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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅴ黄色の雷
40/53

40落ちる雷に壊れる


.

..

 。





「あれ? 楓、学校に来てたの?」

 屋上で空を見つめていると、あたしの気分に相応しくないほどの明るい声が聞こえてゆっくりとドアを見た。

 お弁当を抱えた小毬と、パンを手にした蓮。その後ろには蒼太。

 今日は三人そろってやってきたのか。

 仲がいいね。そんな嫌味を口にしそうになって、思わず視線を逸らした。

 三人に見えないように苦笑を漏らして、「おはよ」と返事をする。

 いつも通りに輪になってご飯を食べ始める姿を眺めながら、自分の居場所を探すように会話に耳を傾けた。


「楓なにも食べないの?」

「うん……食欲ないの」

 美味しそうにお弁当を食べながら話しかける小毬に、適当に返した。

 空腹を感じてはいるのだけれど、今はなにを食べたって、きっとまずい。それなら食べない方がマシだ。

 売店で買ったお茶を飲みながら、ただひたすらこの時間が早く終われと願った。

 だったら屋上にこなければいいのに。

 それも出来ないのは……ひとりきりになりたくなかったから。

 こんな気持ちも、みんなで過ごせば払拭できるんじゃないかと、そんな期待を抱いていたから。

 正直今は後悔しかない。


「小毬、お前またキュウリ残してるじゃねえか、食べろよ」

「うるさいなー蒼太だってにんじん残してるじゃない」

 ふたりが、なにもかもを知り尽くしているように言葉を交わしていた。

 蒼太に大事にされていることは、誰が見たって明らかで、こんな些細な会話でさえもそれを思い知らされる。

 何でも知っているんだろう。

 お互いの好き嫌いなんて、自分のことのように分かっているのだろう。

 きっとふたりは、あたしの嫌いな食べ物なんて知りもしない。

 千晴ちゃんとかいう、可愛い彼女のことも、蒼太は知っているはずがない。だって小毬とは、積み重ねてきた時間が違うのだから。

 それだけじゃなく、蒼太にとって小毬は彼女がいようといまいと、前となにも変わらず大切な存在であり続ける。

 幼なじみとして。

 蓮の彼女として。

 蒼太がどうして他の女の子と付き合ったのか。

 あたしが声をかけたことで、彼女を作ったということは、きっと間違いない。

 そんなつもりで言ったわけじゃなかったけれど、蒼太がなぜその選択肢を選んだのか、今ならなんとなく感じる事が出来る。

 蒼太は、彼女を作ることで、小毬を大切にしようとしている。

 それがどうしてか、なんて、蚊帳の外のあたしには知るよしもないけれど。

 それを、小毬は知らない。

 大事にされていることに気づいているクセに、誰よりも大切に思われていることに気づいていない。

 気づきもしないで勝手に傷ついている。


「小毬、髪の毛なんかついてる」

「え? どこ? 取って蓮」

「消しカスか。どうやったらこんなところにつくんだ」

 ぼーっとしていた蓮が、小毬の髪に触れる。のばしたその手は、まるで宝物に触るように優しく見えた。

 蓮が今まで付き合ってきた、どの彼女よりも大切に思っているのがわかる。触れてはいけないもののように、大切に、大切に扱われているのがよくわかる。

 誰が見たって、蓮にとって小毬は今までの彼女とは違う。

 それを小毬は、気づいていない。

 気づいてないけれど、蓮の向ける感情を信じて疑わず、そばにいる。

 そしてほんの少し、蒼太が見ていることを気にしてる。


「……気持ち悪……」

 誰にも聞こえない声で呟いた。

 だから、誰もあたしのひとりごとに反応することはなかった。

 目の前で繰り広げられるこの光景はなんなの。気持ち悪いことこの上ない。バカみたい。みんなバカじゃないの?

 蒼太は小毬が大事で。

 小毬は蒼太が大事で。

 なのに蓮に応えようとして。

 騙されていることを知らずに蓮の愛情に耳を傾けて。

 蓮は蒼太が大事で、だから小毬も大事にして。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。なにみんな報われない思いを誤魔化して、そばにいようとしているの?


「どうしたの楓? 体調悪いの?」

「……なんでもないよ」

 そんなぐちゃぐちゃの感情をかみ殺して微笑むと、小毬は信じて疑わずに「彼氏の家いてたの?」と口にする。

「まあ、ね」

 誰も気づかない。

 あたしの今の気持ちなんてまるで空気みたいだ。存在そのものが、空気だ。

「小毬は? お前顔色悪くないか?」

「えー? そんなことないよ。あ、でもちょっと寝不足かも。昨日お菓子作ってたから」

 小毬には気づくのに、誰もあたしの気持ちには気づかない。

 蒼太も蓮も、小毬を大事にしている。だから、気づくんだよ。

 ——狡いね、小毬は。

「これ飲むか?」

「あ。ミルクティ、ありがと」

 蓮が差し出した紙パックのジュースを、小毬は嬉しそうにして受け取った。

「やさしーじゃん、蓮。しかも小毬の好みを把握して買ってくるなんて」

「この前怒られたからな」

「別に怒ってないじゃないー。酸っぱいの苦手だって言っただけでしょ?」


 小毬のその言葉に、体がぴくっと反応する。

 酸っぱいのが、苦手。

 そう、小毬はいつも甘い飲み物か紅茶ばかり。 

 けれど……この前あたしにくれた、グレープフルーツのジュース。

 ああ、そういうことか。あれは……蓮がくれたものだったのか。

 小毬のために買ったジュースで、小毬はそれが飲めなくて、それで、あたしにくれただけ、か。

 あたしの為に、なんてそんなことあるはずないんだよね。そりゃそうか。


「ふ」

 笑みを零すと、小毬は「楓なんで笑っているのー?」と微笑む。

 狡いね、小毬は。ほんと、狡い。

 誰からも愛されて、誰からも大事にされて、誰にとっても特別な存在なんだね。

 あたしにとっても、小毬はそんな存在だったよ。

 あたしにとって、誰よりも愛しかった女友達だった。

 笑顔は、まっすぐに、あたしに、あたしだけに、向けられていたから。

 本当に大事にされたい人にされない小毬だった。

 それを見て、あたしと一緒だと思っていた。

 ずっと蒼太だけを思い続けたらよかったのに。

 蒼太は決して、小毬の気持ちに応えてくれなかった。小毬はひとりでただ、与えられるはずのないものを求めていた。


 そのままで、いて欲しかった。

 結局小毬は、求めていたものを手に入れたどころか、蓮の特別まで手に入れた。

 ——それに気づいてない小毬はなんて、狡いんだろう。

 そして、あたしはなんて、醜いんだろう。


「ちょっと、先戻るね」

 うつむいたまま、声だけは明るめにして腰を上げる。

 このままここにいたらおかしくなりそう。なにもかもをぶつけてしまいそう。

「楓?」

 その声に気づかないふりをして「じゃね」と告げてドアを閉じた。

 唇から、じわりと血がにじんで、それほどまでに耐えていた自分に気づかされる。

 爆発しそうなこの気持ち。

 どうしていいのかわからない。なにが爆発するのか自分でもわからない。


 遠くで、ゴロゴロ、と空が唸る。





 晴れていた空は、いつの間にか曇り空になっていて、時折遠くで雷が落ちる音がした。最近は夜になると天気がよく崩れている。

 屋上で、そんな空を見つめた。

「楓、帰らないの?」

 懐かしい声に振り返ると、今日も大きな荷物を手にしたトモがあたしを心配そうに見つめる。

 どうせ、トモにとってもあたしなんてどうでもいいんでしょ? なんて嫌みが口から出そうになる。

 でもほんの少し喜んでいるバカなあたしもいる。

 六時間目が終わってそのまま屋上に逃げてきた。

 そこにトモが来たということは、あたしを捜してくれていたのかも知れない。

 だけどそんなことを口にするのは怖くて、なにも言わずに苦笑を零して再び空に視線を戻した。たまたまだったらかっこ悪すぎる。

 もうみんな空は薄暗い。あとほんの数十分で、暗闇に包まれるだろう。


「楓、このままだと、本当に留年するよ」

「……それもいいかもね」

 なにがいいのかわからない。あえて言うなら“どうでもいい”。

「どうしたいの、楓は」

「ふ、なにそれ。トモみたいに夢を持てとか? そういうこと? あいにくあたしはなにもないから、なにもできないよ」

 誰にも期待されてないしね。なにも望まれてない。

「あと、三回の遅刻で……出席日数が、危ないって」

「先生に言われたの? 最近一緒にいないから先生も安心でしょうに。わざわざトモに告げたら意味ないじゃんね」

 クスクスと笑うあたしの隣に、トモが並ぶ。

 眉を下げてあたしを見つめるトモに、今までの立場が逆転してしまったことを何となく感じた。

 元々、ただあたしがからかっていただけ。

 くそまじめなトモを、からかいたかっただけ。ムキになったりするトモが可愛かった。

 それがトモにとってもいいと思っていた。無理しがちだからね、トモも。そんなのあたしの勝手な思い込みで、結局トモはあたしから離れた。


「楓は、泣けばいいのに」

「……何で泣くの」

 なにも悲しくないのに。

 隣に並んだトモをみて、クスッと笑う。だけどトモは真面目な顔をしてあたしを見つめ続ける。

「口に出せないなら、泣けばいいんだよ」

「そんなの、な、い」

「楓はいつもそう。人の心配ばっかりして、人のことばっかり考えて、自分のことを後回しにする。それがどんなに自分勝手なことなのか、気づいてないんでしょ?」

「な……」

 意味のわからない言葉に、無償に苛立って睨み付ける。なのにトモはあたしを見て未だに眉を下げたままだった。

「ボクのことをかわいそうだと思っていた?」

「……おもって、ない」

「今のボクは、嫌いだろ?」

「……そ、んな」

 そんなことない。そう思っているはずなのに、口に出来ない。

 だってホントは……嫌いだもの。ひとりで勝手に強くなっちゃって。あたしから背を向けて、ひとりで歩くトモなんて、嫌い。

 あたしなんて必要としてくれないトモは、嫌い。


「やってあげることよりも、やってもらうことで、大事にされてるときも、あるんだよ」


 ——ボクが、選択肢をあたえられて、知ったように。


 そう、トモは言葉を付け足した。

「やってあげたら……大事にされないの?」

「さあ? ボクにはわからないけど……大事にされたくてやっているなら、素直に口にした方が……楽だったことをボクは知ったよ」

「なんで、ひとりで先に行くのよ」

 会話になってない返事に、トモは苦笑を零すだけ。

「嫌なことは嫌だって言わないと、いいんだと思われるよ? さすがにボクでもそれはしてないし」

 同じくらいの身長だったトモが、ほんの少し大きく見える。

「トモはじゃあ、屋上に来るのがもう、嫌だったの?」

「……屋上に来て、嫌なボクになるのが、嫌だった」

「あたしは、トモが屋上に来ないのが、やだった。ひとりになるのが、嫌だった」

 あまりにもトモが、好き勝手言うから、あたしの口からぽろぽろと本音が零れる。


「こんなの、口にするのも嫌。だって口にしたらみんなが……あたしはわがままだって言うから。怒ってるって言うから、だから……人といるのも嫌」


 怒ってるの? 怒ってないよ。

 怒ってるの? 怒ってる。

 だけどそれはあたしのわがままなんでしょう?

 両親と一緒にご飯を食べて、あたしをほったらかしてふたりで話をするのが嫌だった。嫌だったけど、怒ると両親が困るから。そんな顔を見るのが嫌だった。だから、一緒に行くのが嫌だった。


 ——ひとりで家にいることが大丈夫だったわけじゃない!


「彼氏の、一番じゃないのも嫌。お父さんにもお母さんにも、心配されないのも嫌。心配されるのも嫌。あたしだけを置いていくのも、嫌。あたしだけを、見て欲しかった」

 もう、止まらない。

 鳴り響く雷鳴のように、自分の感情が、爆発して私の中でうなり続ける。



「誰にも気づかれないのも嫌……気づかれるのも、嫌。屋上にいるのも、あの三人と一緒にいるのも、嫌! 蒼太が小毬を大事にしていることも、蓮が小毬を大事にするのも、小毬が無理して蓮と付き合うのも、蓮が蒼太が好きなクセに隠して小毬と付き合うのも——嫌でたまらない!」



 あたしの中には、嫌なことしかなかったんだ。

 吐き出した言葉に、トモはなにも言わなかった。

 言葉を吐き出しただけなのに、肩が激しく上下に揺れる。本音を口にするだけで、こんなにも体力を使うなんて知らなかった。


「トモ……」

 こんな汚い感情を聞いてどんな風に思っただろう。

 不安を抱きながら隣に視線を移すと、ドアの付近に人影が見えて、体が硬直する。

 そんなあたしに気づいてトモも同じ先に振り返り、ふたりして言葉を失ったまま見つめ続けた。


 大きな目を、よりいっそう大きくして……あたしを真っ直ぐに見つめている、小毬の姿。

「こ、まり……」

 体が、固まって動かない。

 さっきのは嘘だと、そう言って駆け寄ればいいのかと思ったけれど、体が動いてくれない。どうしていいのかわからない。

 時間が、止まればいいのに。

 そんな訳の分からないことを考えた。

 あたしの震える声に、小毬がぴくりと反応して、戸惑い気味に口を開く。

「楓の様子が……おかしかったから。一緒に、帰ろうかな、て思って……探してたんだけど」

 へラッと笑って、自分の髪の毛をくしゃりとつかむ。

 ほんの数メートル離れているだけの小毬が、泣きそうな顔をしていることはあたしもトモも気がついた。

「ふたりの声が聞こえて、入れなくって……」

「小毬……」

 あたしの代わりに、トモがしっかりした口調で呼びかける。

「……さっきの……って」

 その言葉と同時に、小毬の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。


 そのままあたしたちから背を向けて去っていく姿でさえ、あたしの体が動くきっかけにはならなくて……あたしとトモは、ドアを見たままふたりで固まっていた。

 誰もいなくなった先を見つめたまま。

 知られてしまった。

 小毬に、蓮の事伝わってしまった。


「わ、たし」

 唇が、カタカタと震える。歯がかちかちと音を鳴らす。

「小毬を、傷つけるのは……嫌だった」

 頬を、涙が伝っていく。

「うん」

 トモは静かに、そう答えただけだった。

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