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エロゲ世界の悪役公爵子息に転生したけど、聖女を救うと世界が滅ぶらしい  作者: 海鳴雫


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第29話 英雄と悪役の距離

 朝の学園は、驚くほど穏やかだった。


 鐘の音が響き、寮の扉が開き、生徒たちが一斉に動き出す。

 昨日までと何一つ変わらない風景。

 結界は安定し、警報も鳴らない。


 勇者は、その中心にいた。


 期待の視線。

 軽い挨拶。

 自然と集まる人の輪。


 それが自分の役割だと、理解している。


 理解している――はずだった。


 訓練場で剣を振る。

 魔力の流れは安定し、身体も軽い。


 調子は悪くない。

 むしろ、良い。


 それなのに、胸の奥に小さな引っかかりが残っていた。


 理由は分からない。

 危機の兆候もない。


 ただ、何かが終わったような――

 あるいは、何かが始まってしまったような感覚。


 授業へ向かう途中、勇者はふと足を止めた。


 視線の先に、レオナール・フォン・グラントヴァルがいた。


 廊下の端。

 人の流れから、わずかに外れた場所。


 以前と同じ場所に立っている。

 同じ姿勢で、同じように周囲を見ている。


 それなのに――

 印象が、まるで違う。


 何かを“終えた”人間の背中。


 それが、勇者の脳裏に浮かんだ言葉だった。


 理由は分からない。

 問い詰める根拠もない。


 だから、声をかけられない。


 勇者はそのまま視線を逸らし、

 流れに戻る。


 自分は、前に立つ存在だ。

 迷いを見せてはいけない。


 そう、自分に言い聞かせながら。


 一方、エリシアは、よりはっきりと違和感を覚えていた。


 彼女は、レオナールを見ていた。


 視線。

 立ち位置。

 人との距離。


 すべてが、少しずつ変わっている。


 以前の彼は、

 距離を取りながらも、学園を見ていた。


 今の彼は――

 学園を、外側から見ている。


「……声、かけた方がいいのかな」


 小さく呟き、足を止める。


 一歩、近づこうとして――止まった。


 話しかければ、

 何かを聞いてしまう気がした。


 聞いてしまえば、

 もう知らなかった頃には戻れない気がした。


 それが、怖かった。


 エリシアは、結局何も言えずに歩き出す。


 背中越しに、

 レオナールの存在だけを感じながら。


 昼。


 学園は平穏そのものだった。


 訓練の成果が称えられ、

 結界の安定性が評価される。


 「やっぱり、この学園は安全だな」


 そんな声が、あちこちから聞こえる。


 勇者は、その言葉に頷く。


 守られている。

 自分たちの手で。


 そう信じたい。


 だが――

 心のどこかで、別の問いが芽生えていた。


 本当に、すべてを知っているのか?


 放課後。


 勇者は、廊下でレオナールとすれ違う。


 一瞬、視線が交わる。


 言葉はない。

 挨拶もない。


 だが、その一瞬で、互いに理解する。


 ――同じ場所には立っていない。


 レオナールの目は、

 遠くを見ていた。


 学園の内側でも、外側でもない。

 もっと別の場所。


 勇者は、その視線を追えなかった。


 自分は、前を見る。


 それが、英雄の役割だからだ。


 夜。


 学園外で、小さな異変の噂が流れ始める。


 原因不明。

 被害は軽微。


 勇者は、その報告に目を通し、

 剣を握り直す。


「……俺が行くべきだな」


 前に出る準備を始める。


 それが、英雄の選択だ。


 同じ頃、

 レオナールは影の中で動き出していた。


 誰にも知られず。

 誰にも告げず。


 同じ世界を守ろうとしている。


 それでも、

 二人の立つ場所は、

 もう二度と重ならなかった。


 英雄は光の中で。

 悪役は影の中で。


 その距離が、

 この夜、決定的になった。


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