4.
教会地下の墓地に、細く鋭い弦の音が反響していた。バッハの無伴奏曲は、石造りの教会で、残響が重なり荘厳な調べとなる。
パルティータ第二番ニ短調、シャコンヌとして有名な曲である。
水城陵は白い花を捧げ、今や時の人となった奏者と死者のふたりきりの別れを邪魔しないよう、無言で立ち去った。
教会前には純白のベントレーが停車しており、水城が出てくると後部座席のドアが開いた。乗り込むと車は走り出したが、車内に重い沈黙が落ちている。
「すみませんでした」
水城が頭を下げるのに、香紀の父親でLiebeの本来の主、架奏恭一郎は無言だった。
「まさか、こんなことになるなんて。
自業自得といえば、自業自得なのでしょうが、それでも楽音さんの悲しみを思うと――」
倉科楽音がコンクールで優勝したほぼ同じ時刻、IT業界の風雲児として名をはせていた倉科樹希が死亡した。自殺とも事故とも殺人とも言われている。一時期は世の中をにぎわしていたIT業界だが、世界同時不況後、すさまじい勢いで失速した。
倉科樹希がそれでも他社にくらべて強気だったのは、実家の資産があったからだ。ただし大部分が楽器に投資され、その楽器の名義はバイオリニストの楽音になっていた。
破産を目の前にした樹希は、楽音からバイオリンを取り上げたかったのだろう。ただし強引な方法をとれば、楽音が騒ぎ、管財人である弁護士が気づく。だから楽音に演奏中には外す必要のあるネックレスを与え、コンクールで失敗させるつもりだった。世俗に疎い楽音なら、もう弾かないバイオリンを樹希がどこかへ持ち去っても、気にしなかったに違いない。
あの男は絶命するときに気づいただろうか。
倉科楽音の真の望みが何だったか。
気づいて、何と思ったのだろう。
「楽音さんには先に説明したんです。望みがかなう前に外せば、良くも悪くも効力がなくなると。
それに宝石が行きたがっている、と香紀が言ったものですから、つい」
冷ややかに見据えられて、水城は肩をすくめた。
「水城さん、なんども言ったでしょう。香紀は子どもなんです。どう人と関わっていいのか悪いのか、まだ判断がついていない。
もう二度と香紀には作らせないでください。お願いしますよ」
「ええ、でも、できれば架奏さんから言っていただいた方が」
「あの子はここ50年くらい反抗期ですからね。
わたしの言うことなんてちっとも聞きやしませんよ。
だから水城さんにお願いしているんです」
ごくありきたりの親のように、愚痴ってみせる恭一郎に、水城はくちもとをほころばせた。
「わかりました。努力します――わたしに出来る限り。
いつまでもお側にいますから」
水城が手をさしのべると、恭一郎はまぶしそうにその手をしばらく眺め、大事なものをくるむように両手でやさしくつつんだ。