第32話 勝者の帰還
凱旋の知らせは、学園全体を一瞬で包み込んだ。
北方街道での討伐成功。
魔力暴走の完全沈静。
被害は最小限。
伝達魔法が淡々と事実を告げるたび、
生徒たちの表情は明るさを増していく。
不安は、安堵へ。
緊張は、歓喜へ。
「やった……」
「無事だったんだな」
教員たちもまた、肩の力を抜いた。
結界の数値は正常。
追加の異変も観測されていない。
――終わった。
誰もが、そう信じて疑わなかった。
学園の正門が開かれたのは、夕刻だった。
討伐隊が戻る。
その報を聞きつけ、生徒たちが自然と集まる。
拍手が起こる。
歓声が重なる。
その中心に、勇者がいた。
大きな怪我はない。
疲労はあっても、歩みは確かだ。
剣を収め、周囲に軽く手を上げる。
それだけで、さらに声が高まる。
期待に応える姿。
恐れを払う背中。
英雄は、英雄として帰ってきた。
エリシアもまた、討伐隊の一員として迎えられる。
「ありがとう」
「助かったよ」
そんな言葉が、次々に投げかけられる。
彼女は微笑みながら応じるが、
その胸の奥に、わずかな引っかかりが残っていた。
勝利の実感はある。
確かに、危機は退けた。
それでも――
何かが足りない。
理由は分からない。
言葉にもできない。
ただ、
すべてが終わったとは思えなかった。
祝賀の準備は、あっという間に整えられた。
広間には灯りが入り、
簡素ながらも温かな食事が並ぶ。
笑い声。
談笑。
英雄の周囲には人が集まり、
自然と輪ができる。
それを、少し離れた場所から見ている者がいた。
レオナール・フォン・グラントヴァルだ。
拍手の輪には入らない。
入ろうとも思わない。
誰も、彼を避けているわけではない。
悪意も、拒絶もない。
ただ――
誰も、彼を必要としていなかった。
それだけだった。
光の中心には、英雄がいる。
その周囲を支える者たちがいる。
影は、最初から数えられていない。
レオナールは、視線を落とし、
ゆっくりと呼吸を整える。
胸の奥に、違和感があった。
微細な、だが確かな異常。
魔力の巡りが、どこか噛み合っていない。
意識を向けると、軽い眩暈が走る。
――気のせい、ではない。
それでも、表には出さない。
顔色を変えず、姿勢を崩さず、
ただ静かに、その場を離れた。
夜風に当たると、少し楽になる。
人気のない回廊で、
レオナールは壁に手をついた。
一瞬、視界が揺れる。
「……来たか」
独り言は、低く、短い。
第31話で引き受けた歪み。
媒介にした因果。
消えたわけではない。
自分の中で、形を変えて残っている。
魔力回路に、微細な乱れ。
循環が、以前より重い。
今は、まだ耐えられる。
無理をすれば、隠せる。
だからこそ――
誰にも言えない。
勇者に告げる理由はない。
エリシアに心配をかける必要もない。
まして、学園に説明する義務もない。
「……罰じゃない」
小さく、そう言ってみる。
言葉にすることで、確認するように。
「代償だ」
世界を壊さなかった。
英雄の勝利を、無意味にしなかった。
その結果が、これだ。
レオナールは、ゆっくりと背筋を伸ばす。
祝宴のざわめきが、遠くから聞こえる。
笑い声。
杯の音。
光は、確かに輝いている。
その光が消えないよう、
影は、静かに立ち続ける。
それが、自分の役割だ。
祝宴が続く夜、
英雄は中心で笑っていた。
エリシアも、そこにいる。
レオナールは、少し離れた場所で、
その光を見守る。
身体の奥に沈む違和感を、
まだ誰にも見せずに。
勝者は、光の中で讃えられる。
影に立つ者は、
その光が消えないことを願う。
それだけで、十分だった。
――少なくとも、今は。




