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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅲ黒い夜空
19/53

19歪な形の歪な亀裂


.

..

 。



 このまま帰ってやろうか、と思いながら家を出た。

 当日になると、まあいいか、と思って引き受けた自分が信じられないほどに足が重く感じた。踵を返して家に戻ろうかと何度思ったか。

 そんな気分に拍車をかけるように、待ち合わせの時間五分ほど前に着くと蒼太の彼女、千晴がすでに待っていた。

 やたら気合を入れた服装に髪型に化粧。あとは、鼻につく香水。

 ……なんでこいつとふたりきりで待たなきゃいけねえんだ。

「あー……」

「今日は、よろしく」

 オレはよろしくするつもりはないけど。

「え、と、彼女、は?」

「ちょっと遅れるって」

 なんとなく媚びたような口調に聞こえてきて素っ気なく答える。 

「蓮くん、ほんとに……彼女変わったんだね」

 何で話したこともろくにない女に、急にくん付けでよばれないといけないんだろう。しかもほんとにってどういう意味だ。

 ……そういや、前の彼女はこいつと知り合いだったっけ? 知り合いの知り合いだったっけ? どっちでもいいか。

「え、と、今日の映画、見たかった、かな?」

「まあ、それなりに」

「そっか、よかった」

 やたらオレの目を見てくる姿に嫌悪感が募って、遠くを眺めながら素っ気ない返事ばかりを繰り返した。

 オレの態度に気づかないわけがないのに、女は勝手に話を進める。音楽が好きだとか、映画が好きだとか。どれもオレの好みに近いから話はできるんだけれど、そんなこともする気にならない。

 ちょっと黙ってくれないかな。

 そう言って黙らしてやりたいけど、言えばきっと蒼太に怒られるだろう。一応仮にも親友の彼女だし、あんまり無碍にもできないっていうのがめんどくせえ。

 携帯電話をいじって、小毬に『まだか』と短いメールを打って送った。


 その間も目の前の女は話を続けている。この様子のどこがウブなのか。今度蒼太を問いつめてやる。

 こんなよくしゃべる女相手に会話ができないなら蒼太の問題だ。こっちが黙っていたってひとりでしゃべってるんだから。

 確かに見た目はかわいい。さらさらの髪の毛に、目鼻立ちのはっきりした顔だち。正直言えば、小毬と対局だ。小毬は小動物みたいな感じだから。こいつはどっちかというと人形みたいな。

 蒼太の奴が好きだ好きだと言うのも結局、小毬にだからなんじゃねえのか? 中身もある意味正反対に見える。もしかすると、中身なんてどうでもよかったのかもしれない。

 ……それを知ったら、小毬はどう思うだろう。どっちにしたって言うつもりは毛頭ないけれど。オレの想像でしかないしな。


 隣の女は必死で話を続けていて、オレは“ふーん”と“へえ”を繰り返すだけ。

 ったく。何でこの組み合わせで出かけるっていうのにあいつと小毬が一緒に遅れてくるんだ。

 数十分前に届いた蒼太からのメールを見てため息が零れる。

『俺と小毬ちょっと遅れる。ごめん、すぐ向かうから』

 ……何で一緒に来てんだあいつら。

 ほんっとうにイライラする。本気でバカだなこいつら。


「でも、蓮くんが小毬さんと、付き合うとは、思わなかった、な」

「……は?」

「あ、いや、小毬さんって、なんか、意外だったから」

 意外もクソも。お前はオレのことなんか何も知らないだろうが。そう思って千晴の顔を見ると同時に、心臓がドクリ、と大きく響いた。

「お前……」

「え……?」

 こいつ、もしかして。

 気のせいだったらいい。自意識過剰な考えだといい。

 だけど……オレはこんな女を何人も見てきた。だからこそ、確信する。

 こいつは……。

 信じられない怒りと呆れが同時にオレを襲ってきて、体が小刻みに震えた。

 なに、を……考えてんだこの女。


「おま……」

「わりい! 遅れたーごめん!」

 口を開きかけた時、蒼太のバカみたいに明るい声が響いて、オレと、そして千晴も、同じように体をビクリと震わせた。

 振り返れば、駆け足で向かって来る蒼太と小毬の姿。

「ご、ごめん」

 眉を下げて、オレを上目遣いで見てくる小毬にイラッとしながらも「いや」とだけ返す。小毬に怒っても仕方ない。ただの八つ当たりだ。この怒りの原因が、遅れてきた事じゃないから。

「千晴ちゃん、ごめん……」

 千晴のそばに行き、謝る蒼太は、ひどくバカな男に見えた。

 お前はそいつに、どういう意味で謝っているんだよ。小毬と一緒に来たこと? 遅れてきたこと? 

 そんな蒼太に「いいよいいよ」と笑顔で返す女を殴りたい気持ちになる。

「蓮も悪い。大分待っただろ?」

「……いや……」

 笑いかける蒼太の後ろから、千晴がオレを見ていた。オレを見るその瞳が、気持ち悪い。

 ふと、小毬を見ると、何も気付いてない様子で首を傾げてオレを見た。

 この面倒なふたりは、心底バカだ。長い間お互いの気持ちに気づいていないのもここまでバカなせいだ。

「行こう」

 とりあえずこの微妙な空気から、立ち去りたい。

 その思いだけを抱いて、小毬の手を取って歩き出した。後ろで笑い合っているだろう蒼太と、千晴の、その空気を見たくなくて前だけを見て。

「……蓮?」

 小毬が戸惑いがちにオレに呼びかけたけれど、振り向きも返事もしないで歩いた。

 信じたくない気持ち。だけどオレは……分かるんだ。分かってしまう。ぎゅっと小毬の手を強く握りしめる。

 ——怒りを込めて。



 蒼太と小毬が遅れてきたからなのか、映画館に着いたのは丁度いい時間だった。

 チケット売場には行列ができていたけれど、オレらはもう持っているからこのまま時間が来るのを待つだけか。

 この気分で列に並ぶとか考えらんねえ。そう思うとやっと気持ちが少し落ち着く。

 それにしばらくは映画を観ていればいい。数時間は気分の悪い会話を聞くこともなければ、話しかけることもないし、顔だってみなくていい。

 はあ、と小さなため息を漏らしてから振り返り小毬を見て「なんかいるか?」と口にした。

「……何その顔」

 振り向いた先の小毬は、顔を真っ赤にして少し頬を膨らませてる。……怒ってる顔。ちょっと息も切れている。

「蓮、歩くの速い。あと手が、痛い……!」

「え? あ、ああ悪い」

 きつく握って、後ろのふたりと関わらないように一直線に映画館に向かって歩いていたから……気がつかなかった。

 パッと手を離すと、小毬は「もう!」とオレの隣に並んで「じゃあ……ポップコーン。蓮のおごりでしょ?」そう笑った。

「……あ、ああ。飲み物、は?」

「えーっと、コーラ」

 よろしくね、と付け足してから、小毬は奧のソファーに向かって行く。

 ……胸が、痛む。

 小毬に微笑まれるなんて珍しい事じゃない。どっちかというと小毬は四六時中笑っていると言ってもいいくらいだ。

 だけど……ぎゅっと唇を噛んで、売店の列に並んだ。


 付き合ってまだ数日。そんな期間で小毬の気持ちが変わるはずがない。変わらないからこその、この関係のはず。そうじゃなくちゃならないんだっていうのに……。なんで小毬はあんな風にオレに笑いかけるんだ。

 蒼太を見るように、まではいかないけれど……それでも“オレ”を見てるのが分かる。まじめな……小毬らしい。

 ——胸が痛む。

 オレにも良心があったのか、と思って自嘲気味な笑みがこぼれた。


「お前、行くの早すぎー」

 ……うるせえ、バカ。

 振り向きもしないで、聞こえた声に心の中で文句を返す。その後で振り返れば、蒼太が隣にいた千晴の方を見て「何食べたい?」なんて彼氏っぽく声を掛けている。

 ……ふたりで会うのが恥ずかしいとか言っていた割に、手はしっかりと繋がれている。

 こんなことなら本当に……一緒に来なきゃよかった。

「あれ? そういや小毬は?」

「あそこ」

 きょろきょろと辺りを見回して、小毬がいないことに気づいて蒼太が聞く。

 オレがくいっと顎で居場所を伝えると、蒼太は千晴に「じゃあ、よろしく」と言って小毬のところに向かっていった。

 何で……こいつを残していくかな。

「蒼太くん、お手洗いだって」

「……あそ」

 不満が顔に表れていたのか、千晴が苦笑混じりにオレに告げた。それでもオレの顔はそのまま。不満を隠すことなく前を向いて順番がくるのを待つ。

 こいつとふたりにさせないでほしいんだけど。


「あ、の」

 千晴の声が届く。だからといって返事をすることもなく前を向いたまま聞こえないふりをした。

 しゃべるな。しゃべりかけるな。そう念じながら前だけを見つめる。

 けれど、千晴はそんなオレにお構いなしに話しかけてきた。無視されることも、わかっていたのかもしれねえけど。結構図太いな、この女。

 ……でも、まあそりゃそうか。“こんなこと”ができるくらいだもんな。

「蓮くん……って、小毬さんのどこが、好きなの?」

 その言葉に、ゆっくりと振り返る。オレの視線をみて、ほんの少しだけ千晴の体がこわばるのがわかった。

 どういう意味だ。そう聞こうかと思ったけど、そんなの聞かなくても、わかる。

「おまえに関係ない」

 自分でもわかるくらいに冷たい声だった。女に対してここまで感情を露にすることはなかったけれど、さすがにこの状況では愛想する気もない。

 千晴は少しだけ肩をびくつかせ、少し視線を逸らした。

 ……だからってどうってことはない。

 わかっててオレはそう言ったから。傷つけるつもりで。

 できればもう二度と、オレに話しかけないように。もっと言うなら、蒼太にさえ、関わらないように。

 顔を見ればみるほどに苛立ちが募る。この女の考えているだろうことに。

 お前なんかが……オレらの関係に入ってくることが許せない。

「前の彼女の先輩と、雰囲気違うから、なんでかなって」

 本当に、女っていうのは図太くてしたたかで、ウソツキだ。

 もう一度オレに視線を戻した千晴はそう言って笑った。

 なんでもないことのように。しらを切るかのように。

「お次のお客様ー」

 レジの女に呼ばれて、オレは返事もせずに注文を済ませてから、千晴を気にすることなく小毬のもとに向かった。

 あんなのが……。

 改めてそう思うと耐えきれないくらいにムカつく。


「あれ? 千晴ちゃんは?」

「知らねぇよ。気になるならおまえが行けよ」

 小毬の隣にいた蒼太にもムカつく。いちいちうるせえし、小毬に構ってないでてめえの彼女をちゃんと気にしてろよ。トイレ済んだなら小毬の隣じゃなくてあいつの隣に行け。

「なんだよ、機嫌わりいなー」

 そんなオレにも、蒼太はいつものように笑うだけ。そしてあの女のところに駆け寄っていく。

 蒼太のいた、小毬の隣に腰を下ろして奥歯を噛んだ。


「……どうしたの? 蓮、怖い顔してる」

「なんでも……」

 小毬の言葉にもろくに返事ができない。この怒りのままに小毬にも八つ当たりしてしまいそうだ。

 蒼太とともにトレイを手にしてやってきた千晴は、オレを見てほんの少しだけ気まずそうにうつむいた。

 隣で聞こえるふたりの会話なんか聞きたくもないのに、意識がすべてそれにもっていかれる。隣でオレに話しかける小毬の言葉なんか、なにもわからない。ただ適当に相づちをうって、次第に小毬はなにも言わなくなった。


「あ、もう入れるって」

 小毬が入り口を指さして、蒼太を見る。

「じゃあ入るかー」

「行こ、蓮も」

 入り口に向かって歩き始める蒼太と小毬を見つめたまま座っているオレを振り返って、小毬は言った。

 そしてオレの目の前には……千晴。……そのまま並んで入っていくオレらは……端から見ればただのダブルデート。

 それは間違いじゃない。だからこそ、腹が立つ。小毬にも、蒼太にも、この千晴にも。


 オレらがどうして一緒にいるのかを、こいつらはどう思ってるんだ。

 何で小毬と蒼太が並んで歩いている? 何でオレの隣に千晴がいる?

 オレだけしか、考えてねえ。自分勝手じゃないのかおまえら。オレはこんなに……自分の気持ちを押さえ込んでいるのに。

 ぎりっと唇を噛むと、鉄の味が口の中に広がった。

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