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青に侵された屋上  作者: 櫻いいよ
Ⅱ赤い夕焼け
15/53

15壊してでも傍にいる


 ・

 

 二限目はちゃんと授業に出たけれど、案の定担任の先生には四限が終わってからこってりと怒られた。お説教が終わって屋上にやってきたのはお昼休みも十五分ほど過ぎてからだった。

 何かを考えているわけではないけれど、頭の中が何かでいっぱいになって何も考えられない。ずっと頭が真っ黒な気分。先生の説教も正直上の空だった。

 ……私、蓮と、付き合うことになった、んだよね。

 キスをしたっていうのは、そういうことだ。私も……そういうつもりで、受け入れた。だけどあまりに突拍子もない出来事で、もしかしたら夢だったんじゃないかと思う気持ちもある。

 もしかすると蓮の冗談かもしれない。

 あのあと、蓮はチャイムが鳴って「授業出るか」と腰を上げて、呆然とする私に、綺麗な手を差し伸べた。蒼太とは違う、指の長い蓮の手は、冷たくて蒼太よりも大きかった。


 触れた唇にそっと手を当てる。

 付き合うか?とは聞かれた。けれど私はそれに返事はしてない。

 ううん、それ以上に……どうして蓮は、あんなことを言ったんだろう。


 ——『オレと付き合ったら、蒼太のそばにいれるけど?』


 私の気持ちを知った上で、どうして。

 それを私が受け入れるっていうことは……蓮に恋愛感情がないってことになる。蓮は、本当に私を好きなんだろうか。好きだとは……言われてない。じゃあ、なんで、付きあおうって言ったんだろう。

「どっちにしても……最低には違いない、か」

 勢いとはいえ、あの一言に私はいとも簡単に蓮のキスを受け入れた。

 そして、それを後悔していない自分がいることもわかっている。これで、堂々と蒼太のそばにいれるんだと、喜ぶ気持ちだって、ある。

 自分がこんなにも、汚い人間だなんて、思っていなかった。



「あ、小毬」

 ギイ、と憂鬱な気分でゆっくりと屋上のドアを開けると、一番に私に気づいたのは蒼太だった。

 思わず身体を強ばらせて、「な、なに」と告げたけれど、その声はすぐにかき消された。

「蓮と付き合うってマジで!?」

 びくりと一瞬からだが震えて、蒼太の後ろにいる蓮に視線を移した。

 蓮はいつものように涼しい顔をしてジュースを飲んでいる。

「あ、と……」

 なんと言えばいいのか。

 付き合った、ということになっただろうとは思っていたけれど、やっぱりこうして言葉にされると違和感。

 違う、とは決して言えないのだけれど。それだけじゃなく。本当に好きな人は目の前にいるっていうのに。“蓮と付き合ったんだ”と、そう口にすることが嘘でもできなくて挙動不審に視線を動かした。

 そばにいる楓は、信じられないのか、まじめな顔をして私の心を探るように見つめている。そして、ともろーは黙って私を見ていた。

 みんなが……私の事を、どう思っているのか分からなくて、心拍数があり得ない程早く大きくなった。

「急だから信じられなくて」

「あ、う、ん」

 明るい蒼太だけがこの雰囲気に不釣り合いに思えた。それとも私が過剰反応しているからそう思うだけなのか。蒼太以外誰も口を開かない中、屋上には蒼太の明るいいつもの声だけがやたら響く。

「ま、そういうことで」

 困った私を見かねてか、蓮が私と蒼太の間に入って「飯、食うんだろ」と腰を下ろす。


 こんなに居心地が悪く感じるなんて。

 多少はわかっていたけれど……。だけど言葉にするとこの状況は本当におかしいのかもしれない。私が第三者なら意味がわからないと思う。何で今更? とか……楓なら、蒼太は? と思うだろう。

 一気に血の気が引いていくような、そんな感覚に襲われる。

 もしかして、とんでもないことをしてしまったんじゃないかという不安と、焦り。

 だけど。

 あの言葉を思い出せば出すほど、こんな理解不能な状況でもいいと思ってしまう私はおかしいのかもしれない。

 私の精神安定剤のように、あの台詞が私を落ち着かせてくれた。

「やーまじでびびった! なんなのお前ら。でも、まあ大切なふたりが一緒になるなんて嬉しいよなーなんか! 小毬も蓮も何もいわねえんだもん」

 いつものように笑顔を向ける蒼太は太陽の直射日光のようで直視できない。見てしまうと痛む。いろんなものが。そして醜い心が余計に醜く感じてしまう。

「でも、蓮、小毬は大事にしろよ。今までの彼女みたいに付き合ったらさすがに俺も笑えねえんだから。小毬は大事な家族なんだから、泣かすなよ」

 ちくちくと痛む。だけどじわじわと喜びが広がる。

「んなことしねえよ」

 蓮の言葉の奥に秘められた気持ちは私にはまだわからないけれど、だけど言葉をそのまま信じることはできる。

 好きだからとかじゃなくて。

 私の気持ちを知っているから。

 なによりも蓮が蒼太を傷つけるようなことはしないと思っているから。

「でも小毬の彼が蓮なんてなー。小毬に彼氏ができるだけでもなんか変な感じするのに。でもやっぱ彼氏ができたら小毬も俺と美紅のこと頼むわけにもいかねえよなあ」

「んなこと気にするか。今更じゃねえか。今まで通りやってろよ余計に気になる」

 蒼太の言葉に、顔を上げた瞬間、蓮が何もかもお見通しのように間髪入れずに蒼太にそう言った。


 ——『オレと付き合ったら、蒼太のそばにいれるけど?』


 蓮は、そうしようとしてくれている。その目的はわからないけど、その言葉を、私は信じるしかない。ううん、信じたい。

 それだけが、これから先も蒼太と一緒にいられる、唯一の手段だと、そう思うから。

「そっかー」

「そ、うよ。何気にしてるの今更」

 へらっと笑って見せると、蒼太は安心したかのようににかっと白い歯を見せて笑う。


 大好きな笑顔。ほっとしたようなその顔を、私がどんな気持ちで受け止めているかなんてきっとわかってないんだろう。

 この方法が正しいと思うわけじゃない。こんなことするなんて最低だと思う。私が蓮と付き合ったことを、そんな風に喜んでる蒼太を見ると胸は痛む。だけどそばにいてもいいんだと思うとほっとする。

 どれも本当の気持ちで。だけど態度はどれも嘘。弱くてずるくて最低で。だけどそれでもいいから、そばにいたい。このままでいいから、と。



「小毬、何考えてるの」

 先生に怒られた分いつもより短かったお昼時間も終わりになって教室に向かう途中で楓が低い声で呟いた。

「……何、が?」

「何がじゃないわよ。急に蓮と付き合うなんて……そんなことして何になるの? 蓮のこと好きな訳じゃないでしょ? 蓮の気持ちは知らないけど、だけど……」

「そんなこと、ない」

 私が、ここまでのことをして選んだたった一つの道。だとすればこんなことで揺らいでいたらだめなんだ。

 もう今更引き返せない。

 実は蓮のこと好きじゃなかったなんて、蒼太に思われたくない。そんな女だったなんて思われたくない。

 がらがらと何かが崩れていくのはわかっているけれど。どんなに崩れたって守りたいものがあるんだ。

 楓の言っている意味はわかるし、気持ちだって分かる。だけど。

「……小毬の気持ちは、そんな簡単に変わるもんだったわけ?」

「別に、蒼太のことを好きな訳じゃなかったもの……」

「そんなはずないでしょ? 何を考えているのかわからないけど、こんなふうに自分ごまかして、そんなふうに痛々しい顔して」

「……そんなことない」

 これ以上かき乱さないで。

 ぎゅっと瞼を閉じて楓の言葉をすべて遮断するかのように視界を真っ暗にした。

「小毬……」

 楓が少し苛立ちの込めた声で名前を呟く。きっと私のことを最低だって、楓も思ってる。わかってる。だけど。

「小毬は、もう少し余裕を持った方がいいよ。蒼太だって……」

「楓にはわかんないよ」

 私は楓みたいにしっかりしてない。

 そんなことわかってる。

 自分の足でまっすぐ立っていることもできなくて、人からの言葉を待ってばかり。そのくせ意地っ張り。楓のように自信がない。楓のように自分で選べない。自分の意志を人に伝えることもできない私の気持ちなんか、何でもできるまっすぐな楓にはきっとわからない!

 ずっと蒼太と美紅ちゃんに、私は必要なんだって思っていた。

 だけど、そんなのまやかしだった。そう思うことで依存していただけ。今までも、多分これからも。

 

 わかったとしても、もう、依存しすぎてひとりじゃ立っていられない。

 電車の中で、つり革を持ったって、ひとりではすぐに倒れてしまいそうなくらい。


「もとはといえば……、楓が蒼太に余計なこと言ったから……」

「あたしが?」

 私の言葉に楓は首をかしげて本当にわからないのか目を大きく開いた。

「蒼太に、言ったんでしょ? 私とこのままでいいのかって。彼女がいるのに私とこのままの関係はおかしいって」

 そうだ。楓があんなことを言わなかったらよかったんだ。

 あんなことを蒼太が気にして言ってくるようなことはなかったし、それがなければ私だって美紅ちゃんにバカなことを言うことだってなかったかもしれない。

 今日、千晴ちゃんの友達から言われたことだってここまで気にしなかったかもしれない。

 そしたら蓮の前で泣くこともなく、付き合うこともなかったかもしれない。

「あ、あれは……」

「楓のせいじゃない……私たちの関係を、別に何も望まなかった関係を壊そうとしたのは楓なんだから」

「こま……」

「もう何も聞きたくない」

 楓の言葉を、ばっと耳をふさいで楓の言葉を遮った。

 耳でふさいだところで音は容赦なく私の鼓膜を響かせるのだけれど、だけど話さないで。聞きたくないの。もう嫌なの!


「……じゃあ、もう好きにしたら?」

 楓の声は一瞬止まって、そしてさっきよりもより低い声になった。

「そんな簡単に変わるような気持ちだったんだね。変わることは、かまわないけど。だけどそんな風に流されるんだね、小毬は」


 そのまま足を速めて教室に入っていく楓の足音だけを聞いた。


 目を開けることもなく、楓に気持ちを伝えることもなく、かといって何事もなかったかのように教室に向かうこともできない私。

「あ、小毬—」

 ぎゅっと唇を噛んで、呼ばれた声の方に振り返った。

「今週末お袋、出張らしいんだ。小毬家くるか?」

 蒼太はいつものように私に声をかけて私を見て微笑む。


 これでいいんだ、きっと。

 これしかなかっただんだ。

 これが欲しかったんだから。


「うん」

 蒼太のほほえみに負けないほど微笑んで見せると、蒼太は嬉しそうに「じゃあな」と自分の教室に向かった。


 蒼太のそばにいることが当たり前すぎて、失いたくなくて、なくなるかもしれないと思えば思うほどそばにいたくなる。

 蒼太だってこの方が気を遣わなくていいんだから。どんなに仲よくしてたって、私に彼氏がいれば、気にしない。しかも彼氏が蒼太の親友である蓮ならば、一緒にいるのはおかしいことじゃない。

 土曜日に気にしていたことなんかもう、考えなくていい。

 これでいいんだ。これまでと同じようにするためには。


 心が何かと何かに分裂してしまいそうな、そんな気持ちが常につきまとっていたけれど、それでも手放せなかった。

 わからないならなんでもいい。目の前にあるたった一つの願いだけを。


 子供じみたことだとわかっている。このままずっとなんか無理だってわかっている。だけどできる限り長く。

 それを守るためだけに。それさえ守れたらきっといつかは気にしなくなるんだと思っていた。


 いつか移りゆく感情に身を任せることができたらいいなと、そんな希望もあっただろう。

 その感情こそが気まぐれで、一瞬の過ちだったのかもしれない。もう少しタイミングが違えば私は今までのようにゆっくりと考えることができたのかもしれない。


 夕日は一瞬で色を変えて、一瞬で消えていく。

 私の気持ちもそんな風に一瞬一瞬で変わっていくんだ。


 一瞬だったけれど、絶対だった。いつかそう自信を持って言えるときが来るのかな?

 人に依存してばかりで、ひとりではふらふらと流されてばかりの弱い自分だったけれど、いつか。


 ねえ、いつか。あの日のあの気持ちは純粋だったよね、なんて自分の気持ちに自信をもって恋ができるかな。


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