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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅶ白い朝
53/53

53いつかの日、今日の屋上は何色か

「じゃあ、そろそろ私も行くね」

「ああ」

 ゆっくりとフェンスから背を起こして、小毬が俺を見ずに言った。そして、ゆっくりとゆっくりと、遠ざかっていく。

 ぴんと伸びた背筋。

 風で揺れる髪の毛。

 いつも俺の隣にいたはずなのに、いつのまにか後ろ姿を見ることのほうが増えた。

「――蒼太」

 突然振り返った小毬は、笑顔だった。


「私、蒼太のことが、好きだったよ」


 瞳は、真っ直ぐに俺を捕らえていた。

 涙をこらえているのか、小毬の目は赤い。こぼすことのないように必死に歯を食いしばっているようにも見えた。

「……知ってたよ」

「知ってる事、知ってた」

 ふふっと満足そうに笑ってから、「でも、蓮の事も、好きだったんだよ」と言って、俺は同じように「知ってるよ」と言った。

 小毬が、好きじゃない男と付き合うわけがないとわかっていた。俺と小毬の付き合いは長い。そのくらい嫌でもわかる。蓮が俺を好きだった知った上で、小毬はそんな蓮を好きになったんだろう。

 それを悔しいと思う資格はない。とはいえ、思わないでいられるほど、俺は大人でもない。

「でも、後悔はしてる。蒼太に対しても。蓮に対しても。」

「俺と一緒だな」

 最後に二人で微笑み合って、小毬は再びドアに向かって歩き出した。


 ――俺も小毬が、好きだった。


 そう口に出来るほど俺は、強くなかった。

 きっと言えば小毬は笑うだろう。きっと俺と同じように『知ってた』と言うだろう。そしてきっと、その言葉の後に『嘘つき』とも言うだろう。

 けれど、小毬にそんな返事をさせたら駄目だと思った。

 俺の隣には千晴ちゃんがいた。そして俺は、彼女のことも間違いなく好きだった。可愛い笑顔も、俺に必死に近づいてくれた行為も、俺に合わせた会話も。

 彼女となら、と思った気持ちももちろんあった。

 馬鹿にもほどがある。何もかもなくしてからしか気づけないなんて。そして、知らない男と話をしている彼女を見て、ショックを受けたと同時にホッとしたなんて自分でも信じられなかった。

「ほんと、俺は……しょーもないな……」

 自分勝手な思考ばかりだ。


 誰もいなくなった屋上で、蓮から受け取った写真を眺めながら、今日が最後だと言い聞かせる。


 みんなが来てくれたんだからいいじゃないか。

 もう二度と、こんな時間は手に入らないと思っていたんだから、もう十分だ。

 きっと今、俺があの頃のように必死にこの関係を作ろうとしたって、もう二度とこの時には戻れない。そんなこと、きっとみんなわかっている。


 だから、誰一人として、『またな』とは言わなかった。

 

 いつか蓮と話をした。

 数年後の俺らはどうしているんだろうかと。ここにこうやってバカみたいに集まって騒いでいるのか、それともバラバラになってしまうのか。

 それでもこうして、たまにでもいいから一緒に過ごすことが出来ればいいと思っていた。


 ぽたりと、写真にしずくが落ちる。

 慌てて拭っても、それは止まることなく落ちてくる。


 後悔ばかりだ。

 なんでどうしてと、そればかりだ。自分のしてきたことがどれだけ間違いだらけだったか、今ならこんなにもわかるのに、どうして当時の俺は出来なかったんだろう。

 苦しくて苦しくて、今でも考えるのは、あの時ああしていなかったらどれだけ今はちがっていただろうかと、そればかり。

 そんなこと今更なのに。

 時間は絶対戻ってくれはしないのに。

 智郎と話をすればよかった。小毬に思いを告げればよかった。蓮の気持ちに向き合えばよかった。楓に向かっていけばよかった。そして、千晴ちゃんに、誠実であればよかった。


 だけど必死だったんだ。本当に、心から。

 全てがよかれと思って選んだ道だったんだ。


 どこかの誰かが言うように、大人になればこの日々も思い出になるんだろうか。

 ああ、あの苦しさもあの涙もあの悲しみも僕等の青春だったんだ……。


 ――そう、いつか、思えるときが来るのだろうか。

 そう言ってまた笑い合えるような日が、僕等には訪れるんだろうか。




 この苦しさもこの涙もこの悲しみも、今の僕を壊してしまいそうな程に傷むのに。


 


 だけどわかることもある。

 苦しいから。だからこそ。あの日々を大事にしなきゃいけないと。せめて、思い出の中だけでも。

 笑い合った日々は大事な日々で。間違いだらけで、傷つけてばかりで、苦しいこともたくさんあったけれど……。


 あの日々だけはいつまでも“楽しかった思い出”にしておかなくちゃいけないんだ。

 苦しかった、未練の思い出には、したくないんだ。

 楽しかったあの日々は間違いなくそこにあった。



 涙を拭って、まだぼやける視界で空を見上げた。

 雲一つない空は、俺の思い出の屋上の日々に、よく似合っていた。


 今はまだ無理だし、出来るかどうかもわからないけれど。

 だけどいつか。どこかで。

 お酒でも飲みながら笑い会えたらいいなと、願う。

 笑い合って、じゃれあって、そして傷つけ合ったあの日々が、高校生活だったのだと、笑って口に出来たらいいなと、思う。



 ――あれが俺らの青春だった、と。





.




「あー…あっちー」

「先輩いつもそればっかりですね。どんなけ暑がりなんですか」

 社内で口にすると、隣の席にいた後輩がげんなりした顔でそう告げた。

「今年の夏は猛暑らしいですよ」

「それ毎年聞くよなあー。あー今から外行くとか信じられない」

 この猛暑の中ほんの30分前に戻ってきたばかりだというのに、社内は節電とかでまったく涼しくないし、5分前に急に上司に頼まれた案件でデザイン事務所に脚を運ぶハメになった。

「お前、俺の代わりに行ってくれよ」

「無理ッスよ。俺今日定時に上がらないといけないんですから。そのために昨日会社に泊まったんですから勘弁して下さいよ」

「あーなんだっけ? デートだったっけ? 付き合って一年とか」

 くだらない、と言葉を付け足して傍のノートで風をおこしながら冷たいコーヒーを口に含む。

「彼女いない人のひがみですか?」

「はいはいはいはい。で? どこのホテルのどこのフルコースでどのくらいの値段?」

「いやらしいですねホント。いいですけど。今日は美術館行ってー」

 そう言って今日の予定を語り始める後輩に、慌てて「美術館って?」と口を挟んだ。このまま今日の予定を聞いていたら、約束の時間に間に合わない。こいつと違って俺は仕事の約束があるんだから。

「ここ出身の画家が、個展やるらしいんですよ。俺の彼女美術やってたから、見たいって。海外ではそこそこ売れるらしいですよ」

「絵を描いて生活できるなんて羨ましいなー変わって欲しいな」

「ですよね。あ、でもその人本職は画家じゃないらしいですよ。えーっと……なんだったかなあ……」

 興味のない話に適当に相づちを打って、そろそろ出るか、とPCのメールのチェックを最後に済ませた。

 

 社会に出て3年。地元の広告代理店に就職して、毎日帰宅は最終電車。

 みんなが寝静まった家に帰って一人でカップラーメンを食べる日々なんて。何のために片道一時間もある実家に暮らしていると思っているんだ。そろそろ一人暮らししたほうがマシかもしれない。

 中学生になった美紅は、昔あんなにひっついてくれたのに、今は彼氏に夢中だし。土日は母さんの買い物に付き合わされるし。家でゆっくりしてたら邪魔者あつかいだ。

「お前次どこ行くって?」

 目の前に座っていた一つ上の先輩が、思い出したかのように腰を上げて俺に問いかける。

「ガーデンデザイン事務所です。山下さんの担当の仕事だったんですけど、山下さん今日出張だから。なんかデザイン案受け取ってクライアントに持って行って欲しいって」

「え? あそこいくんすか? いーなあ。あそこいいっすよね。専属のカメラマンとかもいて仕事しやすいってみんな言ってますよね」

「その代わり見積もりも一つ上にいるよ」

「あそこのカメラマンの一人がこないだ、なんかの賞を取ったらしいっすよ」

 よく知っているな、と突っ込もうと思ったけれど、きっとこいつのことだから話が長くなるな、と思って「で、どうしたんすか?」と先輩に話を戻した。

「途中のここもよってくれねえ? ここに今サンプル頼んだんだけど、今日発送できねえとか言うから取りに行ってくれないか?」

「いいっすよ」

「いい返事だな。サンキュー助かるよ。あ、あと受付の女の子、きれーな女の子なんだけど手は出すなよー。まぁ、気が強そうな女の子だから、お前にはなびかないと思うけど」

「はいはい」

 DTPデザイン担当の俺には縁がなかった販促物のパーツを取り扱っている会社。初めていくところだけれど、幸いデザイン事務所の近くだった。俺もいつかは担当が変わることもあるだろうし、挨拶くらいはしておくか、と机の中から名刺を多めに手にして「行ってきます」と気合いを入れて口にした。


 エレベーターには別の階の会社の人だろう。知らない男の人が二人乗っていて、軽く会釈をしてから乗り込んでぼけっと二人の会話に耳を傾けた。

「保育園も高いよなあ。嫁さんパートしてもらいたいけど保育園代も馬鹿にならないし」

「まあ、パートじゃきついかもな。でも、保育園行って目の保養するのもたまにはいいぞ」

「なんだそれ」

「うちの子が行ってる保育園、先生の女の子が可愛いんだよ。素直そうな子で」

「不謹慎だなー。今度奥さんに話してやろうか」

「かわいいなってだけだろー。いや、でもお前も好みだと思うぞ。幼い顔立ちなんだけどな、いつも一生懸命で、いっつも汗かいてるんだよ。前髪とか肌にぺたーってくっついてて」

「変態だな」

 ケラケラと笑い合う会話に、若干の嫌悪感を抱きながら、一階に着くと同時にエレベーターから逃げ出した。

 今でもさすがにあの手の話は好きになれない。

 そんな話を聞くたびに、自分もこうなるのかと思うと恐怖ですらある。

 成長しないな……俺も。

 ため息を零して駅に向かって歩く。頭上には、相変わらず真っ青な空がそこにあった。


 あの頃から何も変わらない、空が。





 ――いつか、会えたらいいな。


 泣きながら笑った。

 泣くようにしか笑えなかった。

 泣けない代わりに笑った。


 あの日あの時あの瞬間、今思い出せば些細な出来事に惑い疑い傷付いて、色んなことを誤魔化し隠し我慢しながら僕等は必死に笑顔で過ごそうとしてた。


 傷つけて傷付いて。

 愛を知らずに恋をして。

 愛を知って恋に逃げ。

 ただひたすら笑ってた。

 そうすれば何とかなるのだと信じてた。


 ああ、あの苦しさもあの涙もあの悲しみも僕等の青春だったんだ。






 ――そう言って、また笑い合えるような日が。







End

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