第57話 追う者と、逃げる者
森に入った瞬間、教員たちは足を止めた。
空気が、整いすぎている。
異変があった場所に特有の、乱れがない。
破壊の痕も、焼失の痕もない。
それでも――
“処理された”痕だけが残っていた。
「……沈められている」
専門教員が、低く言う。
歪みは消えている。
だが、消え方が異常だった。
絡まりを解き、流れを変え、世界側へ押し戻すのではなく、
受け皿を用意して吸い取った形跡。
それが何を意味するか、全員が理解していた。
「内部関係者だ」
「しかも、学園構造と結界理論を完全に把握している」
沈黙が落ちる。
理論的に可能な者は、限られる。
候補は、すでに絞られていた。
「……レオナール・フォン・グラントヴァル」
名前が出た瞬間、誰も否定しなかった。
否定できなかった。
体調ログ。
行動の空白。
理論適性。
そして――消失。
「管理外に出た、と判断する」
言葉は、淡々としていた。
捕縛、ではない。
処罰、でもない。
「回収対象とする」
目的は明確だ。
殺さない。
だが、逃がさない。
即座に、追跡部隊が編成される。
結界網の再構築。
広域探知の展開。
逃走経路の推定。
「単独で長距離は持たない。
体調は、確実に悪化している」
追う理由は、正当だ。
だが――
追われる側にとっては、容赦がない。
同時刻。
学園の一室で、エリシアは椅子に座っていた。
「彼が、どこへ向かったか心当たりは?」
教員の問いは、静かだった。
圧は、かけない。
だが、逃げ場もない。
エリシアは、俯いたまま答える。
「……分かりません」
嘘ではない。
知っていても、言えない。
沈黙が、長く続く。
「協力してほしい」
「学園を守るためだ」
エリシアは、何も言わなかった。
ただ、拳を握りしめる。
彼が選んだ道を、
自分が裏切るわけにはいかない。
一方。
森を抜け、街道を外れた場所で、
レオナール・フォン・グラントヴァルは膝をついていた。
呼吸が、浅い。
胸の奥の重みは、静かだが重い。
動けば分かる。
確実に、限界が近づいている。
「……来るな」
呟きは、夜に溶ける。
背後に、微かな魔力の網を感じる。
追跡だ。
速い。
学園は、もう迷っていない。
休めない理由は、二つある。
一つは、追われているから。
もう一つは――
遠くで、また“歪み”が生まれ始めているからだ。
連鎖が、始まっている。
止めなければ、被害は広がる。
「……逃げながら、止めるしかないか」
苦笑にもならない。
生徒としての立場は、もうない。
守られる側でもない。
それでも、やることは変わらない。
レオナールは立ち上がり、闇の中へ歩き出す。
追う者と、逃げる者。
その距離は、
確実に、詰まり始めていた。
彼は、
もう生徒ではなかった。




