第52話 影の処理
夜の森は、静かだった。
だが、その静けさは、不自然だった。
虫の声がない。
風の流れが、止まっている。
空気が、張りつめている。
レオナール・フォン・グラントヴァルは、足を止めた。
胸の奥が、激しく脈打つ。
ここだ。
木々の間。
黒い“溜まり”が、空間に貼り付くように存在している。
音はない。
だが、圧がある。
今にも、噴き出す。
「……間に合った」
背後。
遠くで、結界通信の微かな反応。
教員部隊が、向かっている。
だが、間に合わない。
間に合うのは――自分だけだ。
レオナールは、ゆっくりと前に出る。
魔力を、大きくは動かさない。
刺激すれば、終わる。
やるべきことは、ひとつ。
ほどく。
溜まりの表面に、意識を重ねる。
流れを読む。
歪みは、絡まった糸の塊だ。
力で切るのではない。
一本ずつ、解く。
自分の内側に固定した歪みと、共鳴させる。
同質のもの同士は、引き合う。
「……来い」
黒い溜まりが、わずかに揺れる。
胸の奥が、焼ける。
だが、止めない。
歪みの一部が、引き剥がされる。
自分の内側へ。
「……っ」
膝が、落ちる。
視界が、白くなる。
それでも、手を離さない。
ほどく。
引き寄せる。
固定する。
同じ作業を、何度も。
時間感覚が、消える。
やがて。
黒い溜まりが、薄くなる。
圧が、消えていく。
森の空気が、動き出す。
虫の声が、戻る。
異変は、沈静化した。
レオナールは、その場に崩れ落ちる。
呼吸が、追いつかない。
胸の奥の重みは、さらに増している。
だが――生きている。
「……成功、か」
小さく呟く。
遠くで、足音。
教員部隊だ。
姿を見られるわけにはいかない。
レオナールは、歯を食いしばり、立ち上がる。
足が、もつれる。
だが、歩く。
森の影に、溶ける。
学園。
監視盤の数値が、急速に正常域へ戻る。
「……もう誰かが処理している」
教員の一人が、呟く。
現地に到着した部隊が、確認する。
「歪みは消失。
だが、戦闘痕はない」
「……人為的だな」
疑いは、さらに深まる。
その頃。
レオナールは、学園の外縁を回り、抜け道から戻る。
体が、重い。
視界が、暗い。
だが、倒れない。
寮の裏。
エリシアが、待っていた。
「……無事?」
声が、震えている。
レオナールは、小さく頷く。
「戻った」
それだけで、十分だった。
二人だけが、知っている。
今夜、誰が何をしたのか。
そして――
このままでは、いずれ見つかることも。
それでも。
彼は、止まらない。




