キャロルのよる
キャロルは生まれつき足がじゆうではありませんでした。だから、キャロルは何をするにもベッドの上です。朝ごはんを食べるのも、お勉強をするのも、お母さんとケンカをするのだってそうです。もちろん、じぶんとおんなじ歳の子どもたちが毎朝おにごっこしながら学校へ向かうのを、じっと見つめるのだって…。
キャロルは一度お母さんに向かってきいてみたことがあります。
「ねえお母さん、どうして私だけ、ほかの子と違うの?どうして私は、お外に出てかけっこしちゃいけないの?」
お母さんはこう答えました。
「かけっこをしなくたって、あなたはあなたよ、キャロル。なんにもさびしくなんかないわ」。
キャロルはもうお母さんにそのことをきかなくなりました。でも、だからといってベッドの上がきゅうくつじゃなくなるのではありません。キャロルはいつも心が灰色みたいでした。
ただひとつだけキャロルには好きなことがありました。それは、本を読むことです。キャロルが好きなのはなるべくさし絵が少ない本でした。絵本やずかんではだめです。だってそういうのでは、お話に出てくるお魚や小人やもうじゅうが、キャロルの頭に思ったとおりのすがたにならないんですもの。キャロルはお話に出てくる色々な生き物たちの形や色を、じぶんで想像するのがいちばん得意だったのです。
今日は朝から雨でした。お母さんは窓にぶあついカーテンをしました。キャロルの部屋は二階で、ベッドは窓ぎわにあったので、いつもその窓からおともだちが学校へ行く姿が見えます。お天気の日はお母さんが窓を開けますから、声だって聞こえてきます。キャロルがお友達とじゆうにおしゃべりできるのは、一週間に一回、お医者さんが足の検査に来て、リハビリのために近くの湖まで車いすをひいて連れて行ってくれる、その時だけでした。キャロルが湖に向かう日にはおともだちはほとんどそこへ駆けつけて、学校でおそわった歌をうたってくれたり、裏町にあるお菓子屋さんの話をきかせてくれたり、それからお花でかんむりを作ってくれたりもしました。キャロルのことをからかったりばかにしたりする子なんて一人もいません。キャロルにとってそれはなにより幸せでした。そして今日は、その一週間に一度の幸せがなくなった日でした。窓の外はどしゃぶり。ひとっ子ひとり見当たりません。家に来たお医者さんはキャロルの足を雨で冷えた両手でやさしく検査してから、その手をキャロルの頭にぽん、とのせて言いました。
「残念だけど、湖はまた来週にしよう」
「ねえお医者さん、私の足はまだよくならないの?私、早くみんなとおんなじようにかけっこしたいわ」とキャロル。
「安静にしていればすぐに良くなるさ」
「かけっこもできるようになるかしら?」
「ああ、そうだね」
お医者さんはお母さんの方に目をやって、それからうつむいてせきを一つしてから、言いました。「もちろんだとも」。
雨の日は、キャロルの白くてほそい足はいつもよりよけいに痛みました。キャロルは、それでもじっとがまんします。だってお医者さんは、いつかきっとかけっこができるようになるって言ってくれたんですもの。
それから雨の日は数えきれないくらいたくさんやってきました。軒下のツバメは冬がくるたびにどこか遠くへ飛んでいき、春がくるたびにまたもどってきました。キャロルはまるで角砂糖を指でつまむみたいにして、ひとつひとつ歳をとりました。キャロルはまだ、ベッドの上でした。
その日の昼も雨でした。お母さんがお昼ご飯をお盆にのせて、昔よりももっと小さく感じるようになったベッドまで持ってきてくれた時、キャロルはひとつお母さんに聞こうと思ったことをきかずにおきました。もちろんそれは、キャロルのいっそう白くてほそくなった足のことでした。そのことについて一人でいろいろ考えていると、あっという間に夜がきました。いつもどおり、重くて深い夜でした。
キャロルはどうにもおちつかなくて、なるべくぎゅうっと目を閉じました。目を閉じるとそこは黒い世界。でも目を開いているときだってそう変わりません。目を開いているとき、そこは灰色の世界なんですから。どっちだって同じようなものでした。けれどこの夜だけはちがいました。いつもとちがうことがおきたのです。キャロルははじめに、今まできいたことのない音をききました。
きら、きら、きら、きら、きら、きら。
キャロルは閉じていた両目をぱちっとあけ、部屋じゅうを見まわしました。何もありません。キャロルは少しこわくなりましたが、だからってお母さんを大声でよぶ勇気もありませんでした。しばらくするとまたあの音がきこえます。
きら、きら、きら、きら、きら、きら。
キャロルはまた目を閉じて、そのかわり耳をすましました。
きら、きら、きら、きら、きら、きら。
音はどうやらぶあついカーテンの向こうからきこえてくるようです。でも、夜はキャロルがいちばん苦手な世界です。だって世界中がまっくらやみで、まるでおともだちとさよならしたあとみたい。とても外をたしかめる勇気なんてありません。キャロルはしばらくのあいだ、その音をやりすごしました。けれどもそのうちキャロルはこう思いました。私はこわくて目をつぶっているんだけど、目をつぶっているのだって、きっと夜とおんなじかもしれない。だからキャロルは小さな体じゅうにある勇気をぜんぶふりしぼって、窓のそとをたしかめることにしました。まずは目を閉じたままぶあついカーテンを手さぐりでつかみ、それからしんこきゅうを三回して、ゆっくりゆっくり開けていきました。いま目を開ければ、そこにはもうまっくらな夜があるのです。体がふるえました。キャロルは、またしんこきゅうを、こんどは五回してから、ぎゅうっと閉じていた両方のまぶたをおそるおそる開けました。そとは星の海でした。
キャロルはびっくりしましたが、外はあんまりきらきらしていて、それでしばらくうっとりしてしまいました。急にキャロルは部屋のすみっこでほこりをかぶっている本のことを思いだしました。でも、本の中のどこにも星の海はありませんでした。夜の空はダンスを楽しむ星たちでいっぱいでした。星の黄色いやつがキャロルの部屋の窓までやってきて、からだの五つあるとんがりのうちの一つで窓ガラスをこんこんとノックしました。キャロルは星がノックできるなんてことを知りませんでしたが、しぜんに窓を開けました。
きら、きら、きら、きら、きら、きら。
音のしょうたいは黄色い星だったのです。
「やあ、こんばんは」
黄色い星はにこにこしながら言いました。
「こんばんは」とキャロルはおどろきながら返しました。
「ねえ」と星。「もしよかったら、ぼくといっしょにダンスしない?きっと楽しいからさ」
「ダンスですって?」
キャロルは黄色い星があんまりきらきらしていて楽しそうだったので、うれしくっていっしょにダンスしたくなりました。
「ええ、ぜひ」とキャロルが言うと、星はまたとんがりの一つをキャロルにむかってさし出して、「おいで」と言いました。キャロルはそのとんがりをつかんで外に出ようと思いましたが、そこで気づいたのです。
「星さんごめんなさい」
「どうしたの?」
「じつはね、私は足がふじゆうなのよ。だから、ダンスにさそってもらえるのはうれしいんだけど、私はあなたとおどれない」
キャロルはそう言うと、星のとんがりから手をはなしました。星は空に浮かんだまま、きらきらきらきらと音を立てつづけています。
キャロルは涙をがまんしてつけ加えました。
「でも、ここであなたたちのダンスを見ているのはすごく楽しいの。ほんとうよ。だからここで見ていていいかしら?」
黄色い星は、にこっと笑ってから、言いました。
「君もおどれるさ」
「いいえ」とキャロル。「あなたは知らないけれど、私は生まれつき足が悪いの。おともだちとかけっこだってできないのよ」
「んにゃ、おどれるね」
そう言うやいなや星は五つのとんがりぜんぶでキャロルのうでをつかんで、そのままうしろに向かって大きく飛び上がりました。星はすぐその手をはなしたので、キャロルはきれいに夜空に放り出されました。
「足を動かして!」と黄色い星が言いました。
キャロルはもうとっさに足を動かしました。こんなのははじめてです。なんと、キャロルは夜空に浮かんだまま、きれいにステップを踏んだのです。
「じょうずじょうず、その調子さ!」
黄色い星はきらきら音を立てながら、広い夜の海をじゆうに飛び回りました。キャロルもそれを追いかけるようにして走りました。それは、キャロルにとって生まれて初めてのかけっこでした。そのうちまわりの星たちもかけっこに参加し始めました。ピンクや緑や青や赤や、とにかくありとあらゆる色の星たちが夜空を照らしながらかけっこし、ダンスしました。色とりどりの星たちはまるで飛行機が雲をひくみたいにして、まっくらやみの夜空のキャンバスを何本もの虹でいろどるのです。キャロルはもう楽しくって楽しくって、息がきれるのもわすれて走りました。つかれたらお月さまの上にこしかけて休けいし、息がととのうのも待たずにダンスを始めるのでした。知らないうちにどこからともなく小人の合唱隊や、もうじゅう使いのピエロや、つばさの生えた魚なんかがやってきて、星たちと響き合いました。何回目かの休けいで、キャロルはあの黄色い星ととなりあってお月さまの上に座りました。
「星さん」とキャロルは黄色い星にむかって言いました。「今日はほんとうにありがとう。あなたがさそってくれたおかげで、私はこんなにも楽しくダンスすることができたわ」
「んにゃ」と星。「そいつはちょっとだけちがうんだな」
「え?星さん、いったい何がちがうの?」
「君がダンスできたのは僕のおかげじゃないんだ。そのはんたいさ」
「はんたい?」
「そう、はんたい」
「何がはんたいなの?」
「僕のおかげで君がおどれるんじゃなくて、君のおかげで僕がおどれるんだよ」
黄色い星は五つのうち二つのとんがりを曲げたりのばしたりしながら言いました。
「君が僕の音をきいてくれたんだ。君がまっくらの中から僕を見つけてくれたから、ぼくは君といっしょにダンスできたんだ。何もかもキャロル、君のおかげさ」
「ほんとうにそうかしら」
「そうだとも」
黄色い星はキャロルにむかってにこっと笑いました。それで、キャロルもえがおを星にお返ししました。もうベッドにかえる時間です。
気がつくとあたりはもとの夜空にもどっていました。カラフルな星たちや小人の合唱隊たちはすっかりどこかへ消えて、のこったのは黄色い星とキャロルだけでした。でもキャロルはもう夜がこわくありませんでした。キャロルはそっとこんなことを言いました。
「ねえ星さん、私ね、雨の日が苦手なの。だって足がすごく痛くなるもの」
「僕も雨は苦手だな」と黄色い星は答えました。「だって雨の日は雲のやつがダンスをじゃまするんだ」
二人はまたほほえみあいました。星は「でもね」と言って、しばらくむずかしい顔になって、またもとのにこにこした顔にもどってから、「たまには雨の日もいいかもな」と言いました。
黄色い星はさいしょみたいにキャロルのうでを五つのとんがりでひっぱっていって、キャロルの部屋の窓までつれていきました。キャロルはお礼を言って星にキスし、さいごにききました。
「ねえ星さん、私、またダンスできるかしら?」
「もちろんさ」と星は言いました。
「うそじゃない?」
「んにゃ!」
きら、きら、きら、きら、きら、きら。