10混ざり合う夕焼け色
・
「で、いいの? あれ」
「あれ?」
お昼時間の終わりを告げる予鈴が鳴って教室に戻る途中、楓がこそっと私に耳打ちした。
あれってなに?
首をかしげると、人差し指でさっきまでいた屋上を指した。そこではチャイムが鳴ったにもかかわらず、まだ彼女と電話をしている蒼太がいる。
「蒼太のこと。彼女できたんでしょ?」
「……いいのって言われても。よかったんじゃないかな」
「煮え切らないなあ、小毬も蒼太も」
私の返事に、楓は呆れたようにため息を落とす。それに苦笑を零した。
高校一年になって一緒のクラスになった楓は私からするとお姉さんみたいな存在。
学校もサボりがちだし髪の毛もよく注意されているけど私にとっては、大切な友達。
学校での態度で先生達からは問題児扱いをされていて、クラスメイトも楓のことを怖いと思っている人もいる。けれど、実際はすごく……優しくて頼りになる。そして誰よりも、情に厚いって、私は知っている。
初めて会ったとき、楓は一人きりだった。
一年のときに、同じクラスになったときのこと。虚ろな瞳で座っていたのを今でも覚えている。
普段だったら、避けたりはしないけど積極的に話しかけることもなかったのに、どうしてだか楓には私から声を掛けた。
笑ったらきっと可愛くて、私と違って長く色の入った髪の毛を、空の下で見たら絶対綺麗だと思ったから。
お昼ごはんの時、屋上に楓を連れて行ったら、蒼太も蓮も驚いた顔をしていたっけ。確かに、楓のようなタイプの友達って今までいなかったし。
でも、今となっては笑い話なくらいほぼ毎日一緒にいる。
楓のことを誤解している人は多いと思う。楓も自分から積極的に友達を作る方じゃないのもあるから。それを楓に言ったら、楓は『別にそんなのどうでもいいよ』とさらっと言った。そんな姿にかっこいいなと思うと同時に、羨ましくもなった。
何で、そんなにも堂々としていられるのだろう。
芯があって、ぴんっと背筋を伸ばして立っている楓。周りの目を気にしないで自分を持っている。
私には、なにもないのに。
だから、私は楓のことが大好きなのかもしれない。
「ちょっと、小毬、聞いてる?」
「え!? あ、はい」
ぼけっとしていた私に楓が呆れた顔を作って「普段は素直なのに」と呟いた。
蒼太への私の気持ちを、楓に告げたことはない。
でも、きっと楓のなかでは確信しているんだろう。楓もハッキリと好きなのかと聞くことはないけれど、こうして心配してくれている。
それでも、楓にすら気持ちを認めないのは、私の最後の意地なのかもしれない。それすら、楓はわかっているのだろうけれど。
どうしようもないのは事実だけれど……、どうにかしたいとは、正直思っている。本当は、なにがなんでも、できるものならどうにかしたい、そう強く。
でも、どうすればいいのか、わからないんだよ。
「しかも、土曜日も妹連れて一緒に遊園地? もう家族みたいなのに蒼太も意味わかんないなー」
「家族は、彼女じゃないから、そんなの前から分かってたし別に大丈夫だよ。ほら、私もそんな感じだし」
取り繕った笑顔と言葉を楓に向けると、楓はあからさまにため息をついた。
いくら言っても私は自分の気持ちをさらけ出すことはなくて、蒼太も蒼太。それに業を煮やしているのだろう。特に楓は白黒はっきり付けたいタイプだし。
心配してくれるのは嬉しい。だけどどうしても取り繕ってしまうんだ。まるで癖のように。
そうしないと蒼太とのこの関係が壊れる。
そう思うから。
さりげなく心配をしてくれたり、守ってくれる。そんな楓には感謝してもしきれない。
素直にはなれなくても、こうして心配してくれる人がいるだけで……すごく心が軽くなるんだよ。
「楓は? 最近彼氏とどうなの?」
「あーまあ、いつも通りかな? 会えるときに会って、って感じ。何も変わらないよー」
「いいなあ楓は。なんだか彼氏とずっと仲いいし。憧れるよー、私も彼氏作ろうかなー」
いいでしょ? とにやりと笑った楓に、うらやましくて頬を膨らましたけれど楓はそんな私を見てけらけらと笑うだけ。
楓の彼氏ってどんな人だろう。
二年以上も付き合っているらしいし、きっとすごく、優しくて頼りがいのある人なんだろうな。
楓の話を聞くと、大学生の彼氏だって言っていた。きっと甘えたの私だったら一緒にいる時間が少なかったりすると文句ばっかり言ってしまいそうだけど。
楓なら、相手のペースに合わせることも、合わして貰うこともなく楓のペースで過ごせるんだろうな。
私は今、蒼太が千晴ちゃんと電話しているんだと、そう思うだけで悔しくて悲しくて仕方ないのに。
あっちは彼女。私はただの幼なじみ。そんなことくらいわかってるのに。もともと同じ土俵にだっていないんだから。
それがいいのか悪いのかもわからないけどそうあろうとしたのは自分。文句を言える相手は自分でしかない。……他人であれば、もう少し楽だったのに、なんて勝手なことを考えた。
「あ、そういえば」
教室の前で、中に入ろうとした楓が思い出したように声を出して脚を止めた。
「蓮には、気をつけなよ?」
……はい?
「何で、蓮? 何もないよ?」
何でここで蓮の名前が出てくるんだろう……。何かされたっけ? 私の言葉に楓は「うーん」と考えてから小さな声で呟いた。
「蓮ってさー、小毬のこと意識してるよね」
思いも寄らない台詞に何も言葉が出なくなってぱちぱちと瞬きをする。
意識って……。わたしなんかに、なんで蓮が。黙って歩いているだけで女の子の視線を奪うような人が、このちんちくりんの私を意識するとか、まったく理解出来ないし、そんなこと思った事もない。
「まさかー」
「んー、なんか、わかんないけど。好きとかそういう感じにも見えないんだけど……。とりあえず小毬は流されないようにね」
「……んー、よくわかんないけど、わかった」
楓の言っている意味はよく分からなかったけど、心配してくれているのは分かるからとりあえず返事をする。
心配し過ぎなだけのようが気がするけれど、それは言わずに手を振って別れた。
蓮、か。と小さく呟いて自分の教室に向かう。
蓮がなにを考えているのかは私にはよく分からないけど。
ただ、もしも楓がそう感じるのであれば、何かがあるのかもしれない。楓はけっこう勘がいいというか、よく周りを見ているし。
ただ、恋愛感情ではない、というのはわかる。
だってあんなにももてるんだから女の子なんて選び放題だし、今までの彼女は私と比べるのも申し訳ない位可愛い子ばかりだもの。今の彼女だって、すっごい綺麗だったし。
昔蒼太が蓮の事を面食いだと言っていたのも記憶にある。
……だけど、誰のことも好きじゃないんだろうと、思っている。蓮もきっと自分でそう思っていると思う。だから、誰とでも付き合っているのかと。
だったら付き合わなかったらいいのに、と思うのだけれど。
楓が“私のことを意識している”って感じるのは、もしかして付き合いが古いからかもしれない。
楓と同じくらいに蓮は勘がいい。私の些細な行動に気づくのはいつも蓮だ。多分、蒼太への私の思いに、私よりも先に気づいたのも蓮だと思う。
だけど、いつも茶化すだけで核心を突いてくるようなことは言わない。ただ、何もかも見透かされているような発言が多い気がする。
それって、やっぱり……中学から友達だからなんじゃないかなあ……。それに、蓮に女友達って殆どいないし。私と楓くらいしかいないし。
ぼんやりと考えていると、背後から足音が近づいてきたのが聞こえて振り返る。そこには階段から降りてくる蒼太がいた。
「次移動だったの忘れてた」
「ばーか」
焦った様子の蒼太にくすくすと笑うと、通りすがりにくしゃりと髪の毛を捕まれる。
「大丈夫か?」
「……何が?」
「や、今日屋上であんまり元気なかったから。気のせいだったらいいけど」
……些細な事には気づくのに、私の気持ちには気づかない蒼太。
あの告白を、蒼太はきっと、“気のせいだ”と思っているんだろう。そう思い込んで流しているのかもしれない。
そばにいられるなら、なんでもいい。
「ちょっと暑かったからじゃない? 大丈夫だよ。土曜日遊園地楽しみにしてるねー」
「おー」
私の返事を聞いて蒼太はにこりと笑ってそのまま自分の教室へと走っていった。
このままでいたい気持ちと、このままを壊したい気持ち。ぐらぐら揺れる感情の、終着点は自分でも分からない。
いっそこのまま、蒼太への感情が消えてなくなってしまえばいいのに……。
廊下の窓から空を見上げると、いつもと変わりない空だけが映った。いつも変わらないように思う空も、よくよく見れば常に変わって行く。
朝だったり昼だったり夕焼けだったり夜だったり。繰り返されていくのに、疲れたりはしないんだろうか。
時間を忘れたかのように空を見上げていると、廊下にチャイムが鳴り響き、慌てて自分の教室に駆け込んだ。