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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅴ黄色の雷
38/53

38遠くで聞こえる雷鳴



 ひとりで駅の改札を通って、タイミングよくやってきた電車に乗り込む。

 ドアにもたれ掛かって、外を流れる景色を見つめながら、悶々とした気持ちを落ち着かせた。

 車内に視線を移せば、友達と話をしている女の子達や男の子達。そして、仕事の途中なのか居眠りしているサラリーマンに、携帯電話をいじっているおじさん。

 色んな人が誰かと関わりながら過ごしている。

 ひとりきりに見えても、どこかでつながっている。……だけどあたしはひとりだ。今現状では間違いなく。

 ただ、それだけ。

 今この一瞬がひとりだからって、あたしは常にひとりだなんて思ってない。

 そんなにバカじゃないし、そんなことに絶望するほど不幸でもない。

 ……なのに、どうしてもぬぐえない何かが胸の中にある。


 早く帰りたい。一刻も早く家に。

 今日はお母さんがいて、おそらくお父さんも早く帰ってきて、久々に家族三人で食卓を囲むんだ。


 そういえば、今日は義一からメールがないな……。

 お母さんにメールでもしておこうと携帯電話を取りだしてふと思い出した。

 泊まった次の日は、あたしが先に出たら“行ってきます”と連絡が入る。あたしが後だったら“学校行ってる?”と必ずメールをくれる。

 それ以外のメールだってたまにはある。

 どうしたんだろう。

 そういえば昨日も確か帰りが遅かったから、仕事が忙しいのかも。忙しいときはたまに連絡がないし……。

 そう思って気にすることなく母へのメールを作成しかけたけれど、母も仕事で忙しいかもしれないし、家に帰ったら会えるんだからいいか、と再びポケットにしまった。


 電車に揺られて、家までのバスに乗って自宅に着いたころ、辺りは暗くなり始めていた。

 こんなに時間に家に帰ってくるのは久々だなあ。

 バス停からの道のりでは、晩ご飯のニオイや、子供が騒ぐ声が聞こえた。


 なんだか落ち着かない気分になる。

 この時間、あたしはだいたい義一、それまでは彼氏、の家に入り浸っている。それ以外はほぼひとりで出かけている。

 今までは小毬もいたからたまにふたりで出かけたり。

 休日は映画を見に行っていたりもしている。

 小毬だけが友達だっていうわけでもない。中学時代からの友達もいる。

 毎日両親がいないわけでもなかったし。

 両親が家にいたところで、大して変わらないけど。

 ふたりで話をしている姿をみると、邪魔をしているような気持ちになって、家に居づらいと思うこともあった。

 そんなことを考えていると、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。



「ただいま」

 そう言ってドアに手をかけたけれど、ドアは開かれなかった。

 ……鍵?

 家に帰って来た母がわざわざ鍵を閉めるなんて、あるはずない。

 今日はまだ……帰ってきてないのかな。

 何時頃になるんだろう、と携帯を取り出して確認すると、六時前。確かに帰ってくるにはまだ早い時間。

 でも、なんとなく嫌な予感を感じながら、カバンに入れてあったキーケースを取り出して誰もいない家の中に入った。


 特別大きくもなく小さくもない一軒家は、あたしにとってはいつも広かった。静かで薄暗い気配に、幼い時のあたしは何度泣いただろう。

 布団にくるまって、いるはずのない両親の名前を呟いていた。

 

 ばからしい、何を、今更。

 自分の思考に突っ込んでから二階への階段を上がって自分の部屋に入った。

 ベッドに脱いだ制服を放り投げて、傍にあったラフな格好を手にする。そして制服をハンガーに掛けて携帯片手に再び一階に降りた。

 何時になるのだろう。

 一緒にご飯を食べるなら、米はセットしておこうかな。

 キレイに片付いているキッチンで米をといで炊飯器にセットした。

 そういえば……食材とかあるのかな。

 ろくに家にいないからあたし自身でご飯を買うことはない。遅くなってても両親は帰ってきているから何かくらいはあるかも。

 そう思って久々に自分の家の冷蔵庫を開けた。中にはタッパーに入ったご飯がいくつか入っている。

「昨日、帰ってきたのか」

 義一の家にいたあたしにはなんの連絡もなかった。

 連絡くらいしてくれたらいいのに……。帰ってきてあたしが帰っているかどうかも気にならないのか……なんて、それも今更だ。

 苦笑を零しながらタッパーの中身に手をつけることなく再び冷蔵庫の扉を閉めてリビングのソファに腰を下ろした。

 つまらないニュースをBGMにして、ただぼーっと両親の帰宅を待つ。


 ピピピ、とご飯が出来たアラームが鳴ってキッチンを見ると同時に壁に掛けてある時計に目をやった。

 もう……七時半か。

 手元の携帯電話は未だになんの連絡も受信しない。誰からも鳴ることがない。

 なんだか、こうしてひとりリビングで両親を帰りを待っていると。いろんな思い出が蘇る。

 こんなこと……初めてじゃないのに。何で今日はこんなにも不安で、淋しくて、壊れてしまいそうなんだろう。

 ああ、もう自分がイヤ。イヤで仕方ない!


 そう思って目をぎゅっと瞑ったとき、机に上の携帯電話がガタガタガタと急に震えだして、勢いよく手に取った。

「はい!?」

『あ、楓?』

 母の声に、小さな子供みたいに胸をなで下ろす。

 もう十七歳にもなるのに恥ずかしいくらいに、安心してしまった。

 だけど、ただ、素直に母からの電話が嬉しくて仕方ない。

「もう終わったの?」

『それが……ちょっと仕事でクレームが出て。もうちょっと遅くなりそうなの……』

 言いにくそうな母の声に、あたしのテンションは一気に下がる。

 ……ああ、やっぱり。

 心のどこかでそうじゃないかと思っていた。こんな事初めてじゃない。何度かあったことなんだし、母だってこうして気まずそうにしている。あたしに悪いと思ってくれている。

 だから、仕方ないんだ。

「そっか、大変だね」

『ごめんね。お父さんはもうすぐ終わるって連絡あったから、お父さんとご飯先に食べておいてね』

「うん、わかった」

 大丈夫だよ、気にしないで、頑張ってね、といつものセリフを告げてから電話を切った。

 ……そう、わかっていたことなんだよ。

 忙しい仕事なのはわかってるもの。仕方ない。母が悪いわけじゃない。父だって、忙しい。だから、ふたりは、ふたりで過ごす時間を大事にしている。あたしは分かってる。

 ソファーの上で膝を抱えて座り、顔を埋めた。この分だと父も帰宅は遅くなるだろう。

 わかっていたのに、このモヤモヤとした気持ちはなんだろう。なんなんだろう。


 携帯を再び見て、メールの問い合わせをしてみた。分かっていたけれど誰からもメールなんて届いてない。

 一瞬躊躇ってから、義一へ電話をかけた。

 仕事中かもしれない……そう思いながら、メールではどうしても上手く伝えられそうになくて、返事がないとそれこそおかしくなってしまいそうで。

 三回コールが鳴ってから『はい』と義一の声が返ってきて、それだけで嬉しくなった。

「義一、今日、家行きたい」

『あー……今日は、ちょっと無理っぽいんだ』

「なんで?」

 いつもは二つ返事で“いいよ”と言ってくれるのに。

 歯切れの悪い義一の言葉に、嬉しかったはずの気持ちが一気に沈んでいく。

『今日は帰れそうにないんだ。ごめんな』

「……そっか……いいよ、ごめんね、あたしがワガママ言ったから」

『ワガママなんかじゃないよ。楓は本当に……いい子だね。本当に、ごめんな』

 あたしが電話を切る前に、義一が電話を切って、ツーツーという冷たい音だけが耳に入る。

 相当忙しいのだろう。いつもよりも急いでいた様子だったし……。

 ……突然だからしかたない。そんなことわかっている。

 ——『いい子だね』

 いい子なんかじゃないのは自分が一番分かっている。

 本当はお父さんにもお母さんにも一番に心配されたい。一番構われたい。両親がうざいとか言ってみたい。言えるほどあたしは構われてない。

 ふたりは仲良くて。いつまでも恋人同士のようで。それは自慢になる。そんなの分かってる分かってる分かってる。

 ——分かってるけど、あたしは?

 お父さんもお母さんもそのうち帰ってくる。

 夜遅くなっても帰ってきているのを知っている。

 だけど、あたしがいない時はふたりでご飯を食べて帰って来ていることを、知っている。あたしに連絡をするつもりだってないのを分かっている。

 あたしはいい子だから。あたしはちゃんとしているから。心配してないんでしょう? 心配されてみたいこともしらないんでしょう?


「違う違う違う……!」

 自分の考えを振り払うように必死に頭を左右に振って、小さくうずくまった。

 違う、心配かけたいわけじゃない。

 そうじゃないの。そんなんじゃないの。

 ぎゅうっと手を強く握りしめて、自分の言葉できないモヤモヤとした、苛立ちや苦しみを忘れようと目も固く瞑った。

 何かが溢れてしまいそうで。何かがあたしの中で暴れ出しそうな気がして。それを耐えるしかなかった。





 両親が帰宅したのは、雨も激しさを増した十一時を回った頃だった。

 先に父が帰宅して「遅くなってごめんな」と告げてから「母さんはまだか」と呟いた。きょろきょと母の姿を探す父に、胸が痛む。

 三十分ほどしてから「遅くなってごめんね」と母が玄関を開けて「父さんはもう帰ってる?」と聞いた。

「あ、ご飯炊いててくれたの? 楓は何か食べた?」

「……ううん」

 バタバタとキッチンに入った母が、炊飯器の保温ボタンが光っているのに気がついてあたしに声を掛ける。大分時間が経ってしまったから、少し固くなったかな、と忘れていた事に今更気がついた。

「あなた、ご飯は?」

「ああ、社内で軽く食べたけど、せっかくだし食べようかな」

 新聞を広げていた父が、少し言いよどみながら返事をして、恐らくお腹は空いていないんだろうと思った。

 こんな時間まで何も食べてないはずもない。母もきっと何かを食べただろう。

「いや、いいよ。無理して食べたら太るよ? あたしもちょっと摘むくらいでいいから」

 慌てて止めると、「そうか?」と父は再び新聞を手にする。

「適当に食べるから、ソファでゆっくりしなよ」

 そう言って冷蔵庫を開けて、タッパーをいくつか取り出した。母が作ったのだろう煮物を小さなお皿にのせて、ほんの少しだけ暖める。

 その間に父と母はふたりでソファに並んで座って、楽しげに話をしていた。


 ひとりでテーブルにご飯を並べて、ひとりで食べ始める。

 こんなことならさっさと、ご飯を食べればよかった。

 ひとりで食べるご飯は好きじゃない。誰もいない部屋で食べたっておいしくない。

 だけど、この状態で食べるのは、ひとりきりの時よりもずっとずっとまずい。

 そばでは話をしているふたりがいて、そのそばであたしは無言でご飯を食べる。

 何で今日は遅かったのかとか、そんな話をしていて、あたしにはちっともわからない。

 あたしがご飯を食べ出したことも、食べ終わって流しに持って行ったとしても、きっと気づかないんだろう。このまま席を外したって、気がつかないんだろう。

「あ、楓」

「ん?」

 使ったお皿を洗って、何も言わずに自分の部屋に戻ろうと思うと、父と母が同時に振り返ってあたしを呼び止める。

「明日、一緒にご飯食べに行こうかって、話してるんだけど、楓も行く?」

 そんなに……ついでに誘わなくてもいいのに。本当はふたりで行きたいんでしょ? あたしの返事だって分かっているんでしょ?

「ううん。ふたり水入らずで楽しんで来なよ。あたし友達とご飯食べてくるから」

 あたしの返事に、申し訳なさそうな顔をする両親に「美味しい物食べてきて」と、気づかないふりをしてそのまま二階に上った。


 本当はふたりで行きたいんでしょ? わかってるんだから、そんなバレバレの顔して誘ってこなくてもいいし。

 あたしなんかいない方がいいんでしょ? 夫婦だけど恋人同士みたいに今でも仲よくしたらいいんだよ。悪い事じゃない。

 なるべく感情を抑えながら自分の部屋を目指して歩き、部屋に入るとすぐにベッドに飛び乗った。


 両親はきっと今頃、明日なにを食べに行くかと話しているんだろう。母は嬉しそうにして、父は楽しみにして。

 ことあるごとに一緒に出かける両親。

 三人でいてたって、いつもふたりは思い出話に花を咲かせる。あたしの小さいときの話もするけれど……そんなのおまけだよ。

 もしも今……あたしも一緒に行く、なんて言ったら、ふたりはどんな顔するんだろ。

 驚くだろうな。ここ何年も一緒に出かけてないし。

 お母さんとふたりで、っていうのは何度かあるけど。三人で出かけるなんて小学生くらいで終わったんじゃないかな。

 一緒に行くことを苦痛に感じ始めたのはいつからだっけ? あたしがいないほうがふたりは楽しいんだろうな、と気づいたのは……。


 ——『楓ちゃん何か怒ってる?』

 友達がそう言ったのは、いつだったっけ?

 あたしの方を見て、様子をうかがうようにそう、問い掛けられたとき、あたしは何て返事したっけ?

 多分小学生とか、中学生の時だと思う。

 怒ってなかったのに、そう言われたから、今もあたしの胸に刻まれているんだろう。

 何で今、こんな事を思い出すんだろう。今更そんなことどうだっていいのに。

 あたしは今、怒ってるの? それとも悲しいの? 悔しいの?


 自分の感情が分からなくて、布団の中に潜り込んで目を閉じた。

 何も気づきたくない。何も知りたくない。

 ただ、この言葉に出来ない気持ちが全てなくなればいい。

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