第71話 再定義
鼓動が、戻った。
黒装束の女は、横たわるレオナールの胸元に視線を落とした。
止まっていたはずの心拍が、微かに波を打つ。
だが、弱い。
体温は低い。
死人に近い温度。
「……戻ったの?」
問いは独り言に近い。
その瞬間、レオナールの指先が動いた。
ゆっくりと、目が開く。
空が見える。
だが、違う。
空気の中に、細い線が走っている。
揺らぎの流れ。
歪みの残滓。
それらが、構造として見える。
「……うるさいな」
視界に走る線が、世界の裏側を示している。
女が一歩近づく。
「聞こえるの?」
「見える」
レオナールは上体を起こす。
身体は軽い。
痛みはない。
だが、空虚だ。
「吸えない」
胸の奥に、受け皿はない。
固定歪みは、消えた。
いや。
境界が、なくなった。
近くで、微小な歪みが発生する。
風の乱れ。
小さな裂け目。
女が即座に動こうとする。
その前に、レオナールが手を伸ばした。
触れる。
吸収はしない。
押し込まない。
ただ、流れを整える。
歪みが、形を変える。
消えるのではない。
均される。
滑らかに、世界へ溶ける。
女が初めて、明確に目を細める。
「……構造を書き換えたの?」
「違う」
レオナールは自分の手を見る。
「元からあった流れを、戻しただけだ」
沈めるのではない。
介入する。
同調する。
それが自然だと、分かる。
「あなた、目が」
女の声。
レオナールは瞬きをする。
瞳に映る世界が、淡く歪んでいる。
瞳の色が変わっていた。
深い、暗い色。
光を吸うような、歪みの色。
「……ああ」
自覚はある。
元の人間ではない。
学園の結界が、遠方で反応する。
異常波形。
制圧班が報告を上げる。
災害級の残響が、再び動いた。
「存在変質の可能性あり」
遠くで、冷たい声が響く。
女は視線を外さない。
「もう管理は無理ね」
「最初から無理だろ」
レオナールは立ち上がる。
身体は軽い。
だが、人間らしさが一段薄れた感覚。
「止める方法が変わっただけだ」
意志は変わらない。
目的も変わらない。
だが、手段は変わった。
彼は、生き返ったのではない。
書き換わったのだ。
そして。
世界は、それを静かに観測していた。




