23閉じればいつもそこにある
なんで、オレの心はいつも苦しいんだろう。
いい加減にこの堂々巡りの日々から解放されたい。そのためにいろんな女と付き合ってきたのに、その場で足踏みしているだけみたいだ。
苦しいから、屋上に来たくなる。何もない屋上でしか息が出来ない。
蒼太への気持ちに……オレが気づいていないはずもない。
どんなに認めたくなくても、いつもオレの心の中にあって、オレをいつも黒く染める。沸き上がる感情はいつも、その気持ちの先にあるものばかりだった。
小毬ばかりを大切に思う蒼太に何度も何度も奥歯を噛んだ。
なのに何もせず、距離を保つ態度に、苛立ちが募る。
オレのおかしい感情がオレをどんどん飲み込んでいく。
あり得ないのに。そんなことあっていいはずもないのに。男だろ! オレも、蒼太も!
そんな気持ちは気のせいだと、気休めでもいいからと、必死に言い聞かせた。心の奥底で気づきつつ、自分ですら一度も認めなかった気持ち。
いっそ誰でもいいから、蒼太が本当に、誰かと付き合ってしまえば、なくなるんじゃないかと思った。
なのに、常に思う。
オレにだけ笑っていればいいのに。
小毬よりもオレをそばにおいとけばいいだろ。
何でも言ってくれよ。知らないことなんか何もいらない。全部オレには、言ってくれよ。友達だっていいから、オレを、大切に思ってくれよ!
……なんでこんなことばっかり考えてしまうんだ。
オレには何でも話して欲しい、なんて……友達だからって絶対なわけじゃねえってのに。
想いを口に出来ないどころか認めることさえ出来ないもどかしさと、自分の願いが叶わない落胆の蓄積、徐々に募る苛立ち。
蒼太にとって、なにも話さないオレは……なんなんだ? 何にもなれない。ただの友達。唯一でも何でもない。
いや、そんなことは本当はどうでもいい。
オレよりも、小毬の方が近いことが——憎い。
小毬のことを嫌いなわけじゃない。
だけど、一途に蒼太に思いを抱くことが出来る。
そばにいて、笑える。何でも知っているかのように。そして何より、蒼太も同じように思っていて、蒼太への気持ちを自分で認め受け入れることが出来る。
そんなにも恵まれた状況の小毬を羨ましく思っているのは事実だ。
「はじめ、は……」
誰に言いたいのか分からないけれど、言い訳のように、口にした。
始めはちがった。
小毬のことは好きじゃなかったけれど……だけど提案した気持ちにウソはなかった。蒼太のそばにいるために、一緒にいたらいいんじゃないかと。小毬とだったら、きっと……うまくやれるはずだって。そう思っていた。
オレと同じように蒼太を思いながら報われない小毬。
共に、行き場のない思いを抱いていた。
小毬と蒼太が上手くいけば自分も報われるんじゃないかと思ったのだって本心だ。けじめがつくんじゃないかって。
だけど、そばにいると前よりも大事にされている小毬に嫉妬が募る。嫉妬と同情が混ざりあって、自分がどこに立っているのかも分からない程の暗闇に飲み込まれる。
だけどオレと小毬はちがった。
小毬を利用して何かが変わればいいと思っただけだった。小毬もそれだけで、それ以上の関係になるなんてあり得ないと思っていた。
そして、小毬はオレにすがりついた。そして……オレを見ようとした。
真っ直ぐすぎる。出来もしないのに、それでもちゃんと前を見る。そんな小毬のそばにいたら……オレはもっともっと、黒く澱んで、何もかもが見えなくなるんだ。
誰に聞かれるはずもないのに、声を押し殺して、止まらない涙を流し続けた。
遠くでチャイムが聞こえる。授業が終わったんだろう。
「はぁ……」
涙が止まったことを確認して、声をかみ殺していた口元を緩めて大きく息を吸い込んでから空を見上げ息を吐き出した。ため息によく似た深呼吸。
オレがなにをしてなにを考えていたって、変わらない青空。二年後も、オレはこうして同じ気持ちを抱いたままこの空を見上げるのだろうか。
来年の今頃は、こんな風にのんびりできないだろう。きっと受験に追われている。オレに限らず、みんなも、それぞれの道を進むために、空を遮って机に向かうんだろう。
この前蒼太と話したように……オレらは高校を卒業したら、どうなるんだろう。
離れてしまえば……オレの気持ちも何かが変わるかもしれない。どっちにしたって、このままオレと蒼太がそばにい続けるなんて、無理な話だ。
大学が離れ、距離ができて、会うこともなくなれば……一時の迷いだったんだと、そう思えるかもしれない。
そう思うのに、それを——悲しいと思ってしまうんだ——……。
「蓮」
突然の声に、ぴくっとからだが少し跳ねた。
そのまま返事をすることなく、ゆっくりと声のした方に視線を移すと……そこにはスカートを握りしめて俯きながら佇んでいた小毬の姿があった。
「……なに?」
いつも通りにしようと、そう決めていたから、いつものように返事をすることはたやすくできる。
だけど、小毬は相変わらず眉間にしわを寄せたまま……オレを見る。
ゆっくりとオレに近づいてくる小毬の足音は、聞こえない。だけど確実に、オレを目指して、迷いなく進んでくる。
「なんだよ、真剣な顔して」
なにが言いたいのか、そんなことわかっている。きっと小毬のことだから、ちゃんとオレに伝えようと思っているんだろう。
——もう、無理だと。
そう言うんだろ。言わなくてもわかっているのに。
「はやくしねーと授業始まるぞ」
なにも言わないまま、オレの隣に腰を下ろした小毬に、あきれ気味に告げた。近くで見ると、小毬の目が少し腫れているように見える……。
「これ」
なにがあった? と口にしようとすると、小毬が手にしていた小さな箱をオレに差し出した。首を傾げつつも、小毬の様子になにも言わず手にしてゆっくりと開ける。そこにはチョコチップのたっぷり入ったクッキーが敷き詰められていた。
「なにコレ」
「蓮、甘いの、好きだから。蓮の口に合うようなクッキー作ってきたの」
オレが聞いたのはそういう意味じゃなかったんだけど、と心の中で返答しながら一枚手にして口の中に放り込む。小毬が作ったお菓子にしては珍しい程甘く、オレにとっては丁度よかった。
いつものお菓子は蒼太に合わせていたからか、もっと味気ない感じだったのに。
「これじゃ蒼太食べられねーんじゃねえの?」
「……蓮の為に作ったから、いいの」
オレの嫌味に反応することなく淡々と答える姿はいつもの様子からはほど遠い印象がある。
なにがあったんだろうか。小毬がここまで頑なになるなんて。オレの為に、とコレを作ってきた理由は?
ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
「蓮」
「……ん?」
「私、蓮と……付き合う」
次の授業の始まりを告げるチャイムが、遠くで聞こえた。
……いや、それよりも。
「なんで? お前には無理だっただろ……」
あまりに予想外の小毬の言葉に、戸惑いを隠すこともできなかった。なにがあって……そんな決断に。
オレの言葉に、小毬はゆっくりとオレを見た。目は少し赤い、けれど、真っ直ぐに。強い意志を感じられる瞳。
「ちゃんと……蓮を見るから。だから、付き合っていて欲しい」
駄目だ。そんなのしないほうがいい。オレにも。小毬にも。そんなの、そこにどんな理由があっても、一時だけ。
逃げ切れないのを思い知らされるだけだ。逃げ切れないから、逃げたくなるだけ。オレは、たった数日でより深みに嵌った。
「なにが、あった?」
あまりにも強い小毬の感情に、違和感を覚え、何とか冷静にそう言った。
意地になっているだけなんじゃないか? という言葉を言えば否定するだろうと飲み込んで反応を待つ。
ここで、感情的になるわけにはいかない。小毬のことを好きなわけじゃないけれど、傷つけたいとは思ってない。蒼太の大事な女で、オレにとっても大事な、友達だ。そう、本当に思っているからこそ。
「なにも、ない。なにもないから、このままじゃ……こんなままじゃ、いっぱい傷つけて、私は……きっと、醜くなってしまうから。だから……蓮を、好きになりたい。ちゃんと」
瞳には、あふれそうな涙がたまっていた。震える声は、弱々しいのに。それでもオレは小毬に圧倒される。
「昨日……あれから千晴ちゃんと、蒼太が話す姿を見て、ダメなんだ、って……」
あのあと、なにがあってそこまで思うに至ったのかはわからない。
昨日の様子だけを思い返せば、むしろ、小毬と蒼太の関係を思い知らされるだけで、小毬がそんな風に思うような何かがあったとは、到底思えない。それでも、小毬がここまで必死になるほどなんだから、何かはあったのだろう。
唇を小さくふるわせる彼女にそれを聞くことは出来なかったけれど。
「蓮が、私を、まだ、好きだって、付き合いたいって思ってくれるなら。私……」
瞳から大きな雫を流しながら、顔を上げて視線をぶつけてくる小毬に、体が萎縮した。
違う。そんなこと思ってない。
だけどそんなこと今更言えない。狡いオレの勢いだけで口にした言葉。その言葉がのしかかってくる。だけど、小毬の気持ちがオレにリンクする。
逃げたい。やめたい。忘れたい。踏み出したい。
ひとりなら、無理なのかもしれない。
ふたりになったら、もっと無理かもしれない。
でももしかしたら、どこか、違う道をみつけることができるかもしれない。
少なくともオレは、小毬の思うオレじゃない。小毬のことも好きじゃない。オレが本当に好きなやつがいるなんて、それが誰かなんて、小毬に言えるはずがない。
だけど目の前に泣いている小毬が、まるで自分のように見えた。
ゆっくりと近づいてくる小毬から視線が外せない。小さな体を震わせながらオレに傾くその体に、気がつけば手を伸ばし肩を抱き、小毬のキスを受け入れた。
どうしていいのかなんかわからない。どうしてこうなってしまったのか。
だけどもう、泣いて欲しくない。もう、苦しんで欲しくない。
“自分”には——……。
暗闇から、抜け出すために、オレは、暗闇に足を突っ込む。見つからないように。
ふと、開いた視線の先には……涙を溜めて、無理をして微笑む小毬の顔があった。痛々しいほど一生懸命に、オレに向けるその瞳を閉じてやりたくて、見たくなくて、オレは再び小毬に口づけをした。
強く。自分のこの汚くて醜い感情を食らうかのように。
瞼を閉じれば、暗闇しか見えなかった。