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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅵ水色の雨
42/53

42見えない青空を求めて



 いつも泣いていたのかも知れない。

 俺は見えない涙を流し続けていたのかも知れない。


 だけど見えなければそれでいいと、そう思っていた。

 笑っていればいいと、思っていた。

 そうすればなんとかなるのだと信じて疑わなかった。


 そう、信じたかっただけだったのかな。



.

..

 。





   Ⅵ水色の雨




 。.。。O。・.。*。.。。O。・.。*。.。。O。・.。*。.。





.

..

 。




 ぽつり、と地面に何かが落ちて、小さなシミを作った。

「雨、か」

 空を見上げて呟いて、そのまま雨が落ちてくる様子を眺める。

 青いはずだった空はいつの間にか青みがかった灰色になっていて、すぐ近くに雲があるような気がした。

 しとしとと降り出した雨を見つめているとポケットで携帯が小刻みに震える。取り出すと、そこには千晴ちゃんからのメールが一件、表示されていた。


 最近、このケータイを鳴らすのは千晴ちゃんばっかりだ。

 彼女なんだから何もおかしい事はないのはわかっている。

 だけど、小毬からのメールが全くと言っていいほどないことに、違和感を拭えない。

 今までは美紅のことや学校のこと、くだらないことまでもメールを送ってきて、それに俺が返事をしないことに怒られるくらいだったのに。


 蓮と付き合いだしてからも……何も変わらなかった。

 そう思っていたし、前は実際にそうだった。

 それがここ最近特に様子がおかしい。

 メールもないし一緒に帰る事もなくなった。お昼に一緒に屋上で食べるだけ。それも……ここ最近は元気がないように見える。

「声、かけてみるか」

 ちょうど明日は美紅を迎えに行く日だ。

 千晴ちゃんと行くと美紅も緊張するだろうからさすがに誘うことはできない。

 それに小毬と行ったほうが美紅は喜ぶだろーしなあ。


 そう決めてぐいっと背を伸ばしてから正面を見つめた。

 目の前には、屋上。いつもよりも広く感じるのは、なんでなんだろう。


 ……多分、みんながいないからだ。


 智郎はもう、ここには来なくなった。

 俺の何かが気に触ったんだろう。

 何が悪かったのかわからない状態で、謝るのも違う気がして何も言えないままだ。たまに廊下で見かけることがある。声を掛けたいけど、それで智郎が嫌な気持ちになるんなら、俺はしないほうがいいと思って、声すら聞いてない。

 きっといつか、智郎から来てくれるはずだ。

 そう、信じてる。


 そして最近は、楓もあまり屋上に来なくなった。

 ……ちょうど一週間くらい前からだっけ。

 智郎と仲がよかったから、気にしてるのかもな。あれから楓も元気がなかったし。明確な理由はわかんねーけど、楓のことだから、またいつか、ひょっこり顔を出すだろう。

 それに、蓮と小毬がいる。

  付き合った二人は、多分仲よくやっていけるはずだ。

 俺が大事に思うふたりだから。

 それでも、二人もいつか俺から離れていくんだろう。それも仕方ない。だけど、どこかでつながっていけるだろう。どこかで笑っているだろう。

 蓮と親友だし。

 小毬とは幼なじみだし。

 ……その為に俺は、千晴ちゃんと付き合ったんだから。


 本格的に降り出しそうな雨に、そろそろ行くか、と屋上をあとにした。


 今日は千晴ちゃんと……なにするんだったっけ?

 約束した事は覚えているけれど、内容はさっぱり思い出せないことに、最低だな、と思った。

 それも仕方ない。

 お互い様な俺らは、こうして一緒にいる方がいいんだろう。

 千晴ちゃんも、きっとそう思っている。



 昔から、友達関係に悩むことはなかった。

 男も女も、クラスメイトはみんな友達だと思っていた。

 友達とケンカすることはあったけど、それが尾を引くこともなかったような気がする。本気で怒って、“あいつなんか絶好だ!”なんて思ったことも会ったけど、次の日にはころっと忘れて一緒に遊んでいたっけな。

 一日の中で、笑っている時間は多かったと、思う。

 クラスの中でも、外でも、俺にはたくさんの友達がいたし、何よりも毎日楽しかった。学校に行くのは大好きだったし、学校が終わって遊ぶ時間はもっと大好きだった。


「蒼太また先生困らせたでしょ?」

「そんなことしてねーし」

 一緒に帰るとき、小毬は毎日そう言って、俺は毎日笑っていた。

 家に帰れば母さんがいて、泥だらけの俺を見て困ったように笑う。

 夜遅くに父さんが帰ってきて、俺の武勇伝に笑う。

 そんな毎日が、ずっと続くんだと信じて疑わなかった。


 ——…… ・



「……たくん? 蒼太くん?」

「あ、え?」

 隣からの呼びかけにハッとして顔を上げると、千晴ちゃんが俺を見て首を傾げる。

 長いサラサラの髪の毛を耳にかけ直しながら「どうしたの?」と言った。

「ごめん、ぼーっとしてた」

 はは、と笑うと、千晴ちゃんは釣られるように微笑んだ。


 その笑顔を見て、純粋にただ、かわいいなと思う気持ちに、前も今も嘘はない。心の底から思っている。

 電車で見かけた彼女に、目を奪われたのは事実だ。

 千晴ちゃんはかわいい。その気持ちに嘘はない。けれど……それが恋愛感情ではないことは、分かっていた。

 誰にも口にはしなかったけれど、これはただ、かわいいと、そう思うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。猫や犬を見て“かわいい”って思うのと一緒だ。


 だけど、俺は恋をするかのように『わかいい』と言い続けた。みんなの前で何度も何度もそう告げた。小毬にも。そう思って欲しかったから。俺は千晴ちゃんが好きなんだ、と。自己暗示も込めて。


 ——『いつまで小毬と今の状態でいるの?』

 楓に言われたセリフに、俺はその通りだと思っただけ。

 そんなときに千晴ちゃんと付き合う事になっただけ。

 あの言葉があってもなくても、俺は千晴ちゃんと付き合っただろう。千晴ちゃんから付き合おうと言われた俺に、断る理由なんて何もない。いろんな事が都合よかった。彼女にとって俺が都合がよかった、というのも理解した上で、決めた。

 今のままでいるわけにはいかないことは分かっていたから。

 その後に蓮と小毬が付き合ったのは驚いたけど、それもそれでよかったと心から思っている。

 俺は、自分のことをこれっぽっちも信じてないから。


「そういえば、蒼太くん、この前貸してくれたバンドのCDすっごいよかった」

「あ、ほんと? よかったー」

 そんな始まりだった。

 だけど……隣で千晴ちゃんが笑いかけてくれるこの時間は、付き合い始めた頃よりもずっと、愛しく思っている。

 そんなふうに、ごまかしてでも、つくり上げることができたらいいなと思う。

 同時に、自分への不安が、大きくなるも感じる。



 今思い出しても、あの頃のことを俺はよく覚えてない。

 それだけまわりのことを見ていなかったのか、なんなのかわからない。

 何も考えずにただ、毎日笑っていたんだろう。

 幸せとか不幸とか、そんなこと考えることもなく。ただ毎日過ごしていたんだろう。


「蒼太、お母さんはちょっと実家に帰ったんだ」

 そう父さんが告げたのはいつのころだっけ? 小学四年の頃だったかな。

 遊んで帰ってくると、家には、誰もいなかった。

 いつもは母さんが家にいるのに。不思議に思っていると早く帰ってきた父さんが言いにくそうに俺に告げた。

 体調が悪いから、田舎に帰ってちょっと休むんだと。

 俺はその言葉をそのまま受け止めて、父の作る美味しくないご飯も文句を言わずに食べ続けた。

 見舞いに行かなくていいの? と聞けば父さんは時期が来たらふたりで行こう、と言うだけだった。そして、それ以上は何も言わなかった。

 いや、言えなかった、のほうが正しい。

 不安に感じた俺を、笑って大丈夫だと繰り返していた父さんは、今思い出すと非道く疲れた顔をしていた気がする。


 今思えば、の話だ。実際にどうだったのかは分からない。

 不安が微塵もないわけではけっしてなかったけれど、時々母さんと電話をしていろんな話をしていたから、俺はまだ笑って待つ事ができた。

 母さんは俺が元気に話せば笑ってくれていたし、ちょっと休めばいいんだと、信じていた。


 父さんがいつの間に母さんの実家に行ったのかは知らない。

 ただ、突然、ある日、母さんは帰ってきた。

 小さな赤ん坊を連れて父さんと一緒に、俺を出迎えてくれた。

 母さんが家を出て、丁度一年くらい経った頃だったと思う。

 だから俺は、母さんの体が悪かったのは赤ちゃんがいたからなんだ、と納得して可愛い妹の手を何度も握りしめて笑っていたんだ。

「美紅、て言うんだよ」

「美紅かー」

 小さなベッドで小さな体をすっぽりと納めた妹の姿。

 俺が声を掛けると、美紅は心なし嬉しそうに思えた。

 お兄ちゃんという自分の立場も嬉しく思った。守ってあげなくちゃいけないんだ、と、そう思っていた。


 あの時、俺がもっといろんな事に気付けていればよかったのにと思うことがある。

 美紅を傷つけることはなかった。母さんも父さんも、もっと笑っていてくれたかも知れない。俺ももっと……素直に行動できていたに違いない。

 でも、だからこそ気づけたものと手に入れたものがある。

 俺は一つ学んだんだと思うしかない。

 だからこそ、今、できることはすべて、しなくちゃいけない。してあげたいんだ。



「ただいま」

「あ! おかえりー!」

 疲れを感じながら家に足を踏み入れると、美紅の明るい声が聞こえた。その声にほんの少し気分が和らぐ。

 ぱたぱたとリビングから笑顔で走り寄ってくる美紅を見ると、自然に微笑みがこぼれた。

 「転ぶなよ」と声を掛けてから、近づいた美紅をひょいっと持ち上げる。

 嬉しそうな美紅の笑顔。

 ほら、やっぱり笑顔はいい。一番いい。それがあるから、俺は笑えるし、その為に笑うんだ。

 この小さな妹を、大事にするために。

 端から見たらシスコンだ、と智郎に以前心配されたことを思い出した。

 ……正直言うと、自覚してるくらいシスコンだと思う。

「お帰り」

 美紅を抱いたままリビングに入ると、父さんがノートPCを広げて仕事をしていた。

 父さんが迎えに行った日はいつもこうだ。恐らく仕事があっても美紅の為に切り上げ、その分自宅でやっているんだろう。会社から携帯に電話が掛かってくることもしょっちゅうだ。

「母さんまだ?」

「今日は残業だってメールがあったよ。出前でも取ってって。お前何食べたい?」

 机の上に広げられた出前のチラシを指さしながら、キーボードをカチカチとならす。

 美紅を下ろして、俺もそのまま床に座ってチラシを捲っていく。

 ピザに寿司に、うどんや中華。どれもイマイチだな……。

 隣では、今まで宿題をしていたのだろう、美紅がノートを片付けていた。

「美紅はどれがいい?」

「お兄ちゃんは?」

 質問を質問で返すのは俺のクセがうつったんだろうか。クスッと笑うと美紅は首を傾げる。

「俺は全部かな。美紅が選んでくれないと、食べきれない量のご飯が届くから、美紅選んで?」

 それとも、美紅のクセだろうか。

 美紅はいつも、俺が聞いてからじゃないと自分の意見を口にしない。

 アレが欲しい、コレが欲しい、なんて言葉は今まで聞いたことはほどんどない。


 家の中ではなおさら。


「じゃあ……お寿司」

「じゃ、そうするか。食べたいのあるか? 父さんは?」

 躊躇いながら答えた美紅の頭に手をのせて、チラシの中から寿司の出前だけを取りだして広げた。


 父さんの四人前頼んだらどうだ? という一声で、俺と美紅が選んで電話をかけると一時間ほどで豪華な寿司が並べられた。

 喜ぶ美紅に、俺と父さんは同じような笑みを向けていただろう。


 ——本当に、良かった。

 美紅が笑っていてくれるなら、それだけでいいんだ。

 もう、全てに気を使わせるようなことをさせたくない。幼いながらに、俺らの顔色をうかがうような真似をさせたくない。

 今でも、それが全てなくなったとは言えない。

 俺や父さんにはともかく……母さんには、まだ……。いや、母さん自身が。

 それでも、いつか。


「ただいま」

 玄関から母さんの疲れた声が響いて、俺と美紅は腰を上げて出迎えた。

「おかえり」

「ただいま。ご飯食べた?」

「ああ、お寿司とったよ。母さんも食べる?」

 そう口にして、はっと気がついたけれどもう手遅れ。母は呆れ気味に笑って、「生魚好きじゃないって忘れたの?」と言った。

 その母の返事に、足もとにいた美紅が俺の服の裾をきゅっと握りしめる。

 俺も父さんも、寿司は好きだ。だから——気にすることはない。そう言いたげに美紅に微笑むと、それでも美紅は申し訳なさそうな顔をするだけだった。


「もう九時過ぎじゃない。美紅お風呂入った? そろそろ寝なさいよ」

「はい」

 振り返った母は、いたって普通の母親だ。

 俺と同じように美紅にも接しているのはは分かる。美紅の年ならそろそろ寝ないといけないだろう。俺だって小学生の時は早めに寝ていたのだから。

 だけど、美紅には、そう受け取れないんだ。

 足もとを見つめながら、弱々しい返事をするだけ。

 俺の服を握りしめながら。



 それを——母さんも分かっている。分かっているから……ふたりは。

 母さんは美紅の顔を見て、ぐっと何かを堪えるような表情をしてから素早く目を逸らした。

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