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凶兆の姫と呼ばれて追放されたけれど、拾ってくれたのは龍族の王でした

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/01/26

「…紫乃様、どうか御身お大事に」


侍女の涙声を背に、私は都を出た。

凶兆の姫——それが、私に与えられた呼び名だった。


生まれながらにして紫の瞳を持つ私は、幼い頃から周囲に忌み嫌われてきた。


飢饉が起きれば私のせい…疫病が流行れば私のせい、大臣が病に倒れれば私のせい。


どれほど慎ましく生きようとも、私の存在そのものが「災い」と見なされ続けた。


そして遂に、正式な追放の詔が下ったのである。


理由は、今年の冷害。

もちろん…私は何もしていない。ただ宮中で静かに暮らしていただけなのに。


けれど、もう慣れていた。


人は理由を求める生き物だ。災いには必ず原因があると信じたがる。


そして、都合の良い答えがあれば、それに縋る。

私はその答えに選ばれただけ。恨む気にもならなかった。


辺境の山に入って三日が経った頃、私は小さな洞窟を見つけた。

雨風が凌げる程度の場所だが、贅沢は言えない。


持たされた荷は最低限の着物と僅かな金子だけ。

これから先、どう生きていくかは自分次第だ。


医術と裁縫——生き延びるために身につけたこの二つの技が、今の私を支えている。


そんなことを考えながら洞窟の奥へ進んだとき、私は息を呑んだ。


そこに倒れている人がいたのだ。


青年だった。黒髪を無造作に伸ばした、見目麗しい男性。

だが全身が泥と血に塗れており、息も絶え絶えだった。


「——大丈夫ですか!」


思わず駆け寄る。

傷だらけの身体、浅い呼吸。このままでは死んでしまう。


どうして私が、と頭の片隅で思った。


どうせ私は凶兆の姫だ。人を助けたところで感謝されるはずもない。

むしろ、助けた相手にまで災いが及ぶと言われるかもしれない。


それでも…何もなかったように見逃すわけにはいかない。


「……すみません。少しだけ、我慢してください」


私は持っていた布を裂き、彼の傷を手当てし始めた。


医術の心得は、侍女が病に倒れたとき、誰も助けてくれなかったから学んだのだ。

裁縫は、誰も私の衣を繕ってくれなかったから覚えた。


全ては、生きるため。

誰にも頼れない私が、それでも生き延びるために身につけた技だった。


青年の傷は深かったが、幸い命に関わるものではなさそうだった。

熱を持った身体を冷やし、傷口を洗い、薬草を煎じて飲ませる。


やがて青年の呼吸が落ち着いてきた頃、ふと、彼の瞳が開いた。


深い蒼色の瞳。

まるで夜空を映したような、不思議な色だった。


「……誰だ」

掠れた声で、彼が問う。


「通りすがりの者です。傷が深かったので、手当てを」


「……そうか」


それだけ言うと、彼は再び目を閉じた。意識を失ったのではない。ただ休んでいるだけのようだった。


私は安堵の息を吐いた。

こんな山奥で、誰がどうして倒れていたのかは分からない。

けれど、少なくとも命は繋いだ。


それだけで良い。




青年——名を蒼玄と名乗った彼は、驚くべき速さで回復していった。


「恩に着る」

目を覚ました翌日、彼はそう言った。


「いえ、お気になさらず。ただ、同じ場所に居合わせただけですから」


「……君は優しいな」


蒼玄は不思議そうに私を見つめた。まるで、初めて人間を見るかのように。


彼は多くを語らなかった。名前以外、何も教えてくれない。

けれど、私も詮索する気はなかった。


追われている身なのかもしれない。だとすれば…私と同じだ。


静かな日々が始まった。


蒼玄は傷が癒えると、狩りや水汲みを手伝ってくれるようになった。

私は薬草を摘み、彼が獲ってきた獣の肉を調理した。


会話は少なかったが、不思議と居心地は悪くなかった。


「紫乃」


ある夜、焚き火の前で彼が言った。


「君は、なぜこんな場所にいる」


「……追放されたのです」

正直に答えた。隠す理由もなかった。


「凶兆の姫として」


「凶兆?」


蒼玄の眉が僅かに動いた。


「ええ。私が存在すると、国に災いが起きると言われています。

だから…追い出されたのです」


「…馬鹿げているな」


彼は即座に言い切った。


「君は誰かに災いをもたらすような存在ではない」


「……なぜ、そう言えるのですか」


「分かる」


蒼玄は静かに私を見つめた。

「君の気配には、穢れがない」


気配、という言葉の選び方が不思議だった。

けれど、私は追及しなかった。


それよりも、彼が私を否定してくれたことが——ほんの少しだけ、心に温かさを残した。


夜、眠れずに外を眺めていると、空に不思議な影が見えた。


巨大な、龍のような影。

幻覚だろうか、と思った。疲れているのかもしれない。

けれどその影は、確かに山の上空を旋回していた。


翌朝、そのことを蒼玄に話すと、彼は「そうか」とだけ答えた。


その表情は、どこか遠くを見ているようだった。




そんな平穏な日々は、突然終わりを告げた。


「凶兆の姫を捕えよ!」


山道を登ってくる声が聞こえた。

松明の灯りが、洞窟に近づいてくる。


国の兵だった。


「紫乃様! 国の命により、あなた様を都へお連れします!」


先頭に立つ男が叫ぶ。


「……私はもう追放されたはずです」


「追放ではなく、封印の儀が必要だと、神官様が仰せになりました!

あなた様の身を捧げることで、国の災いを鎮めると!」


——ああ、そういうことか。


私は全てを理解した。

飢饉が収まらなかったのだ。だから、もっと分かりやすい「解決」が必要になった。


私を生贄に捧げるという儀式で、人々の心を慰めるつもりなのだろう。


「待て」

蒼玄が、私の前に立った。


「彼女を連れて行くことは許さない」


「何者だ貴様! 邪魔をするなら——」


兵が剣を抜きかけた瞬間、蒼玄の身体が青い光に包まれる。

その光は瞬く間に大きくなり、やがて洞窟全体を包み込む。


兵たちが悲鳴を上げた。

光の中に、巨大な影が浮かび上がる。


それは、龍——


それは、私が夜空に見た影そのものだった。


「我は龍族の王、蒼玄。人の身に戻り、この地に留まっていた」


蒼玄の声が、低く響く。


「紫乃は凶兆などではない。逆だ——彼女は龍に選ばれる資質を持つ者。

龍脈の流れを感じ取る力を持つが故に、人には理解されず忌み嫌われたに過ぎぬ」


兵たちが震え上がる。


「この者を傷つけようとする愚か者には、我が牙を向ける。

今すぐ去れ。さもなくば——」


蒼玄が手を翳すと、空が唸りを上げた。

黒雲が渦巻き、雷鳴が轟く。


「国を、滅ぼす」


その言葉に、兵たちは悲鳴を上げて逃げ出した。


けれど、蒼玄は手を下ろさなかった。

雷鳴は止まず、山が揺れ始める。


「待って!」

私は思わず蒼玄の腕を掴んだ。


「やめてください、蒼玄様!」


「……なぜ」


蒼玄が振り返る。その瞳は、人ならざる光を宿していた。


「あの者たちは君を殺そうとした。…それは許されることではない」


「それでも!」


私は必死に訴えた。


「あの国には、私を最後まで気遣ってくれた侍女がいます。

私のことを何も知らない民も中にはいます。全てを滅ぼすなど——」


「君は優しすぎる」

蒼玄の声が、僅かに震えた。


「自分を傷つけた者さえ庇うのか」


「優しいのではありません」


私は首を振った。


「ただ……これ以上、誰かが不幸になるのを見たくないだけです」


蒼玄は長い間、私を見つめていた。


やがて、ゆっくりと手を下ろす。

雷鳴が止んだ。黒雲が晴れていく。


「……分かった」

彼は静かに言った。


「君がそう望むなら、国は滅ぼさない」


「ありがとうございます」

安堵の息を吐いた私に、蒼玄は穏やかに微笑んだ。


「だが、条件がある」





「君は、もう人の国には戻れない」

蒼玄の言葉に、私は頷いた。


「……分かっています」


もう帰る場所などない。最初から、そうだった。


「だから——」


蒼玄が、私の手を取った。

「俺が君を拾う。一生、離さない」


その言葉の意味を理解する前に、私の身体はふわりと浮き上がった。


蒼玄が、私を抱き上げたのだ。


「え——」


「龍族の王妃として、俺の傍にいてほしい」


「お、王妃……?」


「君が望まないなら、無理には言わない。

だが、俺は君を守りたい。二度と、誰にも…傷つけさせたくない」


蒼玄の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「人間は君を捨てた。ならば俺が拾う。君が安らげる場所を、必ず与える」


その言葉に、私の胸が熱くなった。


「……本当に、よろしいのですか」


「ああ」


「私は、凶兆の姫です。何の力もない、ただの——」


「違う」


蒼玄が私の言葉を遮った。


「君は強い。誰にも愛されなくても、生き延びる術を身につけた。俺を助けてくれた。そして今、国を救った」


「それは……」


「君は十分すぎるほど、強く優しい」


蒼玄の腕に、力が込められた。


「だから、もう一人で生きなくていい。俺が傍にいる」


私は、初めて泣いた。


追放された日も、凶兆と罵られた日も、泣かなかった。

けれど今、初めて涙が溢れたのだ。


「……ありがとう、ございます」


蒼玄は何も言わず、ただ私を抱きしめてくれた。


やがて、私たちの周囲に青い光が満ちた。

光が形を成し、巨大な龍の姿となる。


これが蒼玄の本来の姿——


龍は優しく私たちを包み込むと、ゆっくりと空へ舞い上がった。

眼下に、山々が広がる。遠くに、都の灯りが見えた。


けれど、もうあそこは私の居場所ではない。


「見えるか」


蒼玄が囁いた。


「あれが、君の新しい家だ」


雲の上に、宮殿が浮かんでいた。

龍族の宮——空に浮かぶ、幻想的な建物。


「綺麗……」


思わず呟いた私に、蒼玄が微笑んでいるように感じた。


「気に入ってくれたなら嬉しい」


龍はゆっくりと宮殿へ降り立った。

蒼玄が人の姿に戻り、私を地面へ下ろす。


宮殿の中は、想像以上に穏やかな空気に満ちていた。


「ここでは、誰も君を責めない。君が望むなら、何をしていもいい。

医術を学んでもいいし、ただ休んでいてもいい」


「……本当に、何もしなくても?」


「ああ。君はもう、誰かのために無理をしなくていい」


蒼玄の言葉が、胸に染み込んだ。こんな優しくされたのはいつぶりだろうか。


「…ただし」

彼が私の手を取る。


「俺の傍にいることだけは、譲れない」



「……はい」


今まで生きてきて初めて、心から安らいだ。

ここが私の居場所なのだと、ようやく信じることができた。


蒼玄は静かに私を抱き寄せた。


「これから先、君を守る。誰にも渡さない」


「少し、独占欲が強すぎませんか?」


「龍はそういう生き物だ」


彼は悪びれもせずに答えた。


「それに、君を失いたくない」


「……私も、です」


私は彼の胸に顔を埋めた。


彼の胸はとても温かかった。

今まで感じたことのない、確かな温もりがそこにあった。


空に浮かぶ宮殿で、私は初めて——本当の安らぎを知った。


凶兆の姫と呼ばれた私。

けれど今は、龍の王に愛される者として、新しい人生を歩み始める。


もう二度と、一人ではない。

蒼玄が傍にいてくれる。

それだけで、私は幸せだった。




【完】

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