45偽物のそれはつぎはぎだらけ
よく晴れた空を見上げながら、俺は売店で買ったパンを手にして渡り廊下を歩き、屋上に向かった。
今日は……誰がいるだろう。蓮と小毬はいるだろう。だけど、楓はどうしているだろうか。智郎も、楓も……もうこないのかな。
仕方ないかも知れないけど、きてくれたらいいのにな、と思う。
俺からそんなことは言えないし、言ったところで悪化しそうだと何となく感じるから、俺は待つことしかできないけど。
過ごしやすくなってきたのに。屋上で、今が一番過ごしやすい時期なのに。
みんな何かしら悩んでいても、屋上に来て笑っていれば楽しく過ごせるはずなのに。みんなそれを望んでいたと、そう思っていた。なのにどうして、ふたりともこないんだろう。
はーっとため息をこぼしながら階段を上ろうとすると、すぐそばにあった就職掲示板が目についた。滅多にいないらしいけれど、進学ではなく就職希望の奴らは、そろそろ探し出さなきゃいけない時期なんだろうか。それとも三年生に向けたものなのか。
そろそろ進路についても真剣に考えなくちゃいけないんだな。
進路決めたのか、と担任が言っていたセリフを思い出す。そういえばそろそろ個人面談だっけ。めんどくさいったらねえな。
こんな風にふらふら遊べるのも今だけかー。三年になればもう受験一色だろう。予備校に通ってる奴らはもうそんなムードだ。
これと言ってしたいこともないし……今の成績なら、とりあえずどこかには合格できるだろ。
三年になればきっと今以上に屋上に集まることはないんだろうな。智郎はきっと受験に向けて今以上に勉強に力を入れるだろうし、小毬も小毬で希望の大学のために行くためにがんばるだろう。蓮は……変わらないかもしれないけれど。俺もそれなりにやらなくちゃいけないだろうし。
一学期、くらいか。二学期はさすがにそんな暇はないだろうし。三学期なんてあってないようなものだ。
来年の今頃、どうなっているのかと考えるだけで憂鬱な気持ちになる。
「めんどくっせーなー……」
元々俺はアレコレ考えるのが得意じゃないんだよな。目先のことだけで……手いっぱいだ。
あーあ、とため息のようなものを漏らしながら屋上の扉に手をかけたとき、外から声が聞こえた。内容までは聞き取れないけれど、男女の声が聞こえる。
……蓮と、小毬?
その2人以外に思い出せず、深く気にする事もなく「よ!」と言葉をかけながら勢いよくあける。
――と、同時に。驚いた顔の2人が一斉に俺を見た。
それは、別にどうだっていい。そんなことどうでもいい。
だけど。
「何……泣いてんだよ、小毬」
小毬の大きな瞳から、溢れてしまっている涙は、少し離れた俺の位置からでもよく見えた。蓮と向かい合って、泣いている小毬。
その涙を、俺の言葉にハッとして慌てて拭う小毬の傍に、すかさず近づいた。
小毬の目の前にいる蓮は、何も言わずにただ、俺から目をそらすだけ。
――何、やってんだよ。
何で泣いてて、なんで蓮は何も言わないんだよ。
「な、なんでもな」
「何でもないわけないだろ!? 何泣いてんだよ! 蓮に何されたんだよ!」
「ちが、蓮は、悪くないの!」
近づいて小毬の涙を強引に拭った。
泣くな。お前も泣くな。大事なやつが泣いているのは見たくないんだ!
「蓮、お前何したんだよ! お前だろ? 小毬が泣いているのはお前のせいなんだろ!?」
二人の間に割ってはいり、蓮の顔を正面から見つめた。それでも、蓮は俺と目を合わさないで、バツが悪そうな顔をするだけ。
眉間に皺を寄せて、唇を噛んでいる。……お前が何でそんな顔をしているのか、そんなの今はどうでもいい。小毬は、何で泣いているんだよ。
「ちが、ちがうの! 蒼太、蓮は悪くないの! 私が……」
「なんなんだよ。じゃあ何があったのか話せよ!」
蓮を睨む俺の腕にがっしりとしがみついてくる小毬にまで苛立ちを感じ始める。
小毬のことは充分知っている。悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのか。蓮の表情だって見ればすぐに分かる。蓮が原因だってことくらい、誰だって分かる。
なのに――何かばってんだよ!
「……あ、え、と」
しどろもどろになる小毬を見下ろしながら、ムクムクと俺の中で怒りが大きくなっていく。
――小毬は、俺に隠し事なんて今までなかった。
いつも、いつだって、素直で。だからこそ今も、上手く嘘がつけないんだろう。そこまでして、蓮を守りたいのかよ。
何に怒っているのかわからないけれど、苛立ちだけが募る。
怒鳴り散らしたい気持ちを必死に耐えながら、蓮をにらんだ。その後ろで小毬は俺の服を掴みながら「違うの」と、それだけを繰り返す。
「もう、いいよ、小毬」
見つめ続ける俺の目をちらりと見てから、蓮が諦めたような声で言葉を発した。
「ダメ……ダメ。違う。蓮が悪いんじゃないの。私も悪いの!」
「違う、俺が、小毬を騙して、誘い込んだんだ」
なんの会話をしているのか。さっぱり分からなくて、二人を交互に見つめた。焦った表情の小毬に、何もかもを諦めたような蓮。
「俺が泣かせた」
「――蓮!」
二人の会話に、どこか置いて行かれたような気持ちを抱いて、呆然と二人の会話に耳を傾ける。
聞いていいのかとすら、思う自分がいる。もしかして――聞いてはいけないことなんじゃないだろうか、と。妙に高鳴る心臓を、無意識の間に服の上からぐっと握りしめる。
「俺が、お前の傍にいるために、小毬と付き合ったから」
その言葉と同時に、蓮の傍に近づいて必死に止めようとしていた小毬が、頭を下げて、ぽたぽたと涙を地に落とす。
「……は?」
意味が、よく分からない。
呆然と立ち尽くす俺を通り過ぎて、小毬が蓮のそばにかけよった。
「やめて、違う、違うよ」
そういって蓮の腕にしがみつく。
けれど蓮は、小毬を見て、優しい微笑みを見せてから「もういいんだよ、小毬」そうはっきりと口にすると、小毬が小さな声で「もういいの、私はいいの、違うの」と何度も繰り返しながらどこか諦めたようにうなだれる。
蓮の腕を握りしめながら。
小毬を見ていた蓮が顔を上げて俺をまっすぐに見つめる。
視線がぶつかると、なぜか緊張が走った。
「俺は、お前のことが好きだったんだよ」
泣きそうな顔をした蓮が、太陽の光を浴びて、キラキラと光って見える。……何を言っているのか、理解が出来ない頭で、ただ、綺麗だなと思った。
「やめて……やめ……」
「ずっと、好きだった。だから――お前のそばにいるために、いつもそばにいる小毬を利用した」
何を言ってる? 俺を、好きってどういうことだ?
ただ、その言葉よりも、後半の“小毬を利用した”というセリフが胸に残った。小毬を、利用したってどういうことだ。小毬を利用したところで……。そんなの、別に何ら関係がないのに。
何も言葉を発することが出来ない。理解出来ない。そしてどこかで、怒りを感じている。
蓮にしがみつく小毬が、恐る恐る俺に視線を向ける。大きな瞳は相変わらず涙でいっぱいになっていて、頬を何度も伝っていく。
俺を真っ直ぐに見つめるその瞳から、俺は逃げるように目を伏せた。
――フタをしろ。気づかないように。固く閉じなくちゃいけない。
「蒼太」
「……なに、を」
蓮が俺を呼ぶ。ドクドクと、胸が大きくなって、立っているのも辛いくらいに体が揺れているような気がした。
「俺は――蒼太が」
「やめろよ」
聞きたくない。耳を塞ぐ代わりに、蓮の言葉を遮り顔を上げた。
今まで、いつも蓮は堂々としていた。何物にも流されないかのように、自分を持っていた。そう、思っていた。
けれど、今、俺の目の前にいる蓮は、今すぐにでも壊れてしまいそうだ。
小毬が泣いている。
蓮が苦しんでいる。
――だから。
「……何いってんだよ」
ふ、と息を吐き出してから、俺は、笑った。
「俺だって蓮も小毬も大事に思ってるよ。何があったか知らないけど、冗談やめようぜ。っていうか、俺が勝手に二人の問題に口出したのか」
小毬も、蓮も、俺を見ているのが分かっていた。けれどそれを見ないように笑って誤魔化しながら必死で笑った。
「仲よくしろよ。つい口出して悪いな、話こじらせたな、俺が。まあ喧嘩くらいするよな付き合ってるんだし――」
「俺は、小毬なんか好きじゃない」
背を向けて、この話を終わらせようとした。それを、止めたのは蓮。
「……何……言って」
「小毬なんか好きじゃなかった。これっぽっちも好きじゃなかった。使っただけ。小毬が泣こうと俺には関係ない」
「――やめろよ!」
振り返った蓮は、俺の知っている蓮だった。俺を真っ直ぐに見つめ、ただ、強く真っ直ぐにそこにいた。
「……冗談にしても、さすがに小毬が泣くぞ」
声が、震えているんじゃないかと思いながら、必死に言葉を紡いだ。
頼むから、小毬を傷つけるな。蓮は――小毬を大事にしてる。そう、俺は信じていたんだから。小毬を泣かさないでくれ。そう祈る気持ちで、歪な笑顔を作りながら口にした。
今更、こんな笑顔で、こんなセリフで、何事もなかったかのように治まるとは思えないけれど、そうしなくちゃ。そうでなくちゃいけない。
このままだったら、全て壊れてしまうだろ。どうにか今を取り繕えば――きっと、昨日と同じように、俺らはここで、笑い合えるはずだ。
「な?」
固まったように俺を見続ける蓮と小毬に、へらっと笑ってみせる。
お願いだから、頼むから。もうこれでこの話は終わらせよう。
そう祈る俺を見て、蓮は少し言葉を失ったような表情をしてから、目を伏せて「ふっ」と笑いをこぼした。
ああ、よかった。笑った。
そう思った、のに。
「お前は」
蓮の震える声が、一瞬静かになった屋上に響いた。
「お前は、こんなときでも、笑うのかよ」
顔を上げた蓮の瞳から、一滴の涙が落ちて、流れた。
初めて見る蓮の涙。
「最低だな」
そして、そう最後に告げてから、俺を通り過ぎて屋上を後にする。近づいてきた蓮に、びくりと体が反応をしたけれど、蓮はそんなこと気にもしないで、俺の事を見もしないでドアに向かって歩き、そして、消えた。
その姿を、俺はただ見続けていた。何も言うことなんか出来るはずがない。だって、蓮が泣いた。
俺が? 俺が蓮を、泣かせた?
屋上に取り残されたのは、俺と、未だ涙を流し続ける、小毬の二人だけ。
「こま……」
「……蓮の言葉で、泣いているわけじゃないの」
ゆっくりと小毬に近づいて、とりあえず何とかしなくちゃ、と声を掛けた途端、小毬が地を見つめたまま呟く。
蓮の言葉に、傷ついたんだ、そう思っていた俺に、その言葉が突き刺さるような痛みを与えた。
「蓮の気持ちを考えたら、苦しくて、止まらないの」
「……なにが……」
「あの言葉が蓮の本心じゃないことくらい分かってる。蓮の気持ちを、今、私が一番分かってる」
じゃあ、何でそんなに泣いているんだよ。
顔を上げた小毬は、涙をこぼしながらも強い瞳で俺を見ていた。蓮のような瞳で。
「何であんな風に言ったの。何でちゃんと受け止めないの。蒼太はいつもそうやって、逃げる。何も言わずに勝手に。何で笑ったの。何であんなことを。どうして!」
「こま……」
とりあえず、泣き止んでくれ。頼むから。笑ってくれよいつものように。
どうしたらいいのか俺が聞きたい。だから、と伸ばした手から逃げるように小毬は一歩俺から離れた。
――そして……そのまま蓮の姿を追いかけ屋上から姿を消した。
意味が分からない。何で……何が悪かったんだ。だっておかしい。蓮が俺を好きなんて、そんなことあるはずない。
だって小毬と蓮は付き合ってるじゃないか。そうだろ。そのはずだ。そうでなくても、俺は男で、蓮も男なんだ。
何があったか知らないけど……なんで、俺が。あんな急に言われたって信じられるはずがないだろ。逃げてるわけじゃない。だけど、笑ってやり過ごせばいいじゃないか。何を言えば良かったんだよ。本気にして、断れば良かったのか?
そんなコトしたって、どうしようもないじゃないか。どっちにしても意味がないだろ。
――だったら、何もないかように、過ごせばいいじゃないか!
「……なんなんだよ……」
何で揉めたがるんだよ。俺がこんなに回避しようとしているのに。悪化しないようにしているのに。何をさせたいんだよ。
「わかんねえよ」
ぎゅっと唇を固く結んで、何故だか溢れそうになる涙を必死に堪える。何を、泣くことがある。泣く必要なんてなにもないはずだ。
誰もいなくなった屋上で、俺はガシャンとフェンスにもたれ掛かって空を仰いだ。
――大丈夫。大丈夫。
笑っていたら何とかなるんだから。なんとかなってきた。みんな笑える日がくるんだから、大丈夫だ。
――『笑うなよ』
そう、智郎が言った。
――『最低だな』
そう言って、蓮が泣いた。
……俺は、みんなに笑って欲しいだけなのに。それだけなのに。
涙がこぼれないように瞼を閉じると、小毬の泣き顔が浮かんだ。