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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅵ水色の雨
47/53

47閉じた瞳で青空を見る


 さっきまで、笑い合いながら過ごしていたのに、俺と千晴ちゃんを取り巻く空気は重苦しい。

 部屋の中の小さなテーブルに向かい合って、互いに何も話せないまま数分を過ごした。

 その空気を、先に壊したのは、千晴ちゃんだった。


「やっぱり、小毬ちゃんとのほうが、自然なんだろうね……」


 俯きながら、独り言のように小さな声で告げる。

 聞こえて欲しいのか、聞こえない方がよかったのか、俺には分からず、ただ胸に痛みを感じながら彼女の顔を見つめ続けた。

 俺の視線を感じてなのか、俺の顔を見たかったのか。彼女はゆっくりと顔を上げて、非道く傷ついた表情で笑った。

 笑顔って、こんなに痛々しいものだったっけ?

「……なにも言わないの?」

「なにも、って……」

 なにを言えばいい? 小毬はそんなんじゃないから大丈夫だとか? 美紅の誤解だから気にするなとか?

「やっぱり、小毬ちゃんが好きなの?」

「ちが、う」

 好きとかそんなんじゃない。

「小毬は……家族みたいな関係で」

「でも、家族じゃないでしょ? そんなの、お互い分かっているんでしょ? 家族じゃないのに家族以上に一緒にいるのは、好きだからでしょ?」

 何で、急にそんなことを言われなくちゃいけないんだろう。

 そんな思いに、イライラして、「違う」と冷たい言葉が出る。

 俺の返事が気に入らなかったのか、目の前でムットした顔を作る彼女を見て、ふと罪悪感を抱く。

 こんなの、まるで、嫉妬じゃないか。

 嫉妬なんてされるはず無いのに何でそんなことを思わないといけないんだろう。思ってしまうんだろう。なんで、そんな顔をするんだよ。

「別に……小毬ちゃんが傍にいるのは、分かってたし……いいよ。だけど」

 ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 彼女の声に、焦りを感じた。

「だけど……私と、付き合ってくれているんだよね……?」


 疑問が確信に変わる。

 だけど新たな疑問が浮かぶ。



 彼女は蓮のことを好きなはずで。俺のことなんか好きじゃなかったはず。俺も同じで、千晴ちゃんを好きな訳じゃなかった。それは暗黙の了解で、お互いの目的のために傍にいたはず。

 だけど。

 ここにいるのは、“俺の彼女”だ。

 彼女は俺を見てくれている。蓮の事はもういいのか分からないけれど、今は俺を見ている。

 じゃあ俺は?

 真っ直ぐな瞳に、心が騒ぐ。

「付き合ってる……だけど」

 声が震える。

 自分がなにを言おうとしているか、自分でもよく分からない。



「だけど、俺らは……お互い好きじゃないだろ?」



「……は?」

 俯きながら言ったから、彼女がどんな顔をしているのかはわからなかった。

 いや、見るのが怖かったんだ。

「ほら、だって。千晴ちゃんも俺のこと好きじゃないだろ?」

 重苦しくなるのはしんどいし、こんな話さっさと終わらせてしまいたい。喧嘩なんて冗談じゃない。俺らの関係にこんな喧嘩はおかしい。

 真実がどうであれ、俺らの関係は始めから決まっていた。お互いそれを納得した上で、知らないふりをしていただけ。

 ぐっと拳を作って、気合いを入れてから顔を上げる。


「千晴ちゃんの好きなやつって、蓮だろ?」


 言葉を失った千晴ちゃんの表情は、初めて見る彼女の表情だった。

「いや、それを責めているとかそんなんじゃないし、だからって小毬の事は関係ないんだけど」

 不安に感じさせないように明るい口調を心がけながら、言葉を吐き出していく。正直自分がなにを口にしているかはよくわからなかった。

「俺もそれをわかってて付き合ったし、別に利用されてもいいと思ってたし。だから、ここで小毬は関係ないし。とりあえず、美紅のことは気にせず――」

「……な、なんでそんな」

「なんでって」

 俺の言葉を遮って、呆然とした表情で俺を見る千晴ちゃんに歪な笑顔を見せた。

 なんでって、何が。

 だってそうじゃないか。そんなんだろ? むしろそうであってほしいんだ。

「蒼太くんは……私となんで付き合っているの?」

 ――都合がいいから。

 そんな本音を口にしてしまいそうになって、思わず唇を固く閉じた。

「なんでって、そりゃ……」

「蒼太くんも、小毬ちゃんが好きなんでしょ? 私だって、そんなのわかってた。わかってたけど、付き合わないのは、付き合えないのは、なんか事情があるんだろ、思ってた」

「ないよ、そんなの……そもそも、好きとか、そんなんじゃない……」

「じゃあ、何?」

 じゃあ、何って……だから、小毬は、俺にとって家族みたいなもので。それ以上でもそれ以下でもなくて。

「蓮くんも、関係しているんでしょ。だから、私たちが付き合ってすぐに、二人も付き合ったんでしょ」

 二人の屋上での涙が、脳裏によみがえる。

 初めて見た蓮の涙。小毬の泣きじゃくる顔。そして、蓮に言われた……言葉。

「――なんでもいいだろ」

 食いつく彼女のセリフに、小毬の屋上で見た泣き顔と、責めるような瞳を思い出して力のこもった声を出した。それに、千晴ちゃんが一瞬びくりと体を震えさせて、はっとしたけれど手遅れで。二人の間にまた、思い沈黙が降りる。

「……あ、えと」

「私が、蒼太くんを、責められる立場じゃないのは……わかってる」

 震える彼女の声が、俺の部屋に響く。

「蒼太くんが、小毬ちゃんを大事にしているのも、わかってた。だけど、好きだと……告げた気持ち全てを、信じてくれてないとは、思っていなかった……」

 ぽろり、と涙がこぼれて、千晴ちゃんは手のひらで軽くすくう。

「付き合ってくれたことで、蒼太くんも……私を見てくれているんだろと、そうしようと思ってくれているんだと、思ってた」

 だって。

 そんなのおかしいだろ。好きじゃないのを知っているんだから。俺は、蓮に近づくために利用されただけだろ? 俺は俺で……。

 俺は、なんのために?

 千晴ちゃんの事が好きだった? 好きじゃなかった。だけど可愛いと思っていた。だけど、好きになろうとは、しなかった。

 彼女の言葉に、体が小刻みに震える。

 見たくないものを見せられる。気づきたくないことに気づかされる。逃げたいのに、逃げられなくなる。

「今、私が好きなのは――……」

「違う!」

 彼女が言いかけた言葉を遮って慌てて声を出した。

 頼むから。口にしないで。



「千晴ちゃんが好きなのは、蓮なんだ。それでいいんだ。そのままでいいんだ」



 それ以上は望んでない。

 その言葉はさすがに口にしなかったけれど、必死に、半笑いで告げる俺は、なんて……なんて無様なんだろうかと、自分で思った。


 そして、なんて非道い、最低なやつなんだろうと、思った。

 彼女の瞳も、くすんで見えた。



「おにい、ちゃん?」

 ひとり取り残された部屋の中で、ふたつのコップが並べられているテーブルを見つめていると、美紅が恐る恐るといった風に俺の部屋を開けて声を掛ける。

「……どうした?」

 多分、俺のことを心配してくれたんだろう。

 気を使った表情には、申し訳ないと思う気持ちも込められているような気がする。もしかしたら、泣きながら帰った千晴ちゃんを見てしまったのかも知れない。


 あのまま、無言で俺の部屋を後にした千晴ちゃんに、俺はなにもできなかった。何か出来る資格もなかった。一時間以上が経ったから、もう家には着いているだろうか。窓の外はもう真っ暗で、無事に帰ったかと確認したい気持ちもあるけれど、そんなメールもできやしない。

 ただこうして、ひたすら時間が流れるのを待つことしか出来ない。

 なにも出来ないから、何か出来るようになるまで、ただ待つしかない。


「あの……さっきの、お姉ちゃん……」

「大丈夫だよ。美紅はなにも心配しなくていいよ」

 美紅を元気づけようと微笑んでみせたけれど、美赤の表情は変わらなかった。いや、寧ろ、さっき以上に苦しそうな顔になって視線を地に落とした。

「ごめんなさい……」

「美紅が謝るようなことなんてなにもないよ」

 俯く美紅を引き寄せて、膝の上にのせながら呟いた。

 謝らなくていいよ。

 確かにちょっと辛かったけれど、美紅がそんな風に思ってしまうことのほうが、辛いから。

 美紅は何も言わずに、自分の手元を見つめたまま力を込める。手には、その力でほんの少しシワが入ってしまった紙があった。

「これ、なに?」

「手紙……小毬ちゃんに……」

「……明日、渡すよ」

 小毬の名前に、今日の雰囲気でどうしようかと不安を感じたけれど、美紅に悟られないように手を差し伸べると、ゆっくりとそれを俺に渡した。

 手を離すまで時間が掛かったのは……もしかして渡そうかどうしようか悩んでいるんだろうか。

 なんでそんなことになっているのか分からない。さっき、俺に小毬と付き合っているとかそう言っていた事と関係しているのかも知れない。

「お兄ちゃん、彼女が出来たから、あんまり……家にいないの?」

「え?」

「前は……もうちょっと家にいて、一緒に勉強してくれたのに……」

 美紅がこんな事を言うのは初めて戸惑いつつ、そんなに家にいないだろうかと思い出してみる。

 確かにちょっと……帰りは遅くなったかも知れないけど、晩ご飯までには大体帰ってきているし、美紅を迎えに行った日はいつも傍にいる。そんな極端に減ったとか、そんなことはないと思うんだけど……。

「そんなつもりはなかったんだけど、そう感じさせてしまってたんだな。ごめんな」

 だけど、俺のことでそんな風に思ってくれている事がどこかうれしくて、ほっとする。

 だけど、そんな俺を見て、美紅はふるふると首を振った。

 いいたことはそうじゃないんだと、そう言いたげに。

「小毬ちゃんだったら、我慢しなきゃって思ったの」

「……小毬……?」

 そういえば、小毬が、俺と付き合ってるって言ったんだっけ。

 理由も目的もわからないけれど、何かがあったのかもしれない。もしかしたら、美紅が小毬の言った言葉を違った風に捉えているのかもしれない。

「いつも一緒にいるから、付き合ってるんだよって友達が言ったの。お兄ちゃんに、もしもみんなの言う”彼女”ができたら、美紅は……いらなくなっちゃうのかとおもって、怖かったの」

「な、にを。そんなわけ、ないだろ?」

 彼女ができたって美紅より大事なはずがないだろ。



「美紅は、お兄ちゃんの妹じゃないから」



 時間が、止まったんじゃないかと、思った。

 いや、間違いなく妹なんだ。ただ、母親が違うだけ。だけど――……。

「なに、を……」

「美紅はお母さんの子じゃないから。そうなんでしょう? だったら、お兄ちゃんも、妹じゃない美紅のそばには、いてくれないんでしょう?」

 瞳がゆらゆらと揺れる。涙がじわじわとたまって行く。

 気づいていたとは思わなかった。間違ってはいるけれど、間違っていないわけでもない。

 幼い美紅の中にはちゃんと、母さんの言葉は刻まれていた。

 俺の口から、真実を告げられるのを待っているかのような美紅に、何を言えばいい? 言える事なんて何もないのに。

 

「何言ってるんだよ、美紅。美紅は、俺の妹だよ。父さんと、母さんの子供で。俺の妹だよ」

 

 嘘は混じっている。だけど全部じゃない。

 真実だけなんて――そんなこと言える訳がない。詳細なんかまだ、いや、ずっと知らなくていいんだ。知っても何の意味もない。

 俺は誓ったんだから。

 美紅が笑っていられるために、笑顔でいようと決めたんだ。そして、この真実は伝えないって。泣いて苦しむ美紅を、見たくないから。

 だけど。



「嘘つき――」



 俺の言葉をかたくなに拒む、強い瞳が俺を捉えた。

 涙を、いっぱいにためて。

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