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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅴ黄色の雷
36/53

36雲は来た道を戻らない



 のんびり朝ご飯を食べてから出かけた義一を見送って、ひとりで家を出たあたしが学校に着いたのは、ちょうど一時間目が終わった時間。

 ……遅刻するつもりはなかったんだけど、ぼけっとしてたら結局この時間になってしまった。


 チャイムを校門で聞きながら、ポケットに手を突っ込んだまま堂々と歩くあたしを、校庭で体育をしていたのだろう下級生がちらちらと視線を送ってくる。

 派手な髪の毛の遅刻常習犯。

 話したことのない学生にもあたしの存在はそれなりに知られているらしく、物珍しそうな視線を向けられる。

 自分のせいとはいえ、見せ物みたいで居心地は悪い。

 少し足を速めながら、次の授業はなんだったっけ? と考え校舎に足を踏み入れた。

 そもそも一時間目がなんだったのかもわかんないや。本気で出席日数考えないとまずいかもしれない……。


 授業が終わったからか、廊下にはすでに生徒が出歩いていた。

 先生に見つからないように注意だけをして教室を目指す。

 でも、教室に入ってトモと顔を合わすのも気まずいな。二時間目から勉強するのもいやだし……。

 そう思って途中のトイレに何となく足を運んだ。


 幸いトイレには誰もおらず、意味のないため息をこぼして個室の鍵をカチンと閉めた。下着も下ろさずにふたの上に腰を下ろして脚を組む。

 なんか、最近めんどくさいことばっかり。

 なんでこんなことになっちゃったんだろー。この前まで学校は楽しかったのに。勉強や先生の小言は面倒だったけど、それでも小毬たちと一緒にお昼を食べる時間は、とても好きだった。

 なのに今はこうして、トイレに逃げている。

「……まるで、中学時代みたい」

 あの頃も、今も、友達がいないわけじゃない。

 小毬やトモたちだけが友達じゃない。

 クラスメイトの女の子だって色々話をするのに、それでも……やっぱり何かが違う。気兼ねなく話せる関係じゃない。

 なんだかモヤモヤして、何かか常にたまってて。いつかバン! と音を出してはじけてしまいそうな気がする。


 中学時代もこんな感じだった。

 友達はいた。だけどいつもどこかで自分の居場所を探してて、結局、辿り着くのはひとりで過ごせる場所だった。

 どうしてこんな風になってしまったんだろう……。


 もう一度、はあーっと息を吐き出すと、誰かがトイレに入ってくる音が聞こえた。バタンと扉が開かれ、どこかの個室に入っていく。

 話し声が聞こえないってことは……ひとりか。

 あたしもそろそろ教室に行かないと、このまま二時間目も過ごしてしまいそうだな。

 このトイレでは同級生、もしかしたらクラスメイトかもしれない。人に会うのも億劫だから、いない間に出ていこうと、気合いを入れて腰を上げて鞄を肩にかけた。


「でさー」

 ちょうど個室のドアを開こうと手を伸ばしたときに、話し声と共にドアが開かれた音が、トイレに響く。

「やっば、次の授業小テストじゃなかったっけ?」

「今から勉強しても無駄でしょ? もーいーやあたし」

「あいつ小テスト悪かったらレポート書かせるしなー最悪」

 今度は数人のグループか。

 トイレに入る様子もなく、会話を続けている。

 用がなければトイレなんかこなけりゃいいのに……。なんだか出にくいんですけど。

 どーせ鏡の前を陣取っているんだろーな。誰だかはわからないけれど聞き覚えのある声に、どうしよっかな、と思いながら頭をいじる。

 出るまで待ってるのもいいけれど、人の話を盗み聞きするみたいでじっとしているのもどうなのか。


「そういえば、蓮くんと小毬? 付き合ってるらしいね」

 ふたりの名前に、体がぴくりと反応して妙に動悸が激しくなる。あたしの話でもないのに、なぜか、あたしが緊張する。

「え? それガセじゃないのー? ありえなくない?」

「いや、まじまじ。男子が本人に聞いたらしいよ」

 その瞬間、マジで!? と女の子たちが何人か声を合わせた。

 ……まあ、そう思うのも無理はないか。

 今までそばにいたとはいえ、友達から抜け出すことがなかったのに突然付き合い始めるんだから。しかも相手は“蒼太と付き合ってる”とウワサされていた小毬。あたしでさえ多少は驚いた。

 あたしのほうが、ずっとそばにいた分、びっくりしたかもしれない。


「でも小毬って蒼太くんじゃないの? 何でそんなことになってんの?」

「知らないよそこまでー。なんか色々あったんじゃない? 三角関係とか?」

「うーわーなにそれおいしい関係! 蒼太くんと蓮くんからわたしだって惚れられたいっつーの」


 ゲラゲラと笑い声が響き渡る。

 話を聞いて、蒼太もなかなかもてるんだーと改めて思ったりして。話題にトモの名前が出てこないのが気になるところではあるけれど。

 ああ、でも、それを言うとあたしもか。

 ……ほんと、蚊帳の外って感じで気に入らないな。

 あたしが出て行けばきっと話はこれ以上進まないだろうけど、空気は悪くなるだろう。小毬とあたしが仲良いことだってきっと知っているだろうし。

 それでも、あたしとトモは三人の話題には入らない。きっとこの先も入らない。


「でも小毬ってそんなに可愛い? 蒼太くんはまあ、幼なじみってやつだからいいとして。あの蓮くんが惚れるほど? ぶっちゃけ普通じゃん」

「雰囲気じゃない? ころころしてかわいらしいとか? それも計算だったりして」

「うっは、怖。でもないとは言えないよねー。いっつも蒼太くんにぴったりだったし。それも蓮くん目的だったりして」

「あー本命は蓮くん? やーだ、蒼太くんかわいそー」


 多分、彼女たちに悪気はないんだろう。ただおもしろおかしく話しているだけで、それが本心かどうかはわからない。あからさまな悪意を感じることはないけれど、多少の皮肉を感じてしまってどうしても苛立ってしまう。

 彼女たちの気持ちがわからないわけじゃない。

 だけど、それを他人から耳にするのと理解しているだけでは全くの別問題だ。おもしろおかしくだろーと、本心でなかろーと。そんなのどうでもいい。

 ただ、ムカツク。


「……あ」

 バタン、とわざと大きな音を出して個室から出て行くと、ひとりの女の子と目が合った。やっぱり、クラスメイトの女の子だ。どうりで聞き覚えのある声だと思った。

 あからさまに気まずい顔をした彼女に「話、続ければ?」と言ってにこりと微笑む。

「何話すのも勝手だけど、中に誰いるかわかんないから、一応気をつけといたほうがいいよ? 聞かせたいんなら別にいいけど」

 あたしの言葉に女の子たちは、苛立ちと気まずさの混ざったような表情をした。癇に障ったのかもしれないけど、そんなのどうだっていい。お互い様じゃない。

「でも、楓も最近小毬と一緒にいないじゃない」

 ぴくっと体が一瞬反応したのを見逃さないように、もうひとりの女の子が続けて言葉を発した。

「蓮くんと小毬がつきあいだした頃からだよね? なんか楓も思うことがあるからなんじゃないの? 今まで休み時間でさえ一緒にいたりしたのに、最近そんなの見てないし」

「……人のことよく見てんだね」

 嫌みのように返したけれど、正直そんなところまで見られているとは、気づかれているとは思っていなかった。

 そこまであたしたちが目立っていたから、とも取れるけど、そんな風に受け取っている人もいるのか。

 いや、でもあながち間違いでもないか。

「楓も蓮くんのことが好きだったとか? 案外わたしたちと同じようなこと思ってたりして」

 けれどさすがにその台詞には笑いしか出てこなかった。


「悪いけど、蓮を好きなのはあんたたちでしょ? あたしには彼氏がいるし。たとえ蓮のことを好きだったとしても、小毬は小毬でしょ? そんなことで小毬とあたしの関係が悪くなるなんておかしな話よ」

 蛇口をひねって手を洗いながら、鏡越しに女の子たちを見つめた。

「小毬は、人を使って人に近づいたりするような、そんな器用なことできる子じゃないわよ」

 それだけは、自信を持って言える。


 きゅっと蛇口を閉めて、ポケットからハンカチを取り出した。視界の端に映る女の子たちは、ほんの少しばつが悪そうな顔をする。

 ……悪意がなかったのは、何となくわかる。

 今まで人のそんな愚痴を何度も聞かされたんだもの。

 主にあたしに対する愚痴、だけど。吐き出すことで楽になるんだろうな、といつしか気づいた。

 鬱憤がたまる気持ちは十分わかるしね。

 ——だけど。

「文句を言うのは仕方ないけど、あたしに聞かせないでくれる? わかってても、小毬の文句は、聞きたくないし、聞いたら、腹が立つ」

 今度はさすがに笑うことはできなかった。


「小毬は、あたしの、大事な友達なの」

 そう言ったとき。

 隣の個室トイレが静かに開かれて……あたしたちは全員で一斉に視線を動かした。


「——こま、り……」

「ごめん、出るタイミング、なくて」

 気まずそうに笑った小毬の姿に、女の子たち三人はもっと気まずそうな顔をして、「本気じゃ、ないし」と呟いてからばたばたとトイレを後にする。

 謝れ、バカ。

 とは思うけれど、まあ、仕方ないか。

 彼女たちからすれば、こうなることを望んでいたわけでもないし、本人に言うつもりなんかこれっぽっちもなかったんだろうなー。

 冗談のつもり、ただの噂話のつもりだったんだろう。絶対将来ワイドショートか見た後に井戸端会議をするようなおばさんになるんだ。

「聞いてたならさっさと出ちゃえばよかったのに」

「……だって、なんか……」

 あたしの言葉に、うつむく小毬。

 確かに……彼女たちの話の全てが嘘なわけじゃないものね。

 はぁーっとため息を落として、小毬の頭に手を乗せた。

「ほら、予鈴なるから、早く行こう」

 にこっと微笑むあたしを見て、小毬はじわじわと大きな瞳を潤ませてゆく。

「ごめ、ん」

「なにが」

 そしてぽつっと床に落ちた小毬の涙。その涙の意味は、べたにかばってくれて嬉しかったから、かと思っていたけれど、謝罪の言葉に思わず首をかしげた。


「この前……蓮と付き合ったとき……楓に、言ったこと、ひどいこと言って、楓のせいにして……ごめん」


 ——『楓のせいじゃない……あたしたちの関係を、別に何も望まなかった関係を怖そうとしたのは楓なんだから』

 そんな台詞を思い出す。その台詞に、あたしは“もう、勝手にすれば”と言った。

「……あたしも、ごめん」

 元はといえば、あたしが蒼太に言ったから。お節介をしたせいで、あたしが小毬を追い詰めた。

 言われたときは確かにむかついたんだけど。それでもあたしが余計なことをしたことも十分わかっていた。

 だからあたしたちは、特に謝ることもなく。だけど離れることもなく、微妙な空気のまま、過ごしていた。


 小毬に謝って欲しいなんて、思ってなかった。

 いや、違う。

 本当は、そんな言葉が原因だった訳じゃない。あたしがあのとき、小毬にもういい、なんて言ったのは。

 ——『楓にはわかんないよ』

 そんな台詞だ。

 あたしたちは、そのまま謝ることも赦すこともなく、なにも言わずにただ突っ立っていた。

 チャイムが鳴るまで、ただ、二人で。



「そろそろ、教室行かなくちゃ、ね」

 まだちょっと赤い瞳をこすってから、小毬がいつものように笑う。

「うん」

「ねえ、楓……私、蓮のこと、好きだよ。ちゃんと、付き合っていく」

「うん」

 少し目を伏せてから「小毬がそう言うなら」と返事をした。そして小毬は、恥ずかしそうに、あたしに笑顔を向ける。

 あたしたちの関係は、もう、なにも気にすることがない。多分今までと同じように、あたしたちはずっとそばにいるだろうと思う。そうしたいと思う。

 あたしが今まで小毬はきっと一途に思い続けるのだろうと、そう思っていたこと。そしてそれが違ったということ。そんなのは、別にいいんだ。


 小毬は、小毬。

 蒼太に一途であったように、これからは、蓮に一途に有り続けるんだろう。

 愛されていることに気づきもせず。だけど愛されていないことにも気づきもしないで。

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