33嵐の前の静けさ
小さな頃から言われた。無愛想だとか、目つきが悪いとか、感じが悪いとか。
多分思った事をすぐに口にしてしまう性格も問題があったんだろう。
だからなのかな。
あたしのそばには誰もいなくて。そばにいても直ぐ離れて行って。そんな苛立ちが常にあたしの心にはあって。いつも心のどこかが怒っていた。
常に雷が体の中で鳴り響いていた。誰かにその気持ちをぶつけたくて、だけどぶつけたくなくて、だから、大事にして、されたかった。
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Ⅴ黄色の雷
。.。。O。・.。*。.。。O。・.。*。.。。O。・.。*。.。
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授業が始まるチャイムが、遠くで鳴り響く。
多分一時間目が始まったんだろう。
珍しく朝から学校に来たっていうのに、屋上でそれを耳にするなんて何をやっているんだか。また出席日数が一日減った。
でも、もうどうでもいい。
ちょっと前までは、ギリギリでも卒業はしたいと思っていたのに。進路なんて決まってなくてもいい。ただ、みんなと一緒に卒業したかった。
フェンスに頭を付けて、地面の方を見つめたって何も見えない。
灰色のコンクリートしか見えない。
そして、頭上にはあたしの気持ちに不釣り合いな青空だけ。
青色がやけに目に痛んで、くるりと体の向きを変えて屋上を見渡せば、誰もない空間が広がっていた。
「ひとり、か」
ひとりきり。誰もいない場所。
この先……ずっとこのままなんじゃないかと思えてきてしまう。そんなこと思いたくもないのに。
でも、トモはもうこない。きっと本当に、こないだろう。
この前の蒼太とのケンカは確かにきっかけのひとつだった思う。
けれど……それだけじゃないんだろうな。
この前声をかけたあの時のトモの表情は、以前のように苦しそうじゃなかった。何かを割り切って、自分の意志でやめたように見えた。
気まずいだけなら、来ればいいのにと思っていた。来たら笑い合えるはずだって思ってた。
なによりあたしはトモに、戻ってきて欲しかった。
けれど、あんな顔されたらそんなこと言えない。あんなにすっきりしたように言われたら……。
勝手に、ひとりで、進んじゃったのかも知れない。
……あたしだけを残して。
トモと私は、どこか同じ立場だって、思ってたんだけどな。
ほんと、薄情者なんだから。
あたしひとり取り残されてどうしろっつーの。あの三人の輪に、あたしひとり、入れるはずないじゃない……。
蒼太と小毬と蓮は、他の誰よりも、深くつながっている。
その関係が、どういう名前のものなのかはよくわからないけど、あの三人は、見えない何かを必死に掴んでつながっているような確かなものがあった。
小毬と蒼太。蒼太と蓮。そして蓮と小毬。
それぞれが違う名前でつながっていた。
それだけでもややこしい関係だと思っていたのに……それ以上にややこしかったと知ったのは最近。
知ってしまった手前、あの中にこれからひとりで入っていくなんて居心地がわるすぎるっつーの。
ここは、あたしがあたしのままでいい、そのままで受け入れてもらえる、そんな貴重な空間だったのに……なんで、こんなことになっちゃったんだろ。
はーっとため息を零して、なんとなくポケットの携帯電話を取り出すと、いつ届いたのか分からないメールが一通あった。
「暇な奴」
相手は彼氏の義一だった。
“ちゃんと授業受けてるか?“なんていう、保護者みたいなメール。
こんなにもこまめに連絡をくれる彼氏は、義一が初めてだ。だからこそ、あたしたちは半年も付き合っていられる。
あたしのことを考えてくれているのがわかるから。
あたしを求めてくれるから。
だから、あたしは彼の傍にいたいって思う。好きだって、思っている。
——彼に、本命の彼女がいても。
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小さな時から私の口調ははっきりしていたらしく、“怖い”とか“冷たい”と言われ、避けられていた。
そんなつもりはないけど、そう思わせてしまうなにかがあたしにはあるんだろう。
何度か友達を怒らせたり傷つけ泣かせてしまったことがある。
小学生低学年くらいまでは、そんな自分に落ち込んだりもしたけれど、いつしか諦めのような気持ちを抱きだして、友達を作ることに抵抗感を抱いて過ごしていた。
かといって、友達がひとりでいなかった、というわけじゃない。
ただ、またいつか怒らせるかもしれない、傷つけてしまうかもしれない、また、人が離れていくかもしれない、そう思って深く付き合うことを避けていたのだと思う。
だったら、ひとりのほうがいい。
自ら選んでひとりを選んだほうが楽。
そんな風に思っていた。
それは、両親に対しても……。
「楓、ひとりでお留守番出来るよね?」
「うん」
そう言ってあたしの頭を撫でてくれる両親。そして向けられる背中。
あたしの両親は、ふたりとも忙しい人だった。帰ってくるのはいつも深夜。土日だって仕事で出ていることが多い。ふたりともが休みの休日なんて、滅多になかった。
かといって、仲が悪いということはない。どちらかと言えば夫婦仲はとてもよかったし、あたしに対しても愛情を注いでくれていたと思う。
ふたりで時間を合わせて帰ってくることも多かったし、たまにデートをしているのも知っている。
あたしを置いてふたりきりでデートに行く両親のことを、自慢にすら思っていた。
けれど、幼い時は、家にひとりきりで過ごす夜中にどうしようもなく淋しくて苦しくて泣いてしまう日もあった。
あたしのことに無関心なわけではない。
いつもあたしのことを気にしてくれていたし、どこかに出かけた時は必ずおみやげを買ってきてくれた。他愛無いことで長話することもしょっちゅうだ。
けれど、両親は私が何をしても怒ることはなかった。
髪の毛を金髪にしても。友達とケンカをしても、ピアスを開けても学校をサボっても、あたしは一度も怒られたことはない。
寝て起きて誰もいない家。
何をしても怒らない両親。
そんな毎日に悲観的になるほどあたしは繊細でもなければ弱くもなくて。
そんな毎日に充実感を見つけるほどの希望なんかも抱いてなかった。
そんな毎日に満足するほど大人しくもなかった。
だから。
金髪からピンクのメッシュに変えた。
ピアスは事あるごとに増やしていき、夜に家を出ることも多くなった。
学校をサボって担任が家に連絡を入れたって、誰も出ることがなく鳴り続けるだけ。
広い家の中では何をしても自由だったし、何でも出来た。
泣いても、叫んでも、暴れても、咎める人はいなかった。
たまに顔を合わせる両親は、私の髪や穴だらけの耳を見て“似合うね”と微笑んでくれた。
——『楓、お留守番できるよね?』
できるよ、お留守番くらい。
だけど、したいとは一度も口にしていない。
でも、そんなことはもう、どうだっていいんだ。
ひとりぼっちでいることが苦痛だったのかと言われるとそれもよくわからない。
それが当たり前だったし、ひどい境遇で育ったわけでもない。多分、あたしはそれなりに愛されて育てられた。お金に不自由したこともないし、友達のように親がうざいなんて思ったこともない。
だけど、ずっとモヤモヤした何かがあたしの胸の中で渦巻いているのを感じていた。
そんなあたしが小毬と、そして蒼太や蓮と仲良くなったのは、高校に入ってすぐだった。
「……何?」
入学式の直後、クラスに入って自分の席に座っていると、斜め後ろの女の子の視線を感じて眉間に皺を寄せながら声をかけたのが始まり。
恐らくあたしのピンクメッシュの髪型が気になるんだろう。朝から視線が鬱陶しかった。
別に校則違反でもなんでもないんだから放っておいてほしい。
遠慮のない視線にうんざりしていて、自分から話しかけた。
ハッとした顔をしてから顔をまっ赤にさせてあたしを見つめる大きな瞳は、正直かわいいと思った。
あたしにはない、素直さがこの子にはある。
そうすぐに思った。
「ご、ごめん……髪、キレイで見とれちゃった」
へらっと恥ずかしそうにあたしに笑いかける彼女は、その後すぐ勝手に自己紹介を初めて「私の事は小毬でいいよ」と言った。
「えっと、あなたは?」
「……楓」
「へえ、かわいい! ねえ、楓って呼んでもいい?」
嬉しそうにそう言って笑う。
自分でも不思議なほど、あたしは彼女に好感を抱いた。
こんな可愛らしい子と一緒にいたら、いつかまた傷つけてしまうかもしれないと思うのに、なんでなのか、彼女とは仲よくできたらいいなと思った。
多分天然パーマだろう。くりくりっとしたかわいらしい髪型が、この子の放つ雰囲気にすごく似合っていた。
大きな問題を起こすほどの度胸はなかったけれど、見かけがそれなりに軽い雰囲気だからか、今までの友達はみんなあたしと同じような派手な格好をしていた子が多かった。
だけど小毬はちがった。
明らかに真面目で、だけど明るくて元気で。誰とでも仲よく出来る、そんな女の子。
なのに、あたしを見つめる真っ直ぐな瞳。
それが、とても嬉しく思った。
「ね、お昼、一緒に食べない?」
次の日のお昼休み、小毬はすぐにあたしに駆け寄ってきてそう言った。
返事をするよりも早く、ぐいっと手を引かれ、屋上に連れて行かれた。
引かれた手は、とても温かかった。
「誰?」
初めて脚を踏み入れた屋上には、既にふたりの男の子がいて、そのふたりの雰囲気にちょっと驚いた。
光が当たって金色に見える髪の毛の男の子に、長めの髪の毛と切れ長の目の、見るからに女の子に人気があるだろうな、と思う男の子。
まさか、小毬みたいな女の子が、こんな男の子たちと一緒にお昼を食べるほど仲がいいなんてイメージできなかった。
でも、だからあたしの見かけにも気にしないで話しかけてくれたのかもしれない。
「同じクラスになった楓! 一緒にお昼食べようと思って」
ね? と言いたげにあたしの方を見て、同意を求めて微笑んだ。
返事を聞くまでもなくここに連れてきたっていうのに。
「——ふはっ!」
余りにも自信満々で、なんの疑問もなく微笑む小毬の顔を見て思わず吹き出すと、小毬は意味が分からないようで、首を傾げる。
「あはは……あんた、いいね。そういうの、好き」
多分、女の子にここまで素直に“好き”と言ったのは初めてだと思う。だけど、彼女にはその表現しか当てはまらなかった。
何がいいのかわからない。自覚なく、人を巻き込んでゆくその性格は、好き嫌いが別れるところなのかもしれない。
けれど。その瞬間、あたしは間違いなく、小毬を好きだと思った。
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「ふたりってつきあってんの?」
数日間、三人の輪に混ざってお昼と食べていると、自然に浮かんだ疑問。
それをなんの躊躇もなく小毬と蒼太を見つめながら口にした。
あたしの言葉にふたりは驚くこともなく「まっさかー」と笑うだけ。
多分言われ慣れているんだろう。言われ慣れていると言うことは、それだけ人にはそう見える、ということだとこのふたりは気づいているんだろーか。
「ほら、誰が見てもそう思うって言ってんだろ」
デザートのチョコレートを口に含めながら、蓮が呆れ気味にそう言うと、蒼太達は「そんなこと言われてもなあ」とぼやいた。
自覚がないのか、それともそんなふうに思われても気にしてないだけなのか。
あたしには後者に見えるけど。
いや……そうでもない、か。そんなふうに思われていることをきっと分かってるし、分かっていて蒼太は小毬を得ベル大事にしているんだろう。
だってあからさまだもの。
……つまりそういうことなんじゃないの?
「付き合えばいいのに」
ぽつりと零した言葉を、蓮が拾って苦笑を見せた。
蓮にとってふたりがどういうものなのかはわからない。
ただ蓮はふたりにどーにかなってほしいと、少なからず思っているような気がした。
ことあるごとに、そういったことを口にしていたのは、あたしよりも蓮の方が多かったから。
本人がそんな自覚がないなら、まあどうでもいいか、と思ってあまり口にしなくなったあたしとは正反対に、ふたりに自覚させたいのかなって思う。
彼女をとっかえひっかえしてる蓮からみるとじれったいのかな。
放っておけばいいのに、と心の中で何度も突っ込んだ。
奇妙な、関係。
三人の関係に感じたものはそれだけだった。
その数日後、蒼太と仲よくなったというトモが一緒にご飯を食べるようになって、あたしたちは常に五人で屋上を占領するのが日課みたいになっていた。
ずっとひとりだった。
ずっとひとりにされたわけじゃないけれど、あたしはひとりだった。
ひとりでも大丈夫だと誰しもに思われていて、甘えることもなく、依存することもなく、ひとりでも大丈夫だと思っていた。
心配されることもなければ、心配することもなかった。
だから、屋上は……すごく居心地が悪く、どこよりもあたたかかった。
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トモの背中はいつもと変わらない背中。
授業中、少し前にいるトモの背中を眺めていると、ため息が溢れる。
最近のトモが変なのは分かっていたのに……あたしには何も出来なかった。
いや、いろんなことに対してあたしは何も出来なかったんだ。
古文の先生が教壇で何かを話しているのをノートを取ることもなく眺めるだけの授業。
トモの背中を見ていれば、相変わらず真面目にノートを取っているのがわかる。手を頭を動かして、何度も黒板と机の上を視線が行き来している。
……何で勉強なんてするんだろう、と思いながら、この前蒼太ともめたことを思い出すと、トモにとって勉強はなんか大事なことなんだろうな、と思う。
あんなに怒るほどつらいならやめればいいのに。そう言えば、きっとトモはもっと悲しむだろうし怒るだろうな。
……そんなことを、冗談でも言えるようなタイミングはこの先ないかもしれないけれど。
——『屋上には、行かない』
トモの言葉を思い出すたびに、胸が締め付けられる。
屋上が四人になる。トモが来ない事はもちろん淋しい。
それ以上に、四人になるのが辛い。そんなふうに自分のことだけを考えるなんて、あたしもトモに文句も言えないくらい薄情者だな。
少し前なら、多少は四人の時間でも楽しめたのかも知れない。蒼太と小毬の関係に苛立ちは感じるだろう。けれど、そんなのは今の状況に比べればなんてちっぽけなものだったんだ。
こんなことなら、言わなきゃよかった……。
小毬に言われたように、蒼太に、小毬を縛り付けているのは蒼太だなんて、言わなきゃよかった。
蒼太がどうしてあの他校の女の子と付き合うことにしたのか、意味がわからない。けれど、それを我慢出来ずに本人に口にしてしまった自分は昔からなにも変わってないんだと思い知った。
余計なことを人に伝えるのは気をつけようと、何度も思っているにも関わらず、あたしはいつも結果を知ってからしか後悔できないし、それを次に活かすことも出来ない。
蒼太と小毬は仲がいいだけ、そんな関係じゃないことは、一カ月も一緒にいれば誰もが気づく。
あんなにもあからさまな愛情表現をしておいて、気づかないふりをし続ける蒼太。そう、“ふり”なんだ。
小毬の気持ちに、蒼太は絶対気づいている。
あんなにも分かりやすく嬉しそうな顔を見せたり、頬を赤らめる小毬に、あたしなんかよりもずっとそばにいた蒼太が気づかないはずがない。
気づいてなければ、そんな小毬を見るたびに切なそうな顔をするはずがない。
そんな顔をする蒼太が、誰よりも小毬を気にして、何よりも優先させる小毬のことを好きじゃないだなんてあり得るはずがない。
もともと妹の面倒を積極的に見ている蒼太のことだから面倒見はいいんだと思う。あたしに対しても蒼太はとても、心配する。
それでも、小毬に対してだけは、格別だ。
そんなこと、小毬は気づいてない。
だから小毬は蒼太に幼なじみとしてしか見てもらっていないなんて思うんだろう。
だから、蓮となんか付き合おうと思うんだろう。
蒼太にとっての“一番”という、特別な立場にいることを、小毬だけが気づいてない。“一番”で“唯一”そんな存在が当たり前の小毬には、それがどんなに幸せで満たされているのかわからないのかもしれない。
小毬に対してそんな中途半端な蒼太に腹が立つ。
それでも一途に、蒼太だけを思い続けていた小毬。
「だからって、なんで、蓮と……」
一ヶ月近く経つのに未だにその関係に納得ができない事実に、気分が沈んだ。
今更もう、どうしようもないのに。
あたしにはなんの関係もないのに。
なんでこんなにショックなんだろう。
何もしないまま授業が終わって、お昼休みに入る。
ハッとしてトモに視線を移せば、トモはすぐさまお弁当を手にして席を立った。
その姿は今までと一緒だ。
もしかして、屋上に来てくれるのかも……。そんな期待を抱いてあたしもトモを追いかけるように席を立ったけれど、トモはあたしの方を見ることなくそのまま教室を後にした。
……多分トモはあたしの方をわざと、見なかった。
「……トモの、あほ」
取り残された教室で、誰にも聞こえないように呟くしかできない。
——楓なら、ひとりでも大丈夫でしょ? ボクがいなくてもいいでしょ?
そんなことを言われているような気がする。
誰よりも寂しがり屋だったくせに……ひとりで先に行くなんて、ずるいよトモ。
胸の中に苛立ちが募る。
何に対して怒っているのか自分でもよくわからない気持ちで、余計に苛立ってしまう。
ぐっと奥歯を噛んで窓に視線を移した。
廊下から見える空は、少しくすんで見えた。
……屋上、か。
みんなが自然に集まる場所。約束をしたことはないのに、ほぼ毎日あたしたちはあそこでご飯を食べて、あそこで話をする。
約束をしなくていい場所。
そんなものなくても、誰かがいつもそばにいてくれる。
ひとりになりたいときは行かなくていいだけ。だから、ひとりになりたくないときに行けば、笑顔で迎え入れてくれる場所。
だけど、求められているわけでもない。
「なにを、苛ついてるんだろ」
くだらない……。自分の卑屈な考えにうんざりして、そのままトモの向かった方向と逆に歩き始めた。
きっと、小毬との関係が、まだちょっとぎこちないからそう思うんだろう。
あの日、小毬とケンカをしてから、ちゃんと謝ったりしたわけじゃない。ただ、なんとなくいつもどおりに振る舞うようになっただけ。
多分あたしも小毬も、謝ることができるほど自分が間違っている、なんて思ってないから。
だからこそ、どこかぎこちないんだろう。
小毬と蓮のことに対して、許すとか許さないとか、そんなことをあたしが言えることじゃないことくらいわかってる。でも、それでも。どうしても……放っておけない。
小毬が決めたことで、なおかつ蒼太はあんな感じ。
蓮は蓮で——……。