表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅶ白い朝
52/53

52いつかの日の屋上は何色か




.



 その日はよく晴れていた。

 雲一つない快晴。気候はまだ寒く、桜はまだ蕾だった。

「答辞」

 凛とした声が体育館に響き渡り、ひとりの生徒が席を立つ。真っ直ぐに前を向くのは、小さな体のくせに、誰よりも大きく見える智郎だった。

 

 今日で、高校生活が終わりを告げる。三年間過ごしてきたこの場所は今日で終わりだ。久々に制服に身を包み、首元までボタンを閉めて、座り心地の悪いパイプ椅子。

 体育館には、智郎のハキハキとした声が響き渡った。


 数時間の式を終えて教室に戻ってきた頃には、体がガチガチに凝っていた。あんないすに長時間座らせるなんて拷問だ。

 最後の日だからとそこら中でシャッター音が鳴り響き、その度に蓮のカメラを思い出す。向けられたレンズに笑顔を貼り付けて応えていると、正直逃げ出したいような気持ちになる。

「蒼太、このあとどこかいくか?」

「あー美紅が待ってるから、帰るわ」

 クラスメイトの誘いに申し訳なさそうな顔を作って断ると、周りにいた男女の友達が口々に「えー」「最後なのに」と文句を言ってくる。「いつでも会えるって」と心からそう告げて担任が戻ってきたのをいい事に、誰よりも早く自分の席についた。

 式でもらった卒業証書を再び受け取って、筒の中に放り込み、最後の説教を聞かされる。

 小一時間ほどの最後の授業を受けて、みんなで礼をしたあとに、俺はみんなに別れを告げて教室を後にした。


 窓の外には朝と変わらず真っ青な空が広がっている。


「今日はさすがに誰もいないだろ」

 久々に向かった先のドアノブに手をかけながら、誰に言う訳でもなく言葉を発し、なぜか苦笑かこぼれる。

 その先に広がるものは、以前と何も変わっていなかった。

 俺たちの、いつも過ごした屋上。


 教室ではまだきっとクラスメイトがたくさん残っているだろう。俺の姿を探すやつだっているかもしれない。友達ともっと挨拶をしてもよかったかなと思う気持ちもあるけれど、なによりも俺はここに、最後に、ちゃんと脚を踏み入れたかった。

 いつもここに集まっていた。

 三年間の中の、たった半分ほどだった。

 だけど高校生活を思い出すとき、俺はいつもここでの時間を思い出すだろう。

 あの日から、みんなで過ごす事はなくなった。通り過ぎるときだって、不自然なほど何も声をかけず、誰もが不思議がっていただろうと思う。先生にだって5人はいつも一緒にいると思われていたのだから、クラスメイトが何も思わないはずがない。

 だけど、それでも、俺らは二度とここに集まろうとはしなかった。

 一人フェンスに近づいて、誰もいない屋上の景色を眺める。

「懐かしいな」

 昔はいつもこうだった。誰もいない屋上でぼけっとしていた。それを寂しいなんて一度も思った事がなかった。

 広いコンクリートと青空。視界にはそれしか入らないのに、俺はここが好きだった。誰かが必ずやってくるのをわかっていたから。だから俺はここに一人でいる事が好きだった。

 誰かをいつも、待っていたんだ。



「――俺が一番かと思ったのに」



 目を瞑って思い出していると、久々に聞くぶっきらぼうな言葉に瞬時に目を見開いてドアに視線を向ける。

「……れ、ん」

 ドアのそばで俺を見つる蓮がそこにいた。

 ……なんで。こんなところに、くるはずがないのに。なんで。

 呆然とする俺をバカにしたように笑って、蓮ががしゃんと音を出してフェンスに背を預ける。俺の、隣に。

「最後に、来たくなって」

 ポケットに手を突っ込んで煙草を取り出した蓮は、じっと見つめる俺に気づいて煙草を俺に差し出した。

「高校生活最後の記念に吸えば?」

「なんだそれ。やめろよ人がきっぱりやめたのに」

 俺の返事に満足そうに笑ってから、蓮は煙草に火をつける。禁煙する気はさらさらないんだろう。懐かしい煙草のにおいに、目を瞑るといつもの光景がよみがえる。


「また、吸ってる」

 いつもこうやって、やってくる。

 俺たちが悪い事をしているとかならず、やってきて文句を口にするのが、小毬だった。

 仁王立ちで俺らの前に立ち、蓮の口から煙草を取り上げる。

「吸い過ぎだって言ってるでしょ。未成年!」

「……はいはい」

 蓮も小毬の性格を理解しているんだろう。口答えせずに小毬に言われるがまま返事だけして「あーあ」と詰まらなさそうに空を見上げた。

 前よりも少し長くなった髪の毛をいじりながらぶつぶつ文句を言う小毬は、何も変わっていない。ずっと見ていなかった訳でもないのに、ひどく久しぶりな気がする。

 俺の隣に並んで、前と変わらない笑顔を俺に見せる小毬に、言葉をかける事はできなかった。

「美紅ちゃん、元気?」

「え、あ、あぁ。最近は友達と遊びまくってるから成績が落ちてるって母さんが文句言ってたけど」

「そっか、なんか、よかったね」

 美紅がおこられている話だけれど、小毬はそんな話にほっとしたように笑って「また、遊びたいねえ」と呟いた。その言葉に、何を返せばいいのか。うまく返す事ができるほど、時間がまだ経っていない事を思い知らされる。

 

 三人で、その後は何も話をする事なく空を眺めた。

 雲一つない空は、見ているには少し退屈だったけれど、それも恵まれているのかもしないと、思う。


 蓮と小毬は、三年の夏には別れた。

 原因なんか俺は当然知りはしない。だけど、蓮にとって初めて長く続いた彼女が小毬で、小毬にとって初めての彼氏は、蓮。

 今も話す事ができる関係なのだから、悪くないんだろう。そう思うと安堵のため息ばかりがこぼれてくる。

 できれば、願うなら、とても身勝手ではあるけれど、ずっと一緒にいて欲しかった。ただそう思っていた。そうあってくれれば、俺にとってなにが満たされるのかは自分でもわからないけれど、ふたりが笑ってくれればと。

 別れたけれど、笑顔で話すことが出来るふたりに、その望みは本当に自分勝手だったのだと思い知らされる。


「ほら、やっぱりいたじゃん」

「みんな考える事は一緒だね」

 楓と智郎が明るい声で屋上にやってきて、今までここで集まることがなかったなんて夢だったのかと思う程に自然に俺らは集まった。

 俺と目を合わせた智郎が、「僕の答辞ちゃんと聞いてた?」と自慢げに声を掛けてきて思わず吹き出してしまう。そんな姿に楓が「蒼太絶対寝てたよね」とケラケラと笑って小毬の肩を叩く。


「蒼太結局大学も実家通いなの?」

「ああ。楓は無事短大受かったんだって? 卒業出来ただけでもすごいよな」

「しっつれいね! 私だけじゃなくて蓮だって危なかったのに」

「俺は余裕だよ」

「蓮は専門学校行くんだっけ? カメラで?」

「撮ってやろうか? 将来有名カメラマンだぞ? いつか有名外科医高校生の頃はこんなんだった、とかって使われるかもな」

「なにそれ。くだらな。トモもなにピースサインしてるのよ」

「医者はともかく、絵で賞とか取れたときに蓮の写真使えるじゃん」

「絵も、続けるんだねともろー」

「まあ、ね。小毬は夢だった保育士だよね。似合ってるよねー」

「まだ慣れるって決まってないよ。そんな事言ったらともろーのほうが医大に入学だし、絵も賞取れたりしてすごいじゃない」

「僕のは奨励賞だったんだけどね」

「楓は、短大どこに通うの?」

「私は憧れのひとり暮らし。片道5時間とかでいけないでしょ? 小毬も実家なの?」

「ううん、私は大学近くの女子寮に入るの」

「女子寮って。女子大のくせに大丈夫なの? あ、わかった蓮のせいで男性こりごりなんでしょ?」

「……楓……この場所でその話題するってすごいと思う僕……」

「俺はなにもしてねえよ。どっちかと言えば蒼太だろ」

「え? お、俺?」

「お前だよ。小毬このままばーさんになるまで1人で暮らすぞ」

「やめてよ! そんな悲しい未来決めつけないでよー!」


 小毬の言葉に、みんなで声を出して笑った。


 俺が、何よりも求めていたもの。卒業するまでずっと笑っていたかった。笑ってみんなと気楽に楽しんでいたかった。

 気兼ねなく何もかもを言い合い、笑う関係。

 この一年、話をしなかったなんて嘘かのように、俺たちは自然に会話を交わす。くだらない事を口々に。


 

「んじゃ、僕そろそろ。今日は兄さんがご飯おごってくれるんだ」

 智郎が時計を見て俺らに「バイバイ」と告げながら背を向けた。


「あーじゃあ私も行くわ。クラスメイトとカラオケ行くんだった」

 携帯電話を取りだしてメールの返信を打ちながら楓が笑って「元気でね」と言う。


「……俺も帰ろうかな」

 ぐいっと背を伸ばして、蓮がめんどくさそうに歩き始める。

「あ、これやるよ」

 振り返って、ポケットから一枚の写真を撮りだして俺に手渡してきた。

 いつ撮ったものなのかも分からない屋上の写真。4人でカメラに向かって笑っている。連がいないけれど、蓮の視線で映されたもの。それは、蓮がいたという証。

 言葉に出来ない感情がこみ上げて、溢れそうになる涙を堪えるために、口を固く閉じたまま。こくこくと意味もなく頷いた。

「じゃあな」

「ん」

 軽く片手をあげて背を向けて、ドアの先に消えた。


「……私も、クラスでパーティするんだって」

 気を使ったように弱々しい声で話しかける小毬に、ふっと笑って「ああ」とだけ返すと小毬も微かに笑った。

「蒼太は、美紅ちゃんの傍に、いるんだね」

「ああ……。また、遊んでやってくれよ」

「そうだね……」

 本当は多分、お互いにこんな話をしたい訳じゃない。そんなことはわかっているけれど、それ以外の話をすることは出来なかった。本当に口にしたいことが自分でもわからないから。

 久々に話をする小毬は、どこか落ち着いていて俺の知っていた小毬とは違う気がする。長い間話をしなかったから、今までとのギャップがありすぎて、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。

 そんな空気を察したかのように携帯電話が震えて取り出すと、美紅から「今日はお兄ちゃんの大好きなハンバーグだよ」とメールがきた。メールの差出人は母さんだから、借りたんだろう。最近は母さんの携帯電話を借りて教えて貰って俺によくメールを送ってくる。

「美紅ちゃん? 相変わらず大好きね。顔で分かる」

「ははっ。まあな。可愛い妹だから」

 ハンバーグは美紅の好物だろ、と心で突っ込んでいると、呆れたような小毬の顔に思わず笑った。

「……美紅に、全部告げたんだ」

「え?」

「母さんとか父さんのこと」

「そ、か」

 それを美紅がどう受け止めたのかはわからない。だけど……今も俺は美紅とこうして傍にいる。美紅のために、なんて理由ではなく、俺が美紅を純粋に好きなんだと気づいたから、進路に迷うことはなかった。

 そんな俺に美紅は嬉しそうな顔をしておめでとうと言ってくれた。

 母さんは仕事をパートに変えたらしく、美紅の帰宅時間には家にいるようになった。その代わりに父さんはちょっと仕事が遅くなってきたけれど、家で仕事をすることはなくなった。

「好きな子が、できたらしいよ」

「ホントに? 残念ね蒼太」

 ちょっとむくれて愚痴を告げれば、小毬は楽しそうに笑う。

 そして小さな声で「よかったね」と言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ