18いつか見えなくなる空
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クソ暑い教室と、二限目の授業から逃げるように屋上に向かうとそこには蒼太がいた。
……なにやってんだ。
オレが入ってきたことにも気付かないでフェンスにもたれながら空を仰いでいる蒼太の髪の毛は……いつものように眩しく光る。
だからオレはいつも、蒼太の姿をすぐに見つけることが出来る。
「おい」
耳元のヘッドフォンを両手でばっと蒼太の耳から奪い取ると、どれだけの音量で聞いていたのか、オレの耳にまで音楽が響く。
「——び、びびったあー」
目を丸くして俺の姿を見る蒼太。
本当に気付いてなかったんだろう。何を考えていたんだか。
「サボってなにやってんだよ。最近不真面目じゃねえか」
「んなことねえよ。天気がいいからのんびりしたくなっただけだって」
ぐいっと背伸びした後で、蒼太はいつものように笑う。笑っているのに笑ってないようにも見えるのはオレの気のせいだろうか、なんて。
「彼女とうまくやってんの?」
「まあ、そりゃね」
ぼんやりした返事だな。
……千晴ちゃん、ねえ。
蒼太の隣に腰を下ろしてぼんやりと彼女を思い出すもオレには特長がつかめない普通の女に思えた。確かにかわいいけど、何となくオレが今まで付き合ってきた女と大差ないイメージだ。
頭の中身が恋愛でできているような人種。
小毬の方がよっぽどいいと思う。楓はまた違った意味で違う女だと思うけどな。
別に女の子とをバカにしているつもりはないけど……だけどみんな同じような印象しかない。
「お前こそ小毬とどうなんだよ」
びくっと体が震えそうになるのを堪えた。
堪え切れたかどうかは分からないけど。そんな動揺を悟られないようにポケットから煙草を取り出して火をつけながら返事をする。
「どうって別に? 大事にしてるよ心配しなくても」
意味深に笑ってみせると、蒼太は「そっか」とそれ以上何も言わないでまた空を仰ぐ。
「小毬のこと、大事にしてやってくれよ?」
独り言のような蒼太の呟きに、オレは何も返すことが出来なかった。
大事にするなら、付き合わない方がいい。大事にしたいならお前がすればいい。オレは既に小毬を傷つけている。小毬が気づいていなくとも、その事実はきっと変わらない。
「あ、そういえば」
言葉を失ったままのオレを気にする様子もなく、何かを思い出した蒼太が、ポケットの中に手を突っ込んで何かを探し出してきた。
出てきたと思った手には、数枚のチケットが握られている。
「なんだこれ」
渡されたチケットをよく見ると、映画の前売り券。今週末から公開されるとか、テレビでやっていたような記憶があるアクション映画。と、言ってもそばに女の人がいるからそれとなくラブストーリーも絡んでいるんだろう。アクションなら変なロマンスなんか入れなくていいのに。
でも、ちょっと気になっていた映画だ。
「一緒にいかね?」
「お前とふたりで?」
今まで一緒に過ごしてきたけど。ふたりきりで映画はさすがに初めてだ。
「ちょうど四枚あるし、小毬と千晴ちゃんもつれてダブルデートでもしようぜ」
返事にぐっと詰まった瞬間、蒼太は何も考えていないようないつものへらっとしたバカな笑顔を向けてオレに言葉を足す。
……ああ、なるほどね。バカらしい。
「やだね。ダブルデートなんてめんどくさい」
はあっと、いかにもダブルデートにうんざりしたようなため息を漏らして、蒼太にチケットを返すと、蒼太は「えーいこうぜー頼むよー」とまるで行かないと困るかのように眉を下げた。
「だいたいお前らもデートしてねえだろ? ふたりでいけよ。千晴ちゃんとやらも、オレらが一緒とか言ったら残念がるんじゃねえの?」
自分の女友達とのダブルデートじゃあるまいし。好きこのんでそんなもんに行くとは思えないけどな。
「いや、千晴ちゃんなら大丈夫ー千晴ちゃんから提案してきたし」
「……はあ?」
「いや、千晴ちゃんが四枚あるからって。せっかくだし誰かとどうかって」
中学生じゃあるまいし。バカじゃねえの。……そもそも。そんなもんに小毬が行くとも思えない。行ったところで俺も小毬も楽しめるはずもない。鈍感ってほんっと罪だな。へらへら笑ってる場合じゃねえよバカが。
何もわかってない蒼太を見て思わず、たまりにたまっている文句を吐き出してしまいたくなる。そんなことしたくもないのに。
「あとは……」
「まだなんかあんのかよ」
何を言われたって行かねえよ、と心の中で呟いてからタバコを地面に押しつけた。
「俺らまだデートしたことねえじゃん?」
「だから? なおさらふたりで行けよ」
「そーじゃねえって! お前にはわかんねーかもしれねえけど! 俺も千晴ちゃんもウブなんだよ! う、ぶ。で、初っぱなのデート、ふたりきりだと緊張するから……とりあえずダブルデートでもしてなれようかってね」
……ほんっとバカじゃねえかお前ら。そもそも千晴ちゃんはウブなんて柄じゃねーだろ。よく知らねえけど、あの女はウブなんて顔かよ。
ウブってのかどっちかというと小毬みたいな子どもみたいな女のことを言うんだよ。
しかも、なんだその小学生みたいな理由。一緒にデートしたら慣れるっていう発想がまず理解できねえ。
でも……。このチケットは美味しいよな。ちょっと観たいっていうのもあるし、少しくらい、小毬の喜ぶことでもしてやりたい。ただの罪滅ぼし。そんなの分かってる。こんなことで許されると思っているわけじゃない。
ただ、これが罪滅ぼしになるのか、傷口に塩を塗りこむことになるのか、ってのは賭けみたいなもんだけど。
「考えとくよ。小毬にも聞いてみるし」
「さんきゅー」
小毬の気持ちには絶対気付いていると思っていたんだけどここまで来たら本当に気付いてなかったのかと思えてくる。蒼太のバカみたいな笑顔は、ほっとするときもあれば苛立つときもある。
本当の本当に、小毬に対して何も思ってなかったとか……?
わかんねえけど。どっちにしてもオレの状況は一緒か。
「どーした?」
蒼太の顔を見たまま黙ったオレに、蒼太が首を傾げてきたけれど「別に」とだけ返事をして再び煙草を取り出した。
「俺らは、いつまでこうやっていられるんだろうなー」
蒼太の言葉に、煙草が手からするりと零れそうになる。
……いつまで。
永遠なんてこの世にそうそう無いことは分かっている。
こうやって、蒼太や小毬、楓とともろーと、ここで会うことも残り一年だろう。
ここにいる時間がそんなにかけがえのない物だという認識もないけど。……それでも失うのかと思うと淋しいと素直に感じる。
「卒業したらばらばらになるのかと思うとさみしーよなあ」
「……いつでも会えるだろ」
それはオレの希望だ。望みだ。
今、その先の関係を築こうとしているオレの行動。同時に無理矢理叩いてぶち壊そうとしているオレの行動。
「まあなー! お前は大学どーすんの?」
「まだちゃんと決めてねえけど、勉強しねえところがいいな」
「写真は? もうやってねえの?」
やってないってこともないけど、やっているとも言い難い。
親父にもらった一眼レフで、写真を撮りまくっていたのは去年くらいまでだったっけな。
今じゃ週に一回触れたらいい方だ。
「写真で食っていけるかよ」
「蓮の写真、俺好きだけどなあ。見せてもらったやつまだ覚えてるもん」
どんな写真を見せたのかも忘れたよ。
あの時期はハマって何でも撮ってたな。見よう見まねで、独学でやっていただけだけど。
……写真は好きだけど、趣味でしかねえよなあ。あの程度でカメラマン目指すとか、どんなけ無謀だよって話だ。
「やればいいのに。もったいねえ」
「勉強しないでいいなら、候補に入れてみるか」
「てっきとーだな! でもそういうの芸術家っぽい」
なんだそりゃ。
蒼太の言葉に苦笑にも似た笑いを零した。
「っていうか芸術ならともろーだろ。あいつの絵すげえうまいんだろ。去年なんか賞取ってなかったっけ」
ちゃんと見てなかったからどんなのか覚えてねえけど、なんか終業式か始業式かで名前を呼ばれていた記憶がある。
「あいつ何やらせても上手いよなー。でも智郎は医大だろ? オヤジの病院継ぐんじゃね? 頭もいいし。あいつ医者になったらある意味こえーよな」
ケタケタと笑う蒼太に、釣られるように笑いながら晴れない心の中身を誤魔化すようにまた紫煙を肺に入れる。
「楓とかどーすんだろうなー。小毬は短大行って保育士になるってよ」
「へえ……」
小毬の夢なんか知らなかったな。
でも、小毬にはぴったりだな、となんとなく思った。
楓は……なんだろな。普通の大学生とか短大生ってイメージだ。
「……蒼太は?」
「え?」
呟いたオレの言葉に蒼太が反応して振り返った。目の中には空が見えた、ような気がした。オレの目には写らないような真っ青な空。
オレの目はきっと青空の下でも真っ黒だろうから。
「お前は、大学どーすんの」
「ああ……どうすっかなーって」
一瞬考えてから、蒼太はまた空を見る。
「何年後とかにも、俺らこうやって……いれたらいいな、ほんと」
さっきと同じようなことをもう一度、蒼太は呟いた。
「数年後、俺らはさー今日の日を思い出したりすんのかなー……」
さあ?
そう心の中で呟くだけで蒼太に返事はしなかった。
数年後、思い出せるほどの日々を過ごしている自覚はない。適当に過ごしてくだらないことに笑っているだけの日々だ。こんな日が笑い話になるんだろうか。
思い出したい日々かと問われると、正直よくわからない。
もしかすると、暗黒時代みたいにいつか思うかもしれない。でも、忘れることはきっとないだろうと、思う。
吐き出した煙草の煙はふわりと空に向かっていつの間にか消えた。そのまま見えないままずっと高くに舞い上がり、いつか雲になれたらいいのにな、なんてことを思った。
いつか。消えて、そして何か違うモノになれたらいいのにな。
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「……なにそれ」
帰りにダブルデートの話をすると、案の定小毬は不機嫌そうな、困惑したような顔を作って見せる。まあ、予想はしてたけど。
「デート?」
気にしない素振りで答える俺に、小毬はなお一層困惑の顔を見せた。
「……デートって……そんなのふたりのほうがマシよ……」
マシってなんだよ、という言葉は飲み込んで苦笑を漏らす。
まあ俺だって小毬と大差ない感情を抱いているから、文句は言えないけど、な。
小毬は徐々に、子どもが拗ねるように口を尖らし始めた。
「気持ちは分かるけど付き合ってやろうぜ」
「……なんで?」
オレの言葉に、小毬は少しだけ考えながら俺を見上げた。眉間にはしっかりと皺を寄せて。
そんなに嫌か。オレの方が“なんで”って聞きたいくらいだけど。
だけど小毬が何に対して“なんで”と言っているかってことくらいオレにだって分かってる。
“なんで行くの? なんであんたは、それを勧めることが出来るの?”
小毬が好きなはずなのに、小毬が好きな蒼太とのデートを勧めるなんてまあ、考えてみればおかしい。
でも、考え方によってはこうもできる。蒼太に見切りを付けて貰うため。……その思いがオレにあるのかないのか、自分でもわからねえけど。
「蒼太と一緒にいたいなら、蒼太の彼女と仲よくするのも必要なんじゃね?」
「……でも……」
ぴくりと動いてまた小毬は俯いた。
小毬は、真面目だな。事恋愛に関しては特に。さすが昔からずっと密かに蒼太を思い続けてきただけある。
きっと、オレと付き合うという決断を下したから……動悸はどうであれ、カタチはそうなったのだから、オレと多少なりとも向き合おうと思っているのだろう。
バカみたいに、真面目。俺の気持ちも知らないで。
だからオレが言ったような動悸で一緒に出かけることに抵抗してるんだろ? 本当は行きたいくせに。そういうの、逆にすっげえむかつくんだけど。
強かで、だけど弱いフリをして、真面目なフリをして純粋なフリをして。これでもかと言うほど、不純だ。
「しかもタダだってよ。ラッキーだろ。様子見て別行動すればいいし」
笑みを見せると、バカみたいに小毬はほっとした顔を見せた。
自分の醜い感情を知りながら、オレの判断に委ねるんだ。今までもそうだったように。
いつだったか……小毬に言った事がある。
——『大丈夫って言われるのを待ってるんだな』
中学のときの野外活動でキャンプをしたときのことだった。
食材係になった小毬は、小さい体に似合わないほどの大きなリュックを背負って、ぜえぜえと肩で息をしながら歩いていた。
大丈夫かとよ、と思いつつも、大丈夫! と出かける前に意気込んでいたから何も言わずに見守っていた。疲れたら言えよ、と蒼太も言っていたから大丈夫だろ、とも思っていた。
だけど、小毬は蒼太が『大丈夫かよ、持つからほら』と手を差し伸べるまで何も言わなかった。自分からは、何も言わない。それが健気だと思っているのか知らないけど。
蒼太がそばにいてくれるからそばにいる。オレが付き合おうと言ったから付き合った。小毬はその手に引かれただけ。
なんて楽なポジションなんだろうな。
「……じゃあ。いいかな」
だけどオレはそんなこと小毬に言ってやらない。言わないのはただ、言いたくないから。知らないふりをしていて欲しいから。
「蒼太に返事しとく」
オレはどんどん女を嫌いになっているのかも知れない。好きになればなるほど捕らわれていくんだ。
一番狡くて醜いのは自分だ。