14傍にいるためならなんでもする
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「やっぱりここか」
一限目のチャイムは五分ほど前に鳴り響いた。それでも教室に向かうことなく屋上の隅っこに膝を抱えて座り込む私を見下ろしながらやってきた蓮が笑う。
膝に顔をくっつけていたけれど、声だけでわかる。
私の待っていた声じゃない。話し方じゃない。
ゆっくりと顔を上げると、やっぱり蓮で、苦虫を噛み潰したような顔の私を見て口角を持ち上げた。
「……蓮か」
「蒼太だと思った?」
意地悪。じろっと睨み付けると蓮は肩をすくめて私の隣に腰を下ろす。
授業はいいの?と口に出しかけたけれど、私も出てないから人の心配している場合じゃないなと再び視線を落とした。それに蓮にそんなことを聞いたって無意味。
「蒼太に廊下ですれ違ったら、小毬が消えたって言ってたけど?」
蒼太から逃げるように違う駅で車両を乗り換えて、駅に着いたらひとり走って学校に来た。心配をかけるとわかっていた。だけど、顔を合わすことができなかった。
顔を見て“小毬”って呼ばれたら、泣いてしまうと思ったから。
「……消えてないよ」
「靴箱見て学校には来てることを確認したらほっとしてたけどな」
だけど今。心配して探してくれなかったことにショックを受けているのも事実。なにホッとしてるのよ。いなくなったことに心配して屋上まで探しに来てよ。
こんなの子供だ。駄々をこねる子供みたい。
「何が、あった?」
誰の目にも止まらないように、出来るだけ体を小さくする私に、蓮の声だけが届く。
ここ数日、蓮がやたら私を気にして話しかけてくれる様な気がする。きっと私に同情しているんだろう。ずっと好きだったのに、振られた、かわいそうな幼なじみに。
「探しに来たの?」
「どうかな?」
少しだけ顔を上げて問うと、蓮は首を傾げてとぼけてみせた。
「小毬が授業に出ないでさぼるなんて珍しいな。今日は雨でも降るんじゃねえの?」
「降ればいいよ」
そしたら、泣いても誰も気付かない。
くすっと笑って呟くと、蓮は暫くの間言葉を閉ざして私を見つめた。
「何が、あった?」
そして、さっきの問いをもう一度繰り返す蓮に、ゆっくりと瞼を閉じる。閉じてゆっくりとさっきの言葉を思い出した。目を開いていたら泣いてしまう。
「……蒼太に、近づかないでって、言われちゃった」
電車の中で私に声を掛けてきた女の子は、私を見てぺこりと頭を下げた。名前も名乗ってくれたような気がするけどよく覚えてない。ただ、千晴ちゃんと同じクラスなんだと、そう言っていた。
——『昨日、蒼太くんと一緒に遊園地にいる姿を見かけました』
懐かしい感覚で、それ自体には特に動揺だってしなかった。だけど隣の車両では蒼太は千晴ちゃんと笑っていた。私の方なんてちっとも気にしないで。
——『どういう関係ですか?』
——『千晴と付き合っている事、知っているんですよね?』
——『千晴が嫌な思いをするの、私は黙ってられなくて』
そこに嫉妬や怒りは感じなかった。純粋な疑問と、不安と、正義。だからこそ痛かったのかも知れない。
——『前から、見てましたけど……付き合ってないんですよね?』
「私と蒼太ってやっぱり付き合っている見たいに見えるのかな?」
「まあ、友達にしちゃ一緒にいすぎだろうな」
分かってた。そんなこと私は分かってたし、そういう関係に喜びを抱いていた。確信犯にも近かった。
「どんなに一緒にいても、彼女は、私じゃない」
今まで、同じようなことを何度も言われた。
今更だ。そんなのわかっていた。私がそばにいることで誰かが傷ついていることも、誰かが人知れず失恋していることも。
なのに、どうして私は今、こんなに苦しんだろう。
このままで、なんて無理なのかもしれない。だけどこのまま蒼太から離れるなんてムリだよ。どうやって毎日を過ごせばいいのか、わからない。私と蒼太はずっと、一緒だったのに。いつもいてくれたのに。
今まで誰かに何か言われても、そばにいてくれたのは蒼太だった。すぐに来てくれた。
嫌だよ、急に離れないで。急に一人になったらどうしたらいいのかわからない。
それ以上に、蒼太のそばがいい。友達でも家族でもなんでもいいから。彼女なんかじゃなくていいから離れないで一緒にいて欲しいのに。
「何で……来てくれないの?」
ぼろぼろと零れだしたのは涙が先なのか感情が先なのかどっちだろう。
だけど一度溢れ出したらもう止める方法なんかわからなくて、涙は一気に私の視界を奪った。
「い、つも……来てくれたのに。もう、どうで、もいいのかな……。離れ、ちゃうの?」
何で千晴ちゃんに笑っているの? 私が千晴ちゃんの友達に言われていることに気付かないで笑っているの? いつもなら今までなら、離れていたって見えていたかのように、来てくれたのに。どうして?って思うくらいに駆けつけてくれたのに。
相手が、千晴ちゃんだからなの?
「やだよ……やだよ」
蓮は何も言わなかった。
ただそばにいて、何かするわけでもなく、何かを言うわけでもなく、まるでそこには誰もいないかのようだった。だけど感じる確かな存在。それがなおさら、涙を止められなくさせているような気がして、ただ、泣いた。
泣き方も分からなかったのに。分からなくてただひとりうずくまって逃げていただけの私なのに。
それから何分、何十分経っただろうか。
自然に乾きだした涙が、頭もクリアにしてくれてひとり泣きわめいた自分を少しだけ恥ずかしくて蓮に何も言えなかった。
見上げると空。
蓮は私がさぼったから今日は雨が降るかもと言ったけれど、雨なんか降りそうにない空だ。
蒼太のように近くて遠い空。
「ごめん、ね」
空に向かって呟いたけれど、それは蓮に向かって告げた言葉。蓮を見て言うには少し恥ずかしくて。
ちらっと蓮を見ると、目を閉じていて、寝ているのか起きているのかさえわからなかった。でも、多分起きてるだろうなって思った。
「別に? サボってただけだし」
「……ふふ、そっか」
やっぱり起きてた。
そして、やっぱり寝ているのか起きているのかわからない体制のまま、いつもと変わらない様子で告げられる言葉に、心の中だけで小さくありがとうと告げた。
口にしたってきっと蓮は『何もしてないし』なんて言うだろうな。何もしてくれてないけれど、何もしなかったからありがとう、なんて恥ずかしいから言わないけど。
「もうすぐ一限終わるかな?」
「あーあと十分くらい?」
ポケットから携帯電話を取りだした蓮が、時間を確認する。
「蓮は二限は出るの?」
「気が向いたら」
「自由だなあ……」
それで別に赤点取るほど成績も悪くないんだから羨ましい。
そこそこ真面目に過ごしてテスト前は勉強しているっていうのに、私の成績は蓮よりも少しいいくらい。きっと蓮がまじめになったら私なんかあっという間に抜かされるだろうな。
大学になったらきっと私は蒼太と違う大学になるだろう。
そしたら必然的に今ほど一緒にいられないんだ……。ただの幼なじみという関係で一生一緒に、そばにいる、ということがどれだけ無謀な願望だったのかを思い知る。
そう思うことで今の状況を無理矢理納得させているだけのような気もするけれど……。それは、間違いなく、事実なんだ。
泣いたことで、ちょっとスッキリしたのかもしれない。寂しさや虚無感は残るけれど、ほんの少し前向きに、受け入れることが出来たような気がする。
こうやってきっと、少しずつ……。
「小毬」
「ん?」
もう少ししたら教室に帰らないとな、と空を見たままぼんやりと今後始まるだろう受験のことや蒼太のことを考えながら見つめて蓮の呼びかけに声だけを返した。
「オレと、付き合う?」
先日と同じような言葉に、ゆっくりと蓮の方を見たけれど、蓮はさっきまでの私と同じように空を見つめていた。
「また、冗談なんか……」
あまりにも綺麗な横顔に、一瞬見惚れてしまいそうになって逃げるように笑ってみせると、蓮は綺麗な顔を私の方に向ける。まっすぐに向けられる蓮の視線は、何を考えているのか全くわからないのに、私のことは何もかも見られるような怖さがあった。
「冗談じゃないよ」
「……れ……」
「ずっと……」
その言葉の続きは言葉にされることなく、蓮の唇は私の目の前にやってきて。
そして冷たいキスを落とした。
蓮の感情はわからない。
キス、をしたって……蓮が何でそんなことをしたのか、なんで私に付き合おうと言っているのかもわからない。
普通に考えたら私のことを好きなのかもしれないけれど……あまりにも急な展開に頭がついていかなくて、気持ちだけがどこか遠くに飛んで行ってしまったみたい。
だけど、避けることは出来たはず。だけど、私はそれをしなかった。
唇から広がる蓮のぬくもりに、違和感を抱くけれどどこか安心感も広がる。
そっと触れた唇を、蓮はゆっくりと離して閉じていた瞳を開き私を見つめる。ほんの、数㎝の距離で、さっきまで私の口を塞いでいた形のいい唇が、動く。
「オレと付き合ったら、蒼太のそばにいれるけど?」
その言葉が、引き金だったのかもしれない。
どくん、と胸が一回大きく鳴り響いて、そして、再び近づく距離。私はその、蓮の二度目のキスを、目を瞑って受け入れた。