表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

2、平原千尋

ついにヒロイン登場!という訳でも無いです。


それはそうとポケベルって知ってますか?


私は知り合いのいるファミリーレストランで夕食をとる事にした。これが最後の晩餐(ばんさん)になる可能性は高い。

陰鬱(いんうつ)な気分で喫煙席(きつえんせき)に座る。といっても店は全く混んでいなかった。

私を見付けたのか偶然なのか知り合いである平原千尋(ひらはらちひろ)がやって来た。

「ご注文は何になさいますか、先輩」

「もう高校生じゃないけどね」

「同じ学校に通って無くても先輩には変わりないですよ」

「ですね」

私はピザのセットを注文する事にした。

蜜柑(みかん)一つ」

「お帰りなさいませお客様」

「お帰り? どっちのお帰り下さいませ?」

「お家にお帰り下さいませお客様」

「じゃあピザセットで」

「かしこまりました」

平原千尋は私を一瞥(いちべつ)すると戻って行った。彼女は蜜柑アレルギーだと聞いている。そんな物があるのかは別として。

彼女は高校時代、対等に話せる人間であったと思う。私が偉かったという訳ではなくて友達があまりいなかった。唯一私が話せたのは後田律雄(うしろだりつお)と平原千尋だ。私達は熱心な美術部に所属していたからか、画力が人一倍ある彼女に嫉妬する者は少なく無かった。それは部活でどれだけ一生懸命上手い絵を描いたとしても平原千尋が必ず上にいたからである。

中学時代運動部だった私は(わずら)わしい人間関係が嫌で、そして美術自体嫌いではなかったので美術部に入った。そんな卑屈(ひくつ)な理由で入部したのだから彼女に対する嫉妬(しっと)は少なかった。


『私、蜜柑が嫌いなんです』

そうなんだ、と私は言う。

『先輩、蜜柑の出荷量が多い県って知ってますか?』

愛媛と和歌山、と私は答える。

『じゃあ私はその県を心から憎みます』

それを逆恨みと言う、と私は笑った。

県民に謝れ! とチョップを食らわした。その後一週間は彼女は口を聞いてくれなかった。


平原千尋のバイトが終わるまで待っていたかったが、面倒なのであのマンションに戻る事にした。おそらく私がマンションに戻るとすぐ現行犯逮捕されたなら、友人ともっと話せば良かったと後悔することだろう。

私は車が通り過ぎると小走りで道路を横断し、左右を大きな建物で(はさ)まれた穴見マンション唯一の通り道を出た。

赤いライトがマンションの壁を照らし、数台のパトカーが乱暴に停車しながら刑事が何やら深刻な顔をしてトランシーバー片手に連絡をとっている。警部補大好きな読者、もしくは監獄脱出物大好きな皆様、すまない。

なんて事は無かった。車の停車位置まで全て同じだった。唯一違うのは、夜の暗闇をエントランスのライトとこの穴見マンション唯一の通り道を照らす一つの防犯灯だけだった。久石さんは経費を削減し過ぎだと思う。

だが、この静けさが逆に私の鼓動をいわゆる早鐘のように、連動させていた。

あの死体はどうなったのか。ばくばくと脈打つ左胸を押さえつつエントランスをくぐるが、集合玄関機が私の目の前に立ち塞がっていた。

あのじいさんに暗証番号を聞いていない。久石さんの適当さ加減に苛立つ。久石さんと連絡を取る方法を頭の中で思索してみる。何かあるのではないか・・・・・・?

俯き、考えを巡らしていたからか後姿しか見えなかったが、今俊足で黒い物体が移動するのが見えたような気がする。

エントランスの二番目の扉には中が見えるようになのか、装飾なのかは定かでは無いが、一定の間隔をもって小さなガラスが付いている。そこから、黒い全身タイツを着た男が尻を上に突き出す形のおかしな四足歩行で、視界から消えていった、気がする。

呆然としていると扉が左右にスムーズに開いた。深みのある声が、

『すいません。暗証番号を言うのを忘れていましたね、暗証番号は15714404です』

八桁。電話番号かよ。

私は1571と4404の二つにして覚え、携帯電話に暗証番号を記録させておいた。

エレベーターを使う気になれず、五階まで階段を上っていく事にした。何もせずにここまで鼓動は早まるものなのか。

階数のパネルの下にある照明は薄暗く、急いで駆け下りたら転倒してしまいそうだ。あの部屋で月に三万五千円なら文句は言えないが。

足は面白いぐらいに震えて、図らずとも息は荒くなる。一階一階上がるごとに照明が暗くなっている錯覚を覚える。心の震えが足の震えになっている。

そして、最後の一段を上り切り、五階に到達する。胃がキリキリと痛み、腹が急に重くなる気がする。

白い角をゆっくり、ゆっくりと曲がっていく。

どの階も経費削減の為かエレベーター付近のライトと廊下の各部屋を照らす照明しか付いていない。

私の瞳孔(どうこう)は無意識の内に広がっていった。死体は無かった。

何かを意図させるようにあの黒人の男の黒い帽子が床に無造作に置かれていた。

俺はお前が何をしたのか知っているぞ。そう物語っているように思えた。

不吉な事に誰も乗っていないドアの開いたエレベーターが私の目の前で止まった。

この頃から穴見マンションは本当の姿を見せ始めた。

次回のサブタイトルは「黒い全身タイツの仮面の男」です。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ