第20話 交わらない正義
異変の報告は、静かに広がっていった。
派手な爆発も、分かりやすい被害もない。
だが、魔力を扱う者であれば、誰もが違和感を覚える程度の歪み。
学園の外縁部。
かつて訓練に使われていた、半ば放棄された結界区画。
魔力の流れが、滞っている。
「数値は安定していますが……動きが、妙ですね」
報告書を見ながら、教員の一人が眉をひそめた。
「前回の事故ほどではない。
様子を見るべきだろう」
慎重論が、自然と場を支配する。
誰も、間違ったことは言っていない。
だが――それは「待つ」という選択だった。
その話を聞いた勇者は、静かに目を伏せた。
前回、待った結果はどうだったか。
被害は出た。
自分は止められなかった。
そして、誰かが――
見えない誰かが、後始末をした。
それを、もう繰り返したくない。
「俺が行く」
勇者の声は、低く、だが迷いがなかった。
教員たちが視線を向ける。
「単独行動は許可できない」
「分かっています。
ですが、被害が出る前に、確かめる必要があります」
理屈は通っている。
感情論ではない。
だからこそ、誰も強く止められなかった。
その背中を見て、エリシアは一歩踏み出す。
「……私も行く」
勇者は、振り返った。
一瞬だけ、迷いが浮かぶ。
彼女を危険に巻き込みたくない。
だが、置いていくこともできない。
「無理はさせない」
それは、約束であり、
自分自身への戒めだった。
一方で、その動きを見ていた男がいる。
公爵子息――主人公だ。
報告の内容。
魔力の性質。
歪みの位置。
頭の中で、線が繋がっていく。
これは、前回とは違う。
小さい。
だが、厄介だ。
下手に触れれば、
別の歪みを引き寄せる。
そして――
勇者の動きは、最悪の引き金になり得る。
「……やはり、早いな」
主人公は、そう呟いた。
勇者の判断は正しい。
だが、タイミングが悪い。
彼は知っている。
善意と責任感が、
どれほど世界を壊してきたかを。
だから、動く。
止めるために。
結界区画へ向かう道。
勇者とエリシアの前に、
ひとりの影が立ちはだかった。
「そこまでだ」
声に、敵意はない。
だが、はっきりとした意志があった。
勇者は、すぐに分かった。
「……君か」
驚きはない。
むしろ、来ると分かっていた。
「通してくれ」
勇者は、率直に言った。
「異変を確認するだけだ。
何もしなければ、被害が出る」
主人公は、一歩も動かない。
「確認するだけで済まない」
「どういう意味だ」
「君が触れれば、歪みは連鎖する」
断定だった。
勇者は、眉をひそめる。
「待てと言うのか」
「今はな」
「前回も、そうやって待った」
声が、わずかに強くなる。
「その結果、事故が起きた」
主人公は、視線を逸らさない。
「事故を止めたのは、君じゃない」
一瞬、空気が凍る。
エリシアは、二人の間に立つ言葉を探す。
だが、今回は黙らない。
「……二人とも、正しい」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「だから、怖い」
勇者は、彼女を見る。
主人公も、初めて視線を向ける。
「守りたいから動く。
壊したくないから止める」
エリシアは、唇を噛む。
「どちらかが間違っているとは、思えない」
それでも――
選ばなければならない時が来ている。
勇者は、深く息を吸った。
「俺は行く」
その言葉に、迷いはない。
「被害が出る可能性があるなら、
前に出るのが俺の役目だ」
主人公は、静かに答える。
「なら、俺は止める」
「……力ずくでか」
「裏からだ」
剣は抜かれない。
魔法も構えられない。
それでも、はっきりと分かる。
二人は、同じ場所に立てない。
エリシアは、二人の背中を見る。
進む者。
止める者。
どちらも、大切な人だ。
勇者は、歩き出す。
主人公は、その逆へと向かう。
エリシアは、その場に残った。
追いかけたい衝動と、
引き留めたい衝動の間で。
だが、今回は違う。
彼女は、ただ見送るだけでは終わらない。
自分の意思で、
どこに立つのかを選ばなければならない。
結界区画の奥で、
魔力が、静かに脈打っていた。
正義は一つである必要はない。
だが、
交わらない正義が、
同時に動いたとき。
世界は、必ず歪む。
それを、三人とも理解していた。
理解した上で、
それでも、進んだ。




