第58話 追跡圏
夜明け前、空気が変わった。
囲いが、張られた。
それは音でも光でもない。
移動するたび、圧の“勾配”が変わることで分かる。踏み込む一歩ごとに、世界がわずかに硬くなる。逃げ道が減っていく感触。
レオナールは足を止め、呼吸を整えた。
「……追われてる、じゃないな」
違う。
囲われている。
追跡は線ではない。面だ。
結界網が広域に展開され、互いに連携している。薄い網を幾重にも重ね、移動の自由度を削る設計。走れば引っかかる。止まっても詰まる。
圏の境目を、皮膚で感じる。
右に動けば圧が増す。左に寄れば密度が変わる。高度を下げれば、別の層が待っている。
「よくできてる……」
褒め言葉は、吐息と一緒に消えた。
身体が重い。
歩行のリズムが乱れる。固定歪みの副作用が、日常動作にまで染み出している。魔力を絞れば楽になるが、絞れば絞るほど、世界側の兆候を見逃す。
休めない。
休めば、圏が縮む。
木立の影で一瞬だけ姿勢を低くする。視認阻害は効く。だが、長くは持たない。網は反応を見る。消えると、次の層が閉じる。
レオナールは、圏の構造を“読む”。
要点は三つ。
——層の重なり。
——反応の遅延。
——人が入れ替わる“薄点”。
「……ここだ」
一箇所だけ、無理をすれば抜けられる点がある。
代わりに、取り返しがつかない。
突破には、出力を上げる必要がある。沈めた歪みが反応し、痕がはっきり残る。追跡は“確信”へ変わる。回収は、速くなる。
選択肢は、見えた。
選べないだけだ。
そのとき、胸の奥が短く疼いた。
――遠い。
――二つ。
――同時。
世界側の兆候が、複数立ち上がりかけている。規模は小さい。だが、連鎖の兆し。放っておけば、別方向へ広がる。
「……一人じゃ、回らないな」
言葉にして、初めて現実になる。
逃げながら止める。
それは、限界だ。
レオナールは、網の圧を背に感じながら、進路を変えた。突破点へ向かうのではない。計算の余地が残る場所へ。
協力者が、必要だ。
学園は、選択肢にない。
戻れば、圏は閉じる。
世界は、広い。
そして、もう彼一人に任せるには、広すぎた。
薄明の空の下、レオナールは歩き続ける。
追跡圏の内側で、次の一手を探しながら。




