第34話 隠しきれない違和感
朝の学園は、いつもと同じ音で始まった。
鐘が鳴り、廊下に足音が満ちていく。
祝宴の余韻はすでに薄れ、日常が戻ってきている。
変わらない世界。
変わらないはずの一日。
――ただ一つを除いて。
レオナール・フォン・グラントヴァルは、登校路の途中で呼び止められて、初めて自分の歩みが遅れていたことに気づいた。
「レオナール?」
振り返ると、同級生が怪訝そうな顔で立っている。
「もう授業始まるぞ」
「ああ……悪い」
言ってから、ほんのわずかな間が空いたことに、自分で気づく。
返事が遅れた。
ほんの一拍。
それだけのことなのに、胸の奥がざわついた。
教室に入ると、授業はすでに始まっている。
視線が、ちらりとこちらを向く。
責める色はない。
だが、見られたという感覚だけが残る。
席に着き、ノートを開く。
教師の声は、耳に入っている。
内容も理解できる。
それでも、頭の中で一度噛み砕いてからでないと、
言葉が定着しない。
以前なら、もっと自然だった。
「……」
誰にも悟られないよう、姿勢を正す。
昼前の演習は、簡単な判断を要するものだった。
複数の魔力反応を感知し、
優先順位をつけて処理する。
難易度は低い。
時間制限も緩い。
レオナールは、反応を拾う。
だが――
一瞬、迷った。
どちらが先か。
ほんの刹那。
結果として、判断は間違っていない。
だが、遅い。
教員の視線が、ほんの一瞬こちらをかすめた。
何も言われない。
指摘もない。
それでも、胸の内側に残る。
――らしくない。
その評価が、言葉になる前に、確かに存在していた。
演習が終わり、場が解散しても、
その感覚は消えなかった。
午後、廊下を歩いていると、背後から声がかかる。
「レオナール」
振り向くと、エリシアが立っていた。
表情は穏やかだ。
だが、視線は真っ直ぐこちらを見ている。
「ちょっと、いい?」
「ああ」
並んで歩き出す。
しばらく、沈黙が続いた。
エリシアは、言葉を選んでいるようだった。
「……最近、少し様子が違う気がして」
核心を突かない言い方。
断定もしない。
ただの感覚として、違和感を差し出してくる。
「疲れてる?」
一瞬、考える。
正直に言えば、
説明はできない。
真実を言えば、
何もかもが変わる。
レオナールは、ほとんど反射的に答えていた。
「少し、な」
体調不良。
寝不足。
理由としては、無難だ。
「……無理してない?」
「大丈夫だ」
言葉は、もっともらしい。
表情も崩していない。
だが、エリシアの目は、納得しきれていない。
「なら、いいんだけど」
それ以上、踏み込んではこない。
だが――
引き下がったわけでもない。
視線が、しばらくこちらに留まっていた。
別れた後、レオナールは人気のない回廊に足を向ける。
壁に手をつき、深く息を吐く。
「……」
嘘をついた。
必要だからだ。
仕方がない。
そう、頭では理解している。
それでも、胸の奥が重い。
悪役は、嫌われる役割だ。
疑われる役割だ。
だが――
嘘をつく役割じゃない。
それが、どこかで引っかかっていた。
自分は、真実を隠してきた。
だが、偽りを語ることは、なるべく避けてきた。
今回は違う。
守るために、嘘を選んだ。
その選択が、正しいのかどうか。
答えは、まだ出ない。
廊下の向こうで、誰かの話し声が聞こえる。
「最近、レオナールどうしたんだろうな」
「別に変じゃないだろ?」
「……そうか?」
声は、小さい。
だが、確かに耳に届いた。
違和感は、もう自分だけのものではない。
レオナールは、背筋を伸ばす。
今は、まだ隠せている。
誤魔化せている。
だが、隠した瞬間から、
真実は、より大きな存在になっていく。
それを、誰よりも理解していた。
だからこそ――
今日も、黙って歩く。
影のままで。




