「なにしてんの?」
そう、声をかけてきたのは蒼太だった。
そして私の教室に足を踏み入れて「小毬、帰ろう」と手を差し出した。
私に向かって、まっすぐに伸びてきたその手は、“何も気にするな”と言われているようだった。
私を取り囲んでいた女の子達なんて、見えていないかのように、ただ、私だけを見てくれていたように思えた。
強く握りかえした私に、蒼太は嬉しそうに微笑んでくれたのを、覚えている。
あの日の夕陽を、私は一生忘れないだろう。夕焼けの赤色が蒼太を染めて、それはそれは綺麗に映ったあの日を。
「よー、夫婦!」
「うっせーよばーか」
からかわれても、噂になっても、蒼太はそう笑って返すだけで一度だって私を避けたことはなかった。
私が泣いたら、いつもそばで泣き止むまで頭を撫ででくれた。お母さんと喧嘩したときも。お父さんに怒られたときも。こっそり面倒を見ていた捨て猫が消えてしまったときも、ずっとそばにいてくれた。
何度も蒼太のせいで知らない女の子に文句を言われて、正直、離れた方がいいと思ったことはある。冷やかされるのにうんざりしたこともある。けれど、蒼太はいつだって、なにがあったって、変わることなく“小毬”と私を呼んでくれた。
それが恋心につながるものだとは、当時は微塵も思っていなかった。
蒼太に彼女ができたこともある。けれど変わらず一緒にいてくれたから、私は今まで一度もショックを受けたり気にしたことはない。
何も変わらなかったから気付けなかった。
変わりたくなかったから、気付きたくなかったのかもしれない。
絶望に打ちのめされた蒼太を、ぎゅっと抱きしめたあの日。蒼太の苦痛を一緒に背負いたいと思ったあの日。幼かったけれど一生懸命に蒼太を抱きしめた。
あの日、私は蒼太への思いに気づき、同時に確実なものに変わった。
蒼太はいつも笑ってて、いつも泣かない。
小さな時から一度だって蒼太の涙を見たことがない。
蒼太は笑う。いつも、笑う。蒼太を思い出すとき、私はいつも笑顔の蒼太を思い浮かべるほどに。
あの日も、一滴の涙もこぼさなかった。見えない涙だけをこぼし、それでも歯を食いしばって耐えていた。
あの日も、夕焼けが綺麗な日だった。
だから、そんな蒼太のためにも……芽生えたこの気持ちに水はやらず変わらないでいようと決めた。それでいいと思ったし、それがいいと思った気持ちにウソはない。
けれど……残念なことに、私の心で芽生えたこの気持ちはサボテン並に強かった。私だけが特別だという事実と優越感が、栄養分になってしまったのかもしれない。
気がつけば、想いは膨大に膨れ上がっていた。
中学卒業間近のころには、もう、今にも溢れてしまいそうなほどに好きの気持ちでいっぱいだった。
「蒼太、なにそれ」
いつものように一緒に帰ろうと靴箱に行くと、今更ベタだな、なんて夢見がちな私でも思う靴箱のラブレターを持った蒼太を見て思わず口にした。
「んーなんか、放課後来て欲しいってー」
中を開けて見つめながら蒼太がそう言った。別に、蒼太がもてるのは今に始まったことじゃないしそんなことは別に構わなかった。
「行くの? 待っとく? 先帰る?」
「すぐだから、待ってて」
「わかった」
ラブレターをひらひらさせながら蒼太は待ち合わせ場所に向かった。方向からして中庭だろうか。蒼太の言ったように、十分ほどで戻って来て何もなかったかのように私の隣を歩きはじめる。
「……さっきの、断ったの?」
「あ? ああ、さっきの? そりゃ断ったよ。相手の子の名前も顔も知らないし」
知ってたら付き合ってたの? とは聞かなかった。知ってるからって好きでもない人と付き合うようなことをしないことくらい分かってる。潔癖だとか真面目だとか、そういうことじゃないけれど、蒼太は絶対そういう事をしない。
特に、あの日以来。
自分を嫌いになって、自分を憎んでしまうから。自分が憎んでいる物と、自分が一緒になるから。
「もったいない」
だから私はいつも明るく振る舞うだけ。そんなの何でもないことだと思っていた。
「しかも小毬と付き合ってるんだろとか怒り始めるし、女ってホント怖いと思ったよ」
「……へえ」
何でもないようなフリをしていただけ。本当は名実共にそばにいたかった。幼なじみとしてじゃなくて、みんなの想像する、関係として。
ただ、そばにいたいと思っていたのに、いつのまにか、そばにいるだけでは苦しく感じ始めた。なんて、わがままなんだと自分でいやになる。
「俺と小毬はそんなんじゃねえってのに、なあ。だいたい何で俺を好きなんだか。俺みたいなのが好きなんて、なあ」
蒼太は自分のことが嫌いなのかも知れない。だから自分の事を好きな人も好きになれないのかも知れない。
だけどそばにいる私も、蒼太を好きだって、そう告げたら蒼太は少しだけでも自分を好きになってくれるかな。
そうだといいなと、思った。
だけどそれはかっこつけた言い訳で、ホントはただ、気持ちを知って欲しかっただけ。その気持ちが蒼太に届いて、それを受け入れてほしかった。
自信があったわけじゃない。ただ、もう耐えきれなかっただけ。吐き出したかっただけ。
傲慢で、わがままな、独りよがりな、気持ち。ただ、ほんの少し、期待があったことは否定出来ない。
「私は、蒼太のこと、好きだよ?」
言葉は微かに震えていたのかも知れない。もしかしたら風がきつい日だったから。風のせいでそう聞こえただけかも知れない。
蒼太の顔は見ることは出来なかった。
多分赤いだろう私の顔、そして俯いて地面を見続けるこの状況から、その“好き”が何を指しているかなんて、誰が見ても一目瞭然だろうと思う。
わざわざ好きだと言うのに“男として”とかつけ加えることもない。だから、それだけを告げて、緊張で拳を作り蒼太の返事をひたすら待った。
蒼太はしばらくの間、何も言わなくて、だけど目の前で私を見下ろしているだろうことは、視界に入る蒼太の足下で分かっていた。どんな顔をしているのか分からないけれど、私を見ていることは分かっていた。
なんで何も言わないのだろう。
私のことをそんな風に見ていないのなら……ここですっぱりと切ってくれた方がきっと楽だ。そしたらきっと今まで通りに一緒にいることが出来る。
いや、それすらも嫌がられるかも知れないけれど、それはそれでいいのかもしれないとさえ思っていた。
何分間の沈黙が流れたのだろう。
静寂を破ったのは、蒼太の明るい声だった。
「何、あらたまって。そんなの知ってるし。俺も小毬のことは好きだし。大事な幼なじみじゃん」
ラブレターに続いてなんてベタな振られ方。私の頭をぽんぽんっと軽く叩いて蒼太はそのまま踵を返して歩き始めた。
ベタすぎて涙も出ない。ベタすぎてどうしたらいいのかも分からない。だけど心のどこかでそうなるかも知れないと思っていたのも事実だ。
蒼太にとって、それでも私は特別なんだろうと思う。
思い上がりかも知れない。だけどきっと、特別だと、皮肉ながらも実感した。私の告白を無視して、泣きそうな顔で、すがりつくような笑顔を張り付けて“帰ろう”と手を差し伸べてくれたから。
蒼太は恋愛なんてきっと信じてない。蒼太は恋人同士の関係ほど疑ってるものはない。
幼なじみのままの私。
なかったことにして、これからも変わらず一緒にいる道を選んでくれたのだと思うのはただ単に、悪あがきだったのかもしれない。
だけどそうだと信じていた。蒼太にとって私は特別なんだって。
だから、ずっとそばにいようと思ってた。
あれから、一年ちょっと。
私は同じような気持ちで蒼太のそばにいる。多分、蒼太も、同じ気持ちのはず。
辛いことを、ほんの少しでもいいから背負って傍にいてあげたいと思っている。その気持ちに嘘はない。ただ、いつか、もしかしたら、とも思っている。
蒼太も、私のそばにいてくれるのならば——……。