凶兆の姫と呼ばれて追放されたけれど、拾ってくれたのは龍族の王でした
「…紫乃様、どうか御身お大事に」
侍女の涙声を背に、私は都を出た。
凶兆の姫——それが、私に与えられた呼び名だった。
生まれながらにして紫の瞳を持つ私は、幼い頃から周囲に忌み嫌われてきた。
飢饉が起きれば私のせい…疫病が流行れば私のせい、大臣が病に倒れれば私のせい。
どれほど慎ましく生きようとも、私の存在そのものが「災い」と見なされ続けた。
そして遂に、正式な追放の詔が下ったのである。
理由は、今年の冷害。
もちろん…私は何もしていない。ただ宮中で静かに暮らしていただけなのに。
けれど、もう慣れていた。
人は理由を求める生き物だ。災いには必ず原因があると信じたがる。
そして、都合の良い答えがあれば、それに縋る。
私はその答えに選ばれただけ。恨む気にもならなかった。
辺境の山に入って三日が経った頃、私は小さな洞窟を見つけた。
雨風が凌げる程度の場所だが、贅沢は言えない。
持たされた荷は最低限の着物と僅かな金子だけ。
これから先、どう生きていくかは自分次第だ。
医術と裁縫——生き延びるために身につけたこの二つの技が、今の私を支えている。
そんなことを考えながら洞窟の奥へ進んだとき、私は息を呑んだ。
そこに倒れている人がいたのだ。
青年だった。黒髪を無造作に伸ばした、見目麗しい男性。
だが全身が泥と血に塗れており、息も絶え絶えだった。
「——大丈夫ですか!」
思わず駆け寄る。
傷だらけの身体、浅い呼吸。このままでは死んでしまう。
どうして私が、と頭の片隅で思った。
どうせ私は凶兆の姫だ。人を助けたところで感謝されるはずもない。
むしろ、助けた相手にまで災いが及ぶと言われるかもしれない。
それでも…何もなかったように見逃すわけにはいかない。
「……すみません。少しだけ、我慢してください」
私は持っていた布を裂き、彼の傷を手当てし始めた。
医術の心得は、侍女が病に倒れたとき、誰も助けてくれなかったから学んだのだ。
裁縫は、誰も私の衣を繕ってくれなかったから覚えた。
全ては、生きるため。
誰にも頼れない私が、それでも生き延びるために身につけた技だった。
青年の傷は深かったが、幸い命に関わるものではなさそうだった。
熱を持った身体を冷やし、傷口を洗い、薬草を煎じて飲ませる。
やがて青年の呼吸が落ち着いてきた頃、ふと、彼の瞳が開いた。
深い蒼色の瞳。
まるで夜空を映したような、不思議な色だった。
「……誰だ」
掠れた声で、彼が問う。
「通りすがりの者です。傷が深かったので、手当てを」
「……そうか」
それだけ言うと、彼は再び目を閉じた。意識を失ったのではない。ただ休んでいるだけのようだった。
私は安堵の息を吐いた。
こんな山奥で、誰がどうして倒れていたのかは分からない。
けれど、少なくとも命は繋いだ。
それだけで良い。
青年——名を蒼玄と名乗った彼は、驚くべき速さで回復していった。
「恩に着る」
目を覚ました翌日、彼はそう言った。
「いえ、お気になさらず。ただ、同じ場所に居合わせただけですから」
「……君は優しいな」
蒼玄は不思議そうに私を見つめた。まるで、初めて人間を見るかのように。
彼は多くを語らなかった。名前以外、何も教えてくれない。
けれど、私も詮索する気はなかった。
追われている身なのかもしれない。だとすれば…私と同じだ。
静かな日々が始まった。
蒼玄は傷が癒えると、狩りや水汲みを手伝ってくれるようになった。
私は薬草を摘み、彼が獲ってきた獣の肉を調理した。
会話は少なかったが、不思議と居心地は悪くなかった。
「紫乃」
ある夜、焚き火の前で彼が言った。
「君は、なぜこんな場所にいる」
「……追放されたのです」
正直に答えた。隠す理由もなかった。
「凶兆の姫として」
「凶兆?」
蒼玄の眉が僅かに動いた。
「ええ。私が存在すると、国に災いが起きると言われています。
だから…追い出されたのです」
「…馬鹿げているな」
彼は即座に言い切った。
「君は誰かに災いをもたらすような存在ではない」
「……なぜ、そう言えるのですか」
「分かる」
蒼玄は静かに私を見つめた。
「君の気配には、穢れがない」
気配、という言葉の選び方が不思議だった。
けれど、私は追及しなかった。
それよりも、彼が私を否定してくれたことが——ほんの少しだけ、心に温かさを残した。
夜、眠れずに外を眺めていると、空に不思議な影が見えた。
巨大な、龍のような影。
幻覚だろうか、と思った。疲れているのかもしれない。
けれどその影は、確かに山の上空を旋回していた。
翌朝、そのことを蒼玄に話すと、彼は「そうか」とだけ答えた。
その表情は、どこか遠くを見ているようだった。
そんな平穏な日々は、突然終わりを告げた。
「凶兆の姫を捕えよ!」
山道を登ってくる声が聞こえた。
松明の灯りが、洞窟に近づいてくる。
国の兵だった。
「紫乃様! 国の命により、あなた様を都へお連れします!」
先頭に立つ男が叫ぶ。
「……私はもう追放されたはずです」
「追放ではなく、封印の儀が必要だと、神官様が仰せになりました!
あなた様の身を捧げることで、国の災いを鎮めると!」
——ああ、そういうことか。
私は全てを理解した。
飢饉が収まらなかったのだ。だから、もっと分かりやすい「解決」が必要になった。
私を生贄に捧げるという儀式で、人々の心を慰めるつもりなのだろう。
「待て」
蒼玄が、私の前に立った。
「彼女を連れて行くことは許さない」
「何者だ貴様! 邪魔をするなら——」
兵が剣を抜きかけた瞬間、蒼玄の身体が青い光に包まれる。
その光は瞬く間に大きくなり、やがて洞窟全体を包み込む。
兵たちが悲鳴を上げた。
光の中に、巨大な影が浮かび上がる。
それは、龍——
それは、私が夜空に見た影そのものだった。
「我は龍族の王、蒼玄。人の身に戻り、この地に留まっていた」
蒼玄の声が、低く響く。
「紫乃は凶兆などではない。逆だ——彼女は龍に選ばれる資質を持つ者。
龍脈の流れを感じ取る力を持つが故に、人には理解されず忌み嫌われたに過ぎぬ」
兵たちが震え上がる。
「この者を傷つけようとする愚か者には、我が牙を向ける。
今すぐ去れ。さもなくば——」
蒼玄が手を翳すと、空が唸りを上げた。
黒雲が渦巻き、雷鳴が轟く。
「国を、滅ぼす」
その言葉に、兵たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
けれど、蒼玄は手を下ろさなかった。
雷鳴は止まず、山が揺れ始める。
「待って!」
私は思わず蒼玄の腕を掴んだ。
「やめてください、蒼玄様!」
「……なぜ」
蒼玄が振り返る。その瞳は、人ならざる光を宿していた。
「あの者たちは君を殺そうとした。…それは許されることではない」
「それでも!」
私は必死に訴えた。
「あの国には、私を最後まで気遣ってくれた侍女がいます。
私のことを何も知らない民も中にはいます。全てを滅ぼすなど——」
「君は優しすぎる」
蒼玄の声が、僅かに震えた。
「自分を傷つけた者さえ庇うのか」
「優しいのではありません」
私は首を振った。
「ただ……これ以上、誰かが不幸になるのを見たくないだけです」
蒼玄は長い間、私を見つめていた。
やがて、ゆっくりと手を下ろす。
雷鳴が止んだ。黒雲が晴れていく。
「……分かった」
彼は静かに言った。
「君がそう望むなら、国は滅ぼさない」
「ありがとうございます」
安堵の息を吐いた私に、蒼玄は穏やかに微笑んだ。
「だが、条件がある」
「君は、もう人の国には戻れない」
蒼玄の言葉に、私は頷いた。
「……分かっています」
もう帰る場所などない。最初から、そうだった。
「だから——」
蒼玄が、私の手を取った。
「俺が君を拾う。一生、離さない」
その言葉の意味を理解する前に、私の身体はふわりと浮き上がった。
蒼玄が、私を抱き上げたのだ。
「え——」
「龍族の王妃として、俺の傍にいてほしい」
「お、王妃……?」
「君が望まないなら、無理には言わない。
だが、俺は君を守りたい。二度と、誰にも…傷つけさせたくない」
蒼玄の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
「人間は君を捨てた。ならば俺が拾う。君が安らげる場所を、必ず与える」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
「……本当に、よろしいのですか」
「ああ」
「私は、凶兆の姫です。何の力もない、ただの——」
「違う」
蒼玄が私の言葉を遮った。
「君は強い。誰にも愛されなくても、生き延びる術を身につけた。俺を助けてくれた。そして今、国を救った」
「それは……」
「君は十分すぎるほど、強く優しい」
蒼玄の腕に、力が込められた。
「だから、もう一人で生きなくていい。俺が傍にいる」
私は、初めて泣いた。
追放された日も、凶兆と罵られた日も、泣かなかった。
けれど今、初めて涙が溢れたのだ。
「……ありがとう、ございます」
蒼玄は何も言わず、ただ私を抱きしめてくれた。
やがて、私たちの周囲に青い光が満ちた。
光が形を成し、巨大な龍の姿となる。
これが蒼玄の本来の姿——
龍は優しく私たちを包み込むと、ゆっくりと空へ舞い上がった。
眼下に、山々が広がる。遠くに、都の灯りが見えた。
けれど、もうあそこは私の居場所ではない。
「見えるか」
蒼玄が囁いた。
「あれが、君の新しい家だ」
雲の上に、宮殿が浮かんでいた。
龍族の宮——空に浮かぶ、幻想的な建物。
「綺麗……」
思わず呟いた私に、蒼玄が微笑んでいるように感じた。
「気に入ってくれたなら嬉しい」
龍はゆっくりと宮殿へ降り立った。
蒼玄が人の姿に戻り、私を地面へ下ろす。
宮殿の中は、想像以上に穏やかな空気に満ちていた。
「ここでは、誰も君を責めない。君が望むなら、何をしていもいい。
医術を学んでもいいし、ただ休んでいてもいい」
「……本当に、何もしなくても?」
「ああ。君はもう、誰かのために無理をしなくていい」
蒼玄の言葉が、胸に染み込んだ。こんな優しくされたのはいつぶりだろうか。
「…ただし」
彼が私の手を取る。
「俺の傍にいることだけは、譲れない」
「……はい」
今まで生きてきて初めて、心から安らいだ。
ここが私の居場所なのだと、ようやく信じることができた。
蒼玄は静かに私を抱き寄せた。
「これから先、君を守る。誰にも渡さない」
「少し、独占欲が強すぎませんか?」
「龍はそういう生き物だ」
彼は悪びれもせずに答えた。
「それに、君を失いたくない」
「……私も、です」
私は彼の胸に顔を埋めた。
彼の胸はとても温かかった。
今まで感じたことのない、確かな温もりがそこにあった。
空に浮かぶ宮殿で、私は初めて——本当の安らぎを知った。
凶兆の姫と呼ばれた私。
けれど今は、龍の王に愛される者として、新しい人生を歩み始める。
もう二度と、一人ではない。
蒼玄が傍にいてくれる。
それだけで、私は幸せだった。
【完】




