第30話 英雄は前に出る
異変は、正式な形で告げられた。
学園の中枢に設置された伝達魔法陣が起動し、
教員と上級生が一斉に呼び集められる。
学園外縁――北方街道付近。
魔力濃度の急激な上昇。
結界の部分破壊。
今回は、隠しようがなかった。
小規模な事故ではない。
放置すれば、街道を越えて被害が拡大する。
ざわめきが走る。
だが、その中に混じる感情は、恐怖だけではなかった。
「……来たな」
「英雄の出番だ」
期待。
信頼。
そして、当然の流れ。
この学園には、前に立つ存在がいる。
勇者は、状況説明が終わる前に、すでに立ち上がっていた。
「俺が行きます」
迷いはない。
声も揺れていない。
教員たちは一瞬だけ視線を交わし、
すぐに頷いた。
止める理由がない。
止めるべきでもない。
それが、この世界の常識だった。
「支援班を編成する。
エリシア、同行を」
名前を呼ばれ、エリシアは一拍置いてから返事をする。
「……はい」
胸の奥に、わずかな引っかかりがあった。
だが、それを口に出す理由がない。
勇者が前に出る。
自分は、それを支える。
それが、自分の役割だ。
出動準備は、迅速だった。
学園の門が開かれ、
選抜されたメンバーが街道へ向かう。
生徒たちは、その背中を見送る。
「頼んだぞ!」
「無事で戻れよ!」
声援が飛ぶ。
勇者は、振り返らずに手を上げた。
――守る。
その意志だけで、十分だった。
現場は、混乱していた。
魔力の渦が地表を這い、
結界の破片が空間に引っかかるように残っている。
だが、敵は明確だった。
魔力の集合体。
暴走した魔物。
正面から叩き潰すべき対象。
「行けるな」
勇者の言葉に、エリシアは即座に結界補助を展開する。
「後ろは任せて」
剣が振るわれ、魔法が炸裂する。
勇者は前に出る。
迷わず、怯まず。
その姿は、まさに英雄だった。
被害は抑えられている。
街道の封鎖も成功。
周囲の人々は、安堵の表情を浮かべる。
――これで終わる。
誰もが、そう思った。
だが、その頃。
学園から離れた、さらに別の場所で。
レオナール・フォン・グラントヴァルは、別の歪みを感じ取っていた。
表で起きている異変。
それ自体は、英雄向きだ。
力で押し切れる。
正面から解決できる。
問題は――
その裏側だ。
「……引っ張られている」
勇者が魔力を解放するたび、
別系統の流れが歪む。
まるで、表の戦闘を餌に、
裏が膨らんでいくように。
レオナールは、地図を広げ、
魔力の流れを頭の中で重ねる。
点と点が、線になる。
そして、ひとつの結論に至る。
「このままじゃ……
表の勝利が、意味を失う」
英雄が勝てば勝つほど、
裏の歪みは深くなる。
誰も気づかない。
気づけない。
英雄は前を見ている。
それでいい。
だが、
それだけでは足りない。
表では、戦況が好転していた。
勇者は魔物の核を捉え、
決定打を叩き込む。
歓声が上がる。
「押し切れる!」
エリシアも、そう思った。
――これで、終わる。
だが、彼女の胸の奥で、
小さな不安が消えない。
なぜか、
終わってはいけない気がした。
その感覚に、名前をつけられないまま。
影の中で、レオナールは静かに動き出す。
表には出ない。
誰にも知らせない。
それでも、
今ここで動かなければ、
すべてが無駄になる。
「……英雄は、前に出た」
レオナールは、独り言のように呟く。
「なら、悪役は――
もっと深く、沈むしかない」
光が強くなれば、
影もまた、濃くなる。
その理を、
誰よりも理解しているのは、
彼自身だった。
英雄は、前に出た。
悪役は、影に沈んだ。
その選択が、
同じ世界を、別の結末へ導こうとしていることを、
まだ誰も知らない。




