第53話 痕跡を追う者
森の空気は、昨日とは違っていた。
虫の声は戻っている。
風も流れている。
それでも、教員たちは足を止めた。
「……ここだ」
北西、街道沿い。
異変が臨界に達した地点。
黒い溜まりは消えている。
結界数値も正常。
だが、残っているものがある。
地面に残る微細な魔力残滓。
空間にわずかに残る“癖”。
教員の一人が、手袋越しに指を滑らせる。
「力で壊していない」
もう一人が、頷く。
「斬った痕もない。
焼いた痕もない。
……解かれている」
歪みが、ほどかれた。
その言葉は、異常だった。
普通、歪みは抑えるか、破壊するか、封じるかだ。
“解く”など、想定されていない。
専門教員が、沈黙の後に言う。
「内部の者だな」
断定に近い声。
「学園構造を知っている。
結界理論を理解している。
そして、歪みを刺激せずに処理できる制御力を持つ」
条件は絞られる。
だが、名前はまだ出ない。
決定打がない。
「外部侵入の痕跡は?」
「ない。
結界の揺れも、内側からのものだ」
なら――
学園内部。
誰かが、夜に動き、処理している。
教員の視線が交わされる。
「監視を強化する」
「巡回を増やす。
監視魔法も展開する」
結論は速い。
守るための行動。
だが、同時に“追う”行動でもある。
学園に戻ると、空気がさらに硬くなっていた。
廊下の角に立つ教員。
寮の入口の確認。
訓練場前の見張り。
監視が、常時化し始めている。
管理対象生徒の再精査が進む。
体調不良報告。
魔力変動。
行動履歴。
紙と結晶盤が並び、記録が整理される。
「昨夜、寮内の点呼に空白がある」
「短時間だが、監視が途切れている区間がある」
その空白は、いくつも重なる。
そして――
再び浮上する名前がある。
レオナール・フォン・グラントヴァル。
教員の一人が、眉をひそめる。
「一度、姿を消した件もある。
説明はまだ受けていない」
「だが断定できない。
証拠がない」
意見は割れる。
それでも、矢印は太くなる。
同じ頃。
レオナールは、教室で静かに座っていた。
表情は変えない。
呼吸も整える。
だが、胸の奥の重みは増している。
魔力を使っていないのに、
息が少しだけ深く必要になる。
エリシアは、隣の席からそれを見ていた。
彼女は何も言わない。
言えない。
だが、分かっている。
追う側は、本気になった。
放課後。
人気のない回廊。
エリシアが、小さく言う。
「……包囲されてる」
レオナールは、頷いた。
「そうだな」
否定も、動揺もない。
そうなると分かっていて、越えた。
「怖い?」
エリシアの問いは、弱さではない。
確認だ。
レオナールは、一瞬だけ考え、答えた。
「怖いのは……見つかることじゃない」
静かに。
「見つかる前に、間に合わなくなることだ」
エリシアが息を呑む。
その言葉が、すべてだった。
守られる構造は、守れない現実を作る。
だから、越えた。
そして今、追われる側になった。
夜。
寮の窓の外を、巡回の灯りが通り過ぎる。
足音が近い。
監視は、もう“気配”ではない。
現実だ。
影は、
追われる側になった。




